Vampire Killers 7

 

   *

 

 目が醒めたのは、朝だった――血液不足で頭がくらくらしたが、それは仕方無い。驚くべきだったのはむしろ、窓から差し込んでくる朝日が苦にならなかったことだろう。

 朝日が目障りに感じられたのは、ただ単にまぶしかったからだった――その事実に安堵しながら、フィオレンティーナはベッドの上で身を起こした。

 日当たりのいいベッドのサイドボードに、いくつか腕時計が置いてある――すべてカシオのG-SHOCKだ。見たところ、デジタルとアナログを兼用したソーラー式のものばかりの様だった――それがこの部屋の主の好みなのだろう。

 文字盤を覗くと、今が早朝六時過ぎなのがわかった――ベッドから足を下ろすと、毛足の短い固い絨毯の感触があった。薄いグレーの丈夫そうな絨毯が、床に敷き詰められている。『主の御言葉』の部屋に敷いてあった様なくつろぐためのものではなく、どちらかというと室内でも靴で生活する西洋文化圏で使われているものだ。

 酸素不足でぽーっとした思考のまま、立ち上がって歩き出す――ドアを開けて短い廊下に出ると、床には寝室と同様固い絨毯が敷き詰められていて、正面と左側に扉があった。正面のほうは靴箱があるから玄関だろう。左手の扉をくぐって中に入ると、少々広めのリビングと、左側にはキッチンの入口が見えた。同様に絨毯が敷き詰められているところを見ると、この家の中はどこもかしこもこんな感じなのだろうか。

 窓は開け放たれていて、初夏の優しい風が吹き込んできている。

 キッチンの横の掃き出し窓から外に視線を向けると、ブロック塀の手前に置かれたプランターに、ミニトマトや唐辛子が植えられているのが視界に入ってくる――視線を転じると観音開き式の窓の前の棚に、炭を削って作ったものらしい鮭を銜えた木彫りの熊が置かれているのが見えた。

 リビングの床は壁際に置かれたテレビ台に向かって二段階の段差になっており、テレビを囲む様にしてコの字型にソファーが配置されて、その中央に硝子テーブルが置かれている。

 テレビ台の収納棚の周りには少し背の高い棚が設置されて、DVDやブルーレイディスクが並んでいる。目立ったタイトルは『ターミネーター』シリーズ――なぜか3は無い――『エイリアン』四部作、『プレデター』二作に『ブラックホーク・ダウン』、チャーリー・シーンとマイケル・ビーンの『ネイビー・シールズ』、『ダイ・ハード』二作に『ランボー』シリーズ。日本のゲームを実写化したという『バイオハザード』も2まであった。『ハンテッド』というのは、あまり聞かないタイトルだ――その隣に並んだ『Bravo Two Zero』というのはなんだろう。BBC出資の作品の様だが。テレビの下にブルーレイディスクのロゴが入った、ハードディスク・レコーダーが設置されているのがわかった。

 テレビ台の上に置かれた液晶テレビがつけっぱなしになっていて、昨日の湾岸埠頭倉庫での爆発『事故』についての情報を流している――当たり前だが、報道の内容は事実を徹底的に捏造し、歪曲したものばかりだった。

 そのとき、玄関のほうからばたんという扉の開閉音が聞こえてきて、フィオレンティーナは振り返った――しばらく経ってから、リビングの扉が開いて見覚えのある金髪の青年が姿を見せる。

 いい感じに褪色したジーンズにアンダーアーマーのTシャツ、その下にcw-xのアンダーウェアを重ね着している。アンダーウェアの記事を下から押し上げる筋肉の隆起が、細身のスタイルにも関わらず徹底的に鍛え抜かれた体躯を如実に表していた。金髪はやや暗い色合いで、もともと癖毛なのか軽く波打っている。長く伸ばされ束ねられた金髪は、まるで獣の尾の様だった。

 無論、知っている顔だった。名前はよく知っている――顔は先日ショッピングセンターではじめて見たが。

「お、動ける様になったのか――気分はどうだ?」

「吸血鬼アルカードッ!?」 声をあげて飛び退ろうとして――その瞬間に強烈な脱力感に襲われ、そのまま着地をしくじって体勢を崩し転倒する。ソファの背もたれに背中から倒れ込み、そのついでに舌を噛んで、フィオレンティーナは小さくうめいた。

「おいおい、大丈夫か?」 洗面所で手でも洗ってきたのか、肌の湿った左手でこめかみを軽く掻きながら、心底困った表情でアルカードが声をかけてくる。

「ななななななな――」 何事かしゃべろうとしたが、混乱して声にならない――それを見かねたのか、金髪の吸血鬼はキッチンのほうへと歩いていった。やがて人参の様な色の液体を満たしたグラスを持って戻ってくる。

「ほら、とりあえずこれ飲んで落ち着け」

「なんですか、貴方は! どうして貴方がここに――」

「話が昨夜とループしてるぞ。ここは俺の部屋だって、昨日言わんかったか――血が足りなかったしぼうっとしてたから、あまり覚えてないのかな。あと、とりあえずは立ったほうがいいと思うぞ」

 その言葉に、激しい動揺で逆に頭がしゃっきりしてきたフィオレンティーナはようやく自分の格好に気づいた。

 おそらくアルカードが着ているものと同じ、体格が全然違うのでフィオレンティーナの場合は脚の付け根までほぼ隠れるほどの大きさの、黒いアンダーアーマーのTシャツ。彼女が身に着けているのはそれだけだった。感触からすると下着だけは身に着けている様だが、着慣れた修道衣ではない。

 ずざざざざ、と床に尻餅をついたままソファーを押して後退する――二段階の一段目に置いてあったソファーがフィオレンティーナの背中に押されて二段目の段差に転落し、ガタンという音が聞こえてきた。

 ついでに自分も段差から転落し、ソファーの背凭れに背中を押しつけたままずり落ちる――小さなお尻から段差とソファーの隙間に嵌まる様な有様になったフィオレンティーナを見遣って、アルカードは片手で顔を覆った。

「ちょっと、テーブルが」 抗議の声をあげるアルカード。がちゃんという音が聞こえて、アルカードが顔を顰める。

 フィオレンティーナのほうはというと、正直そんなものにかまっている余裕も無かった。

 フィオレンティーナはTシャツの裾を思いきり引き下げながら、

「なななな――」

 余計動揺してどもるフィオレンティーナに、アルカードは盛大に溜め息を吐いてみせた。

「どうしてわたしはこんな――」

「服の話か?」 キッチンの横のパイン木材のテーブルの上にコップを置いて、アルカードが平然と言ってくる。

「俺が脱がせた」

 その言葉にフィオレンティーナは自分の頭に手を伸ばした――あまり目立たない様にヘアピンを数本使っているのだが、それを一本抜き取って数本の投擲用の短剣へと変化させる。

 見た目はなんの変哲も無いヘアピンだが、それらは聖典戦儀を変化させたものだ。

 聖典戦儀はもちろん聖書のページを変化させて簡易的な神の加護を得た武器を作るものだが、形状はかなり自由に設定出来る――わかりやすいところでは、聖堂騎士アンソニー・ベルルスコーニは聖典戦儀で自動拳銃の銃弾を作っている。

 聖典戦儀は武器を別の武器に、たとえば剣を斧に変化させたりすることも出来るので、十分に習熟すればなんの変哲も無いボタンやヘアピン、指輪といったものから武器を構築する使い方も可能になる――さらに言えば聖書のページから変化させるよりも、時間的に速い。

 その際に、聖書のページを任意に分割することも出来る――六枚のページを使って作った長剣を三枚ずつ使った長剣二本、あるいは一枚ずつの短剣六本、四枚の長剣と二枚の楯といった具合に、合計が六枚を超えない範囲で自由に比率と数を変えられるのだ。

 ヘアピンに偽装していた聖典戦儀のページ数は十二枚、それを四分割して四本の投擲用の短剣に変化させ、フィオレンティーナは短剣を投げ放った。

 

   †

 

 引っくり返された亀みたいな動きで、フィオレンティーナが尻餅をついたまま後退する――もちろん背中がソファーに当たっているので、押しくらまんじゅうよろしくソファーを押しながら後退することになるわけだが。二段階の段差のうち一段目に置いてあったソファーが押されて段差から落ち、ガタンと音を立てて傾いた。

それでもまだ押しているせいで、フィオレンティーナの体が段差とソファーの隙間に転落する――お尻から隙間に嵌まる様な格好になったフィオレンティーナの有様に、アルカードは片手で顔を覆って嘆息した。というか、膝を立てている姿勢なうえに全体的に後傾したせいで着せたTシャツの裾から白い下着が思いきり覗いて正直目の遣り場に困る。

「ちょっと、テーブルが」

 抗議の声をあげるより早く押されたソファーがテーブルにぶつかり、硝子の天板ががちゃんと音を立てる。

 自分の格好にも気づいたのか、フィオレンティーナがぶかぶかのTシャツの裾を思いきり引き下げる。気持ちはわからんでもないが――それこないだ買ったばかりの新品なんだから引っ張らないでくれ、伸びる。

 胸中での抗議もむなしく、少女はさらに裾を引き下げた――よせ、着られなくなる。

 胸中でつぶやいたとき、フィオレンティーナが声をあげた。

「ななななな――」

 よほど動揺しているのか、言葉になっていない。

「どうしてわたしはこんな――」

「服の話か?」 どれだけ裾を引っ張っても隠し様の無いすらっと伸びた健康的な脚から視線をはずして、アルカードは手にしたコップをテーブルの上に置いた。

「俺が脱がせた」

 そしてその言葉が終わるよりも早く、フィオレンティーナが頭に手を伸ばす――髪留めのヘアピンを引き抜くと同時に、ヘアピンが激光とともに四本の投擲用の短剣に変化した。

 ヘアピンを聖典戦儀で作っていたらしい――聖典戦儀は術者の技量次第で形状をかなり自由に設定出来るので、こういったことも出来るのだ。さらに言えば周囲に撒いた聖書のページと違って目立たないので、秘匿携行が容易で非常に扱い易い。

 おい――

 動揺しながらも狙いは正確に、一度に投げつけられてきた短剣を両手でそれぞれ二本ずつ掴み止め、アルカードは抗議の声をあげた。

「なにするんだよ、いきなり」

「なにをと聞きますか、この恥知らず!」 こちらは声量を抑えずに、フィオレンティーナが言い返してくる。フィオレンティーナは別のヘアピンを抜き取って長剣を構築しながら、

「ご大層な異名を名乗ってるくせにやってることは場末のゴロツキ以下ですか、このけだもの! 意識を失ってる相手を攫って手篭めにするなんて、なんて非道な――」

 涙目で声をあげるフィオレンティーナに、アルカードはようやく彼女の怒りの理由に思い当たった。

 聖堂騎士団は所属するとほぼ外界から途絶されるので、子供のころからそこで過ごすとかなりの温室育ちになる。それでも騎士団内で普通の教育は受けて育つし、吸血鬼の危険性について教えられる一環で、男女の機微についても教わるだろう。

 吸血鬼の拠点で少なくとも十二時間以上、意識を失っていた自分。吸血鬼の行動について熟知した人間が意識を取り戻して自分の格好に気づいたら、なにをされたと想像するかはまあ予想がつく。

 どうやら彼女の中では、自分は彼女が意識を失っている間に彼女を拉致して不埒な行いに及んだ不逞の輩として認識されているらしい――酷い誤解だ。それでも僕はやってない。あとその異名、別に自分で名乗ったことは無いぞ。

「なにもしてねえよ――濡れた服を脱がせただけだ。カーミラあの女狐に血を吸われたあとのこと、全然覚えてねえのか? 君はスプリンクラーの水でずぶ濡れになってたんだよ、ほかにどうしろっていうんだよ――ぐしょ濡れのままベッドに寝かせるわけにもいかないし、あとでそれを自分で使うのも嫌だしな」

 それを聞いて、今度は構築した長剣を投げつけようとしていたフィオレンティーナの手が止まった――アルカードの指の間につまみ止められた投擲用の短剣が、堕性の魔力に侵されてあっという間に刀身を曇らせ、紫色に変化していく。

 投げ棄てられた短剣が床の上に落ちるよりも早く灰と化し、その灰も床に触れるより早く完全に消滅した。それを見届けもせずにアルカードは嘆息し、

「俺だって困ったんだよ、でも仕方無いだろう。噛まれた君を病院になんか連れてけるわけないからな」

 ついでに言えばこんな兇暴なのを手篭めにするなら、手錠かなにかでベッドに縛りつけた挙句に薬でも打ってるよ――到底口に出来ない本音は隠して溜め息を吐くと、アルカードはダイニングテーブルの椅子を引き出して彼女に背中を向けて腰掛けた。

 リビングには扉がふたつあって、そのうちの一方は玄関に近い。アルカードが入ってきたほうの扉だが、アルカードはそちらを投げ遣りに指差して、

「扉を出て、階段があるから二階に。昇って右側に空き部屋があるから、そこに君の服が干してある――錆の混じった水と血でずいぶん汚れてたから、洗濯しといた。とりあえず着替えてきてくれ――そんな格好じゃ落ち着いて話も出来ないだろう」

 その言葉に、フィオレンティーナがこちらから視線をはずさずに立ち上がる――彼女はこちらに視線を据えたままじりじりと移動して、扉のほうに移動し始めた。

「心配しなくても、なにをするつもりも無いよ」

 あ、そこらへん剣で斬りつけたりしないでくれよ? そう告げてから、アルカードはさっきのコップを持ち上げて、飲む者のいない野菜生活を口に含んだ。

 出て行くフィオレンティーナを見送ってから――アルカードは彼女に着せていた黒いTシャツ(男の使い古しでは若い女の子は嫌がるだろうな、という彼なりの気遣いによって新品を出して着せていた)が、この数分で完全に使い物にならなくなってしまったことに盛大に溜め息を吐いた。

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