Ogre Battle 4
*
アルカードと年老いた男性が、なにやら簡単な打ち合わせをしている――リディアには言語がなにかすら理解出来なかったが、つまり彼らは母国語で会話しているのだろう。老夫婦はルーマニア人だし、アルカードは生身の人間だったころにドラキュラ公爵と因縁がある以上、ドラキュラ公爵の出身地であるルーマニア南部、ワラキア地方の出身に違い無い――つまりルーマニア語のネイティブスピーカーだ。
リディアはルーマニア語はまったく理解出来ないので、ネイティブ同士の会話は意味を類推することすら出来ない。
フィオレンティーナは最終的に中欧に派遣される予定だったので、ルーマニア語の会話もいくらかはこなせるはずだが、さすがにネイティブ同士の会話にはついていけないのだろう。ふたりの会話の内容を聞き取る努力はとうに放棄したのか、誰かが持ち込んだものらしい東京ウォーカーをぼんやりと眺めている。
フィオレンティーナだけ残っているのは、アルカードから残っている様に言われたからだった――ほかの店員たちはすでに店の開店準備に出て行き、今残っているのはフィオレンティーナとアルカードとパオラとリディア、それに老夫婦だけだ。
「パオラ、リディア」
アルカードに呼ばれて、リディアは顔を上げた。アルカードがこちらを振り返って手招きしている。
「お嬢さんもこっちに来てくれないか」
椅子から立ち上がって、吸血鬼はそんなことを言ってきた――今日も昨日見たのと同じ、レザージャケットにジーンズ、ブーツといったいでたちだ。
みんな制服を着て出て行ったのにどうするのだろうと思っていたら、アルカードが口を開いた。
「あらためて引き合わせよう。うちの店の経営者のアレクサンドル・チャウシェスクとその妻のイレアナだ――左がパオラ、右がリディアです」
「よろしく頼むな、お嬢さんがた」 老人は日本語はともかくパオラやリディアの母国語であるイタリア語は使えないのだろう、若干たどたどしい英語でそう言ってきた。
「よろしくお願いします」 差し出された手を握り返すと、骨ばって包丁で胼胝の出来た傷だらけの手はとても温かかった。
ついで老女に向き直ると、なにか言うよりも早くいきなり抱きしめられた――なにか言ってきたのは、ルーマニア語な上に早口すぎてまったく理解出来なかった。
アルカードはというと、その光景を若干苦笑しながら眺めていた――きっといつもの光景なのだろう。隣にいるフィオレンティーナも似た様な表情を見せている。
アルカードはフィオレンティーナに視線を向けると、事務室の隅のほうに置かれた簡素な段ボール箱を指差した。
「ところでお嬢さん、倉庫から制服の予備を何着か出してきといたから、ふたりに着せてサイズ見といてくれないか? それを俺に教えてくれたら、あとは仕事に戻ってくれていい」
「サイズですか?」
「ああ、今の制服にサイズが合うのが無かったら、発注しないといけないからな――それが終わったら、俺は帰る」
「帰る? サボりですか?」
「失礼だな、おい。単に俺は今日休みなだけだよ」
天井を仰いでぼやくアルカードに、老人がたたみかけた。
「こいつ普段はあまり休まんからな。なにかアクシデントがあって、休日出勤も珍しくないし――そのせいで代休が、六ヶ月まるまる休めるぐらいに溜まっててな」
「去年どばっと使ったじゃないですか」
「二ヶ月ぶんな。おまえさんの代休はあと四ヶ月くらい残ってるわけだが」
アルカードの返答にそう言ってから、老人は軽く首を回した。
「なんだったらまた北海道にでも行ってきたらどうだ? それでなにか土産物を頼む」
その言葉に、アルカードが顰めっ面で腕組みする。
「二ヶ月も放置したら事務処理溜まって、あとがしんどいんですけど……去年北海道から帰ってきたときも、えらい目に遭いましたし。第一発注はどうするんですか?」
そこでふたりはそろってこちらに向き直り、
「……という様な会話が先週の土曜日の晩にあってだな、とりあえず今日から三日間だけ休みになった」 アルカードと似た様なポーズで肩をすくめ、老人がそんなことを言ってくる。どうやら今のはリアルタイムの会話ではなく、土曜の晩にあった会話を再現した寸劇のたぐいらしい。
「そういうことでな、俺はパオラとリディアの紹介と、それに食材の発注かけるためだけに出てきたんだよ」
そう言って、アルカードが先ほど起動させていたパソコンの前に歩いていく――彼はそのままパソコンの前に腰を落ち着けて、本人の宣言通り食材の発注書を作成し始めた。
手慣れた様子で日本語の
†
パオラとリディアがフィオレンティーナと一緒に、制服の箱を両手でかかえて事務所を出て行く。扉が閉まる音を聞きながら、アレクサンドルは小さく息を吐いた。
「いい娘さんがたじゃないか。どこから見つけてきたんだ?」
「あの子たちは、フィオレンティーナの同僚です」 手を止めること無く、アルカードはそう答えた。
ほう、と興味深そうな声を出して、アルカードの背中に視線を向ける。
「ということは、あの子たちも君を殺しに来たのかね?」
「俺の戦いの結果如何によっては」 アルカードが送信ボタンをクリックして、そこで手を止める。いったん椅子ごと後ろに下がって、彼は老人のほうに向き直った。
「どうなるかはわかりません――俺が公爵に勝てるかもわかりません。そうなる前に彼女たちの誰かに殺されるかもしれないし、逆に俺が彼女たちを殺すかもしれない」
「それは――」
「ええ、仮定の話です――だた、仮定で済まされない部分もあるんですよ。公爵を倒したら、俺が
なにか言いかけて口を閉ざした老人に、アルカードが静かに続ける。
「だから、教会の関係者をそばに置いとるのかね? おまえさんを殺せる可能性が一番高い武器――
「確実に殺すのは、到底無理でしょう」 言いながら、アルカードは一度こちらを肩越しに振り返り、メールの送信が終了したのを確認してメーラーを閉じた。フリドリッヒが作曲した店のBGMを流すためにソフトを起動しながら、
「俺を殺そうとしたら、ヴァチカンの全戦力が必要です――たぶんそれでも足りない」
なにも言わないまま視線だけで続きを促すと、彼は再びこちらに向き直って、
「でもそうですね――貴方の言うとおりです、アレクサンドル。俺は俺を殺させるために弟子たちを育て上げた――自分を殺させるために、俺を殺せる可能性のある者たちを育て上げたんだ。もし俺が血の渇きに負けたとき、俺を殺せる可能性のある者をひとりでも増やすためにね――彼らに施した対吸血鬼戦の訓練の、最大のターゲットが俺です」
「寂しいことを言うなぁ」 それで話は終わりということなのか、深紅の瞳の怪物は事務所の扉に手をかけた。
「おまえさんが死んだら、仔犬どもが寂しがるぞ」
アルカードは答えなかった。返事をしないまま、アルカードは扉を開けて出て行った。
†
廊下に出て後ろ手に扉を閉めたとき、女性用更衣室からフィオレンティーナたちが姿を見せた。
「パオラとリディアのサイズ合わせは終わったか?」
声をかけると、フィオレンティーナがこちらに視線を向けた。
「ええ、終わりました。ふたりともサイズの合うのが二着ずつありましたけど、それをそのまま渡してかまわないですか?」
「ああ」 フィオレンティーナが差し出してきた紙片を受け取って、それに視線を落とす――頼んでもいないのに、ふたりの服のサイズを書き留めてきてくれたらしい。仕事着が私物なアルカードと違って、彼女たちの制服は普通に貸与されるものだ。ひとりにつき三着、洗濯は店で取りまとめてテーブルクロス等と一緒にクリーニングに出す。
秋用の制服までは間に合う。必要になるかどうかはわからないが。
「ありがとよ、お嬢さん」 そう言ってフィオレンティーナの肩を軽く叩き、かたわらをすり抜ける。
「もう帰るんですか?」 フィオレンティーナの言葉に、アルカードはいったん足を止めて小さくうなずいた。
「発注はもう終わったから、これ以上いても仕方が無いんでな――俺はちょっと出かけてこないといけないし」
「どこに行かれるんですか?」 パオラの言葉に、アルカードは三人に完全に向き直った。
「赤坂の在東京ローマ法王庁大使館だ――渉外局員から受け取らなくちゃならん荷物があるんでな」
その言葉に、フィオレンティーナが友人ふたりと顔を見合わせる――聖堂騎士団と関わりのあるアルカードが、『主の御言葉』ではなくヴァチカン市国が東京に設置している大使館に出向くことがピンとこないのだろう。
だが、アルカードの正体を知っているのは聖堂騎士団でも上位の聖堂騎士だけで、一般騎士は彼の顔すら知らない――ライル・エルウッドが常駐している『主の御言葉』には来日当初のフィオレンティーナがそうだった様に、アルカードの名前と顔すら一致しない様な聖堂騎士が時々訪れる。
当然アルカードを見つければ排除しようとするだろうし、教会でエルウッドとアルカードが仲良く茶でも飲んでいるところに出くわそうものなら、厄介事が噴出するのは目に見えている――余計な面倒を避けるために、アルカードは今までエルウッドと教会で直接接触するのを避けていた。
なにしろアルカードは教会の刺客を片端から半殺しにしたことになっている、教会にとっては宿敵のひとりなのだ――だからこそ、アルカードと直接接触を持つのは聖堂騎士団構成員であるセバスティアン神田に限定され、一部の大使館関係者と渉外局の局員を除いては彼が聖堂騎士団とかかわりを持つことすら知らない。
「荷物って?」
「新しい装備と補充品だよ――そろそろ駄目になり始めてたのがあったからな。弾薬もそろそろ切れかけてるし」
リディアの言葉にそう答えて、そこでふと思いついてアルカードは振り返った。
「君たちはどうする?」
「え?」
「なにか入用なものがあるのなら、駅前にくらいは乗せてってやるが」
その言葉に、パオラとリディアが顔を見合わせる。
「それとも、明日にするか? お嬢さんは明日休みが入ってるはずだし――俺は君らを適当な所に置いて行かなくちゃならんからな」
在東京ローマ法王庁大使館は千代田区にある――皇居からそれほど離れていない場所で、東京都内とは言ってもそれなりに都心から離れているこの街からはかなり距離がある。
といっても大使館近くの千鳥ヶ淵交差点から首都高速環状線の代官町インターチェンジに直接出入り出来るので、苦になるほどのことでもない――インターチェンジがすぐ近くにあるので、こちらから出向くにせよ向こうが来るにせよ、道さえ覚えてしまえばどうというほどのことでもない。
「アルカードがわざわざ大使館に出向くんですか? 大使館の支援を受けているなら、そこらへんは大使館側の仕事なんじゃ?」
素朴な疑問を口にした、という感じのフィオレンティーナに、アルカードは適当に肩をすくめた――大使館に常駐し聖堂騎士団の対外折衝役を務めるセバスティアン神田はお世辞抜きで有能だし優秀な男なのだが、どうにも方向音痴のきらいがあるらしく、大使館の公用車の中で自分に与えられた車輌に自腹でカーナビを取りつけた前歴がある。
たまたまそのとき大使館で声をかけられて品物選びにつきあったのだが、結局商品選びから取りつけまで全部アルカードがやるはめになった――機械いじりは好きな作業なので、まったく気にならなかったが。
「まあ、神田は毎回働かせてるから、たまにはな。それに今の特命全権大使閣下にはまだ会ったことが無いんだ。いつ一緒に仕事することになるかわからないから、挨拶のひとつもしとかなくちゃな」
「大使と一緒に仕事、ですか?」
パオラの質問に、アルカードはかぶりを振った。
「別に俺が大使の秘書をしたりするわけじゃない。俺の役目はBG――近接警護だ。前任の特命全権大使閣下は、何度か近接警護員のチームに参加したことがある――今の大使の護衛についたことはまだ無いが。前の大使はチェスが趣味だったから、時々相手をしてた。共通の趣味があったほうが打ち解けやすいからな――まあ打ち解けすぎるのも問題だが、危険な状況下ですんなり指示に従ってもらえる程度の信頼関係は必要だ」
「アルカードはチェスが得意なんですか?」
「そういうわけでもないが。ルールさえ覚えてしまえば、チェスでも将棋でもやることは変わらないから――生身の人間だったころは軍人だったからな。作戦立案にもかかわる立場だったから、用兵を考えるのはまあ得意だ」
そんなことを言ってから、なんの話だっただろうかと、アルカードは一瞬考え込んだ――すぐに思い出して、
「それで、どうする? さっきも言った様に帰りに拾ってやれるとは限らないし、お嬢さんが休みの日を待って三人で行くほうがいいかもしれないが」
お嬢さん明日休みだし、とアルカードが続けてくる。
パオラとリディアは顔を見合わせて、ついでフィオレンティーナを見遣った――明日まで待ってくれるなら、というフィオレンティーナの言葉に、ふたりは小さくうなずいて、
「そうですね、そうしようと思います」
「そうか。ならまあ、この話は終わりだな――とりあえずは、そろそろお嬢さんを仕事に戻してやってくれ」
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