Ogre Battle 43

 

   †

 

 地響きを立てて、球節を蹴り砕かれた騎馬が崩れ落ちた――騎兵のあげた短い悲鳴が頸椎の折れる音とともに唐突に途切れ、代わりに激痛に悶絶する騎馬の悲痛な嘶きだけが耳に届く。

 バイェーズィートは小さく舌打ちを漏らし、腰元から引き抜いた懐剣をヴィルトールの背中めがけて突き出した――ヴィルトールの甲冑は全身装甲とはいえ、おそらく格闘戦の際の動きやすさを優先してかなりの軽装だ。脚の動きを妨げないために草摺も無いし、胴甲冑も体をねじったり曲げたりする動きを妨げない様にするためだろう、複数の部品を少しずつずらして重ねた様な蛇腹状の構造で、動きやすさを優先して遊びが多い。

 錐状の鋒を持つ短剣なら、薄手の装甲を貫徹出来るはずだ。

 が――

 その尖端が金髪の青年の背中を穿つよりも早く、手にした懐剣は手元ごと払いのけられていた――甲冑の甲板が擦れ合う物音で気づいたのか、あるいはなにかほかの理由か。

 死角を突いたつもりの一撃はあっさりといなされ、向き直ったヴィルトールが口元をゆがめて笑った。転身動作と同時に繰り出してきたヴィルトールの左の蹴りが、横殴りにバイェーズィートのこめかみに肉薄する。

 く――小さくうめいて、バイェーズィートは横に体を投げ出す様にして身を躱した。脚甲の装甲板がこめかみをかすめ、皮膚が浅く裂けて血がにじむ。ヴィルトールは追撃をかけてくる様子は無い――そのまま地面の上で転がる様にして距離を離して立ち上がり、手近に転がっていた大戦斧を再び拾い上げる。

 それを構え直すよりも早く、ヴィルトールが地面を蹴った。

 数歩ぶんの間合いを、滑る様な動きで一気に詰めてくる――軸足で砂塵を巻き上げながら、ヴィルトールの右足が跳ねた。頭部を狙って繰り出された横殴りの蹴りを、左腕を翳して受け止める――装甲板同士が激突して鈍い衝突音が響き、翳した腕の骨がきしんだ。

 シィッ――歯の間から息を吐き出しながら、ヴィルトールが蹴り足を引き戻す。反撃動作に入るよりも早く、今度は右脇腹に衝撃が走った――右手で保持した大戦斧の刃で左足が死角に入っているせいではっきりとはわからないが、蹴り足を引き戻す動きに合わせて左足で蹴りを叩き込んできたらしい。

 攻撃動作があまりにも速かったために、最初に出した蹴り足はいまだ宙にあったはずだ――平衡感覚が驚異的に優れているのだろう、空中での体勢制御の技量が恐ろしく高い。

 脚甲と胴甲冑が衝突し、鈍い轟音が響く――引き戻した右足を後足にして、ヴィルトールはそのまま右拳を突き出してきた。

 とっさに頭を傾けて躱したものの、手甲の装甲板で頬の皮膚が避けて血が噴き出す――金髪の青年の口元が少しだけゆがみ、次の瞬間拳を引き戻す動作で腰をひねり込みながら右足で低い軌道の蹴りをこちらの膝めがけて繰り出してきた。

 それがわかったのは、ただの偶然だった――ヴィルトールは左拳で拳撃を加える予備動作を見せていたし、こちらは大きな大戦斧を保持していたから近接距離にいる敵の下半身の動きは見えにくい。おそらく上体に攻撃を集中させ、攻撃の予備動作を見せることで意識を上半身の防御に向けて、下半身の防御を空けて膝を崩すつもりだったのだろう。

 だが、ヴィルトールのほうはこちらの後退動作で空振りした攻撃の動作を止めようとはしなかった――攻撃動作自体、次撃につなげるために勢いをつけるためのものだったのかもしれない。

 蹴りの動作から回転を止めずに軸足を入れ替え、ヴィルトールが左足での蹴りを顔面めがけて繰り出してくる――後退動作が終わっていないために体勢が崩れたままな上に、中途半端に間合いを空けてしまったために蹴りの間合いに入っている。

 くっ――小さく毒づいて、バイェーズィートは再び左腕を翳した。先ほどの蹴りの威力を考えると何度も受け続けるのはお世辞にも良策とは言い難いが、今の体勢では躱し様が無い。

 だが、翳した腕にはなんの衝撃も襲ってこなかった――眼前に肉薄していた蹴り足が一瞬空中でぶれて見え、次の瞬間重装甲冑の草摺の上から下腹部に強烈な衝撃が伝わってくる。

 蹴りの軌道を空中で変化させ、草摺の上から下腹部にまっすぐに蹴り込んできたらしい――草摺のおかげで睾丸を蹴り潰されるとはいかなかったし、ヴィルトールもそこまで期待していたわけではないだろう。

 急所に鈍い疼痛を覚えながら、バイェーズィートは左拳を固め、蹴り足を引き戻したヴィルトールの顔をめがけて突き出した。

 体勢を立て直して大戦斧を振るえるほどの間合いが開いていないため、牽制のために繰り出した攻撃だったのだが、ヴィルトールは蝿でも払う様にして左手でその攻撃を払いのけた。そのままこちらの腕の外側を滑らせる様にしてまっすぐに腕を伸ばし、翻した左手の掌でこちらの顔の左半分を覆う。

 腕を払いのけたために、ヴィルトールはこちらの腕の外側に出ている――左目の視界が塞がっているうえに彼の腕で右目の視野の半分近くが塞がっているので、ヴィルトールの動きがまったくわからない。

 間合いを離すために横跳びに移動しようとするより早くヴィルトールが左手を引き戻したのか唐突に視界が開け、左目の視野に手甲をつけたままの拳が大映しになった。

 視界が開けたのは、攻撃動作のために上体をひねり込んで左手を引き戻したかららしい――頬に拳が炸裂し、一瞬視界に火花が散った。口の中を切ったのだろう、錆びた鉄の様な臭いが鼻を突く。

 蹴りを繰り出すためだろう、一歩後退して間合いを作り直してから、再度その右足が跳ねる。

 殴打の衝撃で上体をのけぞらせる様にして体勢を崩しながら、バイェーズィートは大戦斧の柄を握り直し、右から左へと水平に振り抜いた――体勢が悪かったのと片手で振り抜いたために速度も遅かったが、ヴィルトールはかなり大きく踏み込んでいて、こちらの攻撃動作に気づいたとしても視線の向きと体勢の関係で後退動作はかなり遅れるはずだ。

 こちらの攻撃には気づいていない――今から気づいてももう手遅れだ。斬撃動作と同時にこちらも一歩後退しており、蹴り足がこちらに届くことは無い――蹴り足がこちらの視界をかすめるころには、軸足が根元から切断されることになる。

 だが――大戦斧の刃には手応えは無かった。軸足で地面を蹴ったヴィルトールが風車の様に回転しながら、大戦斧の刃を飛び越える様にして跳躍する。

 そのまま背面から伸びる様にして繰り出された左足の踵を叩きつける様な回転蹴りをこめかみにまともに喰らって、バイェーズィートは視界が揺れるのを感じながらその場で踏鞴を踏んだ。

 振り抜いた大戦斧を切り返して逆方向に振れない様にするためだろう、こちらの下腕を右手で押さえながら、ヴィルトールがさらに左足で右膝を狙って蹴りを入れてくる――重装甲冑の上からなので衝撃は受けても骨折などにはならないだろうが、相手も軽装とはいえ脚甲をつけているので、蹴りの衝撃はかなりきつい。

 膝を折りそうになるのをこらえて歯を食いしばったとき、それまでこちらの右肘の下あたりを押さえていた右手が爆ぜた――次の瞬間右の掌で下顎を斜めに突き上げられ、上下の歯が衝突してガチンという音が頭蓋に響く。襲ってきた猛烈な嘔吐感に堪えながら、バイェーズィートは手にした大戦斧の柄を握り直した。

 突き上げられるままに上体をのけぞらせながら、一歩二歩とよろめく様にして距離を取り、同時に大戦斧の柄を握り直す。さらに一歩後退しながら、手にした大戦斧を先ほどとは真逆の軌道で水平に振り抜く――間合いが近すぎて体に入るのは刃の物撃ちよりいくらか手元に近くなるので十全の威力は得られないが、動きやすさを優先したヴィルトールの甲冑ならそれなりの効果は見込めるはずだ。

 が――大戦斧の刃が薄手の胴甲冑に入ると確信して笑みを浮かべた瞬間、ヴィルトールが跳ねる様な動きで後退した。明らかに後退動作など間に合わない様な状況だったにもかかわらず――まるで獲物に襲いかかる瞬間の猫科の肉食獣の様な俊敏な動きで飛びすさり、身の丈ほどもある大戦斧の尖端が届かない距離まで逃れている。

 こちらが振り抜いた大戦斧を引き戻して構え直すのを気にも留めず、ヴィルトールは口を開いた。

「俺は――」 追撃をかけてこないことをいぶかしんで眉をひそめるのにかまわず、薄く笑いながらヴィルトールが続けてくる。

「――地上に立つすべてのものに勝つことなど出来ないだろう。俺より強い奴などいくらでもいるだろうし、当然羆の様な獣に武器も持たずに勝つこともかなわない。だが――」

 ヴィルトールの話にはまだ続きがありそうだったので、バイェーズィートはわざわざそれを止めたりはしなかった。近くにいた歩兵と騎兵が接近してきているのがわかっていたし、嘔吐感が収まるまで多少なりとも時間がほしかったからだ。

 新たな敵の接近に気づいた様子も無く、笑みを少しだけ深くして、ヴィルトールが続ける。

「たとえ羆でも、俺に勝つことは出来ない。なぜなら――人間ならもちろん、たとえ羆の様な獣でも、ヴィルトール・ドラゴスに攻撃を当てることは出来ないから」

 その言葉に、バイェーズィートは鼻で笑った――それはあまりにも自信過剰すぎる。

「笑わせるな、小僧――さっき歩兵に捕まったばかりだろうが」 その嘲弄に――ヴィルトールの口元に浮かんだ笑みが少しだけ深くなったことに、バイェーズィートは気づかなかった。

「それは――」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る