The Otherside of the Borderline 65

 吸血鬼がこちらの後退に合わせてさらに踏み出す――おそらく斬撃を仕掛けなくとも、次の攻撃で行動不能に追い込めると判断したのだろう。

 漆黒の曲刀を握ったままの右拳で、こちらの胸元を――突き飛ばすより早く、月之瀬は懐から引き抜いた小さなナイフで吸血鬼の手首を引き裂いた。普通の拳の打撃の様に手首の内側を下に向けていたため、その攻撃で手首の大動脈が引き裂かれ、噴き出した血が視界を汚した。

 血圧が下がって指から力が抜け、金髪の男が手にした黒い曲刀を取り落とす。

 だが、追撃をかけることは出来なかった。吸血鬼が右腕を引き戻すと同時に、繰り出された爪先が月之瀬の下顎を蹴り上げる。

 噴き出した血に目を奪われて、一瞬とはいえ吸血鬼の下肢の動きに気づかなかった。否、それすらも彼は織り込んでいたのか――脳震盪にぶれる視界の中で笑う吸血鬼を見ながら、そんなことを考える。

 そして次の瞬間金髪の吸血鬼が繰り出した左の廻し蹴りがこめかみを直撃し、月之瀬は横殴りに薙ぎ倒される様にして地面に倒れ込んだ。

 信じられないことに大動脈を斜めに引き裂いたというのに、すでに出血は止まっていた――あと数十秒で血液量が回復し、通常の戦闘行動に戻れる状態になるはずだ。否、下手をするともっと短いかもしれない。

 だが――月之瀬が手にした長大な刀を目にして、吸血鬼が小さく舌打ちを漏らした。吸血鬼が腰に帯びていた、笠神から奪ったものらしい太刀――細雪を手に体勢を立て直す。

「手癖の悪い奴だ」

 蹴り砕かれた右臑は、徐々にではあるが治癒しつつあった――だがそれでもあと数十分はかかるだろう。

 対して金髪の男の手首は、すでに完全に治癒している様だった――右手はすでに握力を回復し、足元に転がっていた漆黒の曲刀を拾い上げている。

 くそ――吸血鬼としての能力が違いすぎる。

「余裕だな――眼前の敵から注意をはずしてる場合か?」

 言葉をかけたのは、蹴り折られた脚が回復するまでの時間を少しでも稼ぐためだった――それがわかっていないわけでもないだろうが、吸血鬼は別段それを無視して攻撃してくるでもなく適当に肩をすくめて、

「余裕だからな――おまえのほうこそ、余所見をしてると次は死ぬことになるぜ?」 その返事に、月之瀬はぎくりとして小さく舌打ちした――鹹め手に利用出来るものは無いかと探していたのだが、気づかれていたらしい。

「そりゃ、こっちの科白だ」 吐き棄てる様な口調でそう返事を返して剣を構え直す月之瀬を見ながら、吸血鬼がすっと目を細めるのが見えた。

「悪くない刀だったんだが、な」 その言葉を最後に、あとは無言のまま踏み込んで――吸血鬼が左肩に剣を巻き込んで繰り出してきた横薙ぎの一撃で、手にした太刀が半ばから折れて飛ぶ。細かな鋼の砕片が飛び散り、街燈の光を反射して幻想的に煌めいた。

 ――な!

「――が、惜しいと言うほどでもないか」

 ギャァァァッ!

 吸血鬼の手にした漆黒の曲刀が、再び絶叫をあげるのが聞こえた――振り抜いた剣を肩越しに背中に巻き込んで、吸血鬼がそのままこちらの肩を割ろうと剣を振るう。

 だがそれより早く、なんとか体を投げ出してその攻撃を躱す。中途半端に右足に荷重がかかり、絶叫したくなるほどの激痛が走った。

 体勢を立て直すより早く、月之瀬は手の中に残っていた半ばまで刀身の残った細雪を吸血鬼めがけて投げつけた――吸血鬼が左手を翳してそれを受け止める。まるで金属音の様な異様な音とともに折れた太刀が吸血鬼の掌に当たって跳ね返り、そのまま地面に突き刺さった。

 だがそれで動きは止められた――問題は今、まともな攻撃手段がなにも無いことだ。

 ナイフの一本二本くらいは残っているが――吸血鬼の腰の黒禍と紅華、どちらも奪い損ねたことに舌打ちして、月之瀬はその場で立ち上がった。体を投げ出して斬撃を躱したときに右脚を完全に踏み折られなかっただけでも、よしとしておくしかないか。

 だが――

 ギャァァァァッ!

 頭の中に複数の悲鳴が響き渡る――上体を起こしながら背後を振り返るのとほぼ同じタイミングで、吸血鬼がこちらに振り返り様に剣を振るった。振り抜いた刀身が蒼白く輝き、蛇の様にのたくる電光を纏わりつかせている。次の瞬間吸血鬼の姿が陽炎の様に揺らいで見え、続いて轟音とともに襲ってきた衝撃波の様なものが月之瀬の体を派手に吹き飛ばした。

 滑り台の支柱に叩きつけられ、そのまま滑り台もろとも薙ぎ倒されて、その場に倒れ込む。

 なんだ、今の……!?  背中を派手に打ちつけて咳き込みながら視線を向けると、吸血鬼は別段追撃をかけてくる様子も無く手にした漆黒の曲刀を矯めつ眇めつしながら、

「ふん――まったくみっともない話だな。俺の魔力の動揺もそうだが、いくら『領域』の内側とはいえ、それなりに魔力を込めてこの程度の威力しか引き出せないのか」 不服そうに眉をひそめて、そんなつぶやきを漏らす。彼は気を取り直したのか手にした漆黒の曲刀を軽い風斬り音とともに振り抜いてから、その鋒を月之瀬に向けた。

「とはいえ、もうそろそろいいか。いい加減、死ぬ覚悟も出来ただろう?」

 

   †

 

「悪くない刀だったんだが、な」 別段誰に聞かせるでもなくそんな言葉を口にして、アルカードは一歩踏み込んだ。同時に左肩に巻き込む様にして構えていた塵灰滅の剣Asher Dustを横薙ぎに強振する。

 次の瞬間――防御のために繰り出した太刀を一撃で叩き折られ、月之瀬が驚愕に目を見開いた。

 飛散する鋼の砕片が街燈の明かりを複雑に反射して幻想的にきらめき、そしてその絶景は瞬時に終焉を迎えた。内部に封入されていた魔力が折れた刀身から噴き出して、大気魔力に溶ける様にして消えてゆく。

「――が、惜しいと言うほどでもないか」

 ――ギャァァァッ!

 ――ひぎぃィィッ!

 ――アぁァあァァっ!

 手にした塵灰滅の剣Asher Dustが、再び身の毛も彌立つ絶叫をあげる――月之瀬の手にした太刀を叩き折るために振るった剣をそのまま水平に振り抜き、そのまま肩越しに背中に巻き込んで、アルカードはさらにその肩を叩き割るために剣を振るった。

 だがそれより早く、月之瀬が横に体を投げ出してその攻撃を躱す。

 そのまま月之瀬は、手の中に残っていた半ばまで刀身の残った太刀をアルカードの顔めがけて投げつけてきた――左手を翳してそれを受け止める。左腕に擬態した液体金属で構築された腕に当たって折れた太刀が跳ね返り、そのまま地面に突き刺さった。

 もっとも、月之瀬の目的は単なる足止めだったらしい――実際問題として、今月之瀬にはまっとうな得物が無い。彼の攻撃から逃れたときに月之瀬の足を再度踏み折ろうとしてしくじったことに舌打ちを漏らし、アルカードは手にした塵灰滅の剣Asher Dustの柄を握り直した。

 ギャァァァッ!

 漆黒の曲刀が絶叫をあげ、刀身が蒼白い激光を放つ。雷華を纏わりつかせた塵灰滅の剣Asher Dustを振るうと同時、鋒からあふれ出した魔力が周囲の空気と絡まり合って衝撃波を形成した。

 撃ち出された世界斬・散World End-Diffuseが轟音とともに月之瀬の体を派手に吹き飛ばし、背後にあった滑り台の鋼管製の支柱に叩きつける。

 背中から叩きつけられ、そのまま滑り台もろとも薙ぎ倒されて、月之瀬はその場に倒れ込んだ。

 月之瀬が小さくうめいてなんとか起き上がる――アルカードはその様子を横目に塵灰滅の剣Asher Dustを矯めつ眇めつしながら、小さく溜め息をついた。

「ふん――まったくみっともない話だな。俺の魔力の動揺もそうだが、いくら『領域』の内側とはいえ、それなりに魔力を込めてこの程度の威力しか引き出せないのか」

 先述したとおり、世界斬World Endは魔力によって編まれた衝撃波を飛ばす技術だ。

 これらはごく稚拙な『式』によって構築された魔術だと言ってもいいが、当然その効果の発現形態は『領域』の影響を受ける。

 『領域』は魔力の放出を阻害する効果があるらしい、というのが今までにわかっている事実だ――塵灰滅の剣Asher Dustは『領域』と互いに相手の効果を喰い潰し合うことで使用者に影響が出ることを防いでいるが、いったん放出された魔力はその限りではない。

 要するに、完全に術者であるアルカードの制御を離れた途端に、世界斬は『領域』の影響を受けて減衰させられてしまうのだ。

 『驟雨レイ』を相手に撃ったときも、本当は全身を擂り潰してやるつもりだったのだ――足場の家が一応他人の財産なので出力を抑えていたのと、思った以上に威力の減衰が大きかったために、屋根から転落させるくらいしか出来なかったが。

 とはいえ、どうでもいい――なにもかもがどうでもいい。たとえどんな縛りがあろうが、今この場で月之瀬を狩るのに不都合があるわけでもない。

 ひゅ、と塵灰滅の剣Asher Dustを軽く振って――アルカードはその鋒を月之瀬に向けた。

「とはいえ、もうそろそろいいか。いい加減、死ぬ覚悟も出来ただろう?」

 その言葉に、月之瀬が立ち上がろうとして顔を顰める――まだ蹴り砕いてやった脛が治っていないのだろう。魔力が外に出せないので、接触によって魔力を送り込んで霊体構造ストラクチャを破壊することは出来ない。

 吸血鬼としての能力の差から来る治り具合の差はあるだろうが、なので放っておいてもじきに治るはずだ――ただし月之瀬の場合は、まだしばらくかかりそうだが。

 月之瀬が苦鳴の声を漏らしながら、手近なブナの木に片手を突いて立ち上がる。

 それを見届けて――アルカードは地面を蹴った。一気に踏み込んで、一撃で月之瀬の首を刈ろうと――するより早く、月之瀬がほとんど崩れ落ちる様に体を沈めてその一撃を躱す。空振りした塵灰滅の剣Asher Dustが月之瀬の杖代わりになっていたブナの木が一撃で切断され、バランスを崩してゆっくりと倒れてゆく。

「おおっ!」 咆哮をあげながら、月之瀬がこちらの足を刈ろうと懐から抜き放った格闘戦用のナイフを振るう。

 片足が壊れているために踏み込めずリーチの足りないその一撃を躱し、アルカードは月之瀬の左側面に廻り込んだ――こちらの膝を刈るために姿勢を沈めた月之瀬の後頭部にアルカードが繰り出した中段廻し蹴りが炸裂し、月之瀬が薙ぎ倒される様にしてうつぶせに地面に倒れ込む。

 そのまま蹴り足で踏み込んで背骨に踵を落とし、脊椎を踏み折ろうと――するより早く、こちらの意図を悟った月之瀬が一回転してその踏み足から逃れ出た。

 それは予想済みだったので、そのまま上体を捩り込んで追撃を繰り出す――思ったよりも月之瀬が地面の上で転がる動作が速く、斬撃の間合いに入ったのは街燈の裾だけだった。

 小さく舌打ちを漏らして、踏み込んだ右足を引き戻す――仕留め損なったが、まあそれは別にいい。

 立ち上がりかけた月之瀬に殺到し、アルカードは再び塵灰滅の剣Asher Dustを振るった。

 別に地面に倒れたままでいるのが必ずしも不利というわけでもないし、立っていたから必ず有利というわけでもない――地面に倒れたままであれば月之瀬は右腕と左足を使えるが、起き上がった状態であれば片脚をへし折られた月之瀬は右手しか使えない。

 繰り出した横薙ぎの一撃を、月之瀬がナイフで受け止め――なんの変哲も無いステンレス鋼製のナイフを火花とともに引き裂かれ叩き折られて、月之瀬が表情を引き攣らせながら再び横に体を投げ出して斬撃を躱した。

 今度は側転する様にして器用に左足だけで着地し、月之瀬がブレードの半ばから斬り飛ばされたナイフを投げ放つ――回転しながら飛来してきたナイフを左手で叩き落としたとき、月之瀬が片足で地面を蹴って前に出た。いったん離れた間合いを一足飛びに詰めた月之瀬が、懐から抜き放ったフォールディングナイフで刺突を繰り出してくる。

 咆哮とともに繰り出された三連続の刺突を、狙点を見切って頭を傾けて躱す――なまじ狙いが正確なだけに回避は容易い。続く攻撃も同じことだ――三撃目からそのまま繰り出された横薙ぎの一撃の軌道を先導する様にして、体側に廻り込む――背面を狙って繰り出した横薙ぎの一撃を、半ばまで振り返っていた月之瀬は背面跳びの様に跳躍し、刃を跳び越えて躱した。

 そのまま空中で回転して体勢を立て直し、着地と同時にこちらの胴を薙ごうとナイフを振るう。

 なかなか頑張る、が――

 所詮全長三十センチあるかないかのフォールディングナイフの攻撃だ。ほんのわずか間合いを離すだけで、鋒はこちらに届かない。笠神のときとは真逆の状況だが――近づかせさえしなければ、ナイフの投擲以外に脅威は無い。

 要するに月之瀬がアルカードに近づけるだけの技量があるか、アルカードが月之瀬を近づかせないだけの技量があるかどうかが問題なわけだが――ようやっと両足で立てる様になってきた今の月之瀬では技量もへったくれも無い。

 が――

 突如として今までずっと感じていた圧迫感が消えて失せた。同時に肉眼の視界に重なる様に多層視覚が表示され、魔術通信網の回線を通じて大量のリアルタイム情報が流入してくる。

 スレットパネルの中央に表示されたシンを表す黄色い光点のすぐそばに白と紫、ピンク色の光点が密集して表示されている。

 白い光点はおそらくアルカードを、紫色の光点は月之瀬を示している。

 中心位置にある黄色い光点は前述のとおり、シンを表している。

  ピンク色の光点は、おそらくそこで倒れている少女だろう。それに寄り添う様にして、もうひとつ青い光点が表示されていた。

 符牒は■4-5――スクエア・フォア・ファイヴか。

 ピンク色の光点にはAという符牒が添えられている――それがなにを意味するコールサインかはわからない。コールサインはアルファか、あるいは天使エンジェルかなにかだろうか――彼らのコールサインのつけ方のセンスだと、おおいにありえそうだ。

 『灼の領域ラストエンパイア』が再び解除されたのだ――それは結構と言いたいところだが、今のアルカードにとってはあまり利点が無い。むしろ自分だけが決定的な殺傷手段を持っているという点で、先ほどまでの状況のほうが有利ですらあった。

 というよりメインターゲットであるはずの月之瀬がここにいるのに、現場にいない空社陽響がどういうつもりで『領域』を解除したのかがわからない――術を使う必要が生じたのか、それともなにかほかの理由か。こちらが動きを止めたタイミングで月之瀬も状況の変化に気づいたのか、こちらに向き直りながら右手を軽く握り込んでから緩めた。

 おそらく月之瀬も同じ様に状況の変化に気づいて、なにかを試すつもりなのだろう。猿渡の警告通りであれば、彼は――

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