Vampire and Exorcist 21

 特に余計な会話を交わすことも無く、ふたりの女性たちは立花から指定された倉庫を目指して歩いていった。

事前に渡された地図の通りなら、この道で合っているはずだ――目指すのは、6とナンバーが振られた倉庫。両端に扉があって、大きなシャッターが二枚、そしてそれぞれのシャッターのそばに通用口と思しき扉。

 道路の幅はかなり広い――トレーラーや大型トラックの通行を容易にするためだろうが。

 聞いた話では港湾運送事業業者が管理している倉庫らしく、もともとは食糧庁より委託を受けて国内枚を取り扱っていたらしい――それが今では食品から日用雑貨に至るまで、さまざまな貨物の輸出入を行う様になったのだそうだ。

 この倉庫はその中で、日本国内産の高品質の粉ミルクを主に中国向けに輸出するために集積しているらしかった。

 接近を事前に気取られない様にするためと、立花警視たちが襲撃される危険を確実に無くすためにわざと遠くで降りたので、倉庫まではまだ距離がある。事前の警察の人払いの成果か、彼女たちが気づいたかぎり倉庫街を出歩いている人影は見当たらなかった。

 お蔭で余計な茶々入れも無く、じきに倉庫の前に到着する。

「多いですわね」

「ええ」 カトリオーヌの言葉に、そう返事をする――磨り硝子越しに向こうを見ている様に判然としないが、吸血鬼の惰性を帯びた魔力の気配が倉庫の中にひしめいている。

 どうにも数が判然としないが、多いことだけは間違い無い。

 カトリオーヌのほうが背が高いので、歩くのが速い。彼女はフィオレンティーナの歩調に合わせるのをやめて、そのまま倉庫の左側の通用口に向かってちょっと足を速め――

「そぉれッ!」 掛け声とともに――カトリオーヌはいきなりモーニングスターを振るい、鉄球を通用口に叩きつけた。

 がごーん、というものすごい轟音とともに、鉄球を叩きつけられた鉄扉が内側に吹き飛ぶ。

「さ、行きますわよ」 ぽかんとしているフィオレンティーナを促して、カトリオーヌは通用口から倉庫に入った。

 彼女に続いて倉庫に足を踏み入れる――どのみち向こうもこちらの接近には気づいているだろう。さすがにここまで接近してしまえば、ある程度の力を持つ吸血鬼なら接近に気づくはずだ。ただ、ここがはずれで実はただの倉庫だったら、扉の修理代は誰が負担するのだろう?

 蝶番が弾け飛んだ扉の奥には左側は当然壁、右手にはちょうど壁の様に積み上げられた段ボール箱が見えている。フォークリフトで運ぶための青やグリーンの合成樹脂製のパレットの上に積み上げられ――たぶんこういうのをはいづけというのだろう――幅広のラップでぐるぐる巻きにされている。パレット一枚につき段ボール箱を七段ほど積み上げられたパレットが、どうやら積み重ねられて置かれているらしい――何段積み上げられているのかは、ここからではわからなかった。

 中身が重いからだろう、幅と奥行きの割に段ボール箱の高さはさほどない。

 粉ミルクの輸出のための一時保管場所か、集積所の役割をしているのだろうか。あのままコンテナに積み込んで輸出するのだろうか?

 まあ、使い道など考えたところで仕方無い。フィオレンティーナはカトリオーヌと視線を交わして小さくうなずきあい、倉庫の中に足を踏み入れた。

 倉庫の扉をくぐった途端におかしな違和感を覚えて、足を止める。

「騎士カトリオーヌ、これは――」

「ええ、わかっておりますわ。変わった結界ですわね」

 整った眉を寄せて、カトリオーヌがそう返事を返してくる。

「どうやらこの結界の内部に入ると、気配の認識が撹乱される様ですわね――騎士フィオレンティーナ、そばにいる貴女の気配もあやふやにしか感じられませんわ。貴女はいかが?」

「わたしは大丈夫です」 結界の境界線を越えるときに違和感こそあったものの、特に変調が生じていないので、フィオレンティーナはかぶりを振った。

 人間にはたまに抗魔体質といって、本人の生理状態や精神状態に直接影響を及ぼすタイプの魔術や秘薬の効果を減衰させたり、まったく影響を受けなくさせる体質の持ち主がいる。フィオレンティーナのそれは異能力に分類されるほど強力なもので、直接影響するタイプの魔術はもちろん魔術的な劇薬や探索系の魔術、防御結界も効果が無い。

 おそらく結界自体は外部に気取られにくくするのと、内部に入った相手の気配の認識を撹乱することで術者側の勢力が戦いやすくするためのものだろう――抗魔体質持ちのフィオレンティーナは結界の外側にいたときはカトリオーヌ同様結界内部の気配に気づかなかったが、内部に入り込んだ今となってはむしろ正確に敵の気配が掴める様になっていた。

「騎士カトリオーヌ――本当にわからないですか?」

「ええ、残念ながら――騎士フィオレンティーナ、貴女はいかが?」

「わたしは大丈夫、わかります――ただ、わたしはあまり気配の探索とかは得意ではないですから。数が多すぎて正確な数までは――多いとしか」

 あまり数がいると、正直厳しいですね――そう返事をして、フィオレンティーナは周囲を見回した。戦闘において、気配を感じられないというのは非常に危険が大きい。周囲の気配がわからないということは、近くに吸血鬼がいてもわからないということだ。

 慎重に周囲の気配を探りながら、フィオレンティーナは周囲を舞う聖書のページを三枚まとめて掴み止め、刃渡り一・五メートルほどの長剣を構築した。戦える場所が制限されるが、今は間合いを優先したほうがいい――どこから仕掛けてくるかわからないからだ。

 自分は大丈夫でも、カトリオーヌが問題だった。彼女が先に狙われれば、フィオレンティーナにはそれを防ぎきる自信は無い――彼女が斃されれば、おそらく自分も斃される。

 罠……?

 胸中でつぶやいて、フィオレンティーナは周囲を見回した――まるで廊下の壁の様に右手に積み上げられた、粉ミルクの段ボールケースを集積したパレット。哺乳瓶に吸いつく赤ん坊の絵が描かれた輸送用ケースがひとつのパレットに七段、それが一ヶ所に四パレット積み重ねられている。ひとつのパレットの高さがフィオレンティーナの身長とほぼ同程度なので、最大で六・四メートルというところか。

 奥でどういうふうに積み上げられているのかは見当がつかないが、これのせいで視界が著しく制限される。

 積み上げられた荷物のせいで、視界が悪すぎる――胸中でつぶやいて、フィオレンティーナは頭上を見上げた。これでは、物陰に噛まれ者ダンパイアが潜んでいたらなかなか気づかないだろう――それに、荷物の上に攀じ登った噛まれ者ダンパイアが荷物を崩す危険もある。

 パレットの上に攀じ登って、頭上から襲ってきたら気づきませんね――胸中でつぶやいて、フィオレンティーナは手にした長剣を握り直した。

 たとえ人間離れして強靭でも、これだけ大量の荷物の崩落に巻き込まれたら大怪我をするのは間違い無い。

 壁に突き当たって、パレットの壁を廻り込む様にして移動する――すでにこちらの侵入は露見しているのに、襲ってこない。怖じけて逃げたということもあるまいが――

 排気ガスの臭いがつくと困るからだろう、あるいは密封されているとはいえ粉末を扱うから火気を避けようとしているのか、奥の壁の近くに止められた三台のコマツのフォークリフトは電動式だった。あまり大きなものではない――リフトのお尻の部分についている錘が小さい。

 ということは、あのパレットはサイズはともかくさほど重いものではない様だ。

 一番奥のパレットと壁の隙間を抜けて、おそらくフォークリフトがトラックに荷物を積み下ろしするためだろう、シャッターに面した広いスペースに出たとき、

「いらっしゃい、お嬢さん」

 突然横合いから声がかかり、フィオレンティーナはぎくりとして振り返った。

 視線を転じると、中央の通用口の脇の壁にもたれかかる様にして体重を預け、長身の女がたたずんでいるのが視界に入ってくる。

 それを目にした途端、フィオレンティーナは反射的に構築した擲剣聖典――短剣を投げ放った。

 目にも留まらぬ速度で飛来した短剣三本を、女が気楽に受け止めてみせる。白魚を思わせるほっそりとした指の間で、強烈な堕性に侵蝕された擲剣聖典が崩れ、聖書のページに戻って朽ちて散っていった。

 それと同時に、天井の水銀燈が突然点燈した――誰かが照明の電源を入れたのだ。だがいずれも切れかけているのか、それともこの倉庫の電源が落ちていて発電機でも使っているために電圧が足りていないのか、いずれにせよいずれの電球も非常に暗い。

 フィオレンティーナは知る由も無いが、水銀燈は高輝度放電式ディスチャージヘッドライトと同じく電極間の放電現象による絶縁破壊の閃光を光源にしており、電圧が安定するまで明るくならない。じきに電圧が安定して十分な明るさになり、視界が確保出来る様になった。

「こんにちは」 徐々に明るくなり始めた照明の下で、女はそう言って女は嫣然と微笑んでみせた。

「騎士カトリオーヌ、アレは――」 その呼びかけに、カトリオーヌが厳しい眼差しで小さくうなずく。

「ええ」 手強い。あそこにいるあの女は、とんでもなく強力な吸血鬼だ。

 黒いレザーのパンツに紅いTシャツと黒いレザージャケットを着た、見た目二十代前半の妖しげな美しさを湛えた女だ。卸したての針金の様な艶やかな黒髪を背中まで伸ばし、顔の半分を前髪で隠している。

「貴方が、ここを根城にしている吸血鬼ですの?」 カトリオーヌがモーニングスターを構えて口を開く。

「だとしたらどうするのかしらね?」 質問には答えずに、女はそう尋ね返してきた。

「もちろん、主の御心に従って処分いたしますわ」

 その言葉に、髪で顔の半分を隠した女はくすりと笑った。

「そうなの? それは楽しみね――じゃあ、お相手しようかしら」

 その言葉とともに――物陰からいっせいに姿を見せた数十人、否まだ姿を見せていない者たちも含めれば、下手をすると百を超えるかもしれない数の噛まれ者ダンパイアの群れを目にして、フィオレンティーナは息を呑んだ。フィオレンティーナの技能では、さすがにこれだけの数の吸血鬼の気配を識別することなど出来なかったのだ。

「ちょ、これは――」 さすがに驚いたのか、カトリオーヌが小さくうめく。

 通常、噛まれ者ダンパイアは上位個体の吸血鬼の意思に百パーセント従うことは無い。だが、直接声の届く範囲にいれば話は別だ。彼らの瞳からは意思の光は感じられず、ただ獣の様な純然たる殺意だけを湛えている。

 彼らには無論のこと意識はある――だが今の彼らは、自由意思を持っていない。自分の意思で動いているつもりでいて、実はあの女の殺意に引きずられているのだ。

 それでもこれだけの数の噛まれ者ダンパイアを、直接支配するなんて――

 胸中でつぶやいたとき、数体の噛まれ者ダンパイアが床を蹴った。

 そのうちの一体は、警察官の制服を着ている――突進してきた噛まれ者ダンパイアが、ホルスターから自動拳銃を引き抜くのが見えた。

 小さくうめいて、フィオレンティーナは床を蹴った――警察官の噛まれ者ダンパイアが自動拳銃を抜ききるより早く、長剣でその右腕を切断する。

 噛まれ者ダンパイアの喉から悲鳴がほとばしり、同時に床に落下した拳銃を握ったままの切断された腕が床に触れるよりも早く塵と化して消滅した。残った筒状になった袖と一緒にコンクリートの床に落ちた自動拳銃がごとんと音を立て、激痛で体勢を崩し倒れかけた警察官の体をカトリオーヌがバットの様に振り回したモーニングスターが横殴りに吹き飛ばした。

 吹き飛ばされた警察官の体が仲間に向かって突っ込んでいき、その先にいた噛まれ者ダンパイアがその体を受け止める――よりも早く、フィオレンティーナが繰り出した長剣の一撃が警察官の体ごとその向こうの噛まれ者ダンパイアの胴体を撃ち抜いた。

 一撃で心臓を貫かれ、二体の噛まれ者ダンパイアが絶叫をあげながら塵と化して崩れ散って消えて失せる。

 襲い掛かってきている噛まれ者ダンパイアは、あとふたり。

 主婦らしい噛まれ者ダンパイアが跳躍した――視線で追うと、女の噛まれ者ダンパイアは背後の大豆の山を蹴って方向を変え、頭上からこちらに襲い掛かってきている。

「キャアアアアア!」 もう一体――セーラー服を着た女子高生の噛まれ者ダンパイアが、こちらは地を這う様な低い体勢でフィオレンティーナに殺到してくる。

「上を!」 カトリオーヌが女子高生を迎え撃つつもりなのだろう、前に出る――フィオレンティーナは前方の噛まれ者ダンパイアを彼女に任せ、頭上から仕掛けてきている主婦の噛まれ者ダンパイアを迎え撃った――まっすぐに突き出した長剣の鋒が主婦の口蓋に突き刺さり、そのまま股間まで貫く。メザシの干物みたいになった主婦の噛まれ者ダンパイアの体が、悲痛な絶叫とともに塵に変わって失せて消えた。

 同時にカトリオーヌが振るったモーニングスターが、正面から襲い掛かってきていた女子高生の噛まれ者ダンパイアの頭部を横殴りに薙ぎ倒す。床に横倒しに倒れ込んだ少女の後頭部を再度の一撃が叩き潰し、ぐしゃりと言う音とともに脳髄が飛び散って、そのまま消滅した。

「あらあら、素敵ね、貴女たち」 気の無い拍手をして、女が嫣然と笑う。

「でも、たったこれだけの数を斃したくらいじゃ、わたしには届かないわよ?」

 その言葉とともに、数人の噛まれ者ダンパイアが前に出る。

「さあ、楽しませて頂戴」

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