Ogre Battle 8

「別に金銭かねに興味は無いが――」

 アルカードがそう答えると、男は一瞬言葉に詰まってから、

「そうか――だが残念だが、私には報酬を提示する以外に君に願いを聞き届けてもらう手段が無い。なら、私はどうすればいい? どうすれば、君に私の頼みを聞き入れてもらえる?」

「特になにも無い――だがその妻子がまだ生きてるんなら、助け出すくらいはするさ」

 それを聞いて、喉に絡んだ血のせいで苦しげながら、男は笑い声をあげた。

「それはありがたい――君は彼らに詳しい様だから、ひとつ聞いてもいいか? 私はもう助からないんだろう?」

「ああ」 慰めを言ってもどうしようもないので、アルカードはあっさりとうなずいた。

「なら、すまないが、とどめを刺してくれないか。情け無い話だがな、あんな化け物になるとわかっていても、自殺するのが怖いんだ」

 アルカードが黙っていると、男は静かに続けてきた。

「胸がむかついて、喉が渇いている――目の前の君の首にかぶりついて、血を飲みたい。これが吸血鬼になりかけているということなんだろう。だんだんひどくなってきている――もうそれほどには持たないだろう。どうか頼む――もしかしたらほかならない私自身が妻や娘を手に掛けるかもしれないと思うと、怖くて仕方が無い。だからお願いだ、行く前に私を殺していってくれ」

 小さく息をついて――剣の柄を握り直す。彼の恐怖は理解出来た――彼はアルカードとは違う。

 噛まれ者ダンパイアは血を吸わなければ生きていけない――遅かれ早かれ、誰かを手に掛ける。

 そしていったん吸血を行うと倫理観が摩耗して、自分が大切にした人間であっても平気で手に掛ける――否、むしろ積極的に手に掛けようとする場合も多い。

 彼は吸血によって一度死んで復活した。彼の上位個体であるグリゴラシュを短時間で確実に殺害出来る見込みが無い以上、彼が助かる望みは無い――だから、化物に堕ちるよりは誇りを伴う死を懇願するその胸中は理解出来るし、その恐怖は察するにあまりあった。

「さあ、早く――君にも私にも時間は無い。君は化け物どもを殺しに来たのだからこれからそれになる私を殺さなければならないし、私はあんなふうになるくらいなら死んだほうが楽だ。それに、私は私の妻子を託した君に、これ以上時間をかけさせるわけには――」

 そこで男の言葉が途切れる――振り返った視界に大映しになったのは、明らかに極限の飢餓感に苛まれて正気を失った獣の顔だった。

Uryyyyyyyyyyyyyyyウリィィィィィィィィィィィィィッ!」 狂犬のごとき咆哮をあげる男の腕を掻い潜り――アルカードはただ一撃、男の胸に塵灰滅の剣Asher Dustを突き立てた。背後の壁に磔にされ、口蓋から血を吐き散らした男の口元に笑みが浮かぶ。

「おまえ――」 小さくうめいて、アルカードは彼の顔を凝視した。彼は別に、吸血衝動に負けたわけではない。自分を殺させるために、わざと飢餓と狂気を受け入れたのだ――おそらくは彼が背後を気にする事無く、彼の生死を気に掛ける事無く行動出来る様に。

 彼は壁に磔にされたまま、脂汗の滲む顔に笑みを浮かべてみせた。彼は喘息の喘鳴に似た笑い声を漏らしながら、手を伸ばして塵灰滅の剣Asher Dustを握ったアルカードの右手首を掴み、

「さあ――これでもう、君が背後から襲われることは無い。行ってくれ、そしてどうか私の家族を――」

 その言葉が終わるより早く、男の体は塵と化して消滅した――あとには男が身に纏っていた寝巻と、それを貫いて壁に突き刺さったままの漆黒の曲刀だけが残っている。

「――わかったよ」 小さく舌打ちして、アルカードは塵灰滅の剣Asher Dustを消した。形骸がほつれて消滅し、内部に封入されていた血液が床の上にしたたり落ちて、それも床を濡らすより早く消えて失せる。

「遺言じゃ仕方ぇ」 コートの内ポケットから取り出した、親指ほどの大きさの小瓶を一度空中に投げ上げてからキャッチし――水銀で満たされた石英硝子の小瓶を握り潰す。

 ぼとぼとと音を立てて――内部に封入されていた水銀が指の隙間からしたたり落ちる。

 ぼとぼとと――ぼとぼとと、およそ小瓶の内容積からは考えられないほど大量の水銀が指の隙間からあふれ出し、彼の足元にしたたり落ちていく。小瓶を握り潰した右手を翳し、肘を伝ってしたたり落ちる水銀を堰き止める様に、アルカードは左手で右手首を掴んだ。

 とうに五リットルを超えてなお流出を止める気配を見せない水銀が、掴んだ左手を伝って左腕を伝い流れていく――だがその水銀は床の上に滴り落ちる事無く、左肘のあたりで止まっていた。

 足元にわだかまって爪先を浸していた雨後の水溜りのごとき水銀が、奇妙なことに重力に逆行して脚甲の装甲の上から膝下全体を包み込む様にして脚甲の表面を伝って上っていく。

 やがて両手足を完全に包み込んだ水銀に変化が生じた。

 最初は粘体生物スライムの様にただ両手足を包み込んでいただけのそれが収斂し、手甲や脚甲の上から曲面形状の新たな装甲を形成する。

 傷だらけになった実用一辺倒の甲冑の装甲と異なり、どこかトカゲを連想させる生物的シルエットを持った新たな装甲を眼前に翳し、アルカードは試す様に二、三度掌を開閉した。

 ついで拳を作り――先ほど彼が手に掛けた男の衣装に視線を落とす。

 そして――手近な壁に視線を向け、アルカードはわずかに重心を落とした。右拳を体に引きつけ、渾身の拳を繰り出そうとするかの様に。

 視界の端に映っていた窓枠がゆがむ――否、その表現は正確ではない。

 ゆがんで見えているだけだ――両手足を甲冑の装甲の上から鎧う装甲は、それ自体が放射する重力を制御して使用者にはまったく影響を与えないままみずからの重量を増減させる機能を持っている。自重を加速度的に増大させているその装甲の自体の引力のために空気密度が局所的に変化し、光の屈折率が変わって周囲の光景がゆがんで見えているのだ。

 次の瞬間、アルカードは眼前の壁をめがけて水銀の装甲によって鎧われた右拳を撃ち込んだ。

Woooaraaaaaaaaaaaaaaオォォォアラァァァァァァァァァァァッ!」

 咆哮をあげて繰り出したその拳撃とともに撃ち出された衝撃波が眼前の壁に人が通れるくらいの風穴を穿ち、その向こうにあった調度品を吹き飛ばして、床を削り取りながら次々と壁をぶち抜いていく。

 回り道をしていては時間がかかりすぎる。到着が遅れれば弟子たちが危険に晒される時間も長くなるし、彼が望んだ妻子の存命にもかかわろう。

 アルカードは天井を見上げると、斜めに手刀を振るった――強烈なソニックブームが耳を聾するとともに、刃状の衝撃波によって天井に裂け目が走る。天井裏の水道の配管が破れ、大量の水が裂け目からしたたり落ちてきた。

 水の量は必要十分、温度もそこそこ――

 これならいける。

 胸中でつぶやいて――アルカードは右手の中に再び塵灰滅の剣Asher Dustを形成した。

 

   *

 

「――それで、アルカードはなにを買いに来たんですか?」 買い物を袋を手に、リディアがそんなことを聞いてくる――要するに彼女たちの買い物というのは、着替えやら婦女子特有の必需品のことだったらしい。

 現地で調達のめどが立つ物は、出来るだけ抑えてきたのだろう――確かに月に一度のことで普段は困らないが、必要なときは必要になるのだろうし。そんなふうに納得しつつ、アルカードはなるべく彼女の荷物が視界に入らない様にしながらショッピングセンターの一角で足を止めた。

 ペットショップ『リシャール』というロゴがでかでかと書かれた硝子板の向こう側で、ケージに入れられた犬や猫がじゃれあっている。

 わあ可愛い、と相好を崩すパオラの横でアルカードが渋面を作っているのに気づいたのか、リディアが不思議そうに声をかけてきた。

「アルカード? どうかなさったんですか?」

「否、気にしないでくれ。犬を飼う様になって何度か来たことがあるが、どうにもこういう場所は好きになれなくてな」

 別にペットショップそのものが嫌いなわけではないのだが――こちらからでも見える様に設置されたケージの中で、ほかは二匹ひと組なのに、たまに一匹しか入っていないものがある。

 写真つきの値札の上から『新しい家族が決まりました』という可愛らしいカードが貼りつけてあるのは、つまりルームメイトは売れていったということなのだろう。家畜だって生き物の売買なのだから、畜産業の恩恵に与っている以上は愛玩動物の売買に文句を言えた義理でもない。

 ただそれでも嫌悪感を感じてしまうのは、もう一頭は誰からも関心を払ってもらえなかったのだと感じてしまうからだろう。

 チラシに犬や猫の写真を載せて、『新商品』と書いてあるのが気に入らないからかもしれない――正直なところ、売れ残りの動物がどんな末路をたどるのかを想像してしまうから嫌なのだ。

 それにどうにも生き物に値段をつけたり、特売セールをやっている光景というのが気に入らない――商品が人間か動物かというだけで、やっていることは奴隷貿易と変わらないのではないかと思える。

 ただそれでも可愛いものは可愛い。ケージの床にうずくまって寝息を立てているスピッツやぬいぐるみ相手に格闘しているビーグル、タオルでじゃれていたはずなのにいつの間にか絡まって簀巻きになっている柴犬を眺めてちょっと穏和な気分に浸っていると横からくすくすと笑う声が聞こえてきて、アルカードはそちらを振り返った。かたわらに立っていたリディアが、楽しそうに笑いながらこちらを見上げている。

「……俺を見てるより、籠を見てるほうが楽しいだろうに」

「いいえ。アルカードはアルカードで見てて楽しいです」 褒められているのか馬鹿にされているのかわからない発言に、アルカードは溜め息をついてこめかみを揉んだ。

「わたしたち、吸血鬼と共闘するのにまずはおまえたちが行ってこい、なんて言って送り出されてきたんです。会ったその日に血でも吸われるのかと思ってましたから、実物がこういう人で安心しました」 というリディアの言葉に、アルカードは首をかしげて、

「君らの赴任命令を出したのは、レイルかブレンダンだろう?」

「ブレンダン――あ、バーンズ副団長のことですね? 命令を出したのはもちろん団長ですけど、わたしたちふたりが直接辞令を受けたのはマリア教師です。ご存知ですか?」

「ああ、マリア・アーヴェル? ヴァチカンで教室を開いてたときに、何度か会ったことはある。ただ、彼女は俺の顔と名前が一致しないはずだ――彼女は教室を開いてるときに名乗ってる名前しか知らないからな」

 答えながら、ケージのアクリル製の窓にちょんと指先をつける――その指先に前肢で触ろうとして無駄な努力をしている小さなラブラドールを見ながら、アルカードは記憶を手繰って返事をした。

「ただまあ、彼女の性格ならそう言うかもしれないな」 目下の相手に対してやたらときついことを言う『教師』――教官クラスの聖堂騎士のことを思い出しながら、そう答える。

 正直なところ、どうにも集団行動に向かないタイプだというのがアルカードの彼女に対する評価だった――性格がきついせいか人に対して言葉がきつい。自分より目下の相手、特に有能な者に対して風当たりがきついのだという話も聞く。単独行動任務は向いているのだが、連携を取るとなると途端にぼろが出る。

 正直なところ、教師の役職も向いていないのではないかと、アルカードは思っていた――アルカード自身も人にいろいろ口で教えるというのは苦手なタイプだが、彼女の場合はとにかく短気なのだ。

 直接命令権の無い彼女がふたりに命令を伝えたのは、おそらく若年の聖堂騎士の監督でも押しつけられているのだろう――監督する側にとってもされる側にとっても、お世辞にもいい人選とは言えない。

 まあ、アルカードは弟子たちの私生活についてはほったらかしだったから、こちらもあまりいい先生とは言えないだろう。

 不純異性交遊と非行以外はさして気を配っていなかったから、知らない間にライル・エルウッドとアイリス・アトカーシャが恋仲になっていたりもした。

「でもあれだ、レイルやブレンダンから直接説明は受けなかったのか? お嬢さんははじめて会ったとき、俺の顔と名前が一致しないまま尾行してきたけど、彼女と君たちとじゃ事情が違うだろうに」

 フィオレンティーナは最終的にはどうあれ、名目上はエルウッドの増派として派遣されてきた。その時点では吸血鬼アルカードと聖堂騎士団の共闘関係は彼と直接かかわりのある者たち以外には知らされておらず、フィオレンティーナも着任後にエルウッドによって引き合わされる予定で予備知識は与えられずにやってきたのだ――そのタイミングでエルウッドが入院したために引き合わされるチャンスが無く、結果あの様な形のファーストコンタクトになったわけだが。

 だがパオラとリディアは共闘関係を公式のものとしたうえで、名目上共闘関係を申し入れる特使としてやってきたのだ――事情をすべて知らされていてもおかしくはない。

「ええ、あとからアイリス教師とアルマちゃんが一緒に来るんだって聞いたときに聞かされました――それまではわたしも姉も、どんな目に遭うことになるのかずっとびくびくしてましたけど」

「血を吸われるか、それとも女性として差し出されたとか、そんな感じか?」

「ええ――団長たちにそれを言ったら、大笑いされました。もしそれをしたら、聖堂騎士団は即座に絶縁される、どころかはっきり敵対されるだろうって」

「当たり前だ――名目がどうあれ、おもちゃ代わりに女を宛がわれるなんぞ侮辱以外のなにもんでもないからな」 アルカードはそう返事をして、名残惜しそうにアクリル窓に前足を押しつけているラブラドールの籠から手を離した。

「貴方がそう言える人だったから、心底安心しました」 にっこり笑ってそう返事をしてくるリディアから目をそらして、アルカードはほかの籠に視線を向けた。

「まあ、それはともかく――」 話しかけられたきっかけを思い出したので、アルカードは周囲を見回した。

「――あったあった」 声をあげて、アルカードは平積みにされた缶詰の山に歩み寄った。

 『大切な家族の一員に、安全・安心な食べ物を!』――でかでかとそう書かれたPOPの下に積み上げられた、缶詰の犬の餌をケースごと取り上げる。

「これがアルカードの目的だったんですか?」

 そう聞いてくるパオラに、アルカードはうなずいた――育ち盛りなせいか、三匹の子犬たちは最近よく食べる。

「そうだ。というわけで、これを頼む」 かたわらにいたリディアの腕に、手にしたケースを放り込む。ついでパオラにもひとつ。そして自分もひとつ取り上げた。

「否、助かったよ――なにしろ、おひとり様一ケースまでという強力な制約があるからな」

 視線を交わしてからくすりと笑い、ふたりの少女がアルカードについて歩いてくる。それを確認して、アルカードはレジのほうに足を向けた。

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