Ogre Battle 52

「この――!」 罵声をあげて、別の騎兵が背後から槍を突き出してくる――黙っていれば、もう少しくらい攻撃の成功率も上がっただろうに。皮肉に口元をゆがめて、ヴィルトールは地面を蹴った。

 絶対に躱せないと確信していたのだろう、面頬の隙間から覗く騎兵の目が驚愕に見開かれる――実際、拳ひとつぶんの距離まで肉薄していた槍の穂先を躱すなど、普通の歩兵には不可能だろう。

 だが――相手が悪い。地上で戦う限り、ヴィルトール・ドラゴスに攻撃を当てられるものは存在しない。

 躱さずにいれば心臓を貫通する軌道で突き込まれてきた槍の穂先を、手にした剣の柄を引っ掛けて押し下げる様にして叩き落とす――大きく体勢を崩した騎兵の手にした槍に足をかけ、ヴィルトールはその槍を駆け登った。

 叩き落とした槍の穂先が背後で崩れ落ちた騎兵の騎馬の肋に深々と突き刺さり、容易に引き戻すことも出来ない。手放してしまえばヴィルトールは槍の上で体勢を崩すことになるが、人間優位を確保出来る間合いの広い武器を手放すのには逡巡があるものだ。騎兵には取りうる選択肢があったにもかかわらず、迷ったばかりに零になった。

 結果、騎兵は槍の手元まで駆け上ったヴィルトールの一撃を防ぐことも出来ぬまま、頭蓋を冑ごと水平に切り取る軌道で繰り出された一撃をまともに受けることになった。

「なんだ――安物使ってんなあ」 金属の砕片を撒き散らしながら切断された冑を見遣り、ヴィルトールは唇をゆがめた。

 冑の頭部を輪切りにされた騎兵の体が鞍上で崩れ落ち、頭蓋に収まっていた脳髄がずるりと音を立ててこぼれ出す。力の抜けた手から槍が抜け落ち、ヴィルトールは体勢を崩す前に槍の上から飛び降りた。

 そのまま身を翻して、ルステム・スィナンのほうに向かって地面を蹴る――騎兵は機動力は高いが、小回りは利かない。後方に廻り込まれれば、向きを変えるのも一苦労だ。いったん包囲を抜けてしまえば、対処は遅れる――ルステム・スィナンは指揮官だからだろう、歩兵用に毛の生えた様な長さの長剣しか持っていない。地上から接近する敵に対処するには間合いが足りないだろう。

 長柄の斧を手にした騎兵が疾走するヴィルトールとルステム・スィナンの間に割って入り、こちらの胴を薙ぐ軌道で得物を振るう――前方に体を投げ出して前転する様にしてその斬撃を躱し、ついでに起き上がり様に剣を振るって騎馬の脚を切断してから、ヴィルトールは再び地面を蹴った。

 背後で騎馬の悲痛ないななきと、転落する騎兵の悲鳴が聞こえてくる。悲鳴が続いているから死んではいないだろうが、すぐには動けないだろう。

 ルステム・スィナンも包囲網を突破し、立ちはだかった部下もあっさりと片づけられて、ようやく自分の置かれた状況に危機感をいだいたらしい――オスマン語でなにか喚いているが、早口すぎて生粋の話者ではないヴィルトールには理解出来なかった。

 包囲網に参加していた騎兵たちは密集した味方が邪魔になって馬の向きを変えるのが遅れており、命令なのか自発的なのか知らないが防御戦力のほとんどが包囲に参加していたために、ルステム・スィナンの周りには誰もいない。

 

 ルステム・スィナンが掛け声をかけながら手綱を繰る――部下の助けが望めないために、みずから迎撃することを選択したらしい。

 得物が槍でも騎兵用の大剣でもないので、馬上から直接こちらを斃すのは難しい――馬をぶつけでもするつもりなのか、ルステム・スィナンはそのまままっすぐ突っ込んできた。

 ルステム・スィナンがこれからとりうる行動はふたつ――こちらを馬で撥ね飛ばそうとでもするのか、正面から突っ込んでくると見せて脇を駆け抜けて逃れるのか。

 どちらであろうとかまわない――向こうが突っ込んでくるならこちらが躱し、向こうが躱すならそのまま、すれ違いながら馬を斬る。

 歩兵にとって騎兵と戦うときに重要なのは、直接騎兵を斃すことではない。馬を斬って落馬させれば騎兵用の重装甲冑を着込んだ騎兵が無傷でいられる可能性は低いし、周りに邪魔者のいない状況なら起き上がる前に仕留めるのは容易い。

 ルステム・スィナンは左手で長剣を振り翳しながら突っ込んできている――すれ違いながら斬りつけてくるつもりなのか? あの短い得物では、相当接近してすれ違っても頭をかすめるのが関の山だろうが――

 ルステム・スィナンは手綱の握りを詰め、鞍に片足を引っ掛ける様にして鞍上から馬体の右側に体を乗り出している。曲乗りの様な体勢だが、なるほど、あれならかなり低い位置まで刃が届くだろう。

 たがいに相手の右側を駆け抜ける様な軌道で斬り合うつもりでいる様だ――左側に逃れれば無防備な馬を斬れる、が――

 唇をゆがめて、そのまま迎え撃つ――地面を鋒で削り取りながら袈裟がけに近い軌道で斬りつけてきた鋒を地面に体を投げ出す様にして躱しながら、ヴィルトールは倒れ込みざまに右手の長剣を振るった――肘から先を切断されてルステム・スィナンが体勢を崩し、斬撃の軌道に巻き込まれて右前脚を切断された馬が地響きとともに地面に倒れ込む。

 ルステム・スィナンを馬から叩き落としたものの、ヴィルトールも体勢の維持にはしくじった――前のめりに地面に滑り込む様な体勢でうつぶせに倒れ、口の中に土が入ったことに舌打ちしながら素早く立ち上がる。

 ルステム・スィナン地面に投げ出されたときに折れたらしい脚と、切断されて肘から先が無くなった右腕を見下ろして悶絶している。

 った――胸中でつぶやきを漏らし、ヴィルトールはそのまま転身してルステム・スィナンに殺到した。

「ルステム・スィナン、この腕と――」 声をあげて、こちらの接近に気づいてなんとか逃れようとしているルステム・スィナンに向かって左手の槍の穂先を振るう。

 無事な左腕を防御のために翳したが、力任せに叩きつけた頑丈な大身槍の穂先の衝突に耐え切れずに手甲がひしゃげ、ルステム・スィナンが悲鳴をあげる――装甲板の一部が断裂して穂先の刃が腕に喰い込み、装甲板が傷口に直接触れているためだろう。手甲の裂け目に喰い込んだまま止まった槍の穂先をそのまま手放し、代わりに右手の長剣の柄に左手を添えて、ヴィルトールは続いて右手の長剣を振るった。

「――その首級くびもらったぞ!」 前線に出ないからだろう、ルステム・スィナンは冑をかぶっていなかった――切断された腕は頭部をかばう役にも立たず、それ以上その場から逃げようとすることもかなわぬまま、ルステム・スィナンは首を切断されてその場に崩れ落ちた。

 切断された首がごろごろと転がって、首を掻っ捌かれて絶命した馬の脚に当たって止まる。それを見届ける手間さえも惜しんで、ヴィルトールは長剣を翳して喊声をあげた。

 そのときになってようやくこちらに方向変換を終えた包囲していた騎兵たちを見据え、足元に転がっていた長剣を爪先で跳ね上げる――ルステム・スィナンの左腕を切断したときに、握力が緩んで手から抜け落ちたものだ。

 ルステム・スィナンの手甲の装甲板を叩き斬ったときに刃ががたがたになって使い物にならなくなった槍の穂先の代わりにその長剣の柄を空中で掴み止めたとき、ひゅるるる、という間の抜けた風斬り音に続く轟音とともに、眼前のルステム・スィナンの死体がばらばらに砕け散った。

 ルステム・スィナンの屍は粉々になってそこらじゅうに飛び散り、それまで彼の死体が転がっていた場所には大穴が穿たれて、その底に丸い鉄の塊が喰い込んでいる。

 ――大砲の着弾か!?

 地面に喰い込んだ巨大な鉄球を見下ろして、舌打ちする――音の聞こえてきた方向に視線を向けると、かなり仰角を大きく取った大砲部隊の援護を受けて、武装した騎兵部隊が疾走してくるところだった。

 数が多い――距離が離れているために水平射撃は難しいからだろう、砲兵部隊は大砲の仰角をかなり高く取っている。そのために装填作業に手間がかかるからだろう、一門の大砲の発射の間隔はそれほど短くない――恐らく波状攻撃にすることで発射直後に突撃されるのを防ぐためだろうが敵は一斉射撃はせずに思い思いの間隔で発射してきている。そのために、結果として次から次と砲弾が降り注いできている。

 口の中に飛び込んできた土を唾と一緒に吐き棄てて、ヴィルトールは部下たちに向かって警告の声をあげた。

「――全員退けッ! 敵の増援だ!」

 

   *

 

 ドラキュラがいた――そう口にしてから、アルカードは少しだけ苦笑した。

「かっとなって攻撃を仕掛けたんだが――今思うと無謀な挑戦もいいところだったな。初撃で剣は叩き折られるわ、そのあとはなんとか反撃を仕掛けようと思ったが一方的に攻撃されて酷い目にあった」

 アルカードは左腕を掲げてみせ、

「一撃受け止めただけで、手甲ごと腕をへし折られたよ。そのあとは壁に投げつけられるわで散々だった。みっともない話だ」

 自嘲気味の口調でそう言ってくる――リディアはそうは思わなかったが、アルカードの認識は違うらしい。

「わけのわからないことを言ってたな――俺はドラキュラの息子なんだと」 そう言って、アルカードは口の端を少しだけ吊り上げた。

「息子って――」 パオラがそう訊ね返そうとしたのに肩をすくめ、

「馬鹿げた話だろ? と言いたいが、実際のところそれが事実だったらしい。あとからグリゴラシュが言ってたことなんかも、それと考え合わせれば納得もいくしな」 いかにもくだらない冗談を口にするかの様な口調で、アルカードはそう続けた。そこでいったん表情を消して、

「まあそうはいっても、それまでドラキュラから息子扱いされたことは一度も無かったし、別に俺の本名がドラキュラの庶子としてどこかの記録に載ってるわけでもない。公爵の子息としてじゃなく、武将のところの養い子として公国軍で初陣したしな」

 アルカードは上体をかがめて足元のテンプラを抱き上げると、ソファの上に降ろした。ウドンとソバも抱き上げてソファの上に降ろし、膝にじゃれついてくる仔犬たちの頭を撫でたり顎をくすぐったりしながら、

「話を戻そうか――なんとか勝機を見つけようとも思ってたが、脳をえぐる感じで短剣を突き刺しても斃せなかった。ろくすっぽ反撃も出来ないまま痛めつけられて、最後は屋敷の窓から庭に投げ出されたな。どこでそうなったのかろくに覚えてないが片目が潰れてたし、もう片目も血が入って見えなかったよ。腹に剣を刺されて、そのあと血を吸われた」

 ソファのクッションの上でころんとひっくり返ったソバのお腹をさすってやりながら、アルカードが続ける。

「否、失血で死ぬってあんな感じなんだな。体がどんどん冷たくなっていくのがわかって、手足の間隔がどんどん無くなっていくんだ。ついでに痛みも無くなっていくんだよ。意識がどんどん朦朧としていって、生温かい沼に少しずつ沈み込んでいく様な感じだった」

 あえて感情を抑えた、淡々とした無機質な口調でそう言ってから、アルカードはふっと笑みを消した。

「最期の瞬間まで殺意しか無かったな――こう言うとあれだが、実子じゃなくてもよくしてくれた家人や使用人には感謝してたから。どうにかして一矢報いてやろう、それしか頭に無いまま、意識が一瞬途切れて――」

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