Evil Must Die 3

 

   *

 

 はざま西の交差点に差し掛かったところで、交差点の歩行者信号が点滅を始めた――車輌用信号が黄色に変わるまでの間に交差点を通過するのは無理だと踏んで、ルームミラーに一瞬視線を投げてからブレーキペダルを踏み込む。案の定すぐに信号は黄色に変わり、トヨタのマークツーがベースのパトカーが完全に停止したころには赤に変わっていた。

 彼らがいるのは本条というここいらの大地主だった家の屋敷の横を通る道路で、屋敷の敷地の一辺を二分する様な位置にある丁字の交差点だった。右手は対向車線を挟んで白漆喰で塗られた日本家屋の塀が遠くまで伸び、左手は交差点の手前側にローソン、道路を挟んで反対側は有料の駐車場になっている――もっとも、七割がたが月極契約の契約車両で埋まっている様だったが。

 このまま左折せずに直進すると、ショッピングセンターや消防署、警察署、郵便局に銀行、市役所の分署といった各施設が集中する街の中心街に出る――逆方向に進むと公立の小中学校や高校がいくつかあった。

「――ん?」 助手席でぼんやり外を眺めていたベテランの巡査部長、片桐が声をあげる。

 ハンドルを握っていた中村はそちらに視線を向け、

「どうかしました?」 という質問の言葉が終わる前に、彼が声を発した理由を理解した。

 片桐の視線の先にいるのは、手前の歩道の角で身を寄せ合う様にしているふたりの子供だった。

「迷子?」

「さあな」 片桐がそう答えてパトカーのドアを開け、歩道に出ていく――中村は信号が青に変わったので丁字路を左折し、角にあるローソンの駐車場内にパトカーを入れた。店舗の建屋から一番離れた駐車スペースにパトカーをバックで止め、たまたまゴミ箱の袋を交換していた顔見知りの店員に拝む様な仕草で片手を挙げてから、パトカーから降りる。

 雨足は先ほどまでよりどんどん強くなってきており、傘があっても迂闊に出歩くのは少々きつい状態だった。よくよく見ると、子供は男の子と女の子がひとりずつ――子供向けのキャラクターものの長靴に、同じくキャラものの雨合羽を着ている。

 おそろいのデザインで色違いの青と赤の雨合羽だが風で飛ばされたのかフードがまくれ上がって頭が剥き出しになり、首元から水が侵入して合羽の下の服が濡れそぼって濡れ鼠になっている。一体どれだけの時間傘も差さずに出歩いていたのか、髪の毛や衣服が肌に張りついていた。

 片桐がふたりのそばに歩いて行ってかたわらにかがみこんでいる――警察官は職務上傘の使用を禁じられているのだが、子供たちには必要だと思ったからだろう、さっき落ちているのを拾ったビニール傘をふたりの頭上に翳していた。

「こんにちは、おちびさんたち――どこから来たのかおじさんに教えてくれる?」

 ふたりの子供たちは、ぐずるばかりで返事をしない――二歳になるかならないかというところか、と中村は見当をつけた。

「パパとママは? おうちがどこだかわかるかな?」 泣くばかりで返事をしない子供たちに心底困ったという様に、片桐が頭を掻く。

「しゃぁない、中村、とりあえずパトカーに乗せて、保護を――」 うなずいて、中村は子供たちをパトカーまで誘導しようと彼らの背中に手を伸ばした。

「ねえおちびさんたち、パトカーに乗ってみたく――」

「――あ、こんにちは」 言い終えるより早く横合いから声がかかって、中村はそちらに視線を向けた。

 大きなビニール傘を差した金髪の外国人――アルカード・ドラゴスが、五メートルほど離れたコンビニの敷地と歩道の境目あたりで足を止め、コンビニのテープを貼りつけた小さなポリエチレンのチャックつきパッケージ(どうやら中身は煎り胡麻の様だが)を手にした手を適当に振っている。

 右腕だけにファイヤーパターンがブラシペイントされた、いつもとは違うデザインの黒いレザージャケットを羽織っている――彼は革ジャン好きなので、別にいろいろ持っていてもおかしくない、というか中村の知る限り十着以上レザージャケットばかり所有していたはずだ。

「外回りのお仕事ですか? こんな雨の中お疲れ――」 様です、と続けるより早く、アルカードはそこで言葉を切った。片桐が話しかけていた子供たちの一方の顔が見えたからだろう。

「あっくん?」 それを聞いて、男の子がアルカードのほうを振り返る――続いて女の子もそちらを振り返った。

 どうやら子供たちは、アルカードの知己らしい――彼はこちらに歩みを進めながら、

「みーちゃんも? どうしたの、こんなところで」

 それを聞いて、相手が自分たちの知っている相手だと確信したらしい――子供たちはあぁぁぁぁ、と声をあげながらアルカードのほうに走り出した。

 アルカードは足を止めてその場にかがみこむと、両手を拡げて飛びついてきた子供たちの体を抱き止めた。

 女の子のほうは泣くばかりだからかアルカードは男の子に視線を向けて、

「びしょ濡れじゃないか――お父さんとお母さんは? もしかして、ふたりだけでここまで来たの?」

 男の子が泣きながらうなずくと、

「よくふたりだけでここまで来られたね――前に買ってあげた傘は?」

「とんでった」 アルカードの言葉に、しゃくりあげながら男の子がそう答える。どうやらアルカードが傘を買い与えたことがあるらしい。

「とんでった? 風に飛ばされたの?」 あとは泣きじゃくって要領を得ないからか、アルカードは男の子の体を抱き寄せると、

「あとで傘は探してあげるからさ、泣かない泣かない。男の子だろ?」 普段店員をからかって遊んでいるときとは別人みたいな優しい口調でそう言うと、金髪の青年は片桐と中村に順繰りに視線を向け、

「すみませんが、この子たちを俺が連れてってもかまいませんね?」 質問の形を取っているが、こちらがどう答えようとその返答に耳を貸すつもりは無い――それがはっきりわかる口調で、アルカードはそう言ってきた。

「否、それは――」

?」 片桐の返事に、アルカードは視線も向けなかった。彼ら警察にとっては、迷子の児童の保護は義務であって酔狂のたぐいではない――通報者がいない以上今の時点では記録に残らないが、だからといって自分の判断で勝手に置いていくわけにはいかない。この若者はおそらく、片桐の主張そのものには理解を示すだろう――だが同時に、彼がそれを拒否するであろうことも中村には容易に想像がついた。

「中村、この人は?」

「自分の友人です。近所の飲食店の従業員で、アルカード・ドラゴスさんと」 片桐は中村の紹介にうなずいてからアルカードに視線を向けて、

「中村の同僚の片桐です。失礼ですが、この子たちとは?」

「友人の子供です――本人たちがどこにいるのかはわかりかねますが」 そう答えてから、アルカードは腰につけたポーチから取り出した免許証入れを差し出した――さっさと会話を終わらせるために、身分をつまびらかにするつもりらしい。風邪をひく前に連れて行きたいのだろう。

 片桐はさっと内容を確認して免許証をアルカードに返し、

「この子たちの身元は?」

「神城秋斗君と美冬ちゃんです。おまわりさんが十年くらいここの所轄で勤続してたら、当時深川署長だった神城忠信さんをご存じだと思いますが、彼の孫です」 少し冷えてきたのだろう、震えている子供たちを抱き寄せて、アルカードはそう言ってきた。

「住所は深川三丁目一の六。深川郵便局のふたつ隣です」 子供たちの住所なのだろう、アルカードはすらすらとそう続けてきた。深川町はここからだとショッピングセンターと線路を挟んだ反対側で、車でも十分以上かかる。よくそんなところから歩いてきたものだ。

 片桐はうなずいて、

「神城署長は知っています。ただ、神城署長の孫だという証拠は?」 その言葉にアルカードは首をすくめ、

「今現在は無いですね――本人の連絡先をご存知なら確認はしていただければいいと思いますが、いずれにせよ、これ以上時間をかけずに連れて帰りたいんですよ」

 この子たちが風邪をひいたり肺炎になったり低体温症を起こす前に――そう続けて、アルカードが免許証入れの中から名刺を一枚取り出して差し出した。

「店自体は今日は休みですが、俺の連絡先の電話番号もそれに載ってます。俺の住所はさっきの免許証の記載どおりですし、中村さんがご存じです。うちにちょくちょく来てくれますから――なんならこのまま、自宅までついていらっしゃいますか?」

 その言葉に片桐がこちらに視線を向け、中村は首肯を示して小さくうなずいた――迷子の保護に関しては六年ほど前にロートルの制服警官が放置児童を民間人に押しつけようとした際にひどい暴言を吐いたり、別の案件だが民間人に子供を押しつけたらその家の男に性暴行を受けるなどの事案が出た。それが公安委員会や監察で問題になり、少なくとも所轄署では民間人に子供の保護に関して協力を求めたことが露見した場合は即刻調査の上で処分される。

 この場合はアルカードが自分から身柄の引き受けを申し出ている以上、子供を民間人に押しつけるといった形では問題にならないだろうが――

 だがそれでも、職務上の義務の放棄には違い無い。子供たちがアルカードにしがみついたまま離れようとしないこと、それを振りほどいたりはせずにアルカードが濡れるに任せているのを見て、片桐が小さくうなずく。彼はとりあえず会話で情報を引き出そうと思ったらしく、

「わかりました。それで、この子たちのご家族に連絡は?」 という質問に、アルカードは適当に肩をすくめた。

「携帯を部屋に置いてきちまいましてね――今は連絡先がわかりません。帰り次第連絡を入れるつもりでいます」

「わかりました。では、パトカーでご自宅までお送りします」 片桐がそう申し出ると、アルカードはうなずいた。

「助かります」 そう返事をしてから、アルカードは子供たちに視線を落とし、

「ねえ、あっくん、みーちゃん。ここからおうちに帰るのは遠いから、とりあえずあーのおうちに来ない? あーのおうちから、お母さんに電話しよう」

 腕の中で女の子が小さくうなずくのを確認して、アルカードは立ち上がった。

「ほら、パンダのぶーぶーだよ」 アルカードが子供たちの手を引いて、中村が開けたパトカーの後部座席にふたりを誘導する。

 三人が乗り込んだところで中村は後部座席のドアを閉め、運転席に廻り込んで、ドアを開け運転席に体を滑り込ませた。片桐が助手席に乗り込んでドアを閉めたのを確認して、エンジンを始動させる。

 道路に出るためのスロープに車体を近づけると、片桐が左側に視線を向けて、

「左はいいぞ」

「はい」 そう返事をして、それでも一応自分でも確認してから、中村はパトカーを車道に出した。丁字路の信号は青だったのでそのまま右折し、ショッピングセンターとは逆方向へ車を走らせる。

 アルカードの住所は硲西一丁目の三――ここからだと車で一分もかからない距離だ。実際パトカーはすぐにアルカードの住むアパートの前に到着していた。

「ありがとうございます」 

そう言って、アルカードはパトカーの後部座席から降りた。ふたりの子供たちをそれぞれ両腕に抱き上げ、腕に腰掛ける様にして首元に掴まっている子供たちをかばう様にして傘を翳し、

「じゃあ俺はこれで」 会釈は省略し、アルカードは踵を返して歩き出した――子供たちに話しかけながら、アパートの共用廊下に足を踏み入れる。

 アルカードが傘をたたみ、自室の玄関の施錠を解除するのを確認して、中村は片桐と視線を交わした。

「さ、仕事再開するか」

「はい」 片桐の言葉にうなずいて、中村はパトカーのブレーキから足を離し、アクセルを踏み込んだ。

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