Vampire Killers 8

 

   †

 

 玄関のすぐそばにある階段を昇ると、階段の正面と左右に扉があった――開け放ったときの干渉を防ぐためだろう、引き戸になっている。

 階段を昇って右だと言っていたから、こちらだろう――胸中でつぶやいて、フィオレンティーナは右側の扉を開けた。

 ちょうどリビングの真上あたりになるのだろう。結構広い部屋だが、一階だけですべての用が足りるのか、家具のたぐいはなにも無い――扉の正面と右側に窓があり、風通しを良くするためかすべて開け放たれている。

 フィオレンティーナは部屋の中に足を踏み入れ、窓際でハンガーにかけて干された修道衣に歩み寄った――カーテンを閉めてから扉のほうを確認する。誰かがいる気配は無い。

 首元の白い布地に染み込んでいたはずの大量の血は、綺麗に洗い流されている――血の沁み込んだ修道衣などクリーニングには出せないだろうし、アルカードはもしかしたら結構手間をかけたのかもしれない。そんなことを考えながら、フィオレンティーナはTシャツを脱いで手早く修道衣の袖に腕を通した。

 靴下は無かったので、とりあえず裸足のまま脱いだTシャツを持って廊下に出る。窓は閉めておくべきか否か判断がつかなかったので、そのままにしておくことに決めた。

 階段を下りてリビングに向かうと、金髪の吸血鬼がテレビに向かって左側のソファーに腰を下ろしてテレビを見ているところだった。フィオレンティーナが背中で押したテレビの正面のソファーは元通りに直されている。硝子テーブルは無事だったらしく、空のコップ二個と硝子瓶に入った飲料が置いてあった――そのうち一個は先ほどアルカードがなにか注いでいたものらしく、フィオレンティーナが飲まなかったのでアルカードが飲んだのか中身は空になっていたが液体が残っている。

 ニュースの内容は東証株価指数、TOPIXの話題らしい。為替の話などまるでわからなかったのでそれ以上は気にせずに、フィオレンティーナはアルカードから少し離れた距離で立ち止まった。

 彼はフィオレンティーナに気づくと、テレビの前のソファーに視線を向けて彼女に着席を促した――フィオレンティーナがおとなしくテレビに向かって右側のソファーに腰掛けると、アルカードは空のコップに金色に濁った液体をなみなみと注ぎ、それをフィオレンティーナのほうに押し遣ってから、

「じゃ、少し話でもしようか」

 匂いから察するに林檎ジュースの様だ――生絞りそのままの芳醇な香りが漂ってきて、鼻腔を優しくくすぐる。

 アルカードは悠然とした仕草で自分のコップにも同じ様に瓶の中身を注ぎ、コップを手に取って口をつけた。ひと口ふた口嚥下したところで、コップをテーブルに戻す。

 アルカードが顔を上げて、こちらに視線を向けた。彼はコップを視線で示すと、

「飲まないのか? 別に毒なんか入ってやしないぜ」

 わかるものですか。胸中でつぶやいてから、フィオレンティーナはコップを手に取った。確かにおかしな臭いはしない――だが、別に劇薬のたぐいがすべて臭うわけでもない。

 フィオレンティーナは乱暴にコップを取り上げ、満たされた液体に口をつけた――そのまま一気に飲み干して、空になったコップをテーブルの上に戻す。

 その様子をアルカードはあきれた様な表情で見ていたが、やがてくすりと小さく笑った。

「君はまるで、警戒してる仔犬みたいだな」

「なッ――」 その言葉にかっとなってフィオレンティーナが口を開きかけたのを手で遮り、

「まあいい――話をしようと言ったのはこっちだ。ところで、俺のTシャツはどうした?」

 フィオレンティーナはその言葉に、べろんべろんに伸びたTシャツを翳してみせた――アルカードが微妙に傷ついた表情で、悲しげに溜め息を吐く。

 その表情はなかなか痛快ではあったが、とりあえずは真面目な話を優先することにしたらしく、彼は真顔に戻って口を開いた。

「体調はどうだ?」

「貴方には関係無いでしょう」

 つっけんどんに言ってやると、彼は再び盛大な溜め息を吐いて、

「そうでもない」

 そう言ってから、彼はフィオレンティーナの視線を捉えた。

「まあいい――少なくとも、刃物を投げつける元気が出る程度には回復したみたいだからな。君のほうからも、俺になにか聞きたいんじゃないのか?」

 確かに、聞きたいことは山ほどあった――この男が本当に吸血鬼アルカードであるのなら、なぜ自分を助けたのかとか、いろいろ聞かないといけないことがある。それに、今の彼女は丸腰同然だ――護剣聖典の聖書はあの倉庫の中で使ってしまったままだ。彼女自身は霊体武装を持っていないので、今はヘアピンに変化させた聖典戦儀以外の武器が手元になにも無い。今この場で過剰に喧嘩腰の対応を取るのは、得策とは言い難い。

 それに――彼がアルカードであるなら、教会としては殺さず泳がせろというのが基本的なスタンスだ。この五世紀ほど、彼が積極的にヴァチカンに対して敵対的な行動をとったことは無い。ならば、今この場で戦っても教会全体が厄介な敵をひとり増やすだけだ。

「確かに聞きたいことはあります――貴方はなんなんですか」

 その質問に、彼はすっと目を細めた。

「自己紹介は済んだはずだぜ。俺は吸血鬼アルカードだ」

 そういう意味の質問ではなかった――だが、夢で見た内容や、朦朧としていて本当に聞こえていたかも疑わしい会話の内容で質問を発することも出来ずに、フィオレンティーナは押し黙った。

 アルカードがいったん言葉を切ってから、再び口を開いた。

「で? ほかの質問は?」

「カーミラのことです――どうして彼女は生きてたんですか?」

「知らない」 アルカードの返答はにべも無かった。

カーミラあの女狐が生きているとは、俺も思いもしなかった――カトリオーヌとかいったか、あのカーミラの『剣』。あの女の写真が送られてきたときには、まさかと思ったが」

 その言葉に、フィオレンティーナは形のいい眉をひそめた――それではまるで、写真を手に入れる当てが最初からあったかの様だ。

「写真が送られてきた?」

「そうとも」 アルカードはそこでいったん言葉を切った――彼女の次の表情を予想するかの様になんとなく楽しげに笑いながら、

「俺が君たちの居所を知っていたのがどうしてだと思う? 警察から情報を引き出せる、聖堂騎士団内部の人間が知り合いにいるからさ」

 その言葉の続きは、フィオレンティーナにも予想がついた。否、そう考えればすべてが納得出来る。

 聖堂騎士パラディンライル・エルウッド。

「騎士エルウッド、ですね?」

 フィオレンティーナの言葉に、アルカードがちょっとだけ驚いた様な表情を見せる――だが彼はすぐに口角を吊り上げて笑った。

「そう、君たちのお仲間ライル・エルウッドだ――君たちは知らないだろうが、俺とあいつの実家はカルカッタで一度やりあって以来の八十年来のつきあいでね。俺はあいつのおしめだって換えたことがあるんだぜ?」

 そう言ってから、彼はコップを取り上げて口元に運んだ――どうやらストローを使う習慣は無いらしい。

「それじゃ、騎士エルウッドは滅ぼすべき仇敵である吸血鬼と結託した、教会に対する裏切り者だということですか?」

「とんでもない」 芝居がかった仕草で両手を広げてみせ、アルカードは即座にその質問を否定した。

「あいつは骨の髄まで君たちの味方だよ――神社のお祭りに行ってビールと唐揚げ片手に物見遊山してる様な男だから、聖堂騎士としてはともかく聖職者として真面目かどうかは保証出来ないがね」 そう続けてから、アルカードは再びジュースに口をつけた。

「俺があそこに行ったのはな、頼まれたからだよ。聖堂騎士パラディンフィオレンティーナ――君を助けてやってくれと、ライルに頼まれたからだ」

 アルカードはそう言ってから、わずかに視線を鋭くした。射抜かれる様な眼光のその瞳に気圧されて、わずかに体を硬くする――だが、アルカードはあっさりと緊張を解くと、

「君が知ってるかどうかわからないから言うがな、シドニーとダカールから日本に向かって移動中だった聖堂騎士が殺されたそうだ――ヴァチカンが情報を抑え込んでいるから、事件にはなってないが」

 言いながら、アルカードがソファーの上に置いてあった茶封筒を手に取ってテーブルの上に放り出した。

 アルカードの顔を見遣ってから、手を伸ばして茶封筒を手に取る。

 中身はA4のコピー用紙にプリントアウトされた、写真の画像だった――吸血鬼などというホラーな生き物が現代的な文明の利器を普通に使っているのを見て微妙な頭痛を感じながら、フィオレンティーナは取り出したプリントアウトを確認した。

 どうやら監視カメラからプリントアウトされた画像らしく、視点が高い――デジタル処理で画質補正リマスターされたものらしく、カメラ位置が天井に近いにもかかわらず鮮明な画像だった。

 被写体を確認して、フィオレンティーナは息を飲んだ。

 写真には、法衣を着た男を足蹴にする長身の男が映っていた。

 足蹴にされている男――二十代後半の痩せた体格のその聖堂騎士は、大の字で空港の床の上に仰向けに倒れていた。全身を切り刻まれたらしく血まみれで、その挙句最接近しての一撃で胴を薙がれたらしく、裂けた腹から血と内臓がこぼれ出して下半身を覆っている。だがそれでは死に切れなかったのだろう、男の顔は苦悶でひどくゆがめられていた。

「ブラックモア教師……」

「知り合いか?」

「ええ。わたしの――」

 聖堂騎士団において、後進の育成は現役を引退した聖堂騎士や、上層部の辞令によってそう指示されて現役と兼任で着任した、『教師』と呼ばれる役職の者たちが行う。

 教師は数十人単位で指導する基礎クラスと、数人ごとに割り振られて密接な指導と訓練を受ける後期クラスに分かれていて、フィオレンティーナも含めて三人が後期にブラックモアの教室に入室している。

 聖堂騎士団においては出身教室が派閥の様なものを形成しており、人員について話題に出す場合、●●教室の○○、といった言い方をすることが多い――といっても、別に派閥によって昇進に差が出るわけでもないのだが。

「いえ、わたしも含めて何人かの、後期の教師でした」 フィオレンティーナがそう答えると、アルカードがうなずいて、

「彼は俺も知ってる――優秀な奴だったが」

 だがそのブラックモアも、今回ばかりは駄目だったらしいな――わずかばかりの追悼を視線に滲ませて、アルカードはそうつぶやいた。

「この男は貴方も知ってるんですか?」 ブラックモアの体を踏みにじっている赤毛の男を指差してそう尋ねると、アルカードはあっさりとうなずいてみせた。

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