Ogre Battle 53


 アルカードの拳が軽く握り込まれる。ウドンがその手の甲に鼻を近づけて匂いを嗅いでからぺろりと嘗めると、アルカードは握力を緩めてウドンの頭を撫でてやりながら、

「次の瞬間だった。なにが起こったのかもわからなかったが、朦朧としていた意識は一気に鮮明になって、ラルカに刺された腹の傷も、折れたはずの左腕も砕かれた右手も潰れたはずの目も、まるで手傷なんか最初からひとつも負ってなかったかの様に元に戻っていた――腹に突き刺されたままの剣を引き抜いて攻撃を仕掛けたら、一撃合わせただけで折れちまった」

 アルカードが右手を翳すと、鼓膜を通さずに頭の中に無数の絶叫が響き渡り、まったく輝かない漆黒の曲刀が姿を見せた――目をモチーフにした装飾のある刃に視線を落としながら、

「剣が折れていったん間合いを離したら、足元に血の池が出来ていた――たぶん俺の魔力に呼応して、ブカレシュティ中の血という血が集まってきたんだろう。まあ、ほとんどは吸われたあとだっただろうがな」

 最後に余計な一言を付け加えてから、アルカードは手にした霊体武装を照明に翳した。やはり感情の感じられない淡々とした口調で、

「血の池がいきなり盛り上がって――ちょうど石筍みたいな感じだったが――それに手を突っ込んだら、これが出てきた」 他人の血を介して出来た霊体武装。そういった発生をする霊体武装も無くはない。

 霊体武装は狭義的には魔力によって織りなされた自分専用の武装だが、広義的には実体を持たず出し入れ自在な様に作られた、あるいは結果的にそうなった武装も含まれ、自分自身の霊体武装でないものを魔具と呼ぶ。

 関連付けペアリングと呼ばれる作業を終えた魔具は、出し入れ自在の完全な秘匿携行コンシールドなど、霊体武装と同じ使い方が出来る――魔具は魔術的な精製を含めて作られたものと、魔力を蓄積した実体のある装備が実体が朽ちても形骸だけを残して存在し続けているものに大別され、後者はもともとの形態が定まっているために、いったん消して再構築する際にサイズの変更が行えない。リーラ・シャルンホストの持っている太刀拵の日本刀も、霊体に対する攻撃力を持つ魔具だ――ただし本人に言わせると、魔具は刀身だけで拵はあとから用意したものらしく、刀装の秘匿携行が行えないらしい。

 アルカードの塵灰滅の剣Asher Dustは、おそらくアルカードの魔力に共鳴した住民たちの魔力や霊体の残滓が集結して形成されたものなのだろう――発生の過程から考えると、狭義的な霊体武装と魔具の中間くらいの位置づけになるのか。

「復活したあとは、それまでとはまるで違っていたよ――月明かりの下とはいえ、薄暗がりになっている場所まで昼間の様に明るく見え、負傷は瞬時に治癒して、まったく抵抗出来ないほどの圧倒的な膂力を誇ったドラキュラにも力負けしなくなった。ドラキュラの剣に亀裂も入れたし、そのまま戦い続ければ斃すことも出来ただろうが、逃げられた――まあ仕留め損なったのは仕方無いし、ほかに気になることもあったしな」

 そう言ったところで下がった鋒にテンプラが顔を近づけているのに気づいたのだろう、アルカードは塵灰滅の剣Asher Dustを消した。

「気になること?」 パオラの問いかけに、アルカードはうなずいた。彼は手を伸ばしてテンプラの小さな体を引き寄せながら、

「言ったろ? 屋敷にはほかの使用人もいた。当然ほかの住人もみんないるってことだ。養父の奥様も、俺の母親も」

「その奥さんは、お父様と一緒じゃなかったんですか?」 リディアの言葉に、アルカードはかぶりを振った。

「知らん。養父がいた――さっきもちょっと言ったが、グリゴラシュとアンドレアが死んでいた部屋は夫婦の寝室じゃなかった。おそらく安静状態で隔離されてたんだろう」

 アルカードはそこでいったん言葉を切り、太腿に前肢をかけてかまってほしがっているテンプラの耳の後ろを軽く掻いてやりながら、

「いい奥様だったよ――突然拾われてきた、素姓も知れない流れ者の女の産んだ子に、本当によくしてくださった。俺の母親は使用人として置いていただいていて、奥様の申し出で俺は使用人ではなく養子として育てられることになったんだ。奥様と養父の間にはグリゴラシュのほかに息子と娘がひとりずついて、奥様はそのふたりともうひとり――ウジェーヌという子供に襲われて殺された」

 フィオレンティーナが息を呑むのが聞こえた――見遣ると、フィオレンティーナの面差しから血の気が引いている。

「話を戻そう。俺は奥様と母親を探すために屋敷の中に戻ったんだが、中庭で喰屍鬼グールに変わったディミトリという使用人がヴィオリカという名の使用人の娘を襲っているところに出くわした」

 一瞬言葉を切って、アルカードは続けた。

喰屍鬼グールになった使用人を斬ったあと、ディミトリに喰い殺されて即死していた娘が喰屍鬼グールになって襲ってきた――それで喰屍鬼グールに襲われると、喰屍鬼グールになるんだとわかった」

 アルカードが軽く拳を握る――筋肉と骨格がきしむギシリという音が聞こえてきて、リディアは眉をひそめた。

「俺が屋敷に足を踏み入れた時点ではまだ復活してなかった者たちも、そのころになると蘇生が始まっていた――ロイヤルクラシックのドラキュラに血を吸われた犠牲者が喰屍鬼グールになるとは思えないから、屋敷に入ってから襲われた使用人の噛まれ者ダンパイアたちの被害者かもしれない。料理人のボグダンにその妻のクララ――左胸が喰い散らかされて肋骨が何本か無くなり、心臓も半分喰い散らかされていたよ。吸血鬼に噛まれて死んだ遺体が吸血鬼や喰屍鬼グールに変化する場合は喰屍鬼グールはその死体を餌にしないから、ほかの喰屍鬼グールに喰われて死んだんだろうな」

 アルカードの口にした言葉に、リディアは顔を顰めた。吸血鬼に噛まれて死んだ人間が蘇生するまでの時間は、一般的に数時間から数日程度――だがドラキュラの様な真祖が直接噛んだ被害者であれば、蘇生までの時間はおそらく数秒から数十分、一時間以上かかることはあるまい。ドラキュラが直接噛んだ被害者の、さらにその被害者であっても、おそらく数十分から数時間程度で蘇生するだろう。

 そして喰屍鬼グールに喰い殺されて死んだ被害者が喰屍鬼グールとして復活するまでの所要時間は、せいぜい数十秒から数分程度。当時のアルカードがドラキュラと戦っていた所要時間がどの程度かはわからないが、屋敷に足を踏み入れる前に住人のほとんどが死亡していたのであれば――

 アルカードは一度言葉を切ってから、脳裏によぎる亡霊を振り払おうとするかの様にかぶりを振って、

「そのあと、中庭にやってきたグリゴラシュに襲われた――俺がドラキュラにやられてる間に蘇生して、屋敷内の生き残りを襲っていたらしい。パワーもスピードもドラキュラには及ばないが、ゲオルゲやヤコブ、ローザとは比較にならないほど速く、重い攻撃だった――今にして思えば、みずから血を吸われることを願い出た『剣』なんだから当然だがな」

 アルカードは小さく息を吐いてから、

「ドラキュラがグリゴラシュを襲い殺した――俺はそう思ってたんだが、実際のところは違ったんだろう。俺に対する恨み言の様なことも言ってたしな。あとから知ったことだが、ドラキュラは俺の素姓を知ったときに、養父に人質交換の形でグリゴラシュを差し出すことを要求したらしい。もしくは俺を殺すか――正直、そんな厄介事の種になるんならさっさと俺を殺しておけばよかったのにと思うがな。俺の母親はもともとは流れ者で、それがどうしてドラキュラの子を身籠ることになったのかは俺は知らない――ドラキュラの妾にでもされたのか、それともそこらの道端で襲われたのか。そのへんの詳しいことは、たぶん永遠にわからないだろう。物心ついたころから一度も顔を見たことのない父親のことなぞどうでもよかったから、気にしたことも無かったしな」

 そこで言葉を切り、アルカードは悩ましげに深々と嘆息した。

「グリゴラシュはドラキュラのところに差し出されてからずっと――なんというか、あまりいい扱いはされてなかった様でな。あいつが人質として差し出されたのは第二次ヴラド政権、つまりオスマン帝国の内紛誘発によって封建貴族ボイェリたちが紛糾し、ドラキュラが弟のラドゥにその座を追われる前の話だ。グリゴラシュはドラキュラに連れられてトランシルヴァニアへ落ち延び、ハンガリー王フニャディ・マーチャーシュによってドラキュラに随行していたほかの家来ともども幽閉されていたらしい」

 そこまで続けてから、金髪の吸血鬼が言葉を選ぶ様に少し考え込む――彼はすぐに再び口を開き、

「そのせいで、気楽に俺と話すかたわら、自分の実家で優遇されてる――今思えば、俺自身もそう思う――俺に対して恨みを蓄積していたんだろう。徹底的に鍛えられて腕利きにはなった半面、まっとうな子供時代は送れなかっただろう。実際に虐遇したドラキュラよりも、その原因になった俺に恨みを向けてたんだろうな。俺より年上だからか、俺の前では普通に振舞っていたし、当時ガキだった俺はなにも考えずに、グリゴラシュを年の離れた友人だと思っていたよ」

 アルカードはそう言ってから、ピザの残りに手を伸ばした――空腹だったのではなく、ただ単に手持無沙汰だったのだろう。

「正直なところ、どうすべきだったのかわからない――謝ればいいのか? それとも俺が殺されてやればあいつは満足したのか? 五百年たってもわからない――ただ、グリゴラシュがどんなに俺に憎悪を募らせていたとしても、それで屋敷の者たちを襲って殺した理由にはならないから、許すつもりは無いがな」

 左手を甘噛みするテンプラにいけない、と声をかけてから、アルカードが続ける。

「園丁の見習いだったミカエル、ゼルマとイリナの双子の姉妹、喰屍鬼グール噛まれ者ダンパイアになった者たちを逃がすわけにはいかなかったから見つけた端から斃しながら、奥様の寝室に向かったんだが――騒ぎに気づいて立て籠もろうとしたんだろうな。寝室の扉は破られて、家具がいくつか散乱していた。そうはいっても、現代みたいに物が多い時代でなし、バリケードのつもりだったとしてもたいした効果も無かっただろう。俺の母親は奥様の傍付だった――おそらく一緒にいるだろうと思ったが、寝室にいたのは奥様と、それにアヴラムとモニカというふたりの実子、ウジェーヌという名の子供だった」

 まともに顔色を変えているフィオレンティーナを見遣って、パオラが眉をひそめる。

「フィオ、大丈夫?」

 うつむいている顔を下から覗き込む様にして声をかけるも、フィオレンティーナは返事をしなかった――二度声をかけて肩に触れたところで、いきなりびくりと顔を上げる。

「な、なんですか?」

「大丈夫か? 酷い顔色だぞ」 それまでずっと手元に視線を落としていたアルカードも、彼女のほうに視線を向けている。様子がおかしいことに気づいたのか、自力でソファに上り下りが出来る様にソファの足元に階段状に積み上げられたオートバイ関係の雑誌を伝い降りたソバがフィオレンティーナの足元に寄っていった。

 足首にしがみつく様にして尻尾を振っているソバを抱き上げて、フィオレンティーナはかぶりを振った。

「大丈夫です、続けてください」

「なら、座っておけ――今にも倒れそうに見える」 キッチンカウンターにもたれかかる様にして立っているフィオレンティーナにそう言ってから、アルカードは背凭れに体重を預けて足を組んだ。

「実子ふたりとウジェーヌを殺したときは、奥様はまだ息があった――そのあとで息を引き取って、蘇生を防ぐために首を落とした。俺の母は同じ部屋にいたらしいが、グリゴラシュに連れ去られたらしい――グリゴラシュの目的がどうあれ、連れ去られてから一年は生きていなかっただろうな」

 その言葉と面差しは、アルカードが母の生存をとうの昔に諦めているであろうことを物語っていた――生身の人間であればとうの昔に死んでいるだろうし、吸血鬼化していれば他者の血を吸ってすでに完全な噛まれ者ダンパイアになっているだろうからどのみち斃さざるを得ない。

 アルカードの横顔を見つめながら、リディアはアルカードの母親がすでに死んでいることを願った――他人の親の死を願うなどとんでもないことだが、もしもドラキュラやグリゴラシュに血を吸われていれば、彼の母親は吸血鬼になっているだろう。

 ロイヤルクラシックや『剣』に襲われて血を吸われれば、噛まれ者ダンパイアの有無にかかわらずに被害者はほぼ百パーセント噛まれ者ダンパイアに変わる――上位個体がよほど衰弱していれば別だろうが。そして吸血鬼化していれば、すでに噛まれ者ダンパイアになり、他人の血を吸ってヴェドゴニヤの状態を脱しているだろう――フィオレンティーナの様な幸運に恵まれた被害者はそう多くはない。

 そしてそうなればアルカードは自分の内心がどうあれ、躊躇無く自分の母親を斬り棄てるはずだ――噛まれ者ダンパイアになったからという理由で誰かを殺したのだから、同じ条件のほかの者に対しても躊躇してはならない。それがたとえ誰であれ――それが責任というものだ。

 母と慕った人の首を刎ね、生家の親しい人々をことごとく喰屍鬼グール噛まれ者ダンパイアに変えられてそれを殺し――彼はもう十分に地獄を味わっている。このうえさらに実母を自ら手にかけることがない様に、リディアは彼の母がもう死んでいることを切に願った。

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