The Otherside of the Borderline 66
次の瞬間月之瀬の周囲に血霞の様な深紅の霧とも靄ともつかぬものが発生し、それが渦を巻きながら右手の中に収束して深紅の刀身を持つ幅広の長剣を形成する――刃はいびつに反っており、刃渡りは一メートルそこそこ。同時に彼の全身を、長剣同様の血の様に真っ赤な甲冑が鎧ってゆく。
深紅の装甲を持つ全身甲冑で、首から下の形状は
猿渡の情報では深紅の剣の名は『蝕』――甲冑のほうは
『領域』が消滅したことで、使える様になったらしい。
「どういうことだかわからないが――」 まだ呼吸が整っていないのだろう、月之瀬が乱れた口調で言葉を紡ぐ。
「反撃のチャンス到来、なのかね」
「さぁて、な――」
「まあ、短期決戦が必要なことだけは間違い無いな――なにしろその霊体武装、また掻き消されかねないからな」
「それは同感だ」 皮肉げな返事を返す月之瀬の表情は、面当てに隠されて窺うことは出来ない。ややあって呼吸が落ち着いたのか、月之瀬は手にした深紅の剣の柄を握り直した。
「さて、じゃあ続きをやるか」
少なくとも、これで防御は格段に堅くなった――あの紅い剣がどういった機能を持っているのか、今の時点ではわからない。
アルカードにとっても脅威になりうるものなのか、否か――それにもうひとつの問題点が、深紅の甲冑が左腕の欠損を補っているということだった。
失われた左腕のぶんも存在する甲冑の手甲がまるで失った腕のその代用であるかの様に左腕の代わりを果たし、深紅の剣を両手で保持しているのだ。蹴り砕いた右足もある程度治癒したところで脚甲に覆われ、それが補強の役目を果たしているのかすでに歩行に支障は無い様に見えた。
今や、月之瀬は五体満足となった――先ほどまでよりもはるかに手ごわいだろう。
結構――これでようやく、少しは手ごたえが出てきそうだ。
眼を細めたとき、月之瀬が動いた。
金属で出来ているわけではないからだろう、鎧の装甲同士がこすれるときのガチャガチャという金属音は聞こえない――全身を甲冑で鎧っているとは思えない滑らかな動きで内懐に踏み込んできた月之瀬が、左脇に巻き込んでいた深紅の長剣を振るう。
アルカードは一歩後ずさって間合いを取り直し、
撃ち込まれてきた一撃が先ほどまでよりもはるかに重く、正確だ。
アルカードはその一撃で今現在の月之瀬のパワーや速度を大雑把に推し量ると、力任せに
両手持ちになったぶん、精度面は片手の俺よりも有利、かな――
胸中でつぶやいて唇をゆがめ、アルカードは反撃に転じた――繰り出した角度の深い袈裟掛けの一撃を、月之瀬が左腕の装甲と一体化した円楯で受け止める。同時に右手で繰り出してきた深紅の長剣の刺突を、アルカードは左手で払いのけた。
続いて下顎を蹴り上げる様にして繰り出した前蹴りを、月之瀬が上体を仰け反らせながら弾かれた様に後退して躱す。それを追って地面を蹴り、
ぎゃりぃんっ――二振りの霊体武装が音を立てて衝突し、飛び散った火花が瞬間的に周囲を昼間の様に明るく照らし出した。
ふっ――鋭く呼気を吐き出しながら、いったん間合いを取り直した月之瀬が再び前に出る。
しっ――歯の間から息を吐き出しながら、アルカードは迎撃のために剣を振るった。
二度、三度と両者の物撃ちが衝突し、そのたびに紅紫の火花が飛び散って周囲を明るく照らし出す――五、六、七、八、九、十。
大きく踏み込みながらの横薙ぎの一撃を躱して、月之瀬が内懐へと飛び込んでくる――鋒で地面を引っ掻く様な軌道で膝を刈る一撃を、アルカードは後退して躱した。残った左足のジーンズの裾を、深紅の長剣の鋒が浅く引き裂く。舌打ちのひとつも漏らしたい気分だが、もうどうでもいい――どうせベガのけしかけた超合金のせいで穴が開いているのだ。今さら気にしても仕方が無い。
バックステップして再び踏み込み、月之瀬の顔を狙って三連続の刺突――いずれも向かって右方向にサイドステップして躱されたが、気に留めずに手首を返して最後の一段を横薙ぎの斬撃に切り替える。体を沈めて踏み込みながら刃の軌道をくぐり抜ける様にして攻撃を躱し、月之瀬は内懐に踏み込んできた。
なにせ先ほどまでとは条件が違う――月之瀬の魔力戦技能ははっきりしないが、霊体武装を持っていることを考えればある程度の技量はあるものとみていいだろう。月之瀬将也は、魔力の操作に長けている。
こちらは剝き身で、向こうは全身を甲冑で鎧っている。
正面から組み打つのは、分が悪い――
そう判断して、アルカードは後方へ跳躍して距離を取ろうと――するより早く、月之瀬はそのまま内懐に飛び込んでタックルを仕掛けてきた。ちょうど膝が伸び、重心が上がったところを押される形になって、アルカードの体は為すすべも無く後方へと大きく傾き――蹴り足とは逆の足をバックステップしてそこで地面を蹴ってさらに後方へと跳躍し、体勢を立て直す。
だが、月之瀬のほうが早い――右肩に担ぐ様に振りかぶって撃ち込んできたやや角度のついた真直の一撃を、横腹を撃ち据える様にして弾き飛ばす。そのまま左腕の外側に踏み出して、月之瀬の腕の下をくぐらせる様にして胴を薙ぎに――
いくより早く、月之瀬は左腕の装甲と一体化した円楯を斬撃の軌道に捩じ込んだ――片腕とはいえアルカードの加減の無い斬撃にも耐える強度を誇る円楯が、
その隙に手首を返した月之瀬が左腕の円楯を押し込む様にして
同時に月之瀬の左肘を左手で押さえて、腕の回転を止めている――上体の廻転は右から左、軸足をステップして体全体の開きを替えながらであれば、月之瀬は背後を薙ぎ払うことも出来ただろう。だが上膊か下膊を抑え込んで肩か肘の回転を止めてしまえば、それで左手に渡した剣での斬撃は封じられる。
左手でその攻撃を止めると同時に左腕を捕まえ、アルカードは背中側から月之瀬の腰元を狙って
だが月之瀬は左回りに転身して、刺突の軸線上から体をはずしてその攻撃から逃れている。月之瀬が逃れた先は、彼の左腕の外側――左手を満足に使えない今のアルカードでは、柄を右手から受け取って横薙ぎの一撃に切り替えることも出来ない。
月之瀬は転身動作から続けてアルカードの左後方に廻り込むと、左腕の手甲と一体化した円楯を水平に振り回す様にして後頭部へと叩きつけてきた。
楯の中央部で殴りつけるのではなく、鋭利なエッジの形成された縁の部分で殴りつけるのだ――吸血鬼の膂力で撃ち込まれたそれは、コンクリート塊をも一撃で粉砕するだろう。
が――
かなり軌道の高いその打擲をその場に膝を突く様に体を沈めて躱し、アルカードはその場で転身して背後を薙ぎ払った――月之瀬も楯の打擲が躱された時点でその反撃は読んでいるのだろう、それ以上の追撃をかけることはあきらめて後退を選択した様だった。
後方へ跳躍した月之瀬を追って、地を駆ける――その殺到が予想以上に速かったからだろうか、月之瀬の気配に動揺が混じった。
轟、といううなる様な風斬り音とともに繰り出された袈裟掛けの斬撃を、月之瀬がぎりぎりのところで躱す――そのままその場で一回転して、今度は肩越しに振りかぶった真直の一撃。
月之瀬が逆手に握り直した長剣の鋒を下に向けて楯の様に翳し、刃を横腹でその一撃を受け止める――月之瀬はそのまま剣の鋒に左手を添えて鋒を下から勢いよく突き上げ、その動作で
続いて刃の尖端を振り回す様にして手首を返し、近接距離からコンパクトな軌道で袈裟掛けの斬撃を繰り出してくる。
跳ね上げられた
アルカードは続けて
アルカードの
小さな舌打ちを漏らして、月之瀬が深紅の剣の鋒をコンクリートから引き抜いた。
「おぉあぁっ!」
咆哮をあげて、月之瀬が前に出る――月之瀬は地面を鋒でこする様にして上体を捩り込みながら、斬り上げの一撃を繰り出した。
右腋から左肩に抜ける軌道で繰り出された斬り上げの斬撃を、アルカードは後方へと飛び退って躱した。今からやろうとしていることを実行するには、先ほどの間合いでは近すぎる。
同時に
撃ち落としだ――先ほどの様に地面に叩き落とすわけではないが、わざと後手に廻って相手の得物を撃ち据え、振り抜かれる得物を加速させることで制御出来なくする。やっていることは同じだ。剣はもちろんのこと足払いや廻し蹴りの蹴り足に対しても使える、非常に有用な技術ではある。
月之瀬の長剣は次の動作に移るために減速されていたところを再び加速され、
「おぁぁぁッ!」
だが――腕力だけで振り上げる様な動きだったので加速が不十分だったのか、月之瀬が咆哮とともに一歩踏み込みながら頭上で旋廻させた深紅の長剣を振り下ろす。
だが、アルカードも別にそれで終わったと思っていたわけではない――撃ち落としの振り上げ動作のあと、
アルカードは月之瀬の動きに合わせて逆袈裟の軌道で
ズガンと音を立てて二振りの霊体武装が衝突し、赤みがかった紫色の火花が周囲に散る。
だが正面から撃ち合えば、膂力で数段劣る月之瀬に勝ち目は無い――鐔競り合う間も無く真紅の剣を弾き飛ばされて、月之瀬の気配に動揺が混じる。
アルカードは右手首を返し、力任せに振り抜いた
この一撃で、首を――落とすことは出来なかった。
となると――
小さく舌打ちして、アルカードは上体を仰け反らせながら後方へと飛び退った。いつの間に拾い上げたものか、先ほど叩き折った笠神の太刀を左手で保持した月之瀬の気配がゆっくりと笑いの形に歪む。
「――かぁっ!」 声をあげて――月之瀬が二振りの剣を撃ち込んでくる。先ほどの超合金二体の波状攻撃よりも、はるかに速い――アルカードの左手が満足に動かないのを察して、甘い防御を突き抜いて一気に押し切る腹か。
頭上から振り下ろされた深紅の剣の物撃ちを、
破損個所から魔力が抜けたために、笠神の太刀はすでに霊的武装としての機能を完全に失っている――だが、今は代わりに月之瀬の魔力が流し込まれている。強度面はこの際置いておくとしても、殺傷力は十分だ。
が――
突き込まれてきた笠神の太刀の刃を左手で掴み止め、アルカードは唇をゆがめて笑った。片腕同士の膂力ならば、天と地ほどの差があるのだ。両手持ちだからこそ利があった戦い方をあえて棄てて二刀流に切り替えること自体は、別に悪くはない。一気呵成に押し切ることさえ出来れば、だが――
押し切れなければ、どうなるか――笠神の太刀の刃が、パキンと音を立てて割れる。鎺のすぐ上で刀身を握り潰され、月之瀬の気配が驚愕に引き攣った。
「っ!」 月之瀬が小さくうめいて、いったん間合いを離そうと――
するよりも早く深紅の剣が叩き落とされ、その物撃ちに沿って
それに合わせて後退しながら――
「おおおぁぁァっ!」
「
咆哮とともに――両者の繰り出した斬撃が激突する。衝突のたびに赤紫の火花が散り、時折巻き添えを喰った鉄棒や街燈のポール、シーソーの長い板が切断された。
思ったよりも遣るものだ――先ほどまでよりも、月之瀬の反応が良くなっている。おそらくこちらの動きに、ある程度目がついていく様になったからだろう。
シンの気配はじりじりと移動しつつある――おそらくこちらが離れた隙を狙って、あの少女と血塗れの男を掻っ攫うためだろう。
それはそれで結構、こちらとしては倒れている男――たぶんあれも犬だろう――には興味が無いし、少女のほうがここからいなくなって万が一にでも月之瀬が彼女の血を吸う可能性が無くなるのならば御の字だ。
ならばこちらが少女と月之瀬の間に入って、彼が少女に襲いかかったり、シンの妨害をしない様にしてやるのが上策か。
胸中でつぶやいて、アルカードは再び間合いを離した月之瀬の隙を窺った――月之瀬はどういうつもりか、常にこちらと少女の間に入る様に位置を取っている。いざとなれば人質に取る腹か――それを実行したなら、少女をこちらに誇示している間に背後からシンにやられて終わりだろうが。
背筋が寒くなる様な異質な魔力を感じて立ちすくんだのは、その瞬間だった。
首筋を焼く熱気にも似たすさまじい神性と、汚泥にも似たおぞましい堕性。それらが混じり合い混然一体となった異常な気配が、さほど遠くない場所で膨れ上がっている。
なんだ、これは――敵か?
彼らが『遊撃騎士』と呼んでいるコールサインではない――スレットパネルを確認しても、そちらの方向には遊撃騎士を示す黄色の光点は無い。一般騎士と呼ばれているらしい雑魚妖怪たちを示す光点はいくつかあるが、これほどの魔力を持っているとは思えない。
ベガのものでもない――結界にじかに触れたからわかるが、ベガの魔力はここまで粗削りでもないし性質も異なる。
あとは――
スレットパネルを広域表示に切り替えていくと、ちょうど方角の合致する場所にシリウスを示す光点が存在するのがわかった。つまりこれは――
目の前にいる月之瀬も、一瞬遅れてこちらから注意をはずした様だった――まあ当然といえば当然だろう、これを感じ取って平然としているのはまず無理だ。
膨れ上がった魔力が一気に収束し、上位の神霊でさえ消滅を免れ得ないほどに動揺していた魔力が収斂して、凪いだ湖面のごとくに安定したものに変わっていく。
月之瀬の視線が、完全にこちらからはずれる――完全にこちらから注意をはずして魔力の源の方角に視線を向けた月之瀬に向かって、アルカードは地面を蹴った。この異様な魔力の主が誰であれ、自分の行動は変わらない――いずれにせよ、あと数秒で月之瀬の人生は終わる。
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