The Otherside of the Borderline 62
†
「嘗められたもんだな」 わずかに目を細めて――アルカードはかすかに笑った。アルカードが一歩踏み出したのに合わせて、レイと名乗った犬妖がわずかに重心を沈める。
「その
声をあげて――アルカードは路面を蹴った。こちらの動きに反応して、距離を取るためにレイが後退する。
こちらの挙動を確認したにもかかわらず前進して迎え撃たない時点で、レイの技能は接近戦に向かないものであることははっきりした――もし白兵戦が得手ならば、初撃を迎撃もせずに後退したりはしないだろう。
レイが顔を顰めて、小さな舌打ちを漏らすのが聞こえた――懐から引き出した投擲用の小さなナイフを投げつけてくる。魔力は通っていない――それは一目見ればわかる。問題にもならない。
どういった効果を狙っていたのかは知らないし、どうでもいい――いずれにせよ、アルカードは正確に眉間を狙った一撃を、頭を傾けて遣り過ごした。
魔力の通っていないナイフはこめかみをかすめて皮膚を引き裂いたものの――魔力はまったく通っていない。傷は瞬時に塞がって、痛痒も失せて消えた。
そのまま踏み込んで、左脇に巻き込んでいた
だが――
そのままさらに踏み込んで繰り出した横蹴りに、いまだ宙にあるレイは反応すら出来なかった――先ほどの超合金やシンとの戦闘を見ていたのなら、アルカードがどの程度の速さなのかくらいわかるだろうに。
そんなことを考えながら――繰り出した横蹴りがレイの胸元に突き刺さる。両腕を交叉させてどうにかブロックした様だったが――蹴り足に押し出される様にして、レイの体は派手に吹き飛んだ。もっとも、地面に踏ん張って受け止めるよりはいくらかましだっただろう――それなりの加減はしていたが、それでも地面に踏ん張って受け止めれていれば腕の一本や二本は砕けるくらいの威力は乗せていたのだ。
レイが地面に倒れ込むより早く、路面を蹴る――ロックオンの能力は知っているが、
だが吹き飛んでいくレイに接近して追撃を仕掛けるよりも早く、アルカードはその場で足を止めた――そしてそれとほぼ同時に、視界を小さな金属の塊が引き裂く。
轟音とともにアスファルトに弾痕を穿ったのは、撃ち込まれた
視界の正面、数百メートルほど離れたビルの屋上でなにかが光る――次の瞬間、ソニックブームの破裂音とともに無数の銃弾が襲いかかってきた。
四発に一発の割合で
それほど視力に優れた者が射手を務めているわけではないのだろう、照準はそれほど正確ではない――どうやらカルロス・ハスコックを真似るつもりは無い様だ。
銃口炎が見えてから着弾、銃声が聞こえるまでのタイムラグから計算すると、射撃地点から現場までの距離は五百七十メートル前後――直接接近する以外の手段で反撃するのは難しい。
レイが射線を避けるために低い姿勢を維持したまま、こちらの視界から逃れていくのが見える――それを見送って舌打ちし、アルカードは手近な民家の陰に飛び込んだ。
動きは止めない――ブラウニングM2に使用される
あの位置関係――さっきからこちらを監視していた三人組だろう。ついでに言えば、香坂を殺したときにこちらを見張っていたチームでもある――コールサインは『領域』展開前の盗聴から判断する限り、ヘキサ・ワン。
戦闘参加、というわけか――建物の裏側に廻り込んで塀を乗り越え、数軒ぶん移動した三階建ての民家の物陰に隠れて、アルカードはゆっくりと笑った。
さて、どうするかな――ガキどもをバラしに行くにしても、まずはこっちをどうにかしないとな。
胸中でつぶやいたとき、
「――吸血鬼ィッ!」
彼が隠れている民家の道路を挟んで向かい、二階建ての大きな家の瓦葺きの屋根の上からこちらを見下ろして、レイが声をあげる――彼は内懐から刃と柄が一体になった全金属製の投擲用のナイフを数本、刃を指の隙間に挟む様にして右手で引き抜くと、いったん振りかぶってそのまま投げ放った。
馬鹿が――口の端に嘲弄をにじませて、アルカードはそちらに向き直った。
銃口初速秒速千五百メートルを超える対戦車用機関銃の銃弾を叩き落とせる反射能力を持つ自分に、そんなものが――
一瞬、レイが投げ放ったナイフの輪郭がぶれて見え、アルカードは眉をひそめた。否――ぶれて見えたのではない。
一瞬輪郭がぶれて見えた直後には、こちらに飛来するナイフの数は数十、否百数十本にまで増えていた。
な……!?
小さく毒づいて、アルカードはその場から跳躍した――あのイワシの群れみたいなナイフの雨が単にナイフの数を多く見せる幻術の類なのか、それとも実際にナイフが増えているのかは知らないが、いずれにせよ正体を見極めるまでは軽々しい対応は避けるべきだ。
それまで彼が立っていた空間を貫通して、数十本のナイフが地面に突き刺さる――突き刺さってすぐにナイフのほとんどは幻覚だったかの様に消えて失せ、あとにはレイが投げ放ったオリジナルと思しい三本のナイフだけが残っていた。
だが、いずれも質量を伴った実体であったことは疑い無い――ナイフの突き刺さったあとには、しっかりと跡が残っている。レイが立っているのと同じ家の屋根の上に着地して、アルカードはレイに視線を投げた。
「なるほど。『
苦笑気味のその言葉を無視して、レイが懐に手を入れて数本のナイフを引き出す。だが、アルカードはさして気にしていなかった。投げると同時に数が増えるなら、投げさせなければすむことだ。
「ロックオンの異能と組み合わせれば、それなりに手強いんだろうな。だが――それがどうした、小僧?」
笑みとともにそう告げて――アルカードは屋上の床を蹴った。銃声とともに――強い曲線を描きながら、ロックオンの撃った銃弾が飛来する。
ヘキサ・ワンの射撃はやんでいた――対戦車機銃では仲間を巻き込むリスクが大きすぎると判断したか。
ロックオンの異能は、発射した弾頭が目標を貫通した後も運動エネルギーを維持し、さらには弾道を変化させて標的を追尾するというものだ。
面倒な相手ではあっても、対処法さえ誤らなければどうだというほどの相手でもない――どんなものでもそうだが、当たらなければどうだというほどのものでもないのだ。
アルカードは空中で体をひねり込んでその射撃を回避した。危ういところで左脇をかすめていった銃弾が、再び軌道を変えてこちらに向かってくる。
正確に胸元を狙って飛来した銃弾を、アルカードは左拳のバックハンドで弾き飛ばした――こちらに向かってナイフを投擲しようとしていたレイが、自分のほうに飛んできた銃弾を危ういところで回避する。否、ぎりぎりのところで銃弾が避けたといったほうが正しいか。
こちらの動きから自分を狙っていたことには気づいていただろうが、それでも反射能力は評価していいだろう――だがそれでいい、要はこちらからレイの目線が切れればいいのだ。
弾頭がそれまでレイのいた空間を貫通し、背後のソーラー温水器のタンクに轟音とともに穴を穿つ――着弾とともに内部の水が振動し、一瞬ではあったが貯水タンクが揺れた。
これで止まったかどうかは知らない――いずれにせよどうでもいい。
二発以上の弾頭が同時に飛んでこないということは、二発同時に制御出来ないということだ――そう判断して間違い無いだろう。そもそも複数の弾頭を同時に軌道制御出来るのなら、アサルトライフルのほうが役に立つ。
あるいは隠し玉として取っておくつもりで、実は三発くらい一度に制御出来るのかもしれないが――実際にその隠し玉が役に立つことは無いだろう。相手のほうが戦闘能力で上回っているこの状況で、ロックオンが自分の攻撃手段を出し惜しみする意味はなにひとつ無いのだから――手持ちの
彼らにとって最上の手段はそれで、ちまちま戦力を出し惜しみすることではない。ロックオンがどう考えているのか知らないが、彼が取った手段は敗着の悪手だった。
瓦の上で足を滑らせて体勢を崩したレイに向かって、殺到する――もうこれでヘキサ・ワンは介入出来ない。レイとの距離が近すぎる――連中とこちらとの間にちょっと横風が吹いているだけで、飛来した銃弾は狙いをはずして仲間の胴体に風穴を開けることになる。
「くっ――!」 焦りを声ににじませて――距離を取りながら、レイがナイフを投げ放つ。本来はこちらがロックオンの銃撃でやられるか、躱すのに手一杯になっているところにナイフを投擲するつもりだったのだろう。
ロックオンが撹乱したところにナイフを投げるか、あるいは逆か。どちらにせよ、彼らの異能を考慮すると基本戦術は必然的にそれになる。
だが――
どのみち意味は無い――レイのナイフ、ロックオンの銃弾、ヘキサ・チームの
シンがそうであったのと同じだ――シンの持っていたあの太刀が、相当な業物であるのは間違い無い。そのときは笠神の太刀と黒禍と紅華しか持っていなかったアルカードもそうだが、対象の体に魔力を流し込めない以上、足止めの手段はひたすら戦い続けるしかない。シンがあのまま戦闘を中断せずに戦闘を継続したとしたら、『領域』が維持され続けている間は絶対に戦闘は終わらなかっただろう。
当然武器に魔力を通せないロックオンやスコール、ヘキサ・ワンも、アルカードを足止めし続けるには攻撃し続けるしかないわけだが――
無数に数を増して押し寄せるナイフの群れに向けて、アルカードは
鋒から解き放たれた魔力が周囲の空気を取り込んで衝撃波に作り変え、巨大な轟咆をひしりあげる。
先ほど投擲されたナイフは、すべて地面に突き刺さった痕跡を残していた――つまり、一時的なものにせよ実体はあるのだ。物理的に存在しているのなら、物理的に影響を与えることの出来る攻撃手段で弾き飛ばせる――すべて同じ方向から飛んでくるのであれば、問題にもならない。
魔力によって構築された衝撃波がナイフを片端から弾き飛ばして、その向こうにいたレイが回避するより早く彼の体を吹き飛ばした。
今回も『領域』は発生しているが――最大出力で解き放った衝撃波は通常の状態に比べるとかなり減衰しているものの、いきなり消滅はしなかった。どうせ死んでもかまわない相手なので、放出系の魔力がどの程度減衰するのかを確認するのに利用したのだが――まあ、死なない程度のダメージで済んだらしい。
とはいえ――屋根の上に設置されたソーラーパネルに引っかかる様にして屋根のへりから転げ落ちていったレイを見送って、アルカードは鼻を鳴らした。
死んだかな――まあ、どうでもいいか。
ふう――霊体に生じた魔力の動揺を抑えるために小さく息をつき、続いて背後から襲いかかってきたロックオンの銃弾を振り向き様に叩き斬る。
湾曲した断面を見せてふたつに分断された銃弾が、力を失って失速した。一方はどこかに飛んでいったが、残る一方は路上の電信柱に衝突し、そのままコンクリートに喰い込んで停止する。
それを目にして、リボルバー拳銃を片手で据銃したままのロックオンが表情を引き攣らせる――さて、あれはなんという銃だったか。片手で撃てるところをみると、さほど大口径の銃ではないが――
リボルバーに利点が無いわけではないが、アルカード個人としてはオートマティックのほうが好みに合う――そのため、アルカードはリボルバーに関しては基本的な知識以上のものは持ち合わせていない。
当然、銃の機種の細かい区別もつかない――構造上の利点と弱点、対処法。それだけわかっていれば十分だ。アルカードは
ガキンと音を立ててロックオンの手にしたリボルバー拳銃の銃身が大きくぶれ、ロックオンが拳銃を取り落とす。屋根の勾配を滑って庭へと落ちていったリボルバー拳銃が、庭の土の上でどさりと音を立てるのが聞こえてきた。
「拾いに行ってもいいぜ。残念ながらもう使えねえがな」 そう声をかけてやると、ロックオンが表情を引き攣らせて後ずさった――別に拾いに行ってもいいが、シリンダーが変形してもう使えないはずだ。リボルバーは撃鉄を起こす動きに合わせてシリンダーが回転し薬室に弾丸が装填されるため、撃発直後の状態でシリンダーが回転しなくなれば一発発射することさえ出来なくなる。
アルカードは自動拳銃をホルスターに戻し、屋根瓦に突き刺さっていたレイのナイフを拾い上げた。
ロックオンに視線を向けて、そちらに向き直り、拾い上げたナイフを振りかぶって、狙いを定める。四つの動作を一挙動で終え、アルカードは手にしたナイフをロックオンに向かって投げ放った。
投げつけられたナイフが太腿に深々と突き刺さり、ロックオンがその場で膝を折る。これが
「――うぉぉぉっ!」 激痛に苦悶の声をあげながらその場にうずくまったロックオンが、膝をついた拍子にバランスを崩して屋根の勾配を転げ落ちていく。
ややあってどすんっ!という音が聞こえてきて、アルカードは首をすくめた。
「あ。これは痛い」
のんびりとかぶりを振って、爪先で踏みつけて押さえつけていた
ロックオンは生身の人間だが、レイのほうはシンと同じ犬の妖怪だ。たぶん人間よりも多少タフだろう。
「さて、どうしたものかな。あんまり抵抗するならこのままばらしても――」
つぶやきながらへりに近づくと、その向こう側は段差はあるものの、やはり屋根であると知れた――転げ落ちたレイはソーラーパネルに引っ掛かって転落を免れ、上体を起こしてこちらを睨みつけている。
「あまり長持ちしなかったな、スコール」
その言葉に、レイが口元を口惜しげにゆがめる。
「手早く終わらせてやると言っただろう? 残念だが相手が悪かった――おまえらが疲弊していたのも残念だな。普段ならもう少しいい反応が出来たんじゃないのか?」
「そうでもないさ」
荒い息をつきながら答えてくるレイに、アルカードは眉をひそめた。聞き取りにくいので、若干聴覚を調整する。視力がよすぎて遠視気味の目も、人間の聴覚では到底不可能なほどの高音を聞き取る能力と感度を誇る聴覚も、通常の日常生活では邪魔にしかならない――生身の人間の二倍程度に抑えていた聴力と可聴範囲を拡大すると、それまでは聞こえなかったヘキサ・ワンの狙撃チームの小声の会話や衣擦れの音、目の前のレイの心音や地上に転げ落ちてどこか骨折したらしいロックオンのうめき声まで聴き取れる様になった。
「どのみち、手持ちの武装は月之瀬と遣り合ってるときにほとんど使い切ってたもんでね。最初からこうして脱出するつもりだったんだ」
きん、という金属の弾ける音。それがなんなのかを理解して、アルカードは焦燥とともに小さくうめいた。
しまった!
レイが背後に隠していた右手を出して、スプレー缶に似た形状の物体を放り出す。
まずい、聴力と視力を平常時よりも強化した今の状態でこんなものを喰らえば――すでに安全レバーのはずれた
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