The Otherside of the Borderline 19

 

   †

 

「ヘキサ・ツー・ワンよりベガ――戦闘終了。金髪の男が喰屍鬼グールの群れを殲滅。私見ながら、喰屍鬼グールの破壊状態から考えて、なんらかの対霊体装備で武装しているものと思われる」

 金髪の青年が最後に残った喰屍鬼グールを射殺した直後に送ったアズの報告に、ベガが一瞬遅れて応答を返してきた。

「ベガ了解。視覚情報も確認しました。ベガより全部署――当該の金髪の男を、今後正体不明アンノウンと呼称します」

「ヘキサ・ツー、了解。以降『正体不明アンノウン』に対する対処は?」

 返答が来るまでには間があった――空社陽響に指示を仰いでいるのだろう。自身の異能力の関係で、彼は魔術通信網に参加出来ない。このため彼は環とだけ無線通信網をつないで、音声情報に変換された通信内容を無線機で受け取っている。そのため、視覚情報は受け取れなくても音声情報に変換出来る聴覚情報は筒抜けになっているのだ。

「シリウスより全部署に告ぐ――『正体不明アンノウン』については動向を監視しつつ放置しろ。繰り返す――『正体不明アンノウン』については監視に留めろ」

 意識の中に、空社陽響の声が響き渡る。環が自分の聴覚情報を、直接こちらに中継してきたのだ。

 陽響はほかの一般騎士たちと違って、環の魔術通信網の様な干渉系をはじめとするあらゆる魔術に対して完全な耐性を持っている。というか魔術効果を弱体化、あるいは無効化する彼の『灼の領域ラストエンパイア』は一種の制御装置である鈴によって抑え込まれているものの、彼の体内でははるかに高密度で作用し続けている。

 彼の異能は正確に言うと、自分の意思で使う使わないを選択出来る様な『能力』ではないのだ――このために、彼には状態変化をもたらすあらゆる魔術が一切通用しない。無論その異能力の防御を上回る魔力をぶつければ魔術による殺傷も可能だろうが――それをやるには高位神霊クラスの魔力が必要だ。

 そのために陽響は魔術通信網に参加しておらず、彼はひとりだけ超小型無線機で環と回線をつないでいた。

 このやり方は、実は結構不便が多い――陽響のほうから送信するぶんには、誰向けの通信であれ環が無線機から入ってきた音声情報を『自分の』思念として送信相手に中継すればいい。問題はそれに対する返信のほうで、環は送られてきた思念を言葉として陽響に伝えなければならない。

 それを代行するのが、アイン・ソフ・アウルだった。

 アイン・ソフ・アウルは、剣の形状をしていても剣ではない――それは地上最高の演算速度を誇る計算機だ。人類の技術ではいまだ実現不可能な超技術によって作り上げられたそれは、環の思考と連動してその思考を補助する機能を持っている。

 数百から数千に分割可能な演算領域の一部が環の意識と連動しており、彼女が魔術通信網から拾い上げた情報の中で陽響に届ける必要があると考えたものを音声情報・電気信号に変換して、陽響向けの無線回線に出力する機能を持っているのだ。言うまでもなく視覚記憶は送信出来ないが、それは仕方無い――環自身が思考を割く必要が無くその処理を行えるだけでも、今回に関しては十分だ。

「ベガ了解――各部署、受領通知アクノレジを」

「ヘキサ・ツー、了解した」 アズはそう答えてから対物狙撃銃アンチマテリアルのスコープを覗き込み、再び金髪の男――『正体不明アンノウン』を十字照準線レティクルに捉えた。

 『正体不明アンノウン』はこちらに背を向けたままクイックローダーを使ってリボルバーのシリンダーに弾薬を装填し、全長百五十センチ近い拳銃をサーベルの様に腰に吊ったところだった。

 と――まったく自然な動きで、『正体不明アンノウン』が振り返る。ただ単に背後に用があるのだろうと思ったが、次の瞬間『正体不明アンノウン』は顔を上げてこちらに視線を向けた。

「ッ!」 思わずうめいて、スコープから一瞬目を離す――すぐに再び接眼レンズに目を当てたが、やはり『正体不明アンノウン』ははっきりとこちらを見ていた。

 スコープ越しにはっきりと目が合い、男がゆっくりと嗤いながら左手を上げ、指鉄砲を作って人差し指をこちらに向けてみせる――銃の反動でそうなる様に手首を軽く跳ね上げる様な仕草をして、『正体不明アンノウン』がにやりと笑った。

「馬鹿な――気づいてるのか?」

 ここから現場までは四百メートルは離れているんだぞ――つぶやいたとき、興味を失ったのか『正体不明アンノウン』が踵を返した。

 

   †

 

 こちらの視線に気づいてか、四百メートルほど離れた場所から対物狙撃銃アンチマテリアルを据銃してこちらの様子を監視していた男の表情が驚愕にゆがむのが見えた。

 まあ無理も無い――これだけ離れているうえに夜間だ、よもや気づかれるとは思ってもみなかったのだろう。

 指鉄砲を作って彼のほうに向けてみせてやると、男の表情がさらに驚愕にゆがんだ。なんとなくいい気分で、踵を返す――口笛など吹きながら、アルカードは歩き出した。

「さてと――月之瀬君の尻尾はいつ掴めるか、な……?」

 ポケットから音楽プレイヤーを取り出して、イヤホンを耳に押し込む――そのまま彼は歩き始めた。

 いくつかの方向からちくちくと視線を感じるが、気にも留めない――気にするだけ時間の無駄だ。どうせ見ているだけで、なにも出来まい――対物狙撃銃アンチマテリアルなど、アルカード相手にはものの役にも立たない。

 猿渡から聞いた話だと、月之瀬将也に対して一族が差し向けた討手は十人。そのうち四人が返り討ちに遭い、死体が回収された。少ない資料の中から死体を破壊すれば蘇生の危険が無いということを知ったらしく、彼らの遺体はすでに荼毘に附されているので、蘇生する可能性は無い――残る六人はいまだ行方不明。

 月之瀬に喰われたと考えて間違い無いだろう――全員が全員噛まれ者ダンパイアになったのかどうかは謎だが。

 再三記述するが、吸血鬼ヴァンパイアに噛まれた人間が噛まれ者ダンパイアになる確率は、上位個体の吸血鬼ヴァンパイアの力が弱くなるにつれて低下する――吸血鬼ヴァンパイアになるにも一種の適性があるわけだが、小泉純一の様に最底辺の吸血鬼ヴァンパイアの場合は、仮に彼が吸血を行った犠牲者が噛まれ者ダンパイアになる適性のある人間であっても噛まれ者ダンパイアよりも喰屍鬼グールになる例のほうが多く、そもそも喰屍鬼グールになる確率すらもがさほど高くない。

 あの廃工場で小泉純一を始末したとき、彼が作り上げていた死体の山は少なく見積もっても五十人以上。彼らの亡骸がすぐに喰屍鬼グールにならなかったのは、ひとえに小泉純一の魔素が弱すぎたからだ。

 あれの下位個体には噛まれ者ダンパイアも数人いたが、ほとんどは喰屍鬼グールだった――喰い散らかされた死体の残骸が大量に残っていたから、おそらく犠牲者の数はもっと多いだろう。

 それだけの数の犠牲者を出しながら、彼が血を吸った死体のほとんどは喰屍鬼グールに変わる遺体だった――小泉純一の殺害後に死体の山の一番下の死体は腐乱死体に近い状態まで一気に腐敗していたから、おそらく喰屍鬼グールに変わるのにも相当時間を要したはずだ。

 力の強い吸血鬼、特に『剣』級の実力を持つ者たちとなると、噛まれた犠牲者はきわめて短時間で噛まれ者ダンパイアになるケースが非常に多い。

 たとえばカトリオーヌ・ラヴィンが血を吸えば、彼らの亡骸は適性のある無しにかかわらず高確率で噛まれ者ダンパイアになるだろう。少なくともまっとうな屍のままで残る可能性は低い。さらに言うならば、極めて短時間で蘇生するだろう。

 アルカードやドラキュラががもし人間の血を吸えば、犠牲者の適性のある無しにかかわらずに、吸血被害者は数分以内に噛まれ者ダンパイアとして復活を遂げるだろう――だからあの夜、ドラキュラは彼の血を吸ったあと、その場で結果が出るのを待っていたのだ。

 あの忌まわしい五百三十年前のワラキアの惨劇――あの夜にドラキュラは大量の噛まれ者ダンパイア喰屍鬼グールを作り出した。ドラキュラ自身の吸血による犠牲者は長くても十数分以内に噛まれ者ダンパイアになり、彼らが襲った犠牲者は次々と人々を襲って噛まれ者ダンパイア喰屍鬼グールをさらに増やした。

 そうしてあの夜、一夜にしてブカレシュティは魔物のひしめく魔都と化したのだ。

 そして滅ぼした――守るべき民すべてをその手にかけて、ヴィルトール・ドラゴスは自ら育った街を滅ぼした。

「――ッ!」 思考の連鎖が嫌な記憶に行き着いて、アルカードは顔を顰めて舌打ちした。

 考えるな――今はそんな場合じゃない。

 毒づいて、アルカードは片手で顔を覆った。

 行かなければ――今はただ、月之瀬を殺さなければならない。

 一族の差し向けた暗殺者の中で、いまだ行方知れずなのは六人――最悪の場合、その全員が噛まれ者ダンパイアになった可能性も考えておかなければならない。

 最大の問題は、その六人と月之瀬が完全な統制を保っている場合だ――六人の暗殺者たちが噛まれ者ダンパイアになっていた場合、月之瀬は彼らを声ひとつで従わせることが出来る。無論のこと細かい指示も可能だが、彼らの一挙手一投足に至るまで指示するのには現実的に考えて無理がある。

 したがって吸血鬼が自分の下位個体に命令を下す場合、『あの男を殺せ』といったきわめて漠然とした命令になる場合が多い――こういった場合、下位個体の噛まれ者ダンパイアは自身の技術をすべて駆使し、自身の生死も顧みること無く敵を殺そうとする。

 月之瀬がこういった特徴を十分に把握していて、凶手たちを全員手元に集めていたならば、苦戦も考えられる――昼間リディアにも言ったことだが、百の力を持つひとりより十の力を持つ十人のほうが厄介な場合も多い。

 ただ、月之瀬の力そのものはそれほど強くはないだろう――なにしろ、彼の上位個体は人間に毛が生えた様な相手に生け捕りにされる様な吸血鬼でしかない。したがって、その下位個体である月之瀬の噛まれ者ダンパイアとしての能力はさほど高いものではあるまい。

 無論上位個体が弱いのだから、下位個体の能力もたかが知れているが――その犠牲者のもともとの戦闘能力がきわめて高かった場合、増幅比率が低くてもある程度の脅威になることはあり得る。

 猿渡が、桜には報告を差し止めている事件内容の詳細についていくらか話してくれた――月之瀬の上位個体を捕えたのは月之瀬自身だ。

 月之瀬将也の父親である月之瀬兵冴は月之瀬が吸血鬼を生きたまま捕らえたあと、油断していた彼に薬を打ち、吸血鬼を閉じ込めていた檻に放り込んだのだという――ずいぶんな人権侵害だ。

 それでは兵冴の意図がどうあれ、ぐれるのも無理は無いだろう――だからといって月之瀬の行為を認めるわけにはいかないが。

 哀れではあるがな――胸中でつぶやいて、アルカードはそこで足を止めた。

 

   *

 

Aaaaa――raaaaaaaaアァァァァ――ラァァァァァァァァッ!」 咆哮とともに、彼は地面を蹴った。

 漆黒の曲刀を片手に、悠然とたたずんでいるグリゴラシュに襲いかかる――顔の下半分を鮮血で汚した青年が、この男にこんな嗤い方が出来たのかと思う様な嫌な笑みを浮かべてこちらを見ている。

 ひゅ、という軽い風斬り音とともに、グリゴラシュが手にした長剣を振り下ろしてくる。一瞬体を振って攻撃から軸をはずし、袈裟掛けの斬撃を遣り過ごしてから、彼は地面を削り取る様な低い軌道で下から上へと曲刀を振り上げた――今や化け物と成り果てたその男が、わずかに上体を仰け反らせてそれを躱す。

 巻き上げられた土や草が舞い散り、一瞬だけだが視線を遮る。次の瞬間には土塊を粉砕し、銀色の閃光が突き出されてきていた――ごく小さな土塊だったが、それを死角に使って刺突を繰り出してきたのだ。

 チッ――舌打ちしながら、わずかに頭を傾けて刺突を躱す。鋼の刃が頬をかすめ、浅く裂けて血が噴き出した。

 当然次の攻撃は――

 グリゴラシュが横薙ぎに振り抜いた一撃を、彼は体を沈めて躱した――攻撃の不発を悟ったグリゴラシュがさらに斬撃の軌道を変化させるよりも早く、前に飛び出してグリゴラシュに肩からタックルを仕掛ける。

 攻撃動作の直後で重心位置が悪かったためにその攻撃に対応出来ないまま、体当たりをもろに喰らったグリゴラシュが体勢を崩した――踏鞴を踏んで間合いの離れたグリゴラシュに向かって斬撃を繰り出そうとするより早くグリゴラシュが後方に跳躍し、曲刀の鋒はグリゴラシュの胸甲冑の装甲を浅く引き裂いただけで終わった。

 毒づいて、後退する――それで間合いを作り直し、彼は剣を構え直した。

「イィィィィヤァァァァッ!」

 咆哮とともに、グリゴラシュが前に出る――前進とともに繰り出してきた横薙ぎの斬撃を、彼は自分の手にした曲刀で受け止めた。

 グリゴラシュの手にした長剣の刀身に火花とともに毀れが生じ、一瞬ではあったがグリゴラシュが端正な顔を顰める――それは無視して、彼は噛み合いのはずれた長剣を振るった。毒づいて、

 グリゴラシュが長剣を引き戻してその一撃を受け止める――だが気にしない。防がれようが関係無い。

 武装の強度では、明らかに彼の手にした曲刀のほうが上回っている――ならば防がれようが問題無い――攻め続ければいずれは防ぎ損ね、その積み重ねが致命傷をもたらす。即座に命を絶つことは出来なくても、攻撃し続けていればいずれは武器が終わり――武器を失えばグリゴラシュに勝つ目は無い。

 さらに数合撃ち込んだあと、グリゴラシュがぱっと後方に飛び退いた。グリゴラシュの肩まで伸びた黒髪が、ふわりと舞ってまたふわりと落ちる。

「さすがだな、ヴィルトール――あの公爵が撤退しただけはある」

 もとより傷んでいたうえに強度で勝る曲刀の攻撃を受け止めたことでぼろぼろになった剣を見下ろして、グリゴラシュがそんな言葉を零すのが聞こえた。

「答えろ、グリゴラシュ――おまえになにがあった? どうしておまえはほかの屋敷の者たちの様に死体になっていない?」

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