The Otherside of the Borderline 33

 

   †

 

 血まみれになった長大な刃を備えた巨大なリボルバー拳銃を肩に担いだ金髪の『正体不明アンノウン』が頭上に視線も向けないまま、無造作に左手を振り翳す――次の瞬間、彼はまるでそう図ったかの様に頭上に落下してきた長剣の柄を発止と掴み止めた。

 落下する方向を視線も向けないまま掴み止めた荊の刺刑Rosethorn Excuteを二、三回頭上で旋廻させ、白銀の鋒を地面に軽く打ちつけて――荊の刺刑Rosethorn Excuteを風斬り音とともに軽く振り抜き、『正体不明アンノウン』は口元に笑みを浮かべながら香坂に向かって歩き出した。

 その様子を注視しながら、環は陽響を通信回線で呼び出した。

「ベガよりシリウス。『正体不明アンノウン』がエクスレイ・スリーと接敵コンタクト――これより交戦に入る様です」

 声には出さずに眼下の町にいる義兄に向かってそうメッセージを送ると、陽響が疑問符を浮かべるのが無言のメッセージとして伝わってきた。

「シリウス。『正体不明アンノウン』の近くにいる残存兵力の状況はどうだ?」

「ベガ。現場の残存兵力は三名。ネメア、トウマ、アヤノの三名です。ネメアも含め、今のところ全員が生存しています――ですが、全員エクスレイ・スリーの紅華や黒禍による攻撃を受けています。黒禍はともかく、紅華で突かれた傷は致命傷でなくても失血死の危険につながるでしょう」

「シリウス。わかった。遊撃チームで一番近いのは?」

「ベガ。エクスロードです。ですが、魔術による空間転移は行えません――『正体不明アンノウン』の魔力が強すぎて、現場の附近の大気魔力が安定しておりません。これでは術が成功しません。エクスロードには、徒歩で接近してもらうしかありません」

「シリウス、了解。『正体不明アンノウン』と香坂に関しては、しばらく放っておけ――香坂と単独で戦わせてみれば、『正体不明アンノウン』の実力がどの程度のものかわかるだろう。環、おまえは三人を現場から転移させるための術を構築しておいてくれ。機会があれば、すぐに美音のところに転移させろ」

「ベガ。了解しました。『正体不明アンノウン』の戦闘はどの程度まで監視しますか?」

「シリウス。『正体不明アンノウン』が勝てばそれに越したことは無い――もともと香坂にはシンをぶつけるつもりだったんだ。シンが到着するまでにそれなりの手傷を負わせてくれていれば、まあ上々だろう。もし負けそうになったら、そのときは狙撃チームに介入させろ――『正体不明アンノウン』の目的は知らないが、ネメアとアヤノたちふたりが殺されるのを止めてもらった借りがあるからな」

 その言葉に、環は小さくうなずいた――ネメアたちのところに速やかに増援を送り込めなかったのは、そもそも『正体不明アンノウン』がそこにいたことが原因だ。だが彼がそれを知っていて、わざとそこにいたわけではないだろう――もし彼がこちらに対して悪意を持っていて、ネメアたちを死なせるために術を妨害する目的でそこにいたのならば、そもそも状況に介入する意味など無い。

「ベガ了解」

 それで交信を終えて、環は眼を閉じた――強力なサイコ・フィールドに囲まれて、彼女は再開発地区の上空六百メートルのところから作戦区域を俯瞰していた。

 刻一刻と変化する各分遣隊の状況が、瞼の裏に投影されては消えていく。

 その中でひとつ、固定されたまま消えていないのがネメアの視界だった――環の魔術通信網は意識に直接魔術端末を附着させ、それを介して思考を高速転送することによって、この世のいかなる電気通信技術よりも優れた高速大容量の高秘匿通信を可能にする。

 魔術通信網は音声情報だけでなく、任意ではあるものの発信者の視界を本人が見たままに、リアルタイムで受信者に見せることが出来る。それはつまりひとりが見た視覚情報を全員で共有可能であるということで、術式構成によっては嗅覚や味覚、触覚までも転送可能になる――環ひとりで結界の術式構成の維持と通信網のサーバー管理を兼ねている今の状況では、さすがにそこまでは無理だが。

 これは魔術通信網を行き交ういくつかの視覚情報のひとつ、現状においてもっとも注目すべき状況であるネメアの視界だった。

 『正体不明アンノウン』――金髪の青年がエクスレイ・スリー、一族屈指の暗殺者である香坂隆次と対峙している。

 右手には銀色に輝くステンレス製のリボルバー拳銃。スライドさせて展開する形式の長大な銃剣がついている。

 左手には環謹製の荊の刺刑Rosethorn Excute。受傷者の血肉を触媒に、魔界の荊を召喚する魔剣の一種だ。

 対する香坂は両手に携えた黒禍と紅華。いずれも劣らぬ、呪いを帯びた霊的武装だ。

 残った六人の噛まれ者ダンパイアたちが、油断無く青年を取り囲む――まるで気に留めた様子も見せずに、青年はゆっくりと笑った。

「なんじゃな、小僧――おまえさんはここから出ていくつもりは無い様じゃが」 香坂の言葉には答えずに、『正体不明アンノウン』がこちらを――というかネメアを見遣る。彼はそのまま視線をめぐらせて意識を失っているアヤノを見遣ってから、何事も無かったかの様に老人に視線を戻した。

 それから手にした拳銃に視線を落とし、再び老人に視線を向ける――適当に肩をすくめてみせてから、『正体不明アンノウン』は口を開いた。

「それはそうさ、御老体。俺はおまえらを殺しに来たんだからな」 言いながら、足元で塵になっていく噛まれ者ダンパイア(ヒロと呼ばれていたか)の屍を適当に蹴り飛ばす――ぼろっと崩れていく塵の山にはそれ以上目も呉れず、彼は老人に視線を戻した。

 その言葉に香坂がほほほ、と微妙に気持ち悪い笑い声をあげる。まあ、あの格好からして胡散臭さ満載だ。

「この儂を殺すとな。それはまたずいぶんと大きく出たものじゃのう――若いもんに一応忠告しておくが、出来もせんことは口にせんのが恥をかかんための秘訣じゃぞ? でないと、機嫌を損ねた儂に殺されるかもしれんぞ?」

 その言葉に、『正体不明アンノウン』が口元に笑みを浮かべる。

「出来ないことは口にしないことが恥をかかない秘訣――ね。ある意味正しいが、そのまま返すぜ、爺さん」

 侮蔑をこめたその返答に、老人が眉を吊り上げる。

「ふむ。年寄りに対する敬意ちゅうもんを持ち合わせておらん様じゃのう。まったく、最近の若い者はなっとらん。 やはりこの国は、若いもんから先に滅びていくんかいのう」

 嘆かわしいと言いたげに大きくかぶりを振る老人に、『正体不明アンノウン』がどうでもよさそうに混ぜっ返した。

「大丈夫、真っ先に滅びるのは爺さんだから。日本滅亡は見なくて済むぜ」

 その言葉に――香坂がわずかに目を細める。そしてそれが合図だったかの様に、残った六体の噛まれ者ダンパイアが『正体不明アンノウン』に襲いかかった。

 『正体不明アンノウン』の口元に笑みが浮かぶ――彼は右手から襲いかかってきていた噛まれ者ダンパイアの攻撃をひょいと躱し、すれ違いざまにリボルバーの銃剣で胴を薙いだ。製作が簡単な代わりにいささか強度に欠けるきらいのあるステンレス製の刃物で背骨までも切断するというのは、すさまじい技量的習熟と圧倒的な速度、剣圧が無ければ不可能だ――そう言えば、さっきも彼はほかの噛まれ者ダンパイア(ノゾム?)を、強固な頭蓋骨を縦に引き裂きながら脳天から股下まで一刀両断にしてみせた。

 荊の刺刑Rosethorn Excuteの鋒が、胴を薙がれた噛まれ者ダンパイアの胸を貫いている――田楽刺しにされた噛まれ者ダンパイアの体を、『正体不明アンノウン』は剣を振り回して背後から肉迫していたほかの噛まれ者ダンパイアに向かって放り投げた。

 仲間の体を受け止めようとでもしたのか、それとも受け止めるべきか避けるべきかで迷ったのか、噛まれ者ダンパイアが一瞬動きを止める。

 そして動きを止めたこと自体が失策だったのだと、その噛まれ者ダンパイアは生きている間に理解出来たのだろうか。

Aaaaaalieeeeeeeeee――アァァァァラァァァィィィィィィ――ッ!」 咆哮とともに――『正体不明アンノウン』が一瞬にして間合いを詰めて繰り出した荊の刺刑Rosethorn Excuteの刺突(だろう、たぶん)が仲間の体を抱き止めた噛まれ者ダンパイアの胸を貫く。

 すでに胴体を輪斬りにされた噛まれ者ダンパイアの体はその衝撃で塵に還り、抱き止めた噛まれ者ダンパイアの体は仲間の体を貫いて心臓に撃ち込まれた魔力によって召喚された巨大な荊を生茂らせ、最後はひとかかえもある様な巨大な薔薇の花を咲かせて動かなくなった。

 残った四人の噛まれ者ダンパイアたちが四方に散開し、奇声をあげながら『正体不明アンノウン』に襲いかかっていく――それをいちいち確認することもしないまま、『正体不明アンノウン』が小さく笑って両手の武器を空中に投げ上げた。

 え?

 意図がわからずに環が眉をひそめるよりも早く、『正体不明アンノウン』が跳躍する。

 十メートル近い高さまで、跳躍しただろうか――彼は空中で右手は腰から、左手は懐から、黒く塗装された自動拳銃を抜き放った。体をひねり込んで頭を下にして落下しながら据銃。

 次いで、発砲。

 異常に正確な精密照準二連射コントロールペアの雨が、目標を見失って踏鞴を踏んだ噛まれ者ダンパイアたちの頭上に降り注ぐ。

 物理的な破壊力でも比べ物にならないらしい銃弾で頭蓋を粉砕され、四人の噛まれ者ダンパイアが花が咲いたみたいにバタバタ放射状に倒れ込んだ。

 金髪の青年が軽やかな動きで、すとんと地面に着地する。

 合計八個の空薬莢がその周囲に落下し――彼は余裕たっぷりの仕草でまず右手の、次いで左手で保持した自動拳銃の銃口から立ち昇る硝煙を息を吹きかけて吹き散らし、それぞれホルスターへとしまい込んだ。

 同時に右手を翳し――その手の中に、先ほど投げ上げたリボルバー拳銃が落ちてくる。

 次いで落下してきた荊の刺刑Rosethorn Excuteは投げ上げるときにしくじったのか、『正体不明アンノウン』の背後一メートルほどのところに落下してきている。

 『正体不明アンノウン』は一歩バックステップして左足の踵を跳ね上げ、落下してきた荊の刺刑Rosethorn Excuteを再び蹴り上げた――蹴り上げられて再度宙に浮いた荊の刺刑Rosethorn Excuteが再び落下を始める寸前、上昇の最高点に達して静止した瞬間に、その場で転身した『正体不明アンノウン』が荊の刺刑Rosethorn Excuteの柄を空中で掴み止める。

 『正体不明アンノウン』は掴み止めた荊の刺刑Rosethorn Excuteを頭上で旋廻させてから、先ほどと同じ様にコンクリートの地面に鋒を撃ちつけ――鋒を地面に触れさせたまま軽く手首を返すのと同時に、地面の上に倒れ込んだ四体の噛まれ者ダンパイアの体が絶叫とともに塵に変わって消滅した。

 あれは――

 今のは銃弾に仕込まれた対霊体破壊力を持たせるための加工が、今になって徐々に効いてきたわけではない――さすがにネメアの視覚映像を見ただけでは仕組みまではわからないが、今のは最後の挙動にタイミングを合わせて銃弾に仕込んだ仕組みを発動させたのだ。

 環が用意したルーン文字の弾頭とは、到底比較にならないほどの対霊体攻撃力だ――あれをまともに撃ち込まれれば、香坂といえども無傷ではいられまい。

 『正体不明アンノウン』が余裕綽々といった様子で老人に視線を向け、

「で?」 かすかな笑みの混じったその言葉に――香坂が無言で地面を蹴った。

 

   †

 

 異形の青年の持ち物とおぼしき長剣を担ぎ、ウォークライの銃剣の鋒を引きずりながら、アルカードは老人の前に立った。

 周囲を六体の噛まれ者ダンパイアが取り囲んでいる――いずれも繁華街で女性でも攫っていそうな、ろくでもない人間の目をしていた。そして先ほど集団であの妖魔の娘を穢そうとしていた行状から察するに、その見立てはあながち間違いではあるまい。

「なんじゃな、小僧――おまえさんはここから出ていくつもりは無い様じゃが」 目の前の老人の言葉を適当に聞き流し、アルカードは手にした長剣の刀身の背で肩を軽く叩きながら、地面に倒れ伏した青年を見遣った。

 ぼろぼろに傷ついてはいるが、生きている。さんざん痛めつけられた様だが、死ぬことは無いだろう――だが妙なことに、異様に出血が多い。なにをされたのかは知らないが、あれでは傷がどうこうというより出血多量で命を落とすだろう。

 そのかたわらに置いてきた娘――せいぜい二十を出るか出ないかというところだろうが、状態は彼女のほうが酷い。先ほど彼女を穢そうとしていた噛まれ者ダンパイアはアルカードが攻撃を加えるより早くすでになんらかの攻撃を受けていた様だが、今のところ攻撃者に動きは無い。だが、攻撃が発生する直前、一瞬ではあったが上空にすさまじい魔力が出現した――おそらく攻撃のために、一瞬ながらも隠匿結界を解いたのだろう。

 それだけ確認して、アルカードは老人に視線を向けた。

 異形の青年が使っていたとおぼしき剣も、なかなかの業物の様だ――まあそれなりにではあるが。

 老人にもう一度視線を向けて、適当に肩をすくめる。パーティションの前に、銃弾で穴だらけになった樹脂製のKYボードが落ちているのが見えた――『今日の重点安全事項……安全ベルトの確実な使用』。

「それはそうさ、御老人。俺はおまえらを殺しに来たんだからな」 言いながら、足元で塵になっていく噛まれ者ダンパイア(ヒロと呼ばれていたか)の屍を適当に蹴り飛ばす――塵の山と化してぼろっと崩れていく屍には目も呉れず、彼は老人に視線を戻した。

 老人の顔は知っている――綺堂邸を出発する前に、猿渡が渡してきた数蓉の写真の中に彼の写真があった。

 暴走する月之瀬将也を処断するため、綺堂桜の父が送り出した十人の追手のうちのひとり。返り討ちにあって回収され、遺体を荼毘に附された四人と違って生死も不明、連絡もついていないという六人の刺客のうちのひとりだ。

 呪いを帯びた二本の鎗を携えた暗殺者で、名前は確か香坂隆次。

 その言葉に老人がほほほ、と気色悪い笑い声をあげる。老齢を感じさせない筋骨たくましい老人は、まるでどこかのコンシューマー化されたアダルトゲームの槍使いみたいなぴっちりした服を着ていた。なんとなくレオタードを着ているみたいで嫌な絵面だ。あのゲームはどうにも主人公に感情移入出来ずに、一番かっこいい登場人物が出てくる前に撃沈したのだが――というか、やっぱりサウンドノベルは性に合わない。

 顔は老人、首から下はムキムキマッチョ、あと服装はランサー。

 というか――この格好で街中うろついてるって……

 不審者決定だ。というか変質者決定だ。むしろ変態だ。否待て、空蝉もたしか似た様な格好してたな。ヘッドギアとコート着けて。そんなことを考えてげんなりしながら、がりがりと頭を掻く。

 老人はどこか愉快そうに笑いながら、両手にそれぞれ一本ずつ持った短鎗ショートスピアで軽く肩を叩いた。

 変わった鎗だ――装飾として塗装されているのではなく、素材そのものの色に見えた。

 一鎗は血の様に紅く、一鎗は鴉の濡れ羽の様な不思議な光沢を持った漆黒だった。いずれも穂先のつけ根(といっても柄と穂先は一体に見えたが)に、素材と同じ色の布が巻きつけられている。

「この儂を殺すとな。それはまたずいぶんと大きく出たものじゃのう――出来もせんことは口にせんのが、恥をかかんための秘訣じゃぞ? でないと、機嫌を損ねた儂に殺されるかもしれんぞ?」

 その言葉に、アルカードは口元に笑みを浮かべた。

「出来ないことは口にしないことが恥をかかない秘訣――ね。ある意味正しいが、そのまま返すぜ、爺さん」

 その言葉に、老人が眉を吊り上げる。

「ふむ。年寄りに対する敬意ちゅうもんを持ち合わせておらん様じゃのう。まったく、最近の若い者はなっとらん。やはりこの国は、若いもんから先に滅びていくんかいのう」

 嘆かわしいと言いたげに大きくかぶりを振る老人に、アルカードは混ぜっ返した。

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