The Otherside of the Borderline 30

 さすがにこの至近距離からでは反応出来なかったのか、香坂は移動によって躱したりはしなかった――立て続けに撃ち込まれた銃弾を、両手を顔の前で交差して防いだらしい。

「く……くくく……」 老人が喉を鳴らす様な笑い声をあげて――次の瞬間には、その踵がアサカの下腹部を貫いていた。その場で体をくの字に折って激しく咳込んでいるアサカを見下ろして、老人がゆっくりと笑う。

「まったく、――これほどの遣い手が味方におれば、あの若造にもそうそう負けはしなかっただろうに」 そう称賛の言葉を口にした老人の左耳が、吹き飛んでいる――おそらくアサカの放った銃撃の着弾によって吹き飛ばされたのだろう。

「本当に残念だわい。さようなら、お嬢さん」

 くるり、と短鎗を旋廻させ、老人は真紅の鎗を逆手に握り直し、その鋒をアサカに向けた。

「――させるかぁッ!」

 老人が喋繰っている間にようやく腕の痺れが取れて、ネメアはやっとのことでまともに握れる様になった荊の刺刑Rosethorn Executeを手に香坂に襲いかかった――もとより黙っていても、老人がネメアの突進を易々と間合いに入れてくれるとは思えない。声をあげたのは、老人の注意をアサカからそらすためだった。

 背後から間合いを詰めて、剣を振るう――だが老人の異常なほどの反射速度は、その斬撃が届かないほど速かった。後背からの一撃がその首を刎ね飛ばすかと思った瞬間、老人の姿がその場から消えて失せる。

 その挙動をなんとか眼で追って、ネメアは手にした荊の刺刑Rosethorn Executeを構え直した――二メートルほど離れたところにいた香坂が、黒い短鎗の矛先をこちらに向ける。

 それを無視して、ネメアは地面を蹴った――どのみち彼の動体視力では香坂の動きは捉えきれない。ならば、老人の攻撃をあえて無視する――こちらの全力疾走で接近すれば、老人は当然迎撃してくるだろう。だが、それとておそらく一撃二撃。頭部と心臓への直撃さえ警戒していれば、たとえ受傷しようが老人に致命傷を与えてみせる。

「アサカから離れやがれ、クソ爺ッ!」

 老人が迎撃の一撃を繰り出してくる――だがどこに来るのか、いつ来るのかがわかっていれば怖くない。

 重要なのはあの老人を殺してこの場から撤退すること、それだけだ――多少のダメージを負ったところで、その成果として香坂を仕留めることさえ出来れば、あとは撤退して治療を受ければいい。

 老人の狙いは脚――ならば脚を刺されても、それで出来た隙に間合いを詰めて老人の首を跳ね飛ばせばいい。

 だが、繰り出した一撃は易々と躱された――単なる技量の差だけではない。ネメアは当然、老人が反撃のために十分踏み込んでくるものだと思っていたが、老人は頭部を狙った斬撃をほとんど踏み込まずに上体をそらして躱し、こちらの脚を狙って右手に保持した黒い鎗を突き立てたのだ。

 しまった――

 致命的な失策をはっきり理解する――よりも早く、ネメアは激痛とともに右足が弛緩するのを感じた――続く次の瞬間、槍の鋒が突き刺さった激痛が神経を焼く。

 敵の攻撃が徹るであろうことは、ある程度覚悟していた――それに耐えうる耐久性と切れ味を持つ武器と、それを遣う使用者に十分な技量があれば、斬れないものなど存在しない。

 香坂が実際にそこまでの技量を持っているかどうかはこの際置いておいて――少なくとも、対戦車ロケットの直撃に耐えうるネメアの外皮を貫くのには十分な力量を持っているらしい。

 だからそれは覚悟していた――手足の一本くらいは撃ち抜かれることも覚悟していた。一撃で無力化される様な重大な損傷さえ避ければ、そのまま接近して老人の頭蓋を撃ち砕けばいいと、そう考えていたのだ――ネメアは老人の攻撃が胴体と頭部に入ることだけを警戒していたが、実際はそうではなかった。

 ネメアは知っていた――あの老人の霊的武装がいかなる機能を持っているのか。知っていながら――侮っていたのだ。

 老人のあの黒い鎗は、受傷部位周囲の細胞組織を瞬時に死滅させる機能を持っている。

 それはつまり、傷口周囲に神経細胞があればそれも即死させられるということだ――すなわち、香坂の黒い鎗は狙いが正確であれば攻撃対象の運動神経を破壊し、手足の機能を一撃のもとに奪いうることを意味する。

 ネメアの予想ははずれた。あの老人がネメアを仕留めることよりもこちらの攻撃を躱すことを優先するとは、予想していなかった。

 老人にとっては、ネメアを即死させることにこだわる意味など無いのだ――片脚を犠牲に最接近しようとしたのは、決定的な失策だった。運動能力を封じてしまえば、あとはいくらでも切り刻める。

 膝から下の感覚が完全に無くなっていた――その事実に戦慄しながら、なんとか片手で体を支える。

「――やれやれ、若者は無茶をしおるわ。自分の技量をわきまえておらん。目上の者に対する言葉遣いもなっておらん」 そんなことをぼやきながら、老人が適当に首を回す。

「まったく、老齢をいたわろうとも思わんのかね」

 繰り言抜かしやがってッ……! 胸中で毒づいて、ネメアは弛緩した片足を無視して地面に跪いたまま手にした長剣の鋒を老人に向けた。

「ほざいてろ。クソ爺」

「やれやれ」 溜め息とともに発せられたそのつぶやきが届くよりも早く襲ってきた衝撃に吹き飛ばされ、ネメアは派手に工事現場の隣のビルの壁に叩きつけられた。薙ぎ倒されたパーティションが激突の衝撃で変形し、弾け飛んだ固定金具がコンクリートの上で跳ね返って耳障りな音を立てる。

「命は大事にするものだぞ、小僧?」

 そうつぶやいたとき――老人の動きが止まった。無防備だった老人の脇腹に、彼の足元に倒れていたアサカが片手で保持したM14の銃口を押しつけている――否、違う。M14の銃身に取りつけられた銃剣を、老人の脇腹に突き刺したのだ。

 おそらく香坂が接近戦を仕掛けてきたときに投げ棄てた狙撃システムを、ネメアと香坂の遣り取りの間にスリングを掴むかなにかして引き寄せたのだろう。

「そうね――本当、心からそう思うわ」 ショットガン発射の際の安定性を高めるためにわざと残してあったベネリM4スーパー90のグリップに左手をかけ、M14のストックを肩に押しつけて銃を安定させながら、アサカが額に脂汗を滲ませた顔に凄絶な笑みを浮かべる。

「バイバイ、お爺ちゃん」

 次の瞬間――十二番ゲージの轟音が鼓膜を震わせる。文字通りの零距離から胸にバックショットを撃ち込まれ、老人の体が仰け反った。発射の反動で銃口が横にそれたため、それ以上の攻撃は出来ない――だが胸部への至近距離射撃の破壊力は尋常ではない。

 なによりも――ネメアは知る由もないことだったが、形状の丸いバックショット弾はライフル弾による銃撃よりはるかに貫通能力が低い。

 彼らの銃弾は先述したとおり一秒間当たりに放出する魔力の総量が決まっており、体内に入り込んでいる時間が短いために霊体に対する殺傷力はさほど高くない――それは逆に言えば、弾頭が体内に入り込んでいる間は加害し続けるということでもある。摘出しない限り対象を加害し続けるという点が、高い破壊力を誇る半面一瞬しか持続しないヴァチカン式の銃弾との決定的な違いであると言える。

 バックショット弾はひとつひとつの粒玉ペレットにルーン文字が刻印されており(ネメアたちは知る由もないが、武器係のスタッフは一度ショットシェルの中身を抜いてから刻印を施し、もう一度詰め直す作業の面倒臭さに人生を投げかけていた)、標的の体内で停止しやすい。

 そして傷口の内部で停止した弾頭は、貫通した弾頭よりも運動エネルギーの放出量も魔力の放出量もはるかに多い――すなわちこの零距離射撃は、ほかの騎士たちの集中砲火をまともに浴びるよりもはるかに痛烈な一撃だったのである。

「ぐぉぉおっ……!」 老人の口から押し殺した悲鳴が漏れる――まだ生きていること自体が瞠目すべきだとも言えたが、さらに驚くべきことに老人はその状態から反撃を仕掛けた。

「この小娘がぁッ!」 倒れたまま脇腹を蹴り上げられて、アサカの体が投げつけられた人形の様に吹き飛ばされる――手放されたM14がガシャンという音を立ててコンクリートの上に落下した。彼女の軽量体がネメアの近くまで吹き飛んできてコンクリートの上に叩きつけられ、数メートルほど滑ってから止まる。

「おのれ、よくも……!」

 憎悪もあらわに罵声を発しながら踏み出しかけた老人の足を止めさせたのは、残っていた者たちの集中砲火だった――老人が動きを止めたことと、仲間に命中する気遣いが無くなったことから攻撃を再開したらしい。

 もっとも、人数が減ったことでその火力はかなり落ちていたが。

 アヤノの手にしたナイツ・アーマメントSR-16マスターキー――レミントンのポンプアクション式ショットガンをベースに開発されたアンダーバレル・ショットガンを取りつけたSR-16が、短く区切ったフルオートで火を噴く。

 弾き出された空薬莢がコンクリートの上で跳ね回り、次々と撃ち出された銃弾が銃撃を躱した老人、背後の隣接するビルの壁に擂鉢状の小孔を穿った。

 舌打ちを漏らしながら、アヤノがフォアグリップ代わりに取りつけたマスターキーのトリガーを引いた。耳を聾する轟音とともにアンダーバレル・ショットガンが火を噴き、同時に撃ち出された銃弾が咄嗟に身を躱した香坂の向こう側に設置されていた簡易トイレの筺体にいくつも穴を穿つ。

 それを見ながら、ネメアは片足を引きずってアサカのかたわらに歩み寄った。

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