The Otherside of the Borderline 64
†
「どうした? 人質を取りたきゃ取れよ。それをやったら二対一になっちまうだろうがな」
そう言って、眼前の金髪の外国人がわずかに唇をゆがめる――それを見ながら、月之瀬は奥歯を噛んだ。薄暗がりの中で男の双眸が紅く輝いている――自分と同じ、人間ではなくなったことを示す深紅の瞳。
腰には乱雑に帯を巻き、そこに笠神のものと思しい刀が差されている――それとは別に、赤と黒の短鎗。香坂の帯びていた、黒禍と紅華。
笠神と香坂のふたりが何者かに
目をモチーフにした装飾の施された、漆黒の曲刀を右手で保持している――まるで闇そのものが凝り固まったがごとくまったく照りの無いその曲刀は細かく振動しているかの様に輪郭がぼやけて見え、その姿をはっきりと捉えることが出来ない。おかしなことにじかに耳に聞こえているわけでもないのに、ぎゃあぎゃあという叫び声が響き渡っている――まるで頭の中で大勢の人間が悲鳴をあげているかの様だった。
「来ないのか? なら、こっちから行くぞ」 不意に吹き抜けた突風が、公園を取り囲む様に植えられた葉桜を揺らす。そしてその枝の揺れが収まるよりも早く、金髪の吸血鬼が動いた。
薄暗がりの中でおのずから輝く深紅の瞳がすっと細くなり――こちらの視線を捉えていた目線が、わずかに動く。その視線の移動の意味を理解するよりも早く、吸血鬼はこちらの間合いを侵略していた。
――ッ! 声にならない悲鳴をあげながら、あわてて後退する――だがそれよりも早く、月之瀬はなにをされたのかもわからないまま弾き飛ばされていた。空中で体をひねり込んでなんとか足から着地し、吸血鬼の姿を探したが――彼は踏み込んできたその場所から動いていなかった。
「やるな」 吸血鬼がわずかに笑う。
「今のでおまえの腕をもらうつもりでいたが」
「ほざけ」 毒づいて、月之瀬はいくつにも枝分かれした異様な形状の長剣を構えなおした。形状そのものは七枝刀に近い――実際には六枝刀だが。
嵯峨聡一郎――綺堂が差し向けてきた十人の刺客のひとりが持っていたものだ。無力化したところで血を吸ったが、適性が無かったのか蘇生はしなかった――持っていた霊的武装がそこそこ強力で、直接手で握った状態で敵を斬ると相手の生命力を奪い取るという特性を持っており、『蝕』とほぼ同じ使い方が出来る。いったいなにをされたのか、空社陽響と相対してから効果が出たり出なかったりまちまちだが。
次いで瞬きするほどのわずかな間も置かず、両者は地面を蹴っていた。
だが霊的武装と呼ばれる武器はたいてい、もととなった武器の物理的な強度よりも非常に強固に出来ている――内部に充実した魔力が全体を補強して、その結果器物そのものの物理的な強度よりもはるかに頑丈になるのだ。
ここらへんは二、三年前に笠神に聞いたことの受け売りだが――なにをされたのかわからないが、ここしばらく六枝刀の霊的武装としての機能はまるで働いていない。だが物体としての強度よりもはるかに強靭で、刃毀れも起こらず折れも曲がりもしないというだけでも、これまたいったいなにをされたのか『蝕』も
月之瀬が渾身の力を込めて繰り出した横薙ぎの一撃を、吸血鬼が翳した漆黒の曲刀の横腹で受け止めた――おそらく相当強力な霊的武装だろう、こちらの攻撃を受けても小揺るぎもしない。
だが彼が受け止めることは最初から織り込み済みだったが、まったく抵抗しないとは予想していなかった――流れるままにその攻撃に合わせて手首を回転させて剣を倒し込み、吸血鬼が月之瀬の一撃を適当に遣り過ごす。
六枝刀の鋒がわずかに後退した吸血鬼の鼻先をかすめ、彼の視界を水平に割っていく――その対応に表情をゆがめた月之瀬を無視して、金髪の男は再び踏み込みながら、剣を握ったままの右拳で殴りつける様にして月之瀬の胸元を思いきり突き飛ばした。
「ぐ――!」 その拳の破壊力たるや、まるで
なすすべも無く転倒する月之瀬に向かって、金髪の吸血鬼が踏み込みながら追い撃ちを仕掛けてきた。
シィッ――歯の間から息を吐き出しながら、金髪の男が手にした漆黒の曲刀を振るう。
ヴオンという重い風斬り音とともに脛を薙ぎにきた一撃を、月之瀬はあわてて後転して躱した。それまで彼が倒れ込んでいた地面を、漆黒の曲刀の剣先が引っ掻く様な軌道で削り取る。
危なかった――反応がほんの一瞬でも遅れていたら、今の一撃で両脚を完全に切断されていた。
体勢を立て直し、地面を蹴る――吸血鬼がわずかに唇をゆがめ、踏み込みながら左肩に巻き込んだ剣を振るった。
だがその一撃は、目標を失ってむなしく宙を薙いだ――その場に体を沈めて体全体を横倒しにする様にしてその一撃を躱し、残った手で体を支えて金髪の吸血鬼の胸元目掛けて蹴りを繰り出す。
しかしそれが届くより早く、思いきり背中を蹴られて月之瀬の体は派手に吹き飛んだ――体格からは考えられないほどの、すさまじい脚力で地面から蹴り剥がされて宙を舞う。
吸血鬼がさらに動いた――さほど自由の利かないらしい左手でこちらの足首を捕まえ、二、三回転振り回して投げ棄てる。まるで子供が砂の入ったビニール袋をそうする様に、あるいは砲丸投げのオリンピック選手、なんといったか――室伏がそうする様に。
アスレチックの縦木に頭から叩きつけられ、そのときに縦木の基部のコンクリートに後頭部をしたたかに打ちつけて、月之瀬は小さくうめいた――だがこちらが強烈な嘔吐感にうめくいとまも与えること無く、吸血鬼が砂埃を立てて地面を蹴る。
「
直径三十センチほどのアスレチックの縦木とそこに張ってあったネット状のロープが一撃で切断され、引きちぎられたロープの繊維の切れ端がばらばらと宙を舞う――こちらが体勢を立て直すより早く、吸血鬼が逆手に握り直した曲刀をこちらの頭部目掛けて突き立ててきた。
「く――!」 その場で転がってその攻撃は避けたものの――そのままさらに追撃で繰り出してきた蹴りを鳩尾に撃ち込まれて、月之瀬は派手に吹き飛んだ。
なんとか体勢を立て直し、空中で体をひねり込んで着地する――派手に咳き込んでいる月之瀬に視線を投げ、吸血鬼が口を開いた。
「ここは俺の『領地』だ」
『領地』――吸血鬼に限らず、人外の魔物が自分の縄張りを気取ってそう呼ぶことがある。ここはあの吸血鬼の縄張りだと、そう主張しているのだ。
たしかに、この近隣には月之瀬やその配下がやってくるまで低級上級を問わずに魔物や妖魔は一切いなかった。
あの吸血鬼が自分の『領地』に巣喰っていた妖魔や外来の魔物をことごとく排除し、それを恐れてほかの魔物たちは近づかなくなっていたということか。
「自分たちが好き勝手やってる場所に先住者がいたら、排除されるのはわかるだろう。それとも、返り討ちに出来るとでも思ってたのか――この程度の力で?」
だが眼前の金髪の吸血鬼は、考える暇など与えてはくれなかった――絶え間無く絶叫をあげる剣を翳し、吸血鬼がすっと目を細める。
「残念だったな、
隙が無い。
曲刀は手放して、地面に突き刺している。無防備で、ともすれば自殺志願ともいえる行動だが、実際はそうではない――それだけ隙だらけの行動をしていてもなお、自分は月之瀬がその状態で攻撃を仕掛けてきても対応出来る。彼はそう言っているのだ。
満足したのか、吸血鬼は地面に突き刺していたままの黒い曲刀を引き抜いた。
「待たせたな、続きをやるか」 言いながら、軽く剣をひと振りして――次の瞬間には残像とともに吸血鬼が動く。
「
絶叫をあげる漆黒の剣を振り翳し、吸血鬼が地面を蹴る――繰り出されてきた一撃を、月之瀬は六枝刀を翳して受け止めた。
たがいに片腕での鍔迫り合いの姿勢で、しかし月之瀬はおのれの圧倒的な不利を悟って小さくうめいた。
なんて
全力で押し返しているにもかかわらず、吸血鬼の体勢は小揺るぎもしない――むしろ余裕の色すら感じられる。
月之瀬の身体能力は、おそらく生身のときの二、三十倍程度まで増幅されている。だがそれでも――
こちらは全力で押し返しているのに、金髪の吸血鬼の表情には笑みすら浮かんでいる。生身の人間がパワーショベルと腕相撲を試みるほうが、まだしも稀望があるだろう。
小さく毒づいて、月之瀬は後方に跳躍した。剣の噛み合いがはずれて吸血鬼がその場で蹈鞴を踏み――否、まったく体勢を崩さないまま踏み込んで、固めた左拳を撃ち込んでくる。
咄嗟のこととはいえ、なんとかギリギリのところで躱したものの――その拳撃が背後にあった公衆トイレの衝立状の目隠し壁に衝突し、建造物解体用の鉄球が激突した様な轟音とともにコンクリート壁が粉砕される。拳が頬をかすめ、皮膚が裂けて血が噴き出した。
破城鎚か、あの拳は!?
あれで殴られたら、たとえ吸血鬼化した今の自分でもただでは済まない。
手にした曲刀を左肩に巻き込みながら――金髪の吸血鬼がゆっくりと笑う。次の瞬間、彼は公衆トイレのコンクリートの目隠し壁を左手で引っぺがした。圧倒的なパワーに負けて引き剥がされたコンクリートの塊を、金髪の吸血鬼は月之瀬を狙って投げつけてきた。
少なく見積もっても百キロはありそうなコンクリート塊を、月之瀬は六枝刀を握った右腕を振り回して払いのける様にして凌いだ――押しのけられたコンクリート塊が手近にあった花壇に激突し、花壇の煉瓦を砕いて崩落させる。
手にした剣を左肩に巻き込みながらコンクリートで舗装された地面を蹴り、吸血鬼がかすかに嗤うのが見える――握り込まれた漆黒の曲刀の柄が、ぎしりと音を立ててきしむのがわかった。
しまった――距離が開き、剣が離れ、こちらの体勢が崩れたことで、吸血鬼に渾身の力を乗せた攻撃を繰り出させる隙を与えてしまった。
「おい、
金髪の吸血鬼の声が、妙にはっきりと鼓膜を震わせる。
「――少し強くいくぞ」
咄嗟に防御のために翳した六枝刀に、轟音とともに漆黒の曲刀が激突する――信じられない様な斬撃の重さに押されて堪らずに吹き飛ばされ、月之瀬は背中からブランコの支柱に激突した。
後頭部を派手に打ちつけて、視界に火花が飛び散る――揺れる視界の中で、吸血鬼が地面を蹴った。
剣を右肩に巻き込んで繰り出してきた逆袈裟の一撃を、体を横に投げ出して躱す――ちょうど背後にあったブランコの支柱が月之瀬の代わりに竹槍の様に斜めに切断され、一緒に切断された鎖が地面の上に落下して耳障りな音を立てた。
地面の上を転がって距離を離そうとするが、金髪の男の追撃は月之瀬が立ち上がるよりも速かった。
顔面を踏み抜くために踵を撃ち下ろしてきたのを、地面を転がってぎりぎりのところで躱す――ブランコのベースになっていたコンクリートに、地響きとともに踵の形の陥没が生じた。
戦慄を覚えながら、月之瀬はその場で跳ね起きた――攻撃態勢を整えるいとまも無いまま、踏みつけにきた左足を軸に吸血鬼の右足が跳ねる。こちらの左腕が欠けているからだろう、吸血鬼がさらに踏み込んでこちらのこめかみめがけて廻し蹴りを繰り出してきた。
威力を殺すために踏み込みながら、月之瀬は肩でその一撃を受け止めた。肩がはずれるのではないかと思うほどのすさまじい衝撃に顔をゆがめ、そのままさらに踏み込んで、剣の鋒で吸血鬼の下腹をえぐろうと――
するより早く、頭部を力任せに殴り飛ばされる――こちらが接近したのに伴って繰り出された、至近距離からの反撃の一撃だ。
生物の体で殴られたというよりは、数十キロもの質量を持つ途轍もなく硬い金属塊、ハンマーかなにかで殴りつけられた様な衝撃が脳髄を揺らした――横殴りに薙ぎ倒されながら、なんとか踏鞴を踏んで踏みとどまる。視線を転じれば、吸血鬼が踏み込んできた自分に左拳での鈎突きで対応したのだと知れた。
すでに蹴り足を引き戻して体勢を立て直した吸血鬼が、こちらを見下ろして唇をゆがめ――そして左肩に巻き込んでいた漆黒の曲刀を振るう。
「おあっ――」 咆哮とともに手にした六枝刀を振るって――その一撃を受け止める。だが信じられないほどの膂力に力負けして、月之瀬は剣を弾き飛ばされた。
体勢が崩れてがら空きになったこちらの胸元目掛けて、吸血鬼が踏み込みながら左手を伸ばしてくる。打撃の構えではない、掴みかかる様に手を開いている――おそらくこちらの衣装を掴んで引き寄せ、そのまま手にした曲刀で串刺しにするつもりなのだ。後退してそれを躱したものの、次の瞬間には月之瀬は右臑を粉砕されて転倒していた。
「ぐああぁっ――」 激痛に思わず苦鳴を漏らしながら――左足で跳躍して距離を取る。おそらく今のは踏み込みながら繰り出してきた拳を見せ技にし、そしてその腕を死角に使って、踏み込んだ左足の足刀でこちらの臑を蹴り砕いたのだ――踏み込んだ左足は実際には踏み込みではなく、蹴り足だった。
右臑を蹴り砕かれて転倒した月之瀬が次の行動をとるいとまも与えずに、金髪の吸血鬼が手にした漆黒の曲刀を振るう。
続く一撃で、月之瀬が取り落とした六枝刀が半ばから叩き折られる――充填された魔力で補強された霊的武装が一体どれほどの外力を加えられればそうなるのか、六枝刀は鋼の砕片を撒き散らしながら半ばからへし折られた。折れた部分から魔力が噴き出し、金色の粒子が虚空に溶けて消えてゆく。封入された魔力が散逸したのだと、月之瀬には知る由もない。
「ぐ――」 小さくうめいて、月之瀬は上体を起こした。
吸血鬼にとっては、単純骨折など言うほどたいした怪我でもない。だが、それでも完治までにはそれなりのタイムラグが生じる――この吸血鬼であれば、その間にも自分に致命傷を負わせかねないほどの。
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