Ogre Battle 7
*
「――ねぇ、君どこから来たの?」 馴れ馴れしく肩に手を回しながら慣れないであろう英語で話しかけてくる若者に、リディアは本人に悟られない様に小さく溜め息をついた。
「ね、どう? 俺らと一緒に遊ばない?」
ふたりの若者に声をかけられたのは、ショッピングセンターの建物に入って三十秒でパオラとはぐれ――建物内を探せば見つかるだろうが――、仕方が無いのでまずは姉と合流しようととりあえずそのへんを歩き回っていたときのことだった。
「あ、いえ、わたしは――」 連れがいるのだと答えようとしたとき、こちらが日本語をしゃべれるのに気づいて男たちがさらに笑顔になった――失言に気づいて、表情には出さずに胸中でだけ顔を顰める。日本語がわからないふりをしておけば適当にあしらえただろうに、これで会話に応じなければならなくなった。
「あ、日本語しゃべれるんだ。誰かと待ち合わせ? カレシ? こんな美人を待たせるなんてひどいよなぁ」
へらへらと笑っているふたりの視線に蛇が体を這い回る様な悪寒を感じながら、リディアは顔を顰めた――これがいわゆるナンパというものだということは想像が及ぶのだが、ふたりの視線がどう見ても相手とただ遊んだり、口説こうという態度に見えないのだ。
「ね、どう? 俺たちと一緒にカラオケ行かない? 退屈はさせないからさぁ」
「いえ、姉が――」
「わお、姉さんがいるんだ? いいじゃん、姉さんとふたりで俺らもふたり。四人で仲良く遊ぼうよ」
リディアはある程度なら日本語を理解出来るが――時々彼らが交えてくる雑な言葉は、今ひとつ理解しがたい。
方言というわけでもなさそうだし――方言だったらなおのこと理解出来ないだろうが――、どうしたものかと思案するより早く腕を引っ張られかけ、それに抵抗しようとしたとき、
「――ああ、いたいた」 聞き覚えのある気楽な声にリディアは振り返った。
「ごめんごめん、待たせたか?」
いったいいつそこにやって来たのか、三十分前に別れたばかりの金髪の吸血鬼が気楽に手を振っている。彼はふたりの男たちが眼中に無いかの様に歩いてきて、
「ごめん、待ち合わせの場所を間違えててさぁ――久しぶりのデートなのに、怒って帰ってたらどうしようかと思ったよ。まだ待っててくれてよかった」 彼はそう言いながら、まるで最初からそう約束でもしていたかの様に彼女の腕を取った。そのままリディアの体を自分のほうに引き寄せて、恋人にそうする様に肩を抱く。
「さ、行こう」
「おい、ちょっと待てよ。その子はこれから俺たちと――」 おそらくリディアが連れ去られそうになるのを止めようとしたのだろう――男たちのひとり、それまであまりしゃべっていなかったもうひとりの男が彼の肩を掴みながら、それまでに比べて恫喝のこもった口調でアルカードに声をかける。
振り返ったアルカードの表情は彼女の位置からでは見えなかったが、彼の視線を浴びたふたりの男たちが顔色を変えて後ずさった。
「彼女は俺の連れだ。手を離せ」
舌打ちをして去っていくふたりを無視して、アルカードはリディアの手を引いたまま、彼らとは反対方向に歩き出した。
ただ単に彼らと距離を取るためだったのだろう、彼は少し歩いたところで彼女の肩に廻していた手を下ろした。
「悪かったな。痛くなかったか?」
「いえ、大丈夫です――でも、アルカードがどうしてここに?」 寝るんじゃなかったんですかと続けると、アルカードはかぶりを振った。
「ちょっと大事な用事が出来てな――ついでにCDをちょっと見ていこうと思ってこの階に来たら、君を見かけただけだ。困ってるふうだったから声をかけたんだが――迷惑だったか?」
「いいえ。ありがとう、アルカード。助かりました」
微笑して感謝の言葉を口にすると、金髪の吸血鬼は落ち着かないのかわずかに視線をそらして鼻の頭を掻いた。
「ところでパオラはどうした?」
「それがはぐれちゃって、わたしもどこにいるのか――」
「じゃあ行こうか――呼び出しでもかけてもらえば、すぐに見つかるんじゃないか」
歩き出しかけて、アルカードは足を止めた。
「見つかった」
「え?」 無言のままで、アルカードがCDショップを指差す。DVDコーナーのところで、壁に貼ってある年代物の紅の豚のポスターをパオラが魅入られた様に見つめていた。
「……」
「……」
しばし無言――やがて根負けしたかの様に、アルカードが口を開く。
「……そんなに好きなのか?」
「ええ、ジブリのブルーレイを出てるだけ全部買って帰るんだって言ってました」
「DVDならともかく、ブルーレイはヨーロッパと日本じゃリージョンコードが違うから使えないぞ」
「リージョン?」 聞き返すと、アルカードはちょっと考えて、
「ええと、世界各国をいくつかの区域に分けたとして、それぞれ――そうだな、仮に1と2に分かれてるとする。普通は1の地域では、1のディスクと1の再生機器しか販売されてない。で、1のディスクと2の再生機器、2のディスクと1の再生機器だと再生出来ないんだ」
「でも前にローマで買ってきた日本仕様の中古のDVD、ローマで買ったプレイヤーで観られましたよ」 という返事にアルカードはうなずいて、
「そうだ、DVDは――字幕設定とかはどうだかわからないが――日本とヨーロッパでリージョンが同じだ。でも聞いた話だと、ブルーレイは日本とヨーロッパでリージョンが違うらしい。だからDVDは観られても、ブルーレイは観られないんだ」 再生機器も一緒に買って帰るなら別だけど――そう続けて、アルカードはがりがりと頭を掻いた。
でも買って帰っても、向こうで売ってるブルーレイは再生出来ないから、結局不便には違い無いしな――吸血鬼がそんなぼやきを漏らす。
「そうなんですか?」
「ああ」
「パソコンでもダメなんでしょうか」 リディアの問いに、アルカードがちょっと考え込む。
「パソコンの再生ソフトはものにもよるとは思うけど、リージョンは任意に変更出来るはずだ――が、回数の制限があるからやめたほうがいいんじゃないかな。現地で手に入る機械と対になるリージョンのものを、現地で買ったほうがいい」
彼はそう答えてから、
「ときに、君たちはここへなにしに?」
「ちょっと、そのいろいろと必需品だけは買っておこうと思ったんです。フィオと一緒に街を回るときに、余計な荷物をかかえて歩きたくはないですから」
なるほど、と得心がいった様にうなずいて、アルカードは店に入ってパオラのほうへ歩いていった。
アルカードの強烈な魔力には当然気づいていたのだろう、パオラがアルカードに視線を向けて笑顔を見せる。
一言二言交わしてから、パオラはこちらに気づいて小さく手を振り、アルカードと連れ立って近づいてきた。
「ところで、君たちはこのあとどうする? 買い物だけ済ませたら帰るのか?」
三人そろったところで、アルカードがそう聞いてくる――そのつもりですけど、とうなずいたパオラに、アルカードは気楽に視線を向けた。
「俺は車だが、一緒に乗って帰るか?」
「本当ですか? ありがとうございます」 屈託無く笑うパオラから、アルカードはつい、と視線をそらした。
もしかして、彼はこういう無防備な笑顔を向けられるのに慣れていないのだろうか。そんなことを考えながら吸血鬼を見守っていると、彼はふい、と踵を返して歩き出した。
「じゃあ行こうか――君たちは君たちの用事を先に済ませるといい。そのあとで少しばかり、こっちの用事にもつきあってくれたら助かるよ」
*
屋敷の中央に向かう途中の廊下で、アルカードは足を止めた。
槍を手にした中世式のフルプレート・アーマーが向かい合わせに飾られたその向こうに、ナイトガウンを身につけた五十代前半の男が壁に寄りかかる様にして立っている。
こちらに視線を向ける男の目には、いまだ理性の光が燈っていた――だがその瞳は薄暗がりの中でレーザーの様に自ら輝く鮮血のごとき紅で、まるで蛍の光の様に闇の中で明滅を繰り返している。
蘇生したばかりで魔素が安定していない、未吸血の吸血被害者――ヴェドゴニヤだ。
「なあ、そこにいるのは――誰だ?」
近づいてくるアルカードの姿を目にして、男が声をかけてくる。そのころには、薄暗がりの中で男の姿がはっきりと見て取れた。
姿を見せたのは、口髭を生やした端正な顔立ちの男だった。ナイトガウンの首元は布地に染み込んだ血で真っ赤に染まり、血液量の不足が原因で酸素供給量が足りていないのだろう、荒い息をついている。男は襲い掛かってくるでもなく、こちらの動きを注視していた。
強靭な精神力で以て、今なお血の誘惑に抗い続けているのだろう――彼は震える声で誰何の言葉を紡いできた。
「君は誰だ」
アルカードが答えずにいると、男はかまわずに続けてきた。
「誰でもいい――ここから逃げたほうがいい。どうか頼まれてくれ――私の妻と娘を、ここから逃がしてやってくれ」
「妻と娘――」
鸚鵡返しに反芻すると、男は荒い息をつきながらうなずいた。
「ああ、妻と娘ふたりだ」
「ここでなにがあった?」 アルカードが尋ねると、男はかぶりを振った。
「私にもなにが起こったのかわからん――眠っているときに、いきなり襲われた。首に噛みつかれて意識を失ったあと、意識が戻ったらこの有様だ。妻子を探してここまで来たが、屋敷の使用人たちの死体が生き返って他の家人を襲っている。私もおそらく、これからそうなるだろう、な――」
その言葉に、アルカードはうなずいた。つまりこの男は蘇生してからここまで来るまでの間に、使用人の遺体が蘇生するところを何度か目撃したのだろう。
「たぶんな――気の毒だが、あんたの家族は吸血鬼どもの標的にされたらしい」
「吸血鬼?」 鸚鵡返しにして、男が眉をひそめる。なにか言おうとするのを無視して、アルカードは続けた。
「もうすでにかなり被害が出ている様だ。俺の弟子のひとりが、ここを襲った連中の首領と接敵した。が、あいつひとりではおそらく勝てまい。俺の目的は、奴らを皆殺しにすることだ。悪いがな、見殺しにして行くぞ」
アルカードがそう言って彼のかたわらを通り過ぎようとしたとき、男が手を伸ばして彼の腕を掴んで引き止めた。
「ああ、私は見殺しにしてくれ――だが、妻と娘は私が襲われたときに部屋から逃がした。頼む、妻子だけでも――」
「残念だが、あんたの娘のひとりはもう死んだ」 事務的な口調で、アルカードはそう告げた。絶望的な表情で肩を震わせている男に向かって、
「だが、妻ともうひとりは生きてるだろう――少なくとも今は」 そう続けると、男は顔を上げてアルカードの視線を捉え、
「なら、どうか頼む――そのふたりだけでも、助けてやってくれ」
「気が向いたらな」
リッチー、裏庭は放棄してリーラに合流しろ――小型無線機の送信ボタンを押してそうささやいてから、アルカードは男に向き直った。首元に手を伸ばして噛み跡がまだ残っているのを確認してから、
「見たところ、あんたはまだ血を吸っていない様だな――なら、血を吸った吸血鬼が死にさえすれば元に戻るはずだ。あんたを襲ったのはどんな奴だった?」
彼はアルカードの質問に乾いた笑い声をあげて、
「はは、冗談かと思ったら、君は大真面目な様だな。薔薇の意匠をあしらった甲冑を着た黒髪の男だった――それくらいしかわからない」
「そうか」 グリゴラシュ本人か――小さく毒づいて、アルカードは手にした霊体武装を握り直した。だとすると、今この場で彼が血の渇きに負ける前に、彼を噛んだ吸血鬼を斃せる公算は極めて低い――むしろグリゴラシュの精神支配に対して、こうして抵抗し続けていることのほうが驚愕に値する。
「君は彼らを殺しに来たのか……?」
「ああ、吸血鬼どもを狩りに来た――残念ながら、吸血被害者も血を吸ったら吸血鬼になるから殺さざるを得ん」
「そうか――」
かぶりを振る男のかたわらで、アルカードは小さく息を吐いた。
「残念ながら、今ここにいる吸血鬼はかなり手強い――あんたが正気を保っているうちに斃すのはまず無理だ」
「そうか。なら、私のことはかまうな――どのみち私は、私が助かることは期待していない。君が誰で、どうしてここにいるのかは知らないが――君が妻と娘を安全なところに連れ出してくれることだけが私の望みだ。ただでとは言わん、屋敷の左翼にある私の居室に、私の全財産の保管口座や暗証番号を書いた紙を保管した金庫がある。株式やその他の有価証券、土地の権利書、現金に通帳やカードもそこにある。半分妻子に渡してくれれば、残りは君が自由にしてくれていい。一般的な生活だったら、家族が百人いても一生遊んで暮らせるはずだ。金庫自体の暗証番号は13854623だ」
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