Ogre Battle 42

 

   *

 

 ざく、と音を立てて、蹴り飛ばした長剣がバイェーズィートの背後の地面に突き刺さる。

 足元で跪いたバイェーズィートに視線を向けて、ヴィルトールは口元をゆがめて笑い――左足を軸にして半回転転身して、背後から突き込まれてきた騎兵の槍の穂先を手の甲で払いのけた。

 死角からの攻撃をあっさりいなされて、槍を突き出してきた騎兵が表情を驚愕にゆがめる。ヴィルトールはそれを無視し、近接距離からの小さな踏み込みで足刀を叩きつける様にして騎兵が跨っていた騎馬の球節――蹄の上部の屈曲した個所を形成する馬の関節を側面から蹴り砕いた。

 激痛に悲鳴じみたいななきをあげながら、騎馬が前のめりに転倒する――騎兵はそのときに首の骨でも折れたのか、ぼきりという鈍い音が聞こえてきた。

 じゃり――長靴の靴底が砂利を踏みしめる音が、背後から聞こえてくる。

 ヴィルトールは今度は右足を軸に右回りに転身して、背後のバイェーズィートが突き出してきた短剣を手元ごと払いのけた。

 太陽は高く、影を見て背後の動きを読み取れる様な時間帯ではない――だが斥候・偵察任務もこなすために気配を殺し気配を読むことに慣れているヴィルトールにとっては、という発想がそもそも無いバイェーズィートの動きなど目を閉じていても手に取る様に読み取れる。

 完全にこちらの死角を突いたつもりでいたのだろう――バイェーズィートの表情が驚愕にゆがむ。転身の動作と同時に繰り出した左の廻し蹴りを地面に倒れ込む様にして躱し、バイェーズィートはその場で立ち上がった――突起物が多く仰々しい重装甲冑は、その場で転がって受け身を取ることも出来ない。顔を顰めながら、バイェーズィートが構え直す。

 それを見て、ヴィルトールは少しだけ笑った――バイェーズィートがこちらから注意をそらさないまま、地面に転がった大戦斧を再び拾い上げる。拾うのなら大戦斧よりも長剣のほうがいいと思うのだが、まあ忠告してやる義理も無い。

 バイェーズィートが大戦斧を構え直すよりも早く、ヴィルトールは地面を蹴った。

 迎撃態勢に入るよりも早く繰り出した右の上段廻し蹴りを、バイェーズィートが腕を翳して受け止める――蹴り足を引き戻す動作を利用して、ヴィルトールは左足でバイェーズィートの胴体に蹴りを叩き込んだ。脚甲と胴甲冑の装甲板が衝突する鈍い音が響き、伝わってきた衝撃にバイェーズィートが顔をゆがめる。

 そのときになってようやく、引き戻した右の蹴り足が地面を噛む――それを軸にして踏み出しながら、ヴィルトールはバイェーズィートの顔に拳を撃ち込んだ。

 とっさに頭を傾けて躱したものの、手甲の装甲板でバイェーズィートの頬が切れて血がにじむ――それを引き戻す動作で腰をひねり込み、ヴィルトールは今度は左膝に右の廻し蹴りを放った。

 バイェーズィートが弾かれた様に後退して、繰り出した蹴り足を躱す――思ったよりも上体に意識を向けられなかったらしい。だがかまわない――下半身をがら空きにさせたかったのだが、別に問題無い。

 要は必要以上に間合いを離されない状態を維持していればいいのだ。密着していれば、間合いの広く長大で重い大戦斧は無用の長物以外の何物でもなく――そしてヴィルトール・ドラゴスに特別得意とする間合いは無いが、代わりに不得手な間合いも無い。

 、それがヴィルトールの最大の長所であると言える。

 蹴りの動作から回転を止めずに、下ろした蹴り足を軸にしてそのまま転身――それまで軸にしていた左足を跳ね上げて、顔面めがけて後ろ廻し蹴りを繰り出す。

 くっ――小さく毒づいて、バイェーズィートが再び左腕を翳した。だが次の瞬間にはヴィルトールは空中で蹴り足を止め、そのまま下腹部を狙っての踵蹴りに変化させている。

 その蹴りを草摺の上から受けて、衝撃が急所に伝わってきたのかバイェーズィートが顔を顰めた。重装甲冑の草摺に阻まれて、睾丸を蹴り潰すとはいかない――が、別にかまわない。アドリアン・ドラゴスから修めた技術は、ひとつの動きから派生する動きがひとつにつき十はある。ひとつの動きを止められても、同じ動作から派生する別の技に対する防御をしくじらせる布石になる。

「かっ……」 苦しまぎれの動きだろう、バイェーズィートがこちらの顔めがけて左拳を突き出してきた。だが格闘戦には慣れていないのだろう、体の捻りもなにもない腕だけの一撃はひどく遅い。

 繰り出された拳撃を見切るのは容易だった。拳を左手の甲で押しのけ――ヴィルトールはそのままバイェーズィートの腕の外側を滑らせる様にして手を伸ばし、同時に掌を翻してバイェーズィートの顔の左半分を手で覆った。同時に繰り出した右の鈎突きが、バイェーズィートの顔面を捉える。

「かぁっ……」

 声をあげて、バイェーズィートが手にした大戦斧を水平に振るう。

 いったん蹴りの間合いまで後退してから、ヴィルトールはバイェーズィートの頭を狙って右廻し蹴りを繰り出した。

 反撃がこちらの軸足を捉えると思ったのだろう、バイェーズィートが口元をゆがめて笑う。どのみちこちらの蹴り足は、今の間合いでは彼の顔に届かない。

 だがそれでいい――どうせ最初の蹴りは、バイェーズィートに当てるつもりなど無い。

 大戦斧の刃が届くよりも早く、回転を止めないまま軸足で跳躍する――大戦斧の刃を飛び越える様にして繰り出した左後ろ廻し蹴りを左のこめかみにまともに受けて、バイェーズィートの体がぐらりと傾いだ。

 体勢を崩したバイェーズィートの正面に着地し、大戦斧を切り返せない様に手元を抑え込んで、右膝の外側に左足で蹴りを叩き込む――重装甲冑の上からだが、こちらも脚甲をつけているので気にするほどのことでもない。

 次いでその蹴り足を引き戻す動きに合わせて、右の掌でバイェーズィートの下顎を斜めに突き上げる――突き上げられるままに上体をのけぞらせながら、バイェーズィートが手にした大戦斧を今度は真逆の軌道で水平に振り抜いてきた。

 それを逃れるために、後方に跳躍する――後退動作が間に合わずに攻撃をまともに受けることになると考えていたのだろう、勝利を確信していたバイェーズィートが表情を驚愕にゆがめた。

 まあこの一撃に対する適切な防御は、なるべく遠心力の乗っていない手元に近い位置で斬撃を受け止めること、だ――攻撃動作を起こしてから回避行動を始めたヴィルトールが、よもや身の丈ほどの間合いのある大戦斧の刃から逃れるとは考えていなかったのだろう。瞬時に刃の尖端がかすりもしない距離まで逃れ、ヴィルトールは口を開いた。

「俺は――」 口を開くと、追撃を仕掛けないことをいぶかしんでかバイェーズィートが眉をひそめた。

「――地上に立つすべてのものに勝つことなど出来ないだろう。俺より強い奴などいくらでもいるだろうし、当然羆の様な獣に武器も持たずに勝つこともかなわない。だが――」 そこでいったん言葉を切って口元に笑みを刻み、ヴィルトールは続けた。

「たとえ羆でも、俺に勝つことは出来ない。なぜなら――人間ならもちろん、たとえ羆の様な獣でも、ヴィルトール・ドラゴスに攻撃を当てることは出来ないから」

 その言葉に、バイェーズィートが鼻を鳴らすのが聞こえた。

「笑わせるな、小僧――さっき歩兵に捕まったばかりだろうが」

「それは――」

 そこでいったん言葉を切って、ヴィルトールは少しだけ笑みを深めた。

 両側から同時に斬りつけてきたふたりのイェニチェリの攻撃を一歩下がって躱しながら、右手にいた歩兵の手首を押して斬撃の軌道を変える。

 軌道の変わった斬撃が左手から斬りかかってきていた歩兵の手にした剣の横腹に衝突し、そのまま刃の上を滑る様にして右手に喰い込む。

 当然ながらこちらを斃すつもりの一撃だったのでとっさに制動が利くほどの勢いというわけでもなく、親指が半ばまで切断された右手を左手で押さえて、歩兵が悲鳴をあげた――こちらを斃すつもりだったのが同士討ちになって動揺しているのかとっさに次の行動がとれずにいる右側の歩兵に抱きつく様に組みつき、後足の踵に爪先をひっかけて体勢を崩しながら、敵の体を引きずり回して自分の背後へと押し出す。

 背後から突撃してきていた重装騎兵の突き出した槍の穂先がその背中に深々と突き刺さり、歩兵が一度大きく痙攣してから口蓋から赤黒い血を噴き出して全身を弛緩させた――動揺もあらわに動きを止める騎兵の騎馬の後脚に、歩兵の手から奪い取った長剣の鋒を突き立てる。

 転倒した馬の鞍上から転げ落ちた騎兵の口から、悲痛な悲鳴があがった――首が折れたりはしなかったものの、どこかを打つか折るかしたのだろう。

 ふっ――短く呼気を吐き出しながら、横に踏み出して味方の斬撃で手元を斬られてうずくまっていた歩兵の頭部に横蹴りを叩き込む――こめかみを横殴りに蹴り倒されて、歩兵が投げ出した芋袋の様にばたりと地面に倒れ込んだ。

 そのまま振り返って、ヴィルトールは組みついてきたバイェーズィートを迎え撃った。

 大戦斧を投げ棄てて、先ほどの短剣を手に飛びついてくる――大型の得物では捉えられないと判断したのだろう。組みかかられて押し倒されながら、バイェーズィートの手にした短剣の鋒を体に突き刺さらない様に左手で押しのけ、同時にバイェーズィートの胸甲冑を右手で掴んで固定――ヴィルトールはバイェーズィートの巨躯を押しのける様にして横にずらし、続いて寝返りを打つ様な動きで体全体をひねり込んで、彼のこめかみに膝蹴りを撃ち込んだ。

 バイェーズィートの手にした短剣の鋒が、こめかみを浅くかすめて地面に突き刺さる――ヴィルトールはそのまま後転する様にしてバイェーズィートの体の下から抜け出し、ついでに体勢を立て直そうと上体を起こしたバイェーズィートのこめかみに蹴りを叩き込んだ。

 横殴りに蹴り倒されて、バイェーズィートの口から苦鳴が漏れる。とりあえずそちらは無視して、ヴィルトールは視線を転じた。

 そのときには先ほどの同士討ちで指を切断されかけた歩兵が、剣を左手に持ち替えてこちらに向き直っている――右手の親指は骨までいったのか、傷口とは逆側の肉と皮だけでようやくくっついている状態だ。

 人間の手は親指が無くても握力は発揮出来るしものを殴る程度の拳も作れるが、親指が使えないと片手でものを持つことが出来ない――正確には指に引っ掛ける形で持つことは出来るのだが、保持したものにかかる負荷に耐えるのが難しい。

 親指が退化した栗鼠や鼠などの齧歯類と同じだ――親指で四指とは逆側から保持出来ないために、物を握ることが出来ないのだ。

 剣を四指に引っ掛けて持つことは出来ても、振るって攻撃を加えるために握ることが出来ないのだ――あの有様では、右手で剣を保持して戦うのは到底無理だろう。

 それにどのみち、もうそれほど持つまい――手首の大動脈に近い親指がちぎれかけている状態で止血もままならず、またその時間も無く、出血が多すぎる。歩兵はすでに顔色を失い、いまだ戦意は維持しているものの出血による酸素供給能力の低下で荒い息をついている――失血死は時間の問題だ。

「がぁぁぁぁッ!」 咆哮をあげて、歩兵が左手で保持した剣を振るう――肩口を狙って縦に振り下ろされた一撃を、ヴィルトールは間合いの内側に飛び込んで躱した。そのまま組みついていったん引きつけて平衡を崩し、片脚をかかえ上げながら残った足を刈って投げる――仰向けに倒した歩兵の喉元に、ヴィルトールは体重をかけて膝を落とした。首の骨が折れる音が聞こえ、喉笛も押し潰されて、歩兵が一度大きく痙攣して動きを止める。

「それは――」 その場で立ち上がってバイェーズィートに視線を向け、後頭部についた土を払いながら、ヴィルトールは言葉の続きを口にした。

「――攻撃をするためだ」 そう続けて、ヴィルトールは周囲を見回した。最初の攻撃がうまくいったおかげで飛び道具、特に危険な銃火器を装備した部隊は壊滅しており、残存部隊は混乱に乗じて有利に戦いを進めている――が、いずれ落ち着きを取り戻せば形勢は逆転するだろう。そうなる前に、自分も戦闘に復帰しなけばならない。

 先ほどの膝蹴りの際に脚甲の装甲板で切ったのだろう、頭から血を滴らせながら、バイェーズィートがふらつく足で立ち上がる――それを見遣って、ヴィルトールは口を開いた。

「さて、出会ったばかりでもうお別れってのも寂しい話だが――仲間が心配なんでな。そろそろ終わりにさせてもらおうか」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る