Ogre Battle 20

 

   3

 

「――おはようございます」

 部屋の玄関から出てきたパオラが、若干精彩を欠いた声で挨拶する。脚立に昇って共用廊下の蛍光燈を交換する作業をしていたアルカードは、眠そうな顔をしているパオラを見下ろして眉をひそめた。

「ああ、おはよう」 まあわからないでもないのだが――言うまでも無く、ここ数日夜になると深夜までしごき倒していたせいだ。

 自分がやりすぎているということは自覚しているのだが――胸中でだけつぶやいて、アルカードは唇をゆがめて笑った。

 思ったよりもずっと筋がいいので、ついついやりすぎてしまうのだ。

 獣人族と人間の混血であるエルウッド一族や巨人の血を引くブレンダン・バーンズと違って生身の人間であるという素材の差はあるが、少なくともリッチー・ブラックモアやリーラ・シャルンホストと同じ域には並べるだろう。

「……なんですか? にやにやして」

「……ひでえな。別になんでもないよ」 リディアの言葉にそう返事をしたとき、ちょうど同じタイミングで二階へと続く階段からフリドリッヒ・イシュトヴァーンが共用廊下に姿を見せた。

「おはよう」 フリドリッヒがパオラとリディア、それに彼が降りてくるのと同じタイミングで部屋から出てきたフィオレンティーナに声をかける。

「おはようございます」 朗らかな笑顔で返事をするパオラとリディア。フィオレンティーナは吸血鬼化の影響なのかさほど疲れていないらしく、シャキッとした様子で挨拶を返した。

「なんか眠そうだね」

「ええ、ちょっと疲れてて」

 なぜか無言のままでこちらを見るフリドリッヒに適当に手を振って、アルカードは蛍光燈を燈体から取りはずした。

「あんた、そんなもん無くても作業出来るんじゃないのか?」 そんなもんというのは脚立のことだろうか――フリドリッヒはアルカードが手を触れなくても物を動かせることを知っているから、まあそういう意味だろう。そう判断して、アルカードはかぶりを振った。

「出来るのと実際やるかは別問題だろう――どこで誰が見てるかわからんからな」 少なくとも門からは丸見えだ――フリドリッヒの言葉にそう返事を返して、アルカードは受け取ろうと手を伸ばしたパオラに古い蛍光管を渡した。新しい蛍光管をスリーブから抜き出しながら、

「それに直接目で見てないと、うまく操作出来ないんだよ――が増えるのはいいが、それだけだ。普通に作業してるのとあまり変わらない」 そう続けて、アルカードは手にした蛍光管を燈体に取りつけた。

「視認は出来るけど手が入らない様な狭苦しい場所だと、便利なんだけどな」 それで話を締め括り、アルカードは脚立から降りた。パオラから古い蛍光管を受け取って、スリーブに差し込む。埃がついたのか手をはたいているパオラから視線をはずして、

「どこかに出かけるのか、フリドリッヒ?」

「ああ、大学に用事があって」

「そうか」

「あんたは?」

「今日はアレクサンドルとイレアナが出かけるんでな、その間の子供たちの世話を頼まれてる」 フリドリッヒの問いにそう答えてから、アルカードはスリーブを壁に立てかけて脚立を折りたたんだ。

「ああ」 納得したのか、フリドリッヒはうなずいて歩き出した。

「帰ってきたらだけど手伝おうか」

「否、別にいい」

「そうか。……と、遅れそうだから行くわ」

「ああ、気をつけてな」 それでフリドリッヒを送り出して、アルカードは今度は少女たちに視線を向けた。

「どこかに遊びにでも行くのか」

「ええ、フィオがお休みの日は三人とも動けませんでしたから」 微笑んでそう答えてくるパオラに肩をすくめ、アルカードは脚立を壁に立てかけた。

「そうか。まあ、気をつけてな」 そう言いながら、アルカードはパオラたちと一緒に門から出た――別についていくつもりだったわけでもなく、単に駐車場のところにつないでおいた三匹の仔犬を囲いに戻さなければならなかったからだ。

「ソバちゃんたち、駐車場ですか」

「ああ――さっき洗ってやったから、るんだよ」 あそこ日当たりがいいから――リディアの質問にそう返事をして、アパートの塀と一体になった駐車場の塀に沿って歩いてゆく。

 パオラたちがどこに行くつもりなのかは知らないが、まあ街の中心部方面だろう――徒歩で行動するなら街中で遊ぶにせよどこかに遠出するにせよ、どうしてもそこが起点になる。

 駐車場の塀越しに、子供の笑い声と楽しそうな仔犬たちの鳴き声が聞こえてくる。外で誰かに遊んでもらってでもいるのか。塀を廻り込むと、ジープ・ラングラーのホイールのスポークにつながれた仔犬たちのそばに、見知った家族連れがいた。

「あ、こんにちは」 仔犬たちのそばにかがみこんでソバの頭を撫でていた小さな少女が、アルカードを見上げて人懐っこく笑う。

「やあこんにちは、小雪ちゃん」 アルカードは挨拶を返してから視線を転じ、少女――中村小雪のそばに立っていた彼女の両親に視線を向けた。

 中村涼介と、細君の名は深雪という。ともに市警察に勤務する警察官だ。

「こんにちは、中村さん。今日はどちらに?」

「小雪が動物園に行きたがるもので、行ってみようかと思いまして」 父親――中村がそう答えてくる。アルカードが小雪の前にかがみこんで、

「そうなんだ? いいねえ」

「ところでそちらは?」

 そんな質問を口にして、中村が少女たちのほうを視線で示してくる――前に中村家御一行が店に来たときに、フィオレンティーナは会ったことがあるはずだ。ついでに言うと、フィオレンティーナが小雪によって『怖いお姉ちゃん』の称号を与えられた日でもある。本人が覚えているかどうかは知らないが。

 パオラとリディアはこれが初対面なので、アルカードはふたりを手で示した。

「うちの店の、新しく入った従業員です。パオラ・ベレッタとリディア・ベレッタ」

 ふたりの少女たちが微笑んで会釈をする――それを確認して、アルカードは今度は小雪に視線を向けた。

「小雪ちゃんは怖いお姉ちゃんは知ってたよね――」

 フィオレンティーナが背後で怖い顔をしているのを気配で感じながら――だから怖いお姉ちゃんと言われるのだが――、アルカードはあくまでもにこやかに先を続けた。

「ふたりとも、こちらは中村さんと奥さん、小雪ちゃんだ。ご夫婦で市警の警官をやってる。奥さんは遺失物係だから、なにか拾ったら奥さんに相談する様に」

「よろしく――ところでドラゴスさんはそちらの子たちとお出かけですか? 女の子ばかりで羨ましいですね」

 アルカードが少女たちと連れ立って出てきたのが、どこかに遊びに行くという構図に見えたのだろう。冷たい半眼を向ける妻に気づかないままそう聞いてくる中村に、アルカードはかぶりを振った。

「いいえ、僕は今日は――」 答えを探して視線をめぐらせたとき、ちょうど説明に相応しい光景を見つけて、アルカードはそちらを視線で示した。

「――アレです」

 中村夫妻がアルカードの視線を追って、そちらに視線を投げる。

 チャウシェスク夫妻の家の門扉のところで、余所行きの格好をした老人が孫娘ふたりと向かい合っていた。

 

   †

 

 目の前の金髪の青年――アルカード・ドラゴスの視線を追うと、彼が働く洋食店の老人が自宅の前で孫娘ふたりと向かい合っているのが見えた。混血だからだということもあるのだろうが、人形の様に愛らしい少女たちがにこにこ笑っている。

「おじいちゃん、気をつけてね」

「見送りはいいよ、蘭、凛――別れがつらくなる」

 老人がそんなことを言いながら、帽子を目深にかぶり直し――アルカードがはぁ、と溜め息をついて、そちらに向かって歩き出した。彼は後ろから老人の首に腕を巻きつけ、

「アレクサンドル――」

「なんだね、アルカード?」

「――老人会の日帰り旅行に行くだけでしょうが! もうすでに盛大に遅刻してほかの人たち待たせてるんですから、さっさとしてくださいよ!」

「いやっ! この子たちを見知らぬ土地に置いていくなんていやぁぁ!」

「なにが見知らぬ土地ですか、三十年も定住してるくせに――!」

 ちょっと離れたところで待機しているバスに向かって老人を引きずっていくアルカードに、バスの入り口のところで腕組みしていた夫人が声をかける。

「ああちょうどよかったわアルカード、そのまま荷物入れにでも突っ込んでおいてちょうだい」

「心得ました!」 本気で老人を荷物入れに詰め込もうとしているアルカードを見遣って、中村は少女たちのひとり――フィオレンティーナに視線を向けた。

「ドラゴスさんは、いつもあんな調子なんですか」

「はい」 こめかみを指で揉みながら、フィオレンティーナがそう答えてくる。

 やがて老人をバスの席に固定したアルカードが、バスに乗っていたほかの老人会のメンバーから拍手喝采を浴びながら戻ってきた。

「まったく、あの爺さんは……」 パンパンと両手を打ちつけて埃を払う仕草をしながら、アルカードがそんなぼやきを漏らす。

「――要するに、ご夫婦が今日いないので、お孫さんを預かることになりまして」

 それはこちらに対する説明の続きなのだろう――広告らしい派手な紙を手に、子供たちがアルカードのほうに歩いてくる。

 姉の蘭は十歳、妹の凛は八歳。いずれも母親の遺伝が強く出た金髪に青い目のルーマニア人とのハーフの女の子で、姉が蘭、妹の名が凛。ラテン系に多い黒髪が出ていないのは、混血の進んだ結果なのだろう。

「おじちゃんこんにちは」

「こんにちは」

 ふたりの少女たちがぺこりとお辞儀をして挨拶をしてきたので、中村もきちんとお辞儀をした。かがみこんで少女たちに目線を合わせ、

「こんにちは――それなに?」 蘭の手にした広告を指差すと、蘭はえっとね、と言いながらそれを拡げてみせた。

 蘭が指差したのは、駅前のショッピングセンターで今日から始まる北海道の物産展の広告だった――近所に住んでいる自動車整備業者の池上の細君が旭川の出身で、その関係でちょくちょく実家から御菓子や酒、野菜を送ってきたりする。その御裾分けを受けたことがあるので、中村にも見覚えのあるお菓子がいくつかある。

「北海道フェアー?」

「うん、駅前のお店で今日からやってるんだって。アルカードのお土産が美味しかったから、アルカードに連れてってもらおうと思って」

「あー、そう言えばそんなチラシ入ってたね。おじさんたちも帰りに寄ってみようかな」

 へえ、とアルカードが少女の手元を覗き込みながら目を輝かせる――この青年は酒好きで、近所のドゥカティ好きの溜まり場になっている焼き鳥屋でちょくちょく酒を飲んでいる。旭川の高砂酒造の酒がお気に入りなので、それが売られていないかと期待しているに違い無い――あらためて蘭がアルカードに向き直って、チラシを差し出す。

「だからね、アルカード。これ見に行こう?」

「ああ、いいね。すぐに行く? 朝ご飯は食べた?」

 うん、とうなずく子供たちにうなずいて、アルカードは仔犬たちの引き綱を引っかけていたカラビナを柵からはずした。

「オーケイ、じゃあちょっと待ってて」

「じゃあ僕らもこれで」 小雪に行くよ、と声をかけてからアルカードにそう告げると、金髪の青年は肩越しに振り返って笑った。

「ええ、お気をつけて」

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