The Otherside of the Borderline 32

「来いッ!」

 手下を呼ばわる香坂の声の残響が消えるよりも早く、十人以上の噛まれ者ダンパイアたちが重傷を負った仲間たちを取り囲む様にして姿を見せる。

 その事実に背筋が寒くなるのを感じて、ネメアは小さなうめきを漏らした。新たに姿を現した噛まれ者ダンパイアの数は十六人――数が多すぎる。

 もはや状況は絶望的だった――シンたち遊撃騎士は間に合わず、環は全体の統制に追われているため支援は出来ない。香坂ひとりでも、すでにチームが壊滅状態に追い込まれているというのに――

「さっきまでな、暇潰しに喰ろうておった連中よ――さあ、おのれら、この小童の前でその娘を犯せ」

 言いながら立ち上がろうとするアヤノの胸を踏みつけて体を固定し、香坂が両肩と両手首、太腿と足首に黒禍を突き立てる――黒禍の鋒には、傷口の周囲の組織を完全に死滅させる能力がある。今の刺突で両手足の靭帯と神経を殺したのだと気づいたときには、すでに噛まれ者ダンパイアたちがアヤノの周りに群がっていた。

 噛まれ者は主の肉声に縛られるから、彼らに拒否権は無い――もっとも、拒否する気など無い様だったが。アヤノは人間の基準でいけばかなりの美女に属するうえに、スタイルも申し分無い。力に酔っている連中が獣欲を発散するには、この上もない獲物だろう。

 身動きもままならぬまま、アヤノが声にならない悲鳴をあげるのが聞こえた――おそらくこれから自分が迎える屈辱に気づいたのだろう。

「さあ、娘。お仲間を愉しませてやるがええ」

 噛まれ者ダンパイアのひとりが彼女のアサルトスーツのファスナーを引き下ろす――薄いピンク色の下着が露わになり、それを噛まれ者たちが毟り取りにかかった。

「やめろ……!」

 うめく様なネメアの声を、香坂は意に介さない。

「ならば止めてみせろ、小童」

 彼女自身の装備していた大型ナイフでアサルトスーツと下穿きを引き裂かれ、抵抗も出来ないまま嫌悪の声をあげるアヤノの肢体を男たちが寄ってたかって撫で回し始めた。

 いい身体してるじゃねえか、と下卑た歓声をあげる男たちのひとりが、それまで顔を埋めていた首元から悲鳴をあげて上体を離した――耳から血が流れている、おそらくアヤノが抵抗して噛みついたのだろう。

「てめぇッ!」

 怒声をあげて、激昂した噛まれ者ダンパイアがアヤノの顔面を拳で殴りつけた。ごつ、という鈍い音とともに彼女の頭が地面に叩きつけられる。殴られた拍子に顔がこちらを向き、鼻血が流れているのが見えた。噛まれ者はそのままアヤノの頬を掴んで地面に押しつけながら、

「優しくしてやりゃあつけ上がりやがって――図に乗ってんじゃねえぞ、この雌豚が! おいおめえら、この女の手足押さえとけ!」

 噛まれ者ダンパイアの一団の中ではその男がリーダー格なのだろう、その命令に従ってほかの噛まれ者たちがアヤノの手足を押さえつける。

 完全に手足を押さえつけた状態で、噛まれ者ダンパイアのリーダーがベルトのバックルをはずしながらアヤノの体に覆いかぶさっていった――恐怖に引き攣った彼女の表情がこちらに見える様に体の角度を変えさせたのは、きっとわざとなのだろう。

 もとより手足の神経を破壊され抵抗など望むべくもないアヤノの手足を押さえつけたのは彼女の絶望をより深めるため、口をふさいでいないのはネメアにその声を聞かせるためだ。

 なんとかしなければならない、だが黒鎗に貫かれた脚は神経が死滅していて思う様に動かない。左腕は老人の黒い短鎗に貫かれて神経が死滅して感覚も残らず、右腕も先ほど踏み折られて骨折している。

 内臓がいくつか破裂し肺に血が入り込んで、もはや呼吸もままならない。

 心を蝕み始めた絶望に唇を噛んだとき、脳裏に氷のごとき冷たい声が響いたのはその瞬間だった。

「そんなに乙女が好きなら、呉れて差し上げますわ」

 突然頭の中に響き渡ったその声に――、まるで周囲の気温が数度は下がった様に感じて、ネメアは鳥肌が立つのを感じていた。明らかな殺意を帯びた声――自分に向けられていないにもかかわらず、それでもなお背筋を戦慄に凍らせる。幾度か話したことのあるベガ――空社環の普段の態度からは考えられない様な、劫火のごとき殺意と凍土のごとき冷徹さ。

 彼がそれまでいだいていた無力感、絶望感、ありとあらゆる感情を、その声が秘めた悪意と害意と殺意が塗り潰していく。自分に向けられた殺意ではないとわかっていてもなお、その声は彼を心胆寒からしめてなお余りあるものがあった。

 そしてなんの前触れもなく、地上三メートルほどのところに、鋼色の輝きを持つ細い杭の様な物体が無数に出現していた。

 そう、杭だ――数十、あるいは百も超えようか。太さは最大のところでもせいぜい二センチ程度、長さは五十センチ程度か。

 その表面には茨の棘を思わせる無数の逆棘がついていて、さながら拷問用具を連想させる。月明かりを照り返して蒼褪めた輝きを放つ杭はただひとつの例外も無く、ドリルの様に高速で回転しながら噛まれ者ダンパイアたちにその尖端を向けている。

鋼鉄の処女アイアン・メイデン、心ゆくまでゆっくりとご堪能召しませ」 その言葉とともに――高速回転する銀色の杭がまるで撃ち出されたかの様に次々と飛び出し、今まさにアヤノを貫かんとしていた噛まれ者ダンパイアと彼女の細身の体を押さえつけていた噛まれ者ダンパイア四人の体に突き刺さった。

 噛まれ者ダンパイア一体につき二、三十ほど――いずれも頭部と胸部を避けているのは肺と心臓、脳を避けることで苦痛を長引かせるためか。

 腹から下を中心に数十もの杭が突き刺さった様は、どこか針鼠を連想させる。一瞬ののちには針山のごとく突き立てられた杭に覆い尽くされて、噛まれ者ダンパイアの下半身と腕はまったく見えなくなっていた。

 杭は噛まれ者ダンパイアどもの体に突き刺さってもなお高速回転を止めないまま、しかし先ほど宙から撃ち出された速度に比してあまりにもゆっくりと、噛まれ者ダンパイアたちの体内に喰い込んでいく。

 杭の表面に設けられた無数の逆棘が噛まれ者ダンパイアの肉を、骨を、神経を、じわじわと時間をかけて削り取る――いかなる理由によるものか傷口からは一滴の血も出ていなかったが、口から真っ赤な泡を噴き、水音の混じった凄絶な絶叫をあげながら喉を掻き毟る噛まれ者ダンパイアの悲痛極まりない表情が、筆舌に尽くし難い激痛を雄弁に物語っていた。

「な――」 事態の変化についていけていないのだろう、香坂が声をあげるのが聞こえてきた――無理もない、ネメアだって事前に環の通信を聞いていなければなにが起こったのか理解出来なかっただろう。

 噛まれ者ダンパイアたちが今まさにアヤノを穢さんとしてから事態が終結するまで、一秒と経過していなかったに違い無い。

 環の直接の攻撃目標がアヤノを押さえ込んでいた連中だけだったからだろう、難を逃れた残りの噛まれ者ダンパイアたちが声をあげようと息を吸い込むより早く。

 耳を聾する轟音とともに、アヤノを組み敷いていた噛まれ者ダンパイアの頭部が粉々に砕け散った。そのままその体が灰とも塵ともつかぬものになって崩れ散り、消滅していく。

 銃声――だが、こんな銃声には聞き覚えがない。少なくとも、今この場にいる騎士たちの誰かが装備している銃の銃声ではなかった。

「……なにッ!?」

 香坂のあげた声とともに――噛まれ者ダンパイアたちのど真ん中、アヤノのかたわらに黒いなにかが舞い降りる。

 それはまるで黒い竜巻の様だった――まさしく竜巻のごとく荒れ狂った黒い影が振るった白銀の閃光は、アヤノに群がり彼女の手足を押さえつけていた噛まれ者ダンパイアたちを一撃のもとにばらばらにした。残りの噛まれ者ダンパイアたちが難を逃れたのは、ただ単に彼女を組み敷くのに参加していなかったために、その攻撃範囲の外側にいたからにすぎない。

 おそらくその攻撃自体にも、なんらかの対霊体攻撃力が附加されているのだろう――それも並大抵の破壊力ではない。全集を薙ぎ払う斬撃の軌道に巻き込まれた噛まれ者ダンパイアたちは、その体に突き立てられた無数の杭もろとも一瞬のうちにバラバラに切り刻まれて――まるで打ち寄せる波に崩れる砂の城の様に、噛まれ者ダンパイアたちの体が灰となって崩れ落ち消滅していく。

 一瞬ののちアヤノのかたわらに立っていたのは、黒いジャケットを纏った金髪の青年だった――右手に偏執狂的なまでに巨大なリボルバー拳銃を持っている。全長が百四十センチを超えそうなその銃は、さらに銃口から数十センチは突出した銃剣が取りつけられており、おそらくはそれこそが噛まれ者ダンパイア数体をなます斬りにした得物の正体であろう。

 無論知っている顔だった――アズから受け取った視覚情報で見覚えがある。燎原の様な殺意と氷原の様な冷酷さが同居した、血の様に紅い瞳。獣の尾を思わせる暗い色合いの金色の髪。野性味のある整った面差し。

 『正体不明アンノウン』――この男が『正体不明アンノウン』か。

 キロネックスが掃討する予定だった喰屍鬼グールの一団を単独で虐殺し、あの明らかに人間には扱えないリボルバー拳銃を軽々と扱う、文字通り『正体不明アンノウン』の人間外。

 彼は攻撃を終えた直後の姿勢のまま、口元にかすかな笑みを浮かべた。

「なんだてめえッ!」 噛まれ者ダンパイアたちが誰何の声をあげる――『正体不明アンノウン』がその言葉にスッと目を細めるのが見えた。それを侮辱されていると取ったのか、噛まれ者ダンパイアの一体が怒声をあげる。

「答えねえかッ!」

「虫ケラに名乗ったところで時間の無駄だ」 侮蔑もあらわなその返答だけを口にしてからリボルバー拳銃を据銃すると、彼は無言のままトリガーを絞った――銃口とシリンダーギャップから、信じられないほど巨大な炎が噴き出す。

 これが拳銃の銃声かと思わせる様なすさまじい残響音とともに発生した反動を、しかし彼は苦もなく抑え込んだ。

 それと同時に、手近にいたピンク色の髪をした噛まれ者ダンパイアの体が弾かれた様に吹き飛んだ――およそ実用拳銃に使用するとは到底思えない、象でも殺せそうなライフル用の大口径弾に胸郭を撃ち砕かれて、一瞬だけ噛まれ者ダンパイアの胴体が膨れ上がる――着弾の衝撃で皮膚が細かく裂けて血霞が舞い、内部で筋肉組織が損傷しているのかそこかしこに青黒い内出血が生じた。そしてそのままもんどりうって倒れ込むよりも早く、噛まれ者ダンパイアの体が塵になって崩れ落ちる。

「ヒロッ!」

 青いメッシュの髪をした噛まれ者ダンパイアが、崩れゆく仲間の名を呼んだ――だがそのときには、彼の体は青年の振り回した拳銃の銃剣によって縦まっぷたつに寸断されている。次の瞬間には、その体も塵に変わった。

「よくもノゾムを――てめぇッ!」

 声をあげて、残る三体の噛まれ者ダンパイアたちが同時に地を蹴った――おそらくはアヤノをそのままかばうつもりなのだろう、青年は動きを見せない。

 否、彼はリボルバー拳銃を握る手首を軽く返して――

Aaaraaaaarieeeeeee――アァァァラァァァァイィィィィィィィ――」 そんな低い声を漏らして、『正体不明アンノウン』が滑る様な動きで前に出る――ひぅ、という軽い風斬り音とともに襲いかかった噛まれ者ダンパイア三体のうち先頭にいた一匹が踏み出しかけた右足を切断されて前方に泳ぐ様にして倒れ込む。

 足を薙がれて投げ棄てられたゴミ袋の様に倒れ込んだ噛まれ者ダンパイアは、次の瞬間脇を通り過ぎざまに男が振るった一撃で頭蓋を叩き割られて消滅した。

 噛まれ者ダンパイアの一体を瞬く間に排除した金髪の男が、そのまま前に出る。

 決着は一瞬だった――銀光が一閃したのと同時に二体の噛まれ者ダンパイアは全身をずたずたに引き裂かれ、文字通り八つ裂きにされてその場に崩れ落ちた。

 文字どおり目にも止まらぬ神速の一撃――おそらくは一撃で息の根を止めることも出来たのだろうが、それをあえてバラバラにしたのは残る者たちの戦闘意欲を削ぐためか。

「……ッ」

 残る噛まれ者ダンパイアたちが、そのあまりにも滑らかな虐殺の手管を目にして後ずさる――だがその動きは、香坂の一言で止まった。

「怖じるな、痴れ者が」

 肉声で命令されたために逆らうことも出来ないまま、逃げ出しかけた噛まれ者ダンパイアがその場に踏みとどまる。

 そんな彼らの遣り取りなど知らぬげに、金髪の青年は手近に倒れていたアヤノとトウマの体を首根っこを掴んでまとめて持ち上げ、ネメアのそばまで引きずってきた。

 出血のせいで意識を失っているらしいアヤノとトウマの体を、コンクリートが剥き出しになった地面に横たえる。彼は手近に落ちていた女性物のジャケット(喰屍鬼グール化した被害者の遺品だろう)をあられもない姿のアヤノにかけてやり、ネメアのほうを一瞥した。

 それで興味を失ったのか踵を返し、金髪の青年が荊の刺刑Rosethorn Executeのそばまで歩いていく。ネメアが最後に手放した位置で転がっていた剣のそばで足を止めると、彼は無造作に足を持ち上げて長剣の柄を軽く蹴り抜いた。

 その反動で、長剣が跳ねる――彼は空いた左手で荊の刺刑Rosethorn Executeの柄を掴み止め、そのまま無造作に頭上に放り投げた。

 くるくると回転しながら、放り上げられた長剣が鉄骨だけの建造物の中で虚空に踊る――彼はその間に、手にした馬鹿でかいリボルバー拳銃のシリンダーを振り出した――左手でポケットから取り出した、クリップで止められた弾薬を投げ上げる。シリンダーから抜け落ちた空薬莢が星の明かりを反射して、一瞬だけ幻想的に煌めいた。

 続けて、『正体不明アンノウン』がその場で銃をひと振りする――宙を舞っていたフルムーンクリップがまるで吸い込まれる様にしてシリンダーに収まり、次の瞬間にはシリンダーはレシーヴァーに叩き込まれていた。

 地面に向かって落下する薬莢の群れを、彼が爪先で跳ね上げるのが見える――続いて左手が獲物に襲いかかるコブラの様に一閃し、最初に比べて数を減じた空薬莢がコンクリートの上で跳ね回る。どうやらシリンダーから排出した中から、未発射の弾薬をいくつか掴み止めたらしい。

 『正体不明アンノウン』は足元で跳ね回る空薬莢を足で蹴散らし、リボルバーを右手で保持したまま左手を振り翳した――頭上に翳したその手の中へと、先ほど投げ上げた荊の刺刑Rosethorn Executeが落下してくる。

 彼は落ちてきた長剣の柄を視線も向けぬまま掴み止めると、頭上で二、三度旋廻させてから鋒をコンクリートの地面に叩きつけた。

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