Vampire and Exorcist 20

 

   *

 

 寝覚めは最悪だった――とびきりの悪夢によって眠りの中から叩き起こされ、眠い目をこすりつつ上体を起こしたとき、腹の上からなにかがぽてんと転げ落ちた。

 なんだろうと思いつつシーツをめくり返してみると、そこでじたばた暴れていたのは三匹の仔犬だった。

 ……ああ、そうだ。

 母親を恋しがってか夜中になると鳴き出すので、一緒に寝ているのだった。

 突然寝床――アルカードの体のことだ、もちろん――から転げ落ち、それに驚いて目が覚めたのか、短い肢に絡まったシーツを振りほどこうとしてばたばた暴れ、そのせいで余計にシーツが絡むという悪循環に陥っている。

 その様子に苦笑して、アルカードは仔犬たちの肢に絡みついたシーツを解いてやると、くしゃくしゃに丸めたシーツを横に放り投げた。

 こちらを見上げて尻尾を振り始める仔犬たちを見遣って、がりがりと頭を掻く――腹から胸にかけて三匹の仔犬が乗っていたせいで、あんなに夢見が悪かったのだ。小動物が相手では怒る気にもなれず、小さく息を吐く。

 仔犬たちの頭を順に撫でてやってから、アルカードはベッドから足を下ろした。

 サイドボードに置いた腕時計を取り上げて、文字盤を覗き込む――朝の四時だった。

 道理で眠いわけだ――大きく欠伸をして、しかし二度寝はしないという彼の人生哲学に従って横にはならずに、そのまま洗面所へと歩いていく。

 足元をちょろついている仔犬たちを踏んづけない様に足元に注意しながら、アルカードは廊下に出た――アルカードは昔から室内でも靴を履いたまま過ごす習慣があり、床を傷つけない様に絨毯を敷き詰めてある。床のダメージはそれでいいとして、頑丈なブーツで犬の肢でも踏んづけたら洒落にならないので、アルカードはまず仔犬たちをリビングに連れ込んだ。

 扉を閉めて出てこられない様にしてから、洗面所に歩いていく。

 仔犬たちはリビングから外に出さない様にしたほうがいいかもしれない――胸中でつぶやいて、アルカードは洗面台の蛇口をひねった。勢いよく出てきた水で手を濡らし、洗顔料を出して泡立てる。

 朝食を食べるにはまだ少しどころではなく早いだろう――今から食べたら十時ごろに腹ペコになってしまう。そんなことを考えながら、アルカードは泡を洗い流した。

 すぐに食事をするのはやめることにして、アルカードはとりあえず大きなスポーツタオルでがしがしと顔を拭い、今日やろうと思っていた作業の準備を始めることにした――といっても部屋で準備することといえば、昨日池上から受け取ったブレーキの摩擦材の入組み数がちゃんとそろっているか確認することくらいだ。実際に作業に取り掛かる時間帯としては、朝の四時はあまりにも非常識すぎる。

 あとは友誼のある近所の地主の持っている有料駐車場に置かせてもらっているトヨタのライトバンを、こっちに持ってこなければならないが――まあ、それもあとでいい。朝の四時から車の運転など、迷惑行為にしかならない。

 非常時に即座に行動を起こせる様にするために、寝間着と平服を明確に区別する習慣は無いので――心無い人はそれを着たきり雀とか着のみ着のままと言うのだが――、パジャマなどは持っていない。

 アルカードはしきりに出てくる欠伸に目尻に涙を浮かべながら、アンダーアーマーのTシャツを脱いで洗濯物の籠に放り込み、代わりに衣装ケースから取り出した新しいTシャツをもそもそと着込んだ。

 アイアンハートの分厚いジーンズにTシャツの裾をたくし込み、二本ピンのベルトを締めて、それまでで一番の盛大な欠伸をする。

 用意するのは昨日の晩池上のところからもらってきた、店の車のブレーキの交換部品だ――車検も近いし、アルカードの見立てではそろそろ交換時期になる。

 でもリアはドラムだからな、面倒臭いんだよな――そんなことを考えつつ、アルカードはテレビ台の上に置いてあったメモ帳を開いた。

 細かい字でびっしりと項目が書き込まれているのは、店で使っているライトバンの整備の記録だった。

 前のオイル交換からそろそろ六ヶ月――エンジンオイルは自動車用油脂類の中では、もっとも劣化が早い。熱的条件にかかわりなく、ただ放置しておくだけでも駄目になるからだ。

 前回の買い置きがあるし、エンジンオイルも一緒に交換しておこう。

 胸中でつぶやいて、アルカードはリビングに移動した――時間を考えると、今すぐに作業を始めるわけにはいかない。さすがにそこまで近所迷惑を顧みない男ではなかった。

 仔犬たちにも、今すぐに朝飯をやるわけにはいかないな――胸中でつぶやいて、キッチンの冷蔵庫の中からアクティブダイエットを取り出し、キャンプ用のチタン製のカップに注いで口に含む。

 酢橘の果汁を混ぜたスポーツドリンクの甘酸っぱい液体を飲み下し、軽く水洗いしたカップを食器用の水切り籠に放り込むと、アルカードは玄関に向かって歩き出した。たまの休日なのだから、ちょっと早めに散歩に連れ出してやってもいいだろう。

「おいで」 リビングの扉を開いて声をかけてやると、アルカードが散歩用の綱を持っているのに気づいてのことか、三匹の仔犬たちが喜び勇んで走ってきた。

 きゅうきゅう鳴きながらじゃれついてくる仔犬たちの頭を撫でてやりながら、

「駄目だよ、ほかの奴らはまだみんな寝てるから、もっと静かにな」

 外出用のブーツに履き替え、土間でかがみこんで犬たちの体にハーネスをつける。首輪はつけているのだが、引っ張ったりした拍子に首が締まるのであまり好きではない――どうせすぐに大きくなって次々新調することになるので買いたくもなかったのだが、飼い犬であることを示す意味もあるし狂犬病の鑑札もつけないといけないので買うだけ買っておけと知人に勧められたので、とりあえず買ってつけることはしたのだが。

 ハーネスのベルトを軽く締めてからハーネスのD環に綱のナス環を取りつけて、アルカードは管理人室のドアを開けた。

 仔犬たちが扉の隙間から、我先にと外へと飛び出していく。

 アルカードは扉を閉めて施錠すると、糞の始末のためのスコップとビニール袋、新聞広告数枚を入れた樹脂製のバケツを手に、犬たちに引っ張られるまま歩き出した。

 

   *

 

「……ここがそうですか?」

 東京湾に面した港の倉庫街――少し離れたところには、いくつものデリッククレーンが屹立している。おそらくその下には、大量のコンテナが置かれているのだろう。

 ちょうど今は連休中なのだが、デリッククレーンは完全に停止していた――入港してくる貨物船は相手国のカレンダーなど気にはしないだろうから、連休だからといって作業を止めるとは思えないが。

 最接近はしない様に頼んであったので、運転手を含む四人の乗るパトカーは港の倉庫街から若干離れた場所で停車している。

 立花は港内部の見取り図を取り出して、倉庫街と思しき一角を指で指し示した。

「ええ、ここよ――ここが吸血鬼の根城らしいわ。最近、ここの倉庫の近くで不審な若い女性が何度も目撃されているの。その女性が目撃されたのと前後して、必ずどこかで誰かが行方不明になる」

 助手席の立花警視が、そんな返事を返してくる。

「先日、行方不明になった女性が人を噛み殺すところが一般人に目撃されている――それがここの近くの倉庫ではい作業に従事していた作業員たちが女性を目撃した次の日なのよ」

「ハイ作業?」

 知らない単語が出てきたので、フィオレンティーナは尋ね返した。立花警視がうなずいて、

「荷物の積み下ろしのときに、崩れない様に適切な積み方を決めて積み上げたり、それを運び出したりする作業のことよ――それでわたしたちは、ここが吸血鬼の根城だと判断した」

「でも、根城だとしたらそこで働いてた人たちはどうなったんですか?」 というフィオレンティーナの質問に、立花がこちらに視線を向ける――彼女の質問の意味はわかったのだろう、立花は一瞬口ごもって、

「その倉庫の従業員からは、おそらく犠牲は出てない、と思うわ――今は使われてないから」

「空き倉庫なんですか?」

「いえ、その倉庫を借りてる会社がケイエイハタンして、今は操業が止まってるの。おそらくしばらくしたら、倉庫の荷物も差し押さえられることになるでしょうね」

「ケイエイハタン?」 首をかしげて、フィオレンティーナは尋ね返した。

「ごめんなさい、難しい日本語は――」

「会社が潰れたの」 肩をすくめて言い直す立花にうなずいたとき、

「ねえ、警視さん」 カトリオーヌが立花警視に声をかける。

「その噛まれ者ダンパイア――吸血鬼化した、行方不明になった女性とやらはどうなったんですの?」

「もうこの世にはいません――殺害された様です、おそらく吸血鬼アルカードに」

 カトリオーヌの質問に、立花は口ごもってからそう返事を返した。

「通報時間と前後して、現場近くで吸血鬼アルカードと思しき金髪の男性の目撃証言があります。通報を受けた警察官が現場に駆けつけたときには、塵に変わっていく女性の亡骸と、首を斬り落とされた被害男性の遺体だけが残っていたそうです」

 その言葉に、フィオレンティーナは息を呑んだ――血を吸った吸血鬼が先に死んでしまえば遺体が蘇生することの無い喰屍鬼グールとは違って、噛まれ者ダンパイアは吸血鬼化する前に上位個体が死んでもそのまま吸血鬼化して復活する。

 この状態を主持たずヴァンパイヤントと言って、自分の犠牲者から吸い上げた魔力をさらに上位個体に奪われることは無く、上位個体のさらに上位の個体に対する支配権の継承が行なわれないために精神支配からも解放される。

 聖堂騎士などの魔殺し以外で吸血鬼をわざわざ殺していく様なのは、あの同族殺しの吸血鬼以外には考えられない――アルカードがあの廃工場で真新しい遺体の頭蓋を撃って破壊した様に、吸血被害者は脳や心臓、脊髄、肺といった個所を致命的に破壊されてしまうと、どんなに適性があろうが高位の吸血鬼に血を吸われようが吸血鬼として復活しなくなる。確実なのは頭を潰すか、首を切断するかのどちらかだ。

 通常、そのまま放置すると喰屍鬼グールに変化する遺体は復活前に吸血加害者が死亡することで噛み痕が消え、復活しなくなる――それに対して噛まれ者ダンパイアに変化し蘇生する遺体と、喰屍鬼グールにも噛まれ者ダンパイアにも変化しないの場合は噛み痕が消えない。

 これらの差異は噛まれ者ダンパイア喰屍鬼グール、それぞれの変化のための活力をどうやって得ているかがかかわっているのではないかと、聖堂騎士団は考えている――噛まれ者ダンパイア喰屍鬼グール、いずれの場合であっても体内に入り込んだ魔素がその犠牲者の霊体と肉体に働き掛けてそれらを作り替えるが、噛まれ者ダンパイアの場合はそのための活力を犠牲者本人から受け取り、喰屍鬼グールの場合は被害者を噛んだ吸血鬼の魔力供給によって行っているのではないかというのが、ヴァチカンの公式見解だ。だから喰屍鬼グール適性の遺体は加害者の死亡によって魔力供給が途絶え、魔素が働かなくなって噛み痕が消え蘇生しなくなる。

 すなわち噛まれ者ダンパイア適性の遺体の場合は体内に入り込んだ魔素が加害者死亡後も肉体を作り替え続けているから、遺体に残った噛み痕が消えないのだ――その一方で喰屍鬼グールとしての適性も噛まれ者ダンパイアとしての適性も持たない遺体の場合、ために噛み痕が消えることは無い。それはただの屍であって、噛み痕もただの死体に残った傷跡でしかないからだ。

 したがって吸血加害者を殺害しても吸血被害者の首に残った噛み痕が消えていない場合、遺体は噛まれ者ダンパイアに変化するかかのどちらかで――噛まれ者ダンパイアを、その場で簡単に区別する方法は無い。

 吸血加害者を斃しても、被害者の首から噛み痕が消えなかった――吸血鬼に変化するか否かを判断出来なかったから、確実に蘇生を防ぐ予防措置としてその場で首を切断したのだろう。、死体の首を切断すれば復活の可能性は完全に無くなる。

「つまり、吸血鬼と思しき女性に噛み殺された被害者が吸血鬼化して次の日の夜に血を吸っていたところを、吸血鬼アルカードが現れて処理していった――そういうことですのね?」

 カトリオーヌの言葉に、立花警視がうなずいてみせる。

「そのとおりです、聖堂騎士カトリオーヌ」

 カトリオーヌもうなずいてから腕組みし、

「周りの人払いは?」

「こんな状況なので、荷役作業を止めてコンテナターミナルも封鎖しました――吸血鬼にとっては、なんの役にも立たないでしょうけど」

「わかりましたわ。では参りましょう」 ドアを開けてアスファルトに足をつけ、昼間の真っ青な空を見上げて目を細めながら、カトリオーヌはそう言った。カトリオーヌに続いて、フィオレンティーナもパトカーから降りる。カトリオーヌは運転手に声をかけてトランクを開けてもらい、自前の荷物のゴルフバッグを取り出した。

 即座に襲撃を決断したのは、吸血鬼が逃げにくくするためだ。

 噛まれ者ダンパイアは日光が遮られてさえいれば日中でも行動が可能だが、逆に言えば一歩そこから出てしまえば即座に塵になる。

 鏡などの反射物に反射した光はもちろん曇った硝子や磨硝子、薄いカーテンなどを通して減衰された光でさえ、彼らにとっては危険なのだ。

 吸血鬼が日光の下に飛び出すというのは、情け容赦のまったく無い数千数万の兵団に突入するのに等しい――外へ出たが最後、砦の外に出た途端に日光という容赦の無い無限の兵力によって瞬時に殺されてしまう。

 つまり――地下通路や下水道などの脱出経路が無い限り、彼らにはここから逃げるすべが無い。

「準備はよろしくて?」 それまで背負っていたゴルフバッグの中から棒の先に棘のついた鉄球がつながれた武器――モーニングスターを取り出して、カトリオーヌが聞いてくる。どうも実体のある武器らしく、聖典戦儀や霊体武装の様に秘匿携行は出来ないらしい。

 重そうなモーニングスターを細腕で軽々と振り回し、カトリオーヌが獲物を肩に担ぎ直す。それを横目に、フィオレンティーナは取り出した聖書の綴じ紐を引き抜き、周囲にページをばら撒いた。

 撒き散らした聖書のページが地面に落ちるよりも早くふわりと浮きあがり、フィオレンティーナの周囲を舞い始める。

 聖典戦儀――法儀式済みの聖書のページに魔力を通し、神の加護を受けた神聖な武器へと変化させる、聖堂騎士の戦闘の基礎技能だ。

 日本にいる聖堂騎士はここ五年ほど聖遺物持ちのライル・エルウッドだけだからだろう、聖典戦儀を実際に見たことが無かったのか目を丸くしている立花に視線を向け、フィオレンティーナはパトカーの中から降りようとした彼女を手で制した。

「立花警視は車内で待っていてください――日陰よりは安全ですから」

 その言葉に、立花が自動拳銃を手にうなずいてみせる。最近回転式の拳銃の代わりに日本警察の制式装備になったという、小口径の自動拳銃だ。吸血鬼に拳銃弾がまったく効かないわけではないが、魔力の附与が行われていない通常弾が吸血鬼に効果があるかどうかは疑問だった――霊体に対する破壊力を一切附加されていない物理的な吸血鬼を武器で殺すには、単純に力を使い果たすまで消耗させなければならない。

 そしてそれをするには、文字通り吸血鬼を挽き肉にするくらいのつもりでいなければならず――拳銃弾の十発や二十発で同等の効果が見込めるとは思えなかった。

 正直なにかあったら非常に心許無いが、無いよりはましだろう――胸中でつぶやいて、フィオレンティーナはうなずいた。

「行ってきます」 そう言って、フィオレンティーナはカトリオーヌと並んで歩き出した。

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