Evil Must Die 5

 お茶を飲み終えていた秋斗と美冬が、自分たちを呼ばれたと思ったのかそろってこちらを振り返る。大分血色がよくなっているのを確認してとりあえずの急場は脱したと判断しつつ、

「本条さんの屋敷の近くのコンビニのところで保護したんだ。傘を失くしたみたいでずぶ濡れになってたから、こっちのほうが近いんでとりあえずうちに連れてきた」

「そんなところにいたの?」

「うん、よくあんなところまで歩いてきたなあと思うよ――ごめん、連絡遅らせちまって。あっくんたち体が冷え切ってたから、回復させることのほうを優先してたもんだから」

 ソファのかたわらにかがみこむと、美冬が空になったマグカップをはい、と差し出してきた――携帯電話を逆の手に持ち替えてそれを受け取り、硝子テーブルの上に置いて、

「ねえ、みーちゃん、あっくん。今お母さんと電話してるんだけど、ちょっとなにかお話してくれる?」 マグカップと引き換えで携帯電話を差し出してやると、アルカードの真似をして携帯を耳に当てた美冬がいきなりボロボロ泣き出した。

 どうやら本人も泣きながら叱る綾乃の声を聞いて、ちょっと驚いたらしい。

「この子たちは、もう――ほんとに! 勝手に出かけちゃって!」

「ごめんねぇぇ」

「どこか痛くない? 今は寒くない? 秋斗は元気なの?」

 びーびー泣く美冬の頭を撫でてやりながら、アルカードは彼女の手からやんわりと携帯電話を取り上げた――間違い無く子供たちがここにいることを証明するために電話に出したが、失敗だったかもしれない。

 子供の声を聞いたからだろう、鼻をすする様な音が聞こえて、

「ありがとう、安心した。ごめんね、面倒かけて」

「否、いいんだ――勝手に連れてきちまったしね、こっちこそ悪かった。で――この子たちなんだけど、今服を洗濯中で動かせないんだ。濡れた服を着せたまま、もう一度連れ出すわけにもいかないからさ。だから、しばらくこっちに置いておきたいんだけど」

 そう言うと、綾乃がしばらく黙ってから、

「迷惑にならない?」

「俺は別に。今日は用事も無いしね。綾乃さんは今日検診だって言ってたろ、昨日――何時から?」

「あの産院時間がかかるから、結構遅くなるとは思うんだけど。本当はもう出ないといけないの」

 綾乃が通っている産婦人科は腕はいいと評判だが、そのぶん人が多い――二時間待ちも珍しくないので、午前中に診察券を出しても診察が終わるのが午後にずれ込むことも多い。

「じゃあこうしようか――俺がこの子たち見てるから、あとで連絡をくれたら車で迎えに行って、家まで送って行くよ」

「いいの?」

「いいよ。たぶんこの状況下だと、それが最善だし。今はあっくんたちはここから動かせないし、服が乾いて動かせる様になっても綾乃さんが家にいなかったら、ふたりだけ家に帰すわけにもいかないしね。だったら綾乃さんの検診と服の洗濯が両方終わってから、綾乃さんを拾ってまとめて家まで送るのが上等なんじゃないか――検診のあとで買い物にでも行くなら別だけど」 そう言いながら、階段の上の物置に視線を向ける――凛と蘭が幼いころ使っていたチャイルドシートが物置にあるはずだ。

「買い物があるなら、それもつきあうよ――そっちが邪魔に思わなければね」

「買い出しは昨日済ませてあるから、それは大丈夫」 綾乃がそう答えてきたので、アルカードはうなずいた。

「じゃあそれで算段はついたのかな――とりあえず、もうすでに予定より遅れてるんなら、急いで病院に行ったほうがいいんじゃないか? 予約は大丈夫?」

「あ、それは大丈夫。子供たちを一時保育に預ける時間を計算に入れて予定組んでるから、あと十五分くらいは」

「そう。じゃあ大丈夫だね。あっくんたちのことは俺が見とくから、余裕を持ってゆっくり行ってくれ」

 そう言ってやると、綾乃が心底安堵したという様に深々と息を履いた。

「ありがとう。今度なにかお礼するから」

「いーよ、別に。というか俺としては、あっくんはともかくみーちゃんまで服を全部洗濯しないといけないのが、気が進まなくてしょうがない」

「あー……」 それでこちらの今の状況を理解したのか、綾乃が一瞬絶句する。

「本当に申し訳無く思ってるんだけど、濡れた服着せたままにするわけにはいかなかったから」

「それこそ気にしないで」

「そう言ってくれるとありがたいよ――ところで、この子たちアレルギー無かったよね? 食べ物と、あと動物も。具体的には犬」

「ええ、少なくとも今のところ症状は出てないし、検査にも引っかかってないけど」

 それを聞いて、アルカードは内心で胸を撫で下ろした。子供たちを犬に接触させるにあたっての最大の懸案事項が、アルカードが知らないうちに子供たちがアレルギーを発症していた場合だったからだ。

「どうして?」

「昨日デルチャたちとちょっと話してたの、聞いてなかったかもね――俺、今犬飼ってるんだよ」

 へえ、と綾乃の声が明るくなる。夫と子供にいつアレルギー症状が出るかわからないからという理由で、彼女の家では犬を飼えない――繁殖家が家業の実家にバーニーズ・マウンテンばかり十匹もいて犬には馴染みの深い彼女が時々それを残念がっているのは、アルカードも知っていた。

「なんの犬?」

「柴を三匹。可愛いぞ」

「あはは、のろけてるのろけてる」 明るい笑い声をあげて、綾乃がそんなことを言ってきた――飼い犬自慢はのろけというのだろうかと思いながら口を開きかけたとき、ガタガタという耳障りな音が耳に届いた。どうも携帯電話を床に落としたらしい。

「ごめん、携帯落としちゃった。靴を履きながらしゃべってるもんだから」 綾乃の言葉に、アルカードは肩をすくめた。

「そうか――綾乃さん、そろそろ出なくていいの?」

「大丈夫。もうすぐタクシーが来るから」 でももう切るね、と綾乃が続けてくる。

「ちょっとスピーカーに出来る?」

「ああ」 綾乃の問いにそう返事をして、アルカードは携帯電話のハンズフリーモードのボタンを押した。外部スピーカーに切り替わったのを確認してから、

「いいぜ」

「ねえ、秋斗、美冬?」 スピーカーから聞こえる音割れした声に、秋斗と美冬がそろって携帯電話を振り返る。名前を呼ぶときの発音に特徴があり、知っていて聞けば綾乃の声だとすぐわかる。

「お母さんねえ、赤ちゃんを見てもらいに病院に行くから、しばらくあーのところで遊んでもらってね。言うことよく聞いて、いい子にしてるのよ」

 ふたりの子供たちがはぁい、と返事をする。

「じゃ、ごめんね、アルカードさん。またあとで連絡するわ」

「ああ、診察終わったらメールでも送ってくれればいいよ。それじゃ」

 終話ボタンを押すよりも早く、液晶画面が消えてピーピー音がし始めた――携帯電話のバッテリーが尽きたのだ。それに気づいて、アルカードは顔を顰めた――ちゃんと昨夜から充電していたのだが、バッテリーがそろそろ駄目になり始めているらしい。

 溜め息をついて、アルカードはテレビ台のフロントスピーカーの近くに放置されていた充電ケーブルに携帯電話を接続してから子供たちのほうを振り返った――今頃神城家の者たちは、子供たちを探しに出歩いているだろう。あの不在着信の数からすると、アルカードに捜索の支援を要請するつもりでいたのに違い無い。アルカードの正体と能力を多少なりとも知っていれば、この高湿度の環境でアルカードが失せ人探しにどれほど高い能力を発揮出来るかも想像がつく。

 風呂から出たら電話するか――胸中でつぶやいて、アルカードはソファに埋もれる様にしてこちらをじっと注視している子供ふたりを振り返った。

「じゃあお風呂に入ろうか」

 

   †

 

 アルカードの部屋のインターホンのボタンを押して、しばらく待つ――アルカードの部屋は合鍵をもらっている人間はほぼ出入り自由の状態なのだが、パオラとしてはそこまで自由勝手にやっていいものだとは思っていなかった。

 彼が自分で言ったとおり、彼が部屋の合鍵をくれたのは喰うに困って飢え死にしかけたときに助けを求められる様にするためで、それ以上の意味は無い――そして彼女たちは学生ではないし、食べるに困ってもいない。

 フィオレンティーナはアルカードに対する反感が先に立っているし、リディアのほうはどう思っているのかわからないが、アルカードは現在彼女たちにとって監督を受けるべき指揮官なのだ。

 それにそれを抜きにしても、礼儀というものがある。異性同士の間ならなおさらだ。

 はーい、という声が扉の向こうから聞こえてきた――インターホンを使わずに、直接返事をしてきたらしい。

「どちらさんですか?」

「パオラです」 声が聞こえやすい様に扉に設けられた郵便受けの蓋を指で押し開けてそう声をかけると、

「あー。今手が離せないから入ってきてくれ。開いてるから」 その言葉に、パオラは扉をそっと開いて玄関に入った――玄関はカーテンの様にして動かして開閉するタイプの網戸が設置されており、それを動かさないと入れない。仔犬たちがアルカードの知らないうちに、勝手に出ていけない様にするためのものだ。

 リビングから駆け出してきた仔犬たちが、上がり込んだ足元にまとわりついてくる。

「あ、駄目だよ――」 ちょっとあわてた様なアルカードの声に、床にかがみこんでソバの顎の下をくすぐっていたパオラが顔をあげると、ちょうど浴室の脱衣所のところから裸の男の子が飛び出してきた。

 二歳にはまだならないくらいだろうか――視線の先にパオラの姿を認めて、男の子が足を止める。

 見覚えのある男の子だ――昨夜顔合わせした凛と蘭の父方の親類のひとりで、アルカードが抱っこしていた子供だ。名前は確かアキトとかいったか。

 不思議そうにパオラを見上げている子供を追う様にして、浴室からアルカードが姿を見せた――風呂場から出てくると気づいた瞬間にアルカードも裸で出てくるのではないかと一瞬動揺したものの、アルカードは普段の格好でジーンズの裾を捲って裸足になっただけだった。

「よう、どうした?」

「いえ、ちょっと――」 答えかけたとき、アルカードの足元から今度は裸の女の子が飛び出してくる。アキトの双子の兄妹だ――名前はミフユとかいったか。とりあえずその姿を見て、パオラは眉を吊り上げた。

「アルカード! どうして女の子を裸になんかしてるんですか!」

 人聞きの悪いこと言うなよ、とぼやきつつ、アルカードが弁明の言葉を探して視線を宙にさまよわせる。

「さっきコンビニに行ったときに、この子たちがずぶ濡れになってたから連れて帰ってきたんだよ。体が冷えてたからお茶を飲ませて、風呂に入れて温まらせようと思ってたところだ」

「だからって、男の人が女の子をお風呂に入れるとかは――」

「じゃあ君がやってくれ」 あっさりと切り返されて、パオラは目をしばたたかせた。

「え?」

「同じことは俺も思ってたんだ。というわけでだ、すまないが君がやってくれないか」

「え、でも――」 反駁しようとするパオラの言葉にかまわず、アルカードは彼女の腕をとって脱衣場に連れ込むと、

「悪いがここで頼む。この子たち、今着るものが無いから。あ、着替えは無いからそこの棚のTシャツを着せといてあげてくれ」 洗濯機の中から子供たちのものと思しい服を取り出して籠に放り込み、今度は下着と靴下を手早く放り込んでスイッチを入れ、洗剤を投入してから、アルカードは彼女の返事を待たずに脱衣場から出て行った。

「ちょっと――」 パオラの声を無視して、眼前で脱衣所の引き戸が閉まる。

 パオラはかくんと肩を落として、アルカードを捕まえようと伸ばしていた手を下ろし――はだかんぼうのままこちらを見上げているふたりの子供たちを見下ろして、小さく溜め息をついた。

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