Ogre Battle 3
*
寝間着だけを残して消滅してゆくプリシラを背後から撃ったその男は、構えていた銃を下ろすとこちらに向かってゆっくりと歩き出した。
銃を手にした男が一歩踏み出すたびに、まるで壁際に飾ってある中世の甲冑を着て歩いているかの様な金属のこすれ合う音が聞こえてくる。いまだ銃口から煙をあげる自動拳銃を手に、男が左手を懐に差し入れてもう一挺の自動拳銃を引き抜いた。
映画でやっているみたいに上のほうの部品を引っ張ったりはしなかったが、代わりに細かい部品を動かしたのか、かちりという小さな音がやけにはっきりと聞こえてくる。
ふっ――陰になって顔は見えないが、笑ったのだろう、きっと。そしてそれをフィオレンティーナが認識するより早く、男が動く――二挺の自動拳銃をくるりと一回転させてから、男は両腕を交叉させる様にしてこちらに向かって突き出した。
フィオレンティーナはその見知らぬ男が、自分たちを撃つつもりなのだと思った――自分も弾丸が当たって死ぬのだと、フィオレンティーナは覚悟を決めた。
映画なんかで、人が拳銃で撃たれて死ぬところは見たことがある。自分もきっとああいうふうに撃たれるのだ。
そう考えてきゅっと目を閉じ――しかし、いつまでたっても予想したものはやってこなかった。それとも死ぬ瞬間というのは、銃で撃たれても痛みをなにも感じないのだろうか。
おそるおそる目を開けてみると、男はまだ一発も撃っていないのだと知れた――自分たちを撃ち殺すつもりだと思っていたのに。それどころか――
「伏せろ」
男の発した警告の声が、耳に届く。父親が自分たちに向けて話しかけるときと同じ様な、穏やかでさりげない声音だった。
フィオレンティーナにはその言葉の意味自体が、まだわからなかったけれど――
母親にはわかったらしい。その指示に従ってフィオレンティーナの体を抱きしめ、母がその場にひざまずく。
次の瞬間乾いた銃声が立て続けに響き渡り、男の手にした二挺の自動拳銃が火を噴いた――その場にしゃがみこんで悲鳴をあげる母と彼女に抱きついて絶叫をあげるフィオレンティーナの頭上を、銃弾が次々とうなりをあげて通過していく。
やがて――銃撃が止まった。
恐る恐る目を開けてみると、視線の先に先ほどのあの男の姿は無い――周囲を見回してみても、彼の姿はどこにも無かった。
後ろを振り返ると、先ほどまで歩いて近づいてきていた人たちもいなくなっていた。壁は血糊で汚れ、どういうわけだか床の上に彼らの身に着けていた衣服だけが残っている。
「ママ……ママ!」
呼びかけると、怯えて縮こまっていた母も我を取り戻した様だった――周囲に視線を投げて安全だと判断すると、あわててフィオレンティーナの手を取って走り出した。
*
「……どうした?」 なにが珍しいのか興味深げに店の控室をきょろきょろと見回しているリディアを見遣って、アルカードはそう声をかけた。
「いえ。外食店の裏側なんてはじめて入りましたから」 どことなく楽しそうに、少女はそう答えてきた。
それは当たり前なので、アルカードはなにも言わなかった――普通は外食店のバックヤードに入ることなどまず無いだろう。もし入ることがあったとしたら食い逃げとかで捕まったときだから、入ったことが無いに越したことは無い――アルカードは近所に住んでいる警察官夫婦が奥方の実家に帰ったときにお土産でくれたうなぎパイをつまみつつ、
「まあ、じきに見慣れるだろう」
「おはようございまーす……って、あれ? また新しいバイトの子?」 店の裏手に通じる扉を開けて入ってきたアンが、扉近くの椅子に座っていたパオラとリディアに気づいてこちらに視線を向ける。
「ああ、おはよう――まだ正式じゃないがな。フィオレンティーナお嬢さんの友達だ。今日ご夫婦に話をしようと思って、とりあえず連れてきた。パオラとリディアだ」
アルカードがそう答えると、アンは少女たちに視線を向けた。
「そうなんだ。よろしくね」
「よろしくお願いします」 パオラとリディアがそう答えると、アンはアルカードに視線を向けた。
「なんだ、その厭な視線は」
「別に」
適当に顔をそむけたアンに不審げな視線を向けているパオラとリディアに、アルカードはぞんざいな紹介をした。
「アン・スカラーだ。新人いじめに遭った場合は申告する様に」
「ちょっと、言うに事欠いてなんてこと言うのよ」 不服げな表情で抗議をするアンに、アルカードは適当に肩をすくめてみせた。冷蔵庫から出してきた缶コーヒーの封を切りながら、テーブルではなくパソコン用の椅子に座り直す。
アルカードはノートパソコンの横に置いてあった走り書きのメモを取り上げてパソコンを起動し、起動待ちの間にコーヒーに口をつけた。
一応盗難されたときに備えてアカウント名とログインパスワードは設定してあるので、それを打ち込んでロックを解除する――アカウント名はJijibaba、パスワードは老夫婦の孫娘ふたりの誕生日を年号からつなげたものだ。
パソコンが起動してデスクトップが表示されたところで、アルカードは「品出し」と記名されたファイルを起動した。
メモの内容を確認して、ファイルに書き込んでいく――メモの内容は食材の使用量とアルカードが休んでいる間の売上なので、それを手早く入力してから、アルカードはアプリケーションを閉じた。
どうせもうすぐまる一日動かしっぱなしになるので、そのまま放っておく――店で流しているのはフリドリッヒ・イシュトヴァーンが自分で作曲して多重録音で作った曲で、そのデジタルデータを音楽管理ソフトで再生しているのだ。
アルカードが作業を終えたところでガチャリと音を立てて扉が開き、老夫婦が顔を出した。ふたりは正面に座っていたパオラとリディアの姿に気がつくと、
「おはよう――アルカード、なんだね、この子たちは?」
「ああ――おはようございます」 アルカードはそう返事して立ち上がり、老夫婦と話をするためだろう、テーブルに移動した。
*
母子が走り去ったのを気配で確認して、彼は小さく息を吐いた。廊下の曲がり角から覗き込んで、二十数メートル離れた場所で蹲る様にして細かい痙攣を繰り返している老執事に視線を向ける。
少女に近づいていった老人は、首を喰いちぎられて死んでいる――
まだ数分と経過していないというのに、ぐるぐるといううなり声をあげて老人の遺体が動き出す。立ち上がろうと床に手を突いた老執事を見下ろして、アルカードはその後頭部に手にした自動拳銃の銃口を向けた。
ワラキアの生家、ディミトリに襲われて死んだヴィオリカがものの数十秒で蘇生した様に、
それ以外の臓器は損壊させられても復活することがあり、確実に蘇生を阻止出来るのはこれら四ヶ所であるとされ、したがって魔殺しによる吸血被害者の死体処理は、まずこの四大器官のいずれかを損壊させることから始まる。
しかし加害者が
加害者が
複数の死体があれば、手榴弾でも投げ込むところだが――胸中でつぶやいて、アルカードはX-FIVE自動拳銃のトリガーを引いた。乾いた銃声とともに自動拳銃のスライドが二度前後し、弾き出された空薬莢がくるくると回転しながら絨毯の上に落下する。
霊体が破壊されるより先に視床下部に損傷が及んだのか、立ち上がりかけていた老人の体が消滅せずにそのまま再び死体に戻って絨毯の上に崩れ落ちる。
銃口から立ち昇る硝煙を吐息で吹き飛ばし、彼は自動拳銃の一挺をホルスターに戻した――と、左耳に捩じ込んでいた小型無線機のイヤホンから、一瞬の空電雑音のあと聞き慣れた弟子の声が聞こえてくる。
「先生、リッチーです」 聞き慣れた最若年の弟子の声に、アルカードはうなずいた。
「俺だ」 短く答えながら、彼は自動拳銃の弾倉を抜き取って新しいものに交換した。ついでもう一挺も弾倉を入れ替える――まだ弾薬は残っているが、取り換えられるときに取り換えておけばそれに越したことは無い。
「正門前は、殲滅しました。そちらはどうですか?」
「中は思ったより数が多い――住み込みの使用人が結構多い様だ。ワラキアの屋敷を思い出して厭な気分になるよ。初動が遅れすぎたな――まあ、もともとが戦闘任務で来たわけでなし、仕方無いが」
「そうですね――ところで、先生」
「ああ」
「殺した
アルカード自身も似た様なことをしているから、その点に関しては簡単に想像がつく。
「心当たりはある――さっき殺した中にもいたよ。たぶん、高位の
『剣』などの高位の
屋敷の中にあまりにもよく見知った気配もあり、誰の直属なのかは容易に想像がついた。
「……リッチー?」
「はい」
「おまえはそのまま正門前を封鎖するんだ――
「わかりました」
「アンソニー」
「はい、師匠」 アルカードは周囲に視線を配りながら、弟子の返事を待って先を続けた――アンソニー・ベルルスコーニの身体能力の増幅率は基底状態の九十倍、高位の
「おまえはそのまま屋敷の右翼を制圧しろ。ライル、アイリス」
「おう」
「はい」
「おまえたちは左翼だ。アイリスはある程度暴れてから裏庭に出て、リッチーと一緒に庭の連中を片づけろ。開けた場所ならおまえが一番有利だ。ライルはそのまま中央館に移動して俺と合流――その途中で接敵がある場合は、任意で排除しろ」
「わかった」
「はい」
「リーラ」
「はい」
「おまえは中央館に来てくれ――生き残りの親子がいた。おそらく屋敷の主人の妻とその娘だ――身柄を確保して連れ出してくれ」
「わかりました。師匠は?」
「俺は中央館の奥にいる。どうにも懐かしい相手がいる様だ――少しそいつに挨拶してくる」
「……誰ですか?」
その言葉に、アルカード・ドラゴスはかすかに唇をゆがめて答えた。
「グリゴラシュだ」 アルカードの返答に、無線端末から息を飲む音が聞こえてきた。グリゴラシュ――その名前は、彼の教室の生徒なら誰でも知っている。
真祖と並ぶ危険性を持つ『剣』の中で、もっとも危険な
「グリゴラシュ・ドラゴスだ」
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