Ogre Battle 19

 アルカードは魔術を使えない――教会の公式記録において、吸血鬼アルカードが魔術戦を行った事例は一件も記録されていない。

 だが、先ほど見せたアルカードの術式解体クラック技能は極めて高いものだった。それは間違い無い――魔術式プログラム解体クラックには、非常に高度な魔術の技量が必要になる。

 アルカードは先ほどの獄焔尖鎗ゲヘナフレア・ランスを、発動してから射出されるまでの極めて短い時間で分解消滅させてみせた。

 そして――それよりもなお驚嘆に値したのは獄焔細弾ゲヘナフレア・ペレットの不発だった。

 魔術師ではないリディアやフィオレンティーナはあの凄さが理解出来ていないだろうが、アルカードの魔術の技量は歴代の大魔術師のそれに並ぶといわれてもおかしくないものだ。

 魔術の術式改竄クラックは術式が完成する前に行う様に、パオラは訓練を受けている――というのはすでに術式が完成した魔術に対して術式破壊クラッキングを試みる行為は、魔術式プログラムが暴発する危険を伴うからだ。

 魔術の術式解体クラックは、口で言うのは簡単だが実際には極めて危険な作業だ。術式解体クラックを失敗して魔術式が中途半端に残ると、魔術が暴発してその被害に巻き込まれる可能性があるからだ。

 獄焔尖鎗ゲヘナフレア・ランスであれば内部に封入された熔けた重金属が高圧ガスとともに周囲に飛散し、獄焔細弾ゲヘナフレア・ペレットであれば熱プラズマが周囲を巻き込む――無論巻き添えになるのが敵だけの状況であればそれでもいいが、実際に敵だけを都合よく巻き込める状況というのはさほど多くない。

 魔術の術式破壊クラッキングは、発動前であれば比較的安全に行える。魔術構成プログラムが発動する前に術式が致命的に破壊されると、魔術を発動させてもなにも起こらない――実際に物理現象、霊的事象が発生するところまでいかないからだ。

 だが実際に発動したあとの魔術構成プログラムに外部から干渉して術式破壊クラッキングをかける際には、適切に分解しなければ暴発の危険を伴う。魔術が発動してからそれが実際に被害を及ぼすまでの極めて短い時間の中で術の構造を読み取り、その魔術を解体するところまで持っていかなければならないからだ。

 攻撃用の魔術は外部からの干渉を防ぐための多重のファイアーウォールに加え、術式が不要になった際に解除するための特定の手順というものがあり、その手順を踏んで分解されない限り――つまり、術者自身が自分の意思で分解しない限り――暴発する様に仕組まれているものも多い。

 先ほどの獄焔尖鎗ゲヘナフレア・ランスは下手をすれば大量の液状化した重金属が周囲に撒き散らされる危険があったし、獄焔細弾ゲヘナフレア・ペレットに至っては周囲の温度を数万度にまで上昇させる様な莫大な熱を周囲に撒き散らす危険もあったのだ。

 無論そんな熱が一点に発生すれば、周囲のアスファルトや土が一瞬で沸点に達し、鉱物の蒸気爆発で展望台がまるごと吹き飛んでいただろう。

 そういった失敗時のリスクを考慮すると、魔術式の術式破壊クラッキングにおいて発動後の魔術の解体を試みるというのはかなりリスキーな作業だと言える。

 魔術の術式破壊クラッキングの際の術式の暴発を抑えるためには、術式解体の過程で暴発が起こるよりも早く術式を完全に解体するか、もしくは正しい手順で――つまり個人個人で個別に設定した術式解除用の『式』を正確に読み取って、そのパターンに沿って術式を復号化しながら解体しなければならない。

 当然のことながら、後者は前者に比べてはるかに時間がかかる――さらにその手間に見合うほど安全性が高いわけでもない――ので、大概の場合は力ずくで抑え込むことが多い。

 アルカードがどちらをしたのかはわからないにしろ、そのどちらであっても、驚くほど高い技量を持っていることは間違い無い――解体の精度が極めて高いだけでなく、解体の速度が並はずれている。魔術戦だけならパオラは聖堂騎士団でも高い技量を持つほうだが、アイリス・エルウッドの魔術をあそこまで早く解体するのは不可能だ。

 つまり、アルカードは魔術を使える――少なくともその素養はある。むしろ術式破壊クラッキング技能者としての技量は、世界中を探してもこれほどの者はそうはいないだろう。

 いだいた疑問を深く考えるより早く、アルカードがアクエリアスの缶の蓋を締めて荷台の床の上に置いた。

「さて、もう一回やるか。今度は一対一でどうだ?」 そう言って、アルカードがフィオレンティーナに視線を向けた。フィオレンティーナがその視線を受けて、車から降りる。

 フィオレンティーナがアルカードについて、先ほどまで戦っていた場所まで歩いていった。

「想定状況『夜間戦ブラインド』――開豁地での白兵戦」

 アイリスがよく通る声で号令をかける。フィオレンティーナが周囲に聖書のページをばら撒き、アルカードが霊体武装を構築した。

「――始め!」

 

   *

 

「ッ!」 小さく毒づいて、グリゴラシュが長剣を手放しながら腕を振り回して六-八-十二――柔道で言うところの脇固めを振りほどく。その動きに合わせて、アルカードはグリゴラシュの右手首を肘の下側をくぐらせる様にして背中側に折りたたんだ。

 もとより、格闘戦の技量ではグリゴラシュはアルカードに到底及ばない。一瞬で関節を極められて、グリゴラシュが焦燥の声を漏らす――六-八-七-六、腕を背中側に折りたたむアームロックだ。

 そのまま関節を挫くよりも早く、グリゴラシュはその場で跳躍した――適切な方向に回転すれば、アームロックははずせる。が――

 だが、こちらのほうが――

 ちょうど上下逆さの体勢になったグリゴラシュの頭を狙って、アルカードは廻し蹴りを撃ち込んだ。両手足を鎧う手甲や具足の重量をそれぞれ最大四十五キロまで個別に増減することの出来る万物砕く破壊の拳Ragnarok Handsは、望みうる限り最大まで重量を増大させている――本当は八-七-六で関節を挫いたあと、グリゴラシュが離れる前に足を踏み潰してやろうと思って用意していたのだ。

 自由になっていた左腕を咄嗟に翳して、グリゴラシュがその一撃を受け止める。

 だが万物砕く破壊の拳Ragnarok Handsによって荷重を増幅されたその一撃は、類稀なる魔力強化エンチャントの力量を誇るグリゴラシュの技術を以ってしても完全に威力を殺すことは出来なかった――魔力強化エンチャントが入力された衝撃を光と音に変換して放出する際の激光と轟音とともに、捌き切れなかった衝撃によって左腕を鎧う装甲板があえなくひしゃげ、左腕の骨が折れ砕ける。

「ぐ――!」

 その蹴りに吹き飛ばされて、グリゴラシュが空中で体をひねり込む。彼が床に降り立つよりも早く、グリゴラシュに向けて右手を突き出す。

 右手の周りの風景が、徐々に、しかし急速に歪み始めた――万物砕く破壊の拳Ragnarok Handsが周囲に放射する引力を変化させて、周囲の空気を大量に集め始めたのだ。腕の周囲だけ急激に大気密度が変化したために、光の屈折率が変わって像が歪み始めたのである。

 万物砕く破壊の拳Ragnarok Handsはそれ自体は霊的な殺傷能力を持たないものの、四つに分体してそれぞれの重量を最大四十五キロまで増減する擬似的な重力制御機能を持っている。

 これらの重力制御機能は具足の重量変化による格闘戦の際の破壊力の補強だけでなく、周囲の空気を大量に集めて指向性を与えて撃ち出すなど、重量操作以外にも転用することが出来るのだ。

 アルカードはこれを利用して、ファイヤースパウンの魔術師セイルディア・グリーンウッドが得意とする重力制御魔術のいくつかを擬似的に再現していた。

 これはそのひとつだ。

 擬似・重圧衝砲エミュレーション・グラビティスラッグ――周囲の空気を大量に集め、超圧縮した上で指向性を与えて投射する。

 オリジナルの重圧衝砲グラビティスラッグは極微ブラックホールを形成、周囲の物質を吸い込ませたあとでその蒸発の際に発生する衝撃波に指向性を与えて標的に撃ち込む魔術だが、こちらはただの圧縮空気だ――破壊力こそ劣るものの、代わりに発生までの時間が短く三倍近い連射速度を誇る。

 床に着地して回避行動をとるよりも早く、グリゴラシュは擬似・重圧衝砲エミュレーション・グラビティスラッグの衝撃波に飲み込まれた――衝撃波の直撃を受け、轟音とともに屋敷の壁が吹き飛ぶ。窓が無いからすぐには気づかなかったがシアタールームや書斎は庭に面しているらしく、壁に穿たれた大穴の向こうから風が吹き込んできた。

 室内の空気を集めただけなので、たいした質量ではないが――まあ、それなりの破壊力はあるだろう。室内の空気を衝撃波の材料にするために使ってしまったので急激に気圧の下がった室内に、壁に穿たれた風穴から湿った空気が流れ込んでくる。

 擬似・重圧衝砲エミュレーション・グラビティスラッグの発射と同時に起こった急激な気圧変化に巻き上げられた塵埃のせいでひどく埃っぽい空気を吸い込んで顔を顰めながら、アルカードは外壁に穿たれた風穴に歩み寄った。

 もともとあまり天気がいいとは言えなかったが、かなり天候が崩れてきているらしい――雨粒がぽつぽつと地上に降り注いでいる。空を覆う黒雲を見上げて眉をひそめてから、アルカードは外壁の穴から身を躍らせた。

 裏庭の掃討に充てていた要員の討ち漏らしだろう、十数体の喰屍鬼グールがひしめく裏庭に降り立つ。獲物を見つけてこちらに向き直る喰屍鬼グールには目もくれず、アルカードは裏庭の中央付近、おそらくはアルノ川や街並みを見下ろしながらお茶でもする目的で建てたものなのだろうが、小さな噴水のそばにある東屋の横にたたずむグリゴラシュに向かって歩を進める。

 グリゴラシュはぼろぼろになっていた――左腕は完全に折れて、治癒の邪魔になるからか手甲ははずして破棄している。

 グリゴラシュは壁に向かって蹴り飛ばしたときの廻し蹴りを繰り出したとき、こちらの意図に気づいて左腕の装甲周りに高密度の防御障壁を構築していた――無論そうすることは考慮の内だったので完成前に術式をやったが、そのために続く擬似・重圧衝砲エミュレーション・グラビティスラッグに対応するための防御障壁の構築が間に合わなかったのだろう。

 他方、おそらく右腕はさほどのダメージにはなっていまい――六-八-七-六はもともと本格的に極めていなかったこともあって、肘の靭帯を多少強く伸ばすくらいはしただろうが使えなくなるほどでもあるまい。もうそろそろ完治している頃合いだろう。

 身の毛の弥立つ様な叫び声とともに横合いから飛びかかってきた喰屍鬼グールの頭をバックハンドの一撃で粉々に撃ち砕き、正面から飛びかかってきた喰屍鬼グールは鈎突きの一撃で殴り飛ばす――ラケットで打たれたテニスのボールの様に吹き飛んでいった喰屍鬼グールの体がおそらくは子供たちのための遊び場だったのだろう、木製の簡素なブランコの支柱に背中から激突し、そのまま背骨の折れるぼきりという音とともにまっぷたつにちぎれてすっ飛んでいった。

 空を覆う雲から落ちてきた大粒の雨滴が、頬に当たって砕け散る――ポツリポツリとまばらに降っていた雨は瞬く間に雷鳴を伴う豪雨になり、万物砕く破壊の拳Ragnarok Handsで覆われた装甲にべっとりとこびりついた血と脳漿を洗い流していく。

 そのまま歩を進めて、アルカードはグリゴラシュから五メートルほど離れたところで足を止めた。

「さて、と――」 たいして大声でしゃべっているわけでもないが、自分の声は雨音の中でもグリゴラシュに届くだろう。そんな確信を抱きながら、アルカードは口を開いた。

「正門のところでライルを待たせてる。奴が肺炎を起こして倒れるまで長引かせるのも気の毒だから、そろそろ終わりにさせてもらおうか」

 しゃべったときに口の中に入ってきた雨水を吐き棄てて、ごきりと音を立てて指を鳴らす。重心を下げて右足を引き、軽く右拳を握ると、グリゴラシュが右手で格闘戦用の短剣を抜き放った。

 人間、正確にはヒトガタ相手の格闘戦において、大仰な構えなど必要無い――構えを取ればそのあとに続く挙動が読まれやすくなるし、そもそもそれ以前に相手に対して体を横に向けていれば攻撃は繰り出せる。

 剣を遣うつもりは無い――この状況で剣を遣っても、状況を優位に運ぶことは出来ない。というよりグリゴラシュが短剣を遣うことを選んだ以上、間合いの差が大きすぎて最接近されたときの対処に問題が出てくる――グリゴラシュとアルカードではアルカードのほうが白兵戦においては高い技量を持っているが、グリゴラシュの格闘戦能力は決して侮れたものではない。

 グリゴラシュがわずかに重心を沈め、手にした格闘戦用の短剣を逆手に保持して身構える。

 どれくらい経っただろうか。やがて、ふたりは徐々に間合いを詰め始めた。七歩の距離を縮め、六歩の境を越えて、たがいの一挙一動を注視しながら――グリゴラシュが口元に一瞬だけ笑みを浮かべ、次の瞬間咆哮とともに地面を蹴った。

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