Vampire and Exorcist 22

 

   *

 

 空は雲ひとつ無い快晴だった――陽がまだ低いので気温が上がっておらず、風は少し冷しひんやりとしている。アルカードが私用車を止めるのに使っている駐車場はアパートの裏手にあり、塀に設けられた扉を抜けてアパートの敷地から直接出られる様になっている。

 扉はもうかなり前に設置されたものなので、いろんな部分にガタがきて非常に建てつけが悪い。いっそ扉ごと交換しようかと思わないでもないが、面倒臭くてそのままになっている。アパートの建物の裏側に廻り込みながら、盛大に欠伸をする。自分の部屋の窓の前を通りかかったので視線を向けると、リビングに面した掃き出し窓の前で仔犬たちが硝子に肢をかけてきゅうきゅう鳴いている。

 それを見遣って微笑し、アルカードは再び前に視線を戻した。隣室のアン・スカラーはまだ眠っているのか動きは無い。あるいはジョーディ・シャープの部屋で夜を過ごしたのかもしれない。

 その隣がフィオレンティーナの部屋だが、こちらはシャワーを使っているのか、開けっぱなしになった浴室の窓から水音が聞こえてきている。閉めろよ。

 もう結構前の話だがエレオノーラ・プロニコフともうひとり、すでに大学を卒業してアパートも引き払った元従業員が使用済み下着の不始末が原因で引き起こしたとんでもない厄介事を思い出して、アルカードは嘆息した――否、パンツの不始末はともかくとしてそれで変態がストーカーに発展するのは別段本人の責任ではないが。

 まあそうはいっても、窓から声をかけるわけにもいかない――そんなことをした日には、あとでどんな目に遭わされることやら。まあこのアパートは結構床が高いので、角度的に彼女の入浴を覗けるのは雇い主夫婦の住む二世帯住宅の、今は空いている二階くらいだ。害もあるまい。

 覗かれるのは、俺じゃないしな――胸中でだけつぶやいて、アルカードは樹脂製の扉に歩み寄った。なにぶん古い代物なのであちこちにガタがきており、開けるのにちょっとしたコツがいる――別に防犯の役に立つとも思えないが。

 アパートの裏手にある駐車場に出て、アルカードは二台並んで止められた彼の車に視線を向けた。一台はフォード・ムスタングのカスタムアップ・モデル、もう一台はジープ・ラングラー。

 その向こうにはカバーをかけられたオートバイが、二台並んで止まっている。一台はDucatiのMonster S2R1000、もう一台は同じくDucati Multistrada。

 ムルティストラーダはライル・エルウッドの持ち物で、先日の事故のときに壊れたのを修理したものだ――工場預かりの車が増えて置き場所が無くなってきたので、ならばこちらで預かるからと引き取ってきたのである。

 空きスペースが一台分あるので、作業自体はそこで出来る。まずは駐車場からライトバンを持ってこないといけない――盛大に大欠伸をひとつして、アルカードは歩き始めた。

 

   *

 

 ――ギャァァアァァッ!

 絶叫とともに、三十体目の噛まれ者ダンパイアが塵に変わって消えて失せる。

 それを見ながら、フィオレンティーナは荒い息を吐いた。

 背後でカトリオーヌも汗だくになり、肩で息をしている――もう一時間近くも戦い続けているのだから無理も無いが。

 正直きつい――女の周囲には、まだ百を超える数の噛まれ者ダンパイアが控えている。

 信じられない話だが、女が従えた噛まれ者ダンパイアの数はおそらく二百をくだるまい。

 これは完全に罠だ――誰かがこちらの情報を漏らしている。

 おそらくこちらを疲弊させて捕らえたいのだろう、カーミラは戦力を一度に投入しようとはしなかった――無傷で捕らえて、どうするつもりかはわからない。まあどうせ血を吸うつもりなのだろう――吸血鬼のやることなんてその程度だ。

 きりが無いですね――毒づいて、フィオレンティーナはカトリオーヌに視線を向けた。

「騎士カトリオーヌ、撤退しましょう――この状況は分が悪すぎます」

 正直に言ってしまえば、この状況を打開するのは容易い――いったん外に出て、日が落ちる前に重機を使って倉庫を取り壊してしまえばいい。

 いったん太陽光下に出てしまえば、噛まれ者ダンパイアは追ってこられない。壁に穴を開けて陽の光を射し込ませるだけで、内部にいる吸血鬼は片端から塵に変わる。

「そうですわね。たしかに、この状況は不利すぎますわ――貴女にとってだけだけれど」

 続く言葉に問い返そうとした瞬間カトリオーヌの振るったモーニングスターが視界の端に映り、フィオレンティーナは反射的にそれを撃剣聖典で受け止めた――だがそのまま弾き飛ばされ、フォークリフトの車体後部の巨大な錘に背中から叩きつけられる。

「あぅッ!」 法衣越しながら強烈に背中を打ちつけて、フィオレンティーナは小さくうめいた。後頭部を硬いカウンターウェイトにぶつけて、視界が揺れる。

 な……?

「騎士カトリオーヌ、なにを……!?」 その言葉に、カトリオーヌがほほほと笑う。

「まったく、お馬鹿さんですわね。どうしてこれだけの数の噛まれ者ダンパイアが待ち構えていたと思いますの? 内通者がいるのはおわかりになると思いますけれど――内通者はわたくしですの。わたくしは最初から聖職者なんかではありませんのよ――もちろん、フリーランスの魔殺しなんて前歴も嘘。七百年にわたってあのお方に御仕えしてきた『剣』なのですから」

 その言葉に愕然として、フィオレンティーナは涙でぼやける視界の中でカトリオーヌの妖艶な笑みを捉えていた。

 どういうことなのかはわからないが――彼女が今言った言葉をそのまま解釈すれば、どういう手段によるものか、カトリオーヌ・ラヴィンは聖堂騎士団に潜入していた吸血鬼だということになる。

 まずい――この状況は決定的にまずい。

 自分はしばらく動けそうにない、相棒は裏切り者、頼みは長引く戦闘に立花が応援を呼んでくれているだろうことだけだが――

「もう片づきました?」 気楽な口調で言いながら、椪づけされたパレットの陰からひょっこりと姿を見せたのは、立花深冬その人だった。

「ええ、片づきましてよ」 朗らかと言ってもいい様な気安い口調で、カトリオーヌがそう答える。

 愕然としながら、フィオレンティーナはカトリオーヌと立花を見比べた。立花がこちらに視線を向け、

「残念ね、可愛い聖堂騎士さん」

 微笑みながら、立花がスーツのボタンをはずし、身につけていたブラウスのボタンをひとつひとつはずしていく。あらわになった胸の谷間に見覚えのある刺青の様なものを見つけて、フィオレンティーナは息を飲んだ。

 あれは、実物を見るのははじめてだが――

「日本で聖堂騎士に情報を提供する職員なんて職務に就いているけれど、実はわたしも内通者よ。吸血鬼信奉者」

 その言葉に愕然として、フィオレンティーナは立花と黒髪の女を見比べた。

 世の中には自分が吸血鬼に喰い殺されるのを避けたり、上位の吸血鬼に認められて強力な吸血鬼に変えられることを目的に吸血鬼の配下に加わる人間がいる。逆に吸血鬼側が自分たちに有利になる様便宜を図らせたりする目的で、あるいは生身の人間を抱き込むこともある。

 それらが吸血鬼信奉者だ――彼らはたいてい社会的に重要な職務に就いており、政治家や大企業の役員などに多い。彼女の胸の谷間に刻まれているのは、まぎれも無く吸血鬼が相手を自分たちの下僕であると確認するためのものだった。

 黒髪の女に視線を向け、立花が嫣然と笑う。

「ドラキュラ公爵様がこの国で行動するには、警察内部に情報源があったほうが有利だもの。だから、わたし――警視庁内部で相応のポストを持ち、かつ聖堂騎士団と日本警察の連絡役を担うわたしが選ばれた」

 どういうこと?

 意味がわからずに、フィオレンティーナは小さくうめいた。カトリオーヌが言った『あの方』とは、明らかにドラキュラではなくあの女のことだ。それではまるで、あの女もまた真祖であるかの様な――

「ご紹介いたしますわね、あのお方こそは真祖カーミラ様――わたくしたちの主ですわ」

 そう言って、カトリオーヌが恭しく跪く。それまで壁にもたれかかっていた女が、こちらに向かって歩いてきた。

 カーミラ――馬鹿な。その名前は知っている――五人目の真祖カーミラ。

 吸血鬼アルカードが十六世紀初頭、一五一一年の冬にパリで殺した吸血鬼だ。

「はじめまして、お嬢さん――ただ今ご紹介に与った、真祖カーミラよ」

「う、そ――貴女はたしか、殺されたはず……」

 フィオレンティーナのか細いうめき声に、カーミラはうなずいてみせた。

「そうよ、私は確かにあの可愛いアルカード坊やに殺されたわ。一五一一年、あの寒い寒い冬のパリでね。でも、ドラキュラ公爵様がわたしを死の淵から御救い下さったの。あの坊やが放置した胴体に残っていた、わたしの血を吸うことで」

 それはつまり――真祖は相手が弱ってさえいれば、吸血によって真祖をも支配出来るということか? でも被害者の肉体が損壊していれば、血を吸われても復活することは無いはずだ。否、それらはすべて人間の場合だ――吸血加害者も被害者ともに真祖なら、そんな例外もありうるのか?

 愕然としながら、フィオレンティーナはその意味を頭の中で反芻した――真祖を支配下に置けるなら、それは上位個体となった真祖にとってまさしく最上の下僕だろう。

「でもねえ、さすがにあの坊やにやられた傷はなかなか治らなくてね。いまだに傷が残ってるのよ」 言いながら、カーミラが顔の半分を隠していた前髪を払いのける。

 火傷のごとき醜い傷跡が、女の美しい顔の半分を覆っていた。

「この傷を治すために――貴女の血を頂戴、お嬢さん」

 言いながら――カーミラの手がフィオレンティーナの法衣の首元にかかる。

 あらがおうと身をよじったが、体に力が入らない。

「無駄よ、お嬢さん――ミフユとカトリオーヌのふたりの内通者を通じて、わたしは貴女をここにおびき寄せた。槍遣いは、あの坊やが守っているから」

 槍遣い――考えるまでも無い、エルウッドのことだ。

 聖遺物アーティファクト千人長ロンギヌスの槍――聖堂騎士団第一位の聖堂騎士ライル・エルウッドはかつてゴルゴダの丘において磔刑に処されたイエス・キリストの体を貫いて生死を確認するのに使われ、その血を浴びて強力な聖性を帯びた槍を持っている。

 だが、あの坊やというのはおそらくアルカードのことだ――エルウッドをアルカードが守っている、この女は今そう言ったのか?

「貴女が坊やと遭遇したと聞いたときは、正直焦ったけれどね――せっかく手元に来た獲物だもの。でもそれで、貴女が十分に強大な魔力を持っていることがはっきりした――この傷を癒すのに十分な魔力をね。坊やを直接襲うわけにはいかなかったのよ、今のわたしでは力が足りなくて坊やに負けてしまうから――それにしても、自分を一度殺した男の家系と馴れ合うなんて、あの坊やも変われば変わるものよね」

 後頭部をぶつけたときに脳震盪でも起こしたのか、体が言うことを聞いてくれない。揺れる視界の中で、カーミラが嫣然と笑うのが見えた。だが、ここまで手足に力が入らないというのは――

「だからわたしは、ミフユを通じて貴女に目をつけた――待ち伏せしていたわたしが、なにも手を打たずに待っていたと思う?」

 言いながら、カーミラは気楽なしぐさで懐から取り出した小瓶を振ってみせた。

「揮発性の高い麻酔薬よ――直接摂取させるのではなく、蒸発することで閉塞した空間の空気すべてを麻酔薬に変える薬。この程度の小瓶でも、この倉庫全体にいる生き物の反応速度や神経を鈍らせる効果がある。霊的な要素は特に無いから、貴女の抗魔体質は役に立たない」

 吸血鬼わたしたちにはなんの効果も無いけれどね――そう言って、カーミラは手近な噛まれ者ダンパイアに向かって小瓶を放り投げた。

「吸血鬼にはなんの効果も無いけれど、まがりなりにも人間の貴女にはそれなりの効き目がある――錬金術によって作り出されたものだけれど、魔術的な効果を持つ秘薬ではないから貴女の異能に分類されるほど強力な抗魔体質も効果が無い。貴女の動きを止めるのは最初から期待していなかったけれど、それでも貴女の判断を鈍らせることは出来た。少量だから、もうそろそろ効果も無くなっているでしょうね――血が不味くなるから、そうでなければ困るけれど」

 つまり、あの結界は本命の麻酔薬から意識をそらすための罠だったのだ。この倉庫すべてが、彼女の餌にするために自分をおびき寄せる布石だった。

 言葉とともに――ほっそりとした指が、フィオレンティーナの首筋を這う。蛞蝓が肌を這っているかの様な嫌悪感に、フィオレンティーナは力の入らない腕を振り回した。腕から逃れて体をそらし、カーミラが笑う。

「素晴らしいわ――まだそんな抵抗が出来るのね。素敵よ、お嬢さん」

 言葉とともに――数体の噛まれ者ダンパイアがフィオレンティーナの腕を押さえつける。

「さあ、もういいかしら? 貴女の聖性なら、きっとあっという間に傷が治るわ」

 法衣の襟をずらして露になった首筋に、カーミラが噛みついた――首筋の強靭な皮膚が犬歯に喰い破られ、血が噴き出す感触とともに神経を焼いた激痛に、抑え様も無い絶叫が喉から漏れる。

 頚動脈から吹き出す血に顔の半分が紅く染まった――視界まで真っ赤なのは、目に血が入ったからだろう。

 どんどん指先から力が抜けていく――首筋から血が吸い出され、体温が下がっていくのがわかった。

「あ……あ……」 貧血のせいだろう、ひどく寒い。手袋をつけずに真冬の屋外を歩いたときの様に、指にまったく力が入らない。

 だがそれでも意識は残っている――真っ赤な視界の中で、首筋から顔を離したカーミラの、顔の半分を占めていた醜い傷跡が消失しているのがかろうじてわかった。

「素敵よ、お嬢さん――本当に予想通り。この強い聖性、圧倒的な魔力、最高よ」 恍惚とした表情で血染めの唇を舌で嘗め、カーミラが笑う――暗い視界の中で彼女が突然視線を転じるのに気づいたが、なにも出来ない。

 どさりという音が聞こえるまで、フィオレンティーナは自分の体が地面に投げ出されたことに気づかなかった。

 真っ赤に染まった視界の中で、倉庫の入り口に視線を向けたカーミラが楽しそうな声をあげるのが聞こえる。

「あらあら、お久しぶりね」 カーミラの声が妙に遠くから聞こえる。真っ赤になった暗い視界の中で、カトリオーヌと立花が倉庫の入り口を振り返った。

 入口そのものは積み上げられた荷物の陰になって窺えない――が、シャッターの内側で塵に変わって崩れていく噛まれ者ダンパイアの姿が見える。声の主が殺したのだろう。

 積み上げられたパレットの陰から、踝まで届く黒い革製のロングコートを羽織った長身の男が姿を見せる。

 癖のある金髪をうなじのあたりで束ねたその男が右手に黒い表面処理の施された大型の自動拳銃を持っているのが、ぼやけた視界の中でなんとか見て取れた。

 あの男は――

「ああ、実に懐かしい――十六世紀のシテ島以来だな」

 顔は見えない。けれど聞き覚えのある声。正体を知らずに聞けば、さわやかにすら感じるであろう端正な声音。

「そうね、一五一一年のノートルダム大聖堂以来。四百九十六年ぶりかしらね――会いたかったわ、坊や」

「そいつは光栄だ――もっとも、俺は貴様の厚化粧なんぞ二度と見たくなかったがね、吸血鬼カーミラ」 言いながらその男――同族殺しの吸血鬼、『血塗られた十字架ブラッディークロス』アルカードは右手で保持した黒い自動拳銃の銃口をカーミラに向けた。

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