Ogre Battle 6

 

   *

 

「ええと、たぶんあれね」 『大雑把にでも町の地理を頭に入れておくと便利だろう』ということで昨夜フィオレンティーナが用意してくれた簡素な地図を手に、パオラが声をあげる。

「昨日寄ったときは暗くてよくわからなかったけど、あんな感じなのね」

 東側の路側にだけ歩道のある直線道路で、東側はずっと白漆喰を塗られた壁になっている。日本の紹介番組で見た日本家屋の壁にそっくりだ――きっと向こう側は趣のある屋敷なのだろう。もし民家ではなく、古くから現存している家を史料館として公開しているのなら是非入ってみたいが。

 そう言えばフィオはヨーロッパ専任の予定だったから、英語はほとんど出来ないんだったっけ――話すのはともかく、読み書きになるとからっきしだったはずだ。

 そんなことを考えながら、リディアは周囲に視線を転じた。

 今いるのは老夫婦の店の前の道路を北上して五分ほど歩いたところで、一キロか二キロほど先に左右に走る高架道路、その向こうに十二階建てくらいの巨大な建物が見える。

 しばらく歩いていくと、すぐにここに連れられてくる途中にも見かけた丁字路が見えてくる――今パオラたちがいる舗道を横棒にした、右に九十度回転したT字の信号のある交差点。

 横倒しにしたT字の左下がローソンで、左上は機械式ゲートつきの料駐車場になっている。交差点名を示す標識は石に谷、西となっていた――石と谷を組み合わせてひとつの文字らしい。読みはわからなかったが、下にアルファベットで交差点名が記されている。

 Hazama-West。渉外局長の神田忠泰の話によると、日本の地理標識の大半にはアルファベットで地名が附記されているらしい。彼が言うにはローマ字でそのまま読むか、もしくは英単語のどちらかであることが一般的なのだそうだ――ウェストはそのまま英単語の『西』だとして、ハザマなんていう英単語は聞いたことが無い。

 ということは、こちらはローマ字読み。ハザマ西か。

 視界の端にはコンビニエンスストア。日本ではさして珍しくもない、二十四時間営業の店らしい――採算がとれるのかどうかはわからなかったが。

 この小さな店に、現金の自動預払機まであるのだそうだ――日本語が読めないフィオレンティーナは、どうにもこれが使いこなせないらしい。英語表示くらい出来そうなものだが。

「ね、あのお店に入ってみない?」 そのローソンを指差して、パオラがそんなことを言ってくる。

「あれただのコンビニだよ」 とりあえずそう指摘して、リディアは信号を見るふりをして横目で姉を観察した。

 どうも、パオラははじめての自由行動で多少浮かれているらしい――そもそも聖堂騎士団に身を寄せてその施設内で暮らしてきたリディアやパオラには、必要も無いのに外出するという習慣そのものが無い。

 一年半ほど前の話だが、パオラとリディアはフィオレンティーナと三人でブラックモア教師に指揮され、前任者から引き継ぐ形で『クトゥルク』ベアトリーチェ・システティアーノ・ロザルタの痕跡消去任務を与えられて香港に出向いたことがある。

 一年半前の香港に出向いたのが彼女たちの初陣だったのだが、それ以降もだいたい彼女たちは上位騎士の補助もしくは助手的な立場で、今回の様な自由行動の機会は無かった――残念ながら当時英語の話せなかったパオラとリディアは初陣が言葉の不自由な香港だったことと、任務の期間が実質二日も無かったことから、自由行動する暇は無かった――その後も基本自由行動を認められなかったため、誰憚る事無く出歩くのはこれがはじめてだ。

 フィオレンティーナは戦闘技術、ことに遠距離戦の才能が極めて優れていたために、数年前にリーラ・シャルンホストとアンソニー・ベルルスコーニの監督下で人体を変質させる薬品の研究をしていた異端の錬金術師を拘束する任務を初陣に早い段階から何度か出陣の経験を持っている。彼女の話では指揮権者であるベルルスコーニの方針で、任務の出先で自由行動を取ることも多かったそうだ。

 その経験があるからだろう、フィオレンティーナは外出を勧めてきた――まあなにはともあれ、地理を実際に歩いて頭に入れることに損は無い。どんな些細なことであれ、知っておいて役に立つことというのは多い。

 自分も少し浮かれているのだろう、足取りが軽くなっているのを自覚して、苦笑する――パオラが視線を投げているのは、一キロほど先で大きくカーブした高速道路の向こうで建物の上半分だけをこちらに見せているショッピングモールだった。

 フィオレンティーナとアルカードが、最初に邂逅した場所でもあるらしい――つまり、車があれば『主の御言葉』からでも簡単に来られる距離にある。道路を挟んで向かい側の並びには病院があり、エルウッドはふたりが到着する少し前まで、というか昨日の昼前までそこに入院していたのだそうだ。

 アルカードの話だと――彼がこの街にやってきたときには、すでに完成して営業していたそうだが――この街の再開発が始まってから出来た巨大なショッピングセンターで、七十近い店舗が入っているらしい――ワーナー・ブラザーズ・エンターテインメントの巨大な看板が出ているところをみると、どうやら中には映画館もある様だ。

 食糧品から家電用品、書籍に衣料と、商店の機能がほぼ集結しているそうだ――見た限りでも相当広い。法律の対策なのか当時の建築技術の問題なのか同じ規模の建物がふたつ並んでおり、五階、八階と連絡通路でつながっている。ここからでは見えないが、おそらく二階か三階あたりにもうひとつくらい連絡通路があるのだろう。

 しばらく歩いていくと、三色信号のある交差点に突き当たる――支柱には押しボタンのついた黄色い箱がくっついている。なんだろうと思って覗き込むと、全盲者用の押しボタンだと知れた。周りを見回すと、交差点を右手に行った先に飲み屋らしき小さな店舗が見えた――『地鶏焼鳥・鳥勢』。

 ここまで歩くと、高架道路は間近に見えている――交差点右側手前には大きなガソリンスタンド、大型の交差点は歩行者と自動車を完全に分離するためだろう、歩行者信号は見当たらない。代わりに構造物で風雨から完全に保護された連絡通路が交差点の左右の歩道を接続している――左右だけでなく高架下をくぐって交差点の向こう側へと渡るための歩行者信号も見えないから、あの連絡通路は向こう側にも通じているのだろう。

 となると、徒歩であのショッピングセンターに行くとなるとあの連絡通路から向こう側に渡るのだろう。歩行者はともかく、自転車はどうするのだろう?

 首をかしげながら信号が青に変わったので横断歩道を渡り、くだんの連絡通路に近づいていくと、入口のところにはセンサー式の昇りのエスカレーターとは別に階段があり、そこに自転車を押して登るためのスロープがあるのがわかった――高齢者向けだろう、エレベーターも設置されている。

 階段を昇って連絡通路の上に上がると、きちんとした頑丈な構造物で完全に風から隔離されているのがわかった――高い位置に窓があり、外の様子も窺うことが出来る。高架下にハーフパイプなどのスケートボードの練習場や放置自転車の集積所があるのだけはわかったが、その向こうの広いスペースは金網で区画されて使い道がわからない。

 連絡通路自体は交差点の四隅を結ぶほか、対角線上に直接行ける様にX字状にも通路が造られている――どうせだったら連絡通路の上を一種の広場にすればいいのにとも思ったが、廊下ではなくフロアにしてしまうと構造物の重量的に厳しいのだろう。構造物がもっと重くなったら、そのぶん撓むであろう構造物の中心部、つまり今の状況であればXの交点部分に支柱が必要になる――支柱を立てれば、その下を通る自動車の通行に支障が出かねない。

 天井からはいくつかの表示板が吊り下げられていて、左前方には『ショッピングセンター西館・市役所・タクシー乗り場・市営駐輪場・バスターミナル・JR○○線』とある――両側の壁には『ここは自転車置き場ではありません』、『ここに自転車を止めてはいけません』、『自転車駐輪禁止・各施設の駐輪場をご利用ください』、『ここに駐輪すると撤去されることがあります』という張り紙が、ところどころに貼りつけられていた。

 右手側の表示板には『ショッピングセンター東館』とあって、西館ともどもだいたいの店舗の内容が列記されている。商業施設は大部分が東館、西館は娯楽施設のたぐいのほか、表示板通りに鉄道の路線が引き込まれているらしく、たまたまそのタイミングで電車が入ってきたのか振動が伝わってきた。

「どっちに行く?」

「東館に行きましょう」 リディアの問いにそう返事をして、パオラが先に立って歩き出す。これが普通の観光客ならば、京都の様な古い都市で古来の宗教的建造物の迫力に酔うために寺院に出向くのだろうが、ふたりは宗教的な理由でそういった建築物に足を踏み入れることは出来ない――と言っても、そこまで敬虔な信者というわけでもないが。個人的にはお参りと観光は別物だと思っているし、出先で寺院を訪れる外国人はたぶんみんな似た様な意識だろう――もっとも、名目だけは聖職者という立場の違いはあるけれど。

 とはいえ、今日は観光が目的というわけでもない――日本へ出立するにあたって最低限必要なものだけに荷物を切り詰めてきたので、生活必需品だけは今日中に用意してしまおうと思っただけだ。別にフィオレンティーナの休日を待って一緒に来るのでもいいが、せっかく三人で出歩くのに荷物をかかえ込む必要もあるまい。

 そんなわけでふたりの少女たちははじめて見る異国の光景を興味津々のていで見ながら、軽やかに歩を進めていった。

 

   †

 

 アルカードが手を止めたのは、適当に仔犬たちの相手をしながら新聞に折り込まれた広告を一枚ずつチェックしていたときだった。

 建売の住宅、トヨタの売り出しとホンダのタイヤ交換フェア、ファンケルのお試し二週間分千円のサプリメントにスイミングスクールの募集広告、近隣のレッドバロンの広告にショッピングセンター内のスーパーのチラシ、催事場で行われる九州うまかもん祭り。一枚一枚内容をチェックしつつ、アルカードは手を止めた。

 ショッピングセンター内に入居するペットショップ『リシャール』の広告だ。ひと月ほど前から使い始めた店で、つまり仔犬たちを飼うことになってから餌を買い求めに時々使う様になった。

 『会員様限定・夏の大処分市! ケンネルセール開催中』『ペットフード全品10パーセントOFF』――見逃せないその一文にしばしの間視線を凝集し、アルカードは広告を広げて内容を確認した。

「……」

 広告を元通りに折りたたみ、さらに何度か折りたたんでポケットに入る大きさにしてから、アルカードは立ち上がった。仔犬たちの頭を順に撫でてやり、飲み水が十分残っていることを確認して――あとは無言のまま、アルカードはリビングの扉を開けた。

 

   *

 

 十数体の噛まれ者ダンパイアが、こちらに向かって歩いてきている――それを見遣って、アルカードは床を蹴った。

 もとは屋敷の警備スタッフだったのだろう、制服姿の噛まれ者ダンパイアが、警棒を手に間合いを詰めてきている――屋敷の中の噛まれ者ダンパイアの群れ、か。

 胸中でつぶやいて、目を細める――あのワラキアの夜もそうだが、噛まれ者ダンパイアは道具を使う。

 あのときはなんの訓練も受けていない屋敷の使用人たちだったが、今回は違う――まがりなりにも訓練を受けた警備員たちだ。が――

「ふん」 唇をゆがめて、アルカードは地面を蹴った。

 だが――あのときは、こっちは生身だったのだ。

「|Aaaaa――lalalalalalalalalie《アァァァァァ――ララララララァィッ》!」 咆哮とともに――床を蹴る。一瞬で構築された塵灰滅の剣Asher Dustの物撃ちが、先頭にいた警備員の翳した警棒と激突し――まるで赤熱したナイフでバターを切ったときの様に、ほとんど衝撃すら感じないまま切断された警棒の先端が壁に当たって跳ね返る。一撃で肩を割られ、警備員の口からうがいの様な音が漏れた。

 警備員の警棒など、問題にもならない――彼らは吸血鬼になったばかりで、武器に魔力を流す様な技能は持っていない。それはつまり霊体にダメージを与えることはもちろん、魔力強化エンチャントもされていないということで――アルカードとそれで撃ち合うなど自殺行為でしかない。

 あえて霊体武装としての稼働は止めたまま、肩口を狙って塵灰滅の剣Asher Dustの刃を撃ち込む。

 鎖骨と肩甲骨を砕き肋骨を片端から叩き折りながら肺と心臓を引き裂き背骨に引っかかって止まった塵灰滅の剣Asher Dustの柄を握り直し――完全に致命傷を負っているにもかかわらずまだ生命の兆候を示して痙攣している警備員の体を蹴り剥がして、後続の吸血鬼たちに向かって突き飛ばす――倒れ込んできた仲間を避けようと、後続の侍女の格好をした娘が一瞬速度を落とした。

 しぃっ――歯の間から息を吐き出しながら、塵灰滅の剣Asher Dustを握り直して地面を蹴る。

 ギャァあァァあッ!

 塵灰滅の剣Asher Dustが悲鳴をあげる――アルカードは一気に踏み込んで、手前の警備員と侍女、それにその奥にいた別の警備員の胴をひと薙ぎで切断した。

 斬撃の軌道に巻き込まれて切断された腕や胴体の切断面からこぼれ出した内臓が、どちゃりどちゃりと湿った音を立てて絨毯の上に落下する――そしてそれらが塵になるより早く、アルカードは後続の噛まれ者ダンパイアに襲いかかった。

「死ねぇッ!」 罵声とともに飛びかかってきた噛まれ者ダンパイアの胸元に、霊体武装の鋒を突き立てる。

 肺と心臓を一度に貫かれた噛まれ者ダンパイアが海老の様に上体をのけぞらせて、うがいの様な水音の混じった絶叫とともに口蓋から血を吐き散らした。

 今度も塵灰滅の剣Asher Dustの稼働を止めているので、田楽刺しにされた噛まれ者ダンパイアはどてっ腹をぶち抜かれたまま、死ぬに死ねずに悶絶している――串刺しにされたままボリボリと喉を掻き毟っている噛まれ者ダンパイアの体を塵灰滅の剣Asher Dustごと眼前に突き出すと、乾いた銃声とともにその体が着弾の衝撃で揺れた。後ろにいた警備員が発砲したのだ。

 噛まれ者ダンパイアの体を串刺しにしたまま、アルカードは一気に踏み込んだ。銃を構えていた警備員の頭部めがけて、振りかぶった霊体武装を真直に叩きつける――銃を構えた噛まれ者ダンパイアの頭部と串刺しにされた噛まれ者ダンパイアの体が衝突し、串刺しにされた噛まれ者ダンパイアの体が背骨の折れるぼきりという音とともに左脇腹だけを残して上下に分断された。

 左脇腹の筋肉だけで体の上下がつながったまま、それまで串刺しにされていた噛まれ者ダンパイアの体が床の上に崩れ落ちる――床の上で細かな断末魔の痙攣を繰り返している塵灰滅の剣Asher Dustの上に折り重なる様にして頭頂から股下まで真っぷたつにされた警備員の噛まれ者ダンパイアが倒れ込み、そしてそのまま二体仲良く塵と化して消えて失せた。

 残った三体の女性の噛まれ者ダンパイアが、警戒もあらわにじりじりと後ずさる。いずれも警備会社の制服を着たその三人に向けて、アルカードは空いた左手をまっすぐに突き出した。

 こちらの意図がわからなかったのだろう、怪訝そうに眉をひそめる三体の噛まれ者ダンパイアに向けて、アルカードはわずかに目を細め――そのまま開いていた指を閉じる。

 続けて伸ばしていた腕を引きつけた瞬間、三体の噛まれ者ダンパイアは展開した鋼線に絡め取られ、紐を巻きつけられたハムの様に雁字搦めにされながらずたずたに引き裂かれた。

 血溜まりの中に散乱した合計三百六十を超える肉片を見下ろして、鼻を鳴らす――鋼線越しに魔力を流し込まれて霊体構造ストラクチャを破壊された肉片が、生命の兆候を示してぴくぴくと蠕動し蠢きながら塵と化して消滅する。それを見届ける手間も惜しんで、アルカードは歩き始めた。

 だが――頭に巻きつけたバンド状の骨伝導スピーカーから聞こえてきた瓦解音に顔を顰め、アルカードは足を止めた。

 小さく舌打ちし、送信ボタンを押す――より早く、続いて甲高い金属同士の衝突音が耳に飛び込んでくる。

 誰かはわからない――が、無線機は送信ボタンを押さない限り、当然のことながら音声は送信されない。

 誰に話しかけることもなく送信ボタンを押して音だけを流した、ということは――誰かが危機に瀕していて、声をあげる余裕も無いまま状況を知らせるために送信だけを行い、救援を求めているのだ。

 今のは――誰か、と無線で送信する必要も無い。これから向かおうとした先で、巨大な気配が躍動している。

 グリゴラシュとリーラが接触したか――胸中でつぶやいて、アルカードは床を蹴った。

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