Vampire and Exorcist 19

 

   *

 

 ええと、あとは――手元のメモに視線を落として、アルカードは周囲を見回した。

 陳列棚の向こう側に『塩・調味料』の看板を見つけて、そちらに向かって歩き出す。

 先日フィオレンティーナに襲われた、例のショッピングセンターの食糧品売り場である――食糧品の買い出しに来たアルカードは、買い物籠の中に食糧品を満載にしていた。

 ちなみにジーンズの尻ポケットには、エコバッグとか入っていたりする――吸血鬼にあるまじき所帯臭さだが、アルカードは別に気にしていなかった。

 吸血鬼の自分が食糧品を買い込んでいる光景を眼にしたら、フィオレンティーナあたりは目を丸くするだろうが――まあ人にどう見られるかなど気にしたところで仕方無い。

 切れかけていたエスアンドビーの粉末の胡椒とハウスの香り七味――七味唐辛子をミルで挽く製品だ――の詰め替えパック、ストレートの酢橘の果汁は確保したので、あとはローストビーフを作るのに『変なもの屋さん』で牛肉のブロックを買って帰ろうと思いついて陳列棚の前を離れようとしたとき、ベルトにつけたポーチに入れていた携帯電話が鳴りだした。

 Harem ScaremのDon't come easy――携帯電話を取り出したが、曲を聴いた時点で発信者はわかっている。アルカードは携帯電話を開くと発信者を確認することもせずに通話ボタンを押し、携帯電話を耳に当てた。

「もしもし、どうした?」

 それに答える聖堂騎士ライル・エルウッドの声は、緊張と焦りで上擦っていた。

「アルカード――やばいことになった」

 その言葉に、アルカードは無農薬のキャベツと玉葱を入れた買い物籠をスーパーの床に置いた。周りの人間に聞かれても大丈夫な様に、会話をラテン語に切り替える。

「なにか問題でも起きたのか?」

「フィオレンティーナ――この前話した、増援の武装聖職者だが」

 眉をひそめて、アルカードは電話のこっち側でうなずいた。

「ああ、あの可愛いお嬢さんか――こないだ買い物してたら殺されかけたよ。彼女になにかあったのか?」

「否、あの子じゃない――さっき親父からメールで連絡が来たんだが、実はあの子が出したあんたとの接触報告を受けて、ヴァチカンは高位階の聖堂騎士三人の増派を決定した。で、その指示を聖堂騎士団に下したんだが」

 その返答に、アルカードは眉をひそめた。

「それがどうしたんだ? いつものことじゃないのか」

 現状において、ヴァチカン教皇庁の上層部はアルカードと聖堂騎士団の結託を知らない――教皇庁でもヴィルトール・ドラゴス教師の正体を知っているのは聖堂騎士団の一部だけで、教皇にさえその事実は現状秘匿されている。だから聖堂騎士団の方針とは別に、教皇以下教皇庁上層部の者たちがアルカードを危険視し、人員を送り込む可能性があることは否めない。

 したがって教皇が人員増派の決定を出すのは理解出来るし、その派遣命令に対して聖堂騎士団が人員を実際に送るのも理解出来る――実際のところは、エルウッド経由で紹介でもされて終わりだろう。

 おそらくフィオレンティーナも順序どおりにいけば、アルカードに直接引き合わされて終わりだっただろう。吸血鬼アルカードと聖堂騎士団の関係は、この八十年間互いに互いを利する形でずっと続いている――どちらかというと、アルカードが雇い入れられている形に近いが。

 ただ、それがどうした?

 そういった命令が教皇庁上層部から下ると、聖堂騎士団は上位の聖堂騎士を送り込んでくるのが常だった。そして適当に日数を置いてから帰参し、取り逃がした旨を報告してお茶を濁すのだ。

 今回もいつもの伝ではないのか――アルカードがじかに教えた弟子たち数人が日本にやってきて、しばらく物見遊山して、場合によっては手を借りて一緒に吸血鬼退治をしてから帰るのだ。

「今回は違う――ただ単に動かせる人手がいなかったからだが、今回派遣された中にあんたの弟子はリッチーしかいない。シドニーにいたリッチーと、ダカール、それにヴァチカンにいた待機要員からひとりずつ。だが、リッチーともうひとりの聖堂騎士が日本に移動中に殺されたと報告が来たらしい」

「――なんだと?」 これには、アルカードも同様で声が上擦るのを抑えられなかった――リッチー・ブラックモアなら子供のころから知っている。

 ヴァチカンで開催しているで輩出した愛弟子のひとりだ。アルカードの素性を正確に知る、聖堂騎士団上層部と機密を共有するひとりでもある。

 そのリッチー・ブラックモアが殺された?

「それぞれ二名一組ツーマンセルで行動していた、もうひとりもな」 エルウッドがそう続けてくる。

 聖堂騎士団は悪魔祓い師兼異端審問官、対フリークスに特化した戦闘部隊だ――聖堂騎士は魔術によって霊体に手を加えられ、きわめて高い身体能力と至近距離から発射された銃弾を弾き飛ばせるほどの反射能力を持っている。広範囲を殺傷出来る爆弾でも落とさない限り、拘束されずに自由に動ける聖堂騎士を殺すのはまず無理だろう――それとタメを張れるほどの運動能力を持つ、なにかをけしかけでもしない限りは。

「送られたのは誰だ?」

「騎士カトリオーヌ・ラヴィンと騎士ジョセフィーナ、それにリッチーだ」

 その返事に、アルカードは眉をひそめた。騎士ホセフィーナ・メネンデスなら、一応は知っている――アルカードは基本的にほかの聖堂騎士との必要以上の接触を避けていたので、名前と顔くらいしかわからないが。

 そしてもうひとり――カトリオーヌ・ラヴィン? 知らない名前だ――ここ二、三年ほどの間ヴァチカンには顔を出していないし、ローマに戻ってもヴァチカン市国に足を踏み入れることはほとんど無いから、会ったことが無いだけだろうが。だがそれよりも――

「で、誰がやられた?」

「リッチーと、それにジョセフィーナだ」 アルカードの質問に、エルウッドがそう返事を返してくる。

「そうか」 自分の声が重くなるのを感じながら、アルカードはそう返事を返した。

「ああ――リッチーはシドニーの空港の建物内で相棒ともども殺された。白昼堂々な」

 なんだと――その言葉を反芻して、アルカードは眉をひそめた。吸血鬼の能力は直射日光の当たらない環境でも日中では弱まるし、今はオーストラリアは乾季のはずだ。

 つまり、雨雲で日光が遮られることで屋外で行動可能になる様な時期ではない。空港の様な採光部の多い建造物の内部で白昼堂々暴れ回れて、かつリッチー・ブラックモアに通用するほどの戦闘力を持つとなると――

「それが本当なら、リッチーを襲ったのは『剣』か真祖だな――だが、シドニー、というか南半球に真祖はいない。可能性としてもっとも高いのは、誰かの『剣』だな――それで、騎士ホセフィーナは?」

「ダカールの空港のホテルで眠っているところを相棒とともに殺された。こっちは抵抗する間も無く殺された様だ。従業員は不審者は見かけていないそうだ」

 アルカードは電話のこっち側でかぶりを振った。まあ、公共宿泊施設なのだから、侵入手段はいくらでもあるだろう。

「わかった。ちょっと神田セバにも連絡を取ってみる。一度切るぞ」

「ああ」 それで通話を打ち切ると、一瞬の間も置かずに携帯電話が再び鳴り出した。今度の相手は、在東京ローマ法王庁大使館渉外局のセバスティアン神田。

 アルカードは再び通話ボタンを押して携帯電話を耳に当て、

「もしもし、俺だ」

「ドラゴス師、セバスティアンです――今までずっと呼び出していたのですが」

「ああ――ライルから連絡があってな――今外にいるから、日本語は避けるぞ」 アルカードは神田が承諾の返答を返すのを待って、

「詳しい状況を教えてくれ――リッチーと騎士ホセフィーナが殺されたと聞いたが」

「はい――ライルからすでに連絡が行っているのでしたら、おそらくだいたいのことは伝わっていると思います」 セバスティアン神田の涼やかな声音も、今は上擦っている。基礎クラスだけとはいえ、神田はブラックモアと同じくドラゴス教室で過ごしている――知らない仲ではない。

「いつ殺られた?」

「どちらも日本時間で四時間ほど前です」 という神田の返答に、アルカードはG-SHOCKの腕時計に視線を落とした。

 現在時刻は一三三〇Iインディア(明石標準時)。オーストラリアのシドニーはそこからプラス二時間、セネガルのダカールは逆に九時間マイナス。

 四時間前ならシドニーは一一三〇Kキーロー(豪州東部標準時)、ちょうど昼前だがダカールは〇〇三〇Zズールー(グリニッジ標準時)、深夜の時間帯だ。

「ほぼ同時か」 そう返事をして、アルカードは小さく舌打ちした。襲撃のタイミングがほぼ同じ――連携が取れているということか?

「タイミングが良すぎる――同じ勢力の襲撃かもしれん」

「はい」 アルカードの言葉に、神田が首肯の返事を返してくる。

「襲撃者はわかったのか」

「いえ――ダカールのほうはホテル内での出来事ですし、シドニーのほうも監視カメラに映ってはいたのですが、画質が不鮮明で。現在デジタル解析中です」

「わかった。出来次第、自宅の秘話ファクスに回してくれ」

 アルカードはそう返事をしてから、

「三人目の聖堂騎士は? カトリオーヌとかいう――俺ははじめて聞く名前だが」

「すでに日本に入国し、騎士フィオレンティーナと接触済みです――彼女はヴァチカンの待機要員でしたので」

「ひとりか?」

「はい」 神田の返答に、アルカードは小さく眉をひそめた。

「わかった。とりあえず、その写真を送ってくれ。それと、詳しい情報がまたなにか入ったらそれも頼む」

「承知いたしました」 電話の向こうで一礼しているのが目に浮かぶ、そんな丁寧な返答が返ってくる。

「頼む――フィオレンティーナとカトリオーヌも教会で待機させろ。神田セバ、君はそのまま大使館にとどまれ。俺も自宅に戻って戦闘準備を整えてから、ライルのところに移動する――場合によっては退院させよう。脚をそのままにして、結果戦えずにやられる様じゃ本末転倒だ」

 そう指示を出しておく――アルカードが神田を教えたのは基礎クラスまでだが、実際には彼は位階こそ無いものの高位の聖堂騎士とも互角に戦える強者だ。

「承知いた――あ、申し訳ありません、ドラゴス師。少々お待ちください」

 誰かが神田に話しかけたのか、電話の向こう側で話し声が聞こえる。

「ドラゴス師、申し訳ありません。大使閣下からお呼び出しを受けまして、のちほどかけ直します」

「わかった」 アルカードはそう返事をして通話を終えると、携帯電話を折りたたんでウェストポーチにしまい込んだ。

 どうもおかしな雲行きになってきたな――胸中でつぶやいて、アルカードは買い物籠を手にレジに足を向けた。一応もう取ってしまったものだし、戻すのも気が引ける。それに、どうせたいして手間は変わらない。

 空いている自動精算機の前に歩いていって、手早く清算を済ませていく――支払いを終えた荷物を次々とエコバッグに詰め込んで、アルカードは足早に歩き出した。本当はこのあと用事があったが、そちらは別に急ぎではないから今度でもかまわない。近所の自動車用品店に、エンジンオイルの添加剤を買いに行くだけだ。

 足早にエスカレーターに乗り込み、そのまま先日フィオレンティーナと遭遇した屋上の駐車場まで。

 エレベーターの建屋から二重の自動ドアをくぐり、外に出て正面――ちょうど監視カメラの真ん前になる位置に止めた、黒いストライプの入ったフォード・マスタングに歩み寄る。

 このショッピングセンターに来るときは、フロアこそ違うもののこの位置が彼の定位置だった――建屋に近く、防犯カメラの真正面なので車上荒らしが手を出しにくい。

 ドアロックを解除して助手席にエコバッグを放り込み――卵が入っているので比喩だが――、運転席のバケットシートに体を滑り込ませる。

 キーをメインスイッチに差し込んでスターターを回すと、短いクランキング音とともにエンジンが息を吹き返した。なにしろ夏場なのでエンジンもまだ冷めておらず、始動は滑らかだった。

 少しキュルキュルというゴムが滑る様な音が混じっているのは、補機類用のドライブベルトが少し緩み始めているからだ。先日交換したベルトがだんだんとこなれてきて、その結果少し緩んだのだろう――それは別に当たり前のことなので、アルカードは気にも留めなかった。あとで張り直せばいい。

 ちょうど建屋から出てきた年配の女性が道を譲ってくれたので、アルカードは車内から会釈して車を発進させた。

 自宅のアパートまでは、順調にいけば十分足らず――問題はフィオレンティーナとカトリオーヌのほうだ。出来れば大使館かエルウッド、どちらかに合流させたい。

 ふたりのいる教会は隣町にあり、さほど交通の便は良くない――特に問題が無かったのはライル・エルウッドが運転免許を持っていたからで、少なくともフィオレンティーナひとりでは不便があるだろう。カトリオーヌのほうがどうかはわからないが、おそらく国際運転免許は持っていないだろう――持っていてもこちらの地理には不案内だ。

 となると、彼女たちを大使館に移動させるためには現地の補佐スタッフを同行させなければならないが――それはそのスタッフを危険に晒す。

 俺が迎えに行くか? ひと悶着あるかもしれないが、先にライルを拾って行けば――

 胸中でつぶやいて、アルカードは精算機の前で停車したスズキのアルトの後ろにマスタングをつけた。発券機の上に『西口』というプレートがかけられているのは、ショッピングセンターの駐車場に西側と南側、それぞれに面した出入り口があるからだ。

 南口から出ると、この街を東西に貫く幹線道路に直接乗ることが出来る――が、都心方面に向かうには向いていない。幹線道路の上を高速道路が走っているのだが、駐車場の出口と高速道路のインターチェンジが近すぎて、車線変更が難しいのだ――信号の変わるタイミングに巧く合えばすんなり車線変更出来るのだが、そうでないと高速道路は乗り損ねるか、信号が変わって交通の流れが途切れるまで延々待たなくてはならない。いうまでもなく、後続車のクラクションの多重奏が鳴り響く羽目になる。

 なので、高速道路に乗るのなら西口から出てすぐの交差点で左折したほうが入りやすい――少なくとも信号があって、その切り替わりで確実に交通の流れが途切れる瞬間があるぶん確実だ。

 今回のことがなくとも、エルウッドはもう退院させるべきかもしれない――わざと自己治癒能力を抑えてだけで、その気になれば一分で元通り歩ける状態に戻るのだ。池上その他、バイク仲間に骨折するところを見られていなければ、別に入院どころか病院に行く必要自体無かった。

 亮輔君に話を通すか――そんなことを考えながら、外車用の精算機にチケットを差し込む。国産車用の左側のものに比べてかなり真新しいのは、設置されたのが一ヶ月前だからだ。

 ビッグ3は軽自動車があるからアメリカ車が売れないとぐちぐちぐちぐち文句を垂れているそうだが、相手国に合わせたローカライズがされていなくて不便だったり、不便な割に値段が高かったり燃費が悪かったり場所を取ったり税金が高かったり故障した際の純正部品が高価だったりするのが理由なのだと、いつになったら気づくのだろう? そんなに売りたければ右ハンドル車を販売したり燃費を改善したり、あるいは燃料を湯水のごとく使える様に日本に石油を安価で売ればいいのだ――そう、ガソリンが一リットル当たり五十円くらいで買える様になれば、千円札を撒き散らしていると揶揄される日本の都会でもアメリカ車が多少は増えるだろう。ついでに価格競争でOPEC圏からの原油の値段も下がるかもしれない。

 そんなことを考えながらアルトに続いて道路に出ようとして、右側から走ってきたキューブに気づいてブレーキを踏む――キューブが手前で止まって先に入る様に手で促したので、アルカードは直進レーンにマスタングを乗り入れてからハザードランプのスイッチを押し、三回点滅するのを待ってスイッチをもう一度押した。

 アルカードはというと、もちろん高速道路に乗る必要は無い――ただ、左折して交差点を突っ切りまっすぐ行った先が自宅なのだ。

 幹線道路は市街地を左右に貫き街を南北に分断するもので、交差点の左側の向かいに大きなガソリンスタンド、その向こうに郵便局がある――交差点手前の右側はJRの駅で、頭上に連絡橋が渡されており、ショッピングセンターと駅の間を自由に行き来することが出来る。ショッピングセンターの斜向かいには警察署と消防署が並んでおり、その並びに銀行とライル・エルウッドが入院している総合病院も建っていた。市役所はガソリンスタンドの左側にあって、ここから行こうとすると途中でUターンしなければならない。

 ショッピングセンターとJR間の連絡橋も含めて、交差点の四つ角はすべて連絡橋で結ばれており、徒歩であれば自由に行き来することが出来る――自動車のたぐいだと不便はあるが、官公庁が集中している立地上歩きだといろいろな手続きが簡単に出来て便利だった。

 信号が青に変わったので、アルトに続いて交差点に進入する――そのまま交差点を直進してしばらく行くと、左手に最近塗り替えたばかりの白漆喰の塀が見えてきた。このあたりの古くからの地主で、エルウッドが入院する病院の経営者一族でもある人々が住んでいる屋敷だ――ついでに言えば、アルカードの友人のひとりが婿入りしている屋敷でもある。

 左手に塀を見ながら進むと、右手に丁字路の交差点――向こう側にはコンビニ、手前には機械化された駐車場。これも左手の屋敷の主の持ち物だ。丁字路を右折していくと例の入り婿の実家、それを通り過ぎてさらに進むと左手に山があり、あの胡散臭い蜘蛛の形をした崇り神が棲んでいた神社がある――神社自体は再建された様だが霊脈を散らしてしまったので神社の境内は霊場ではなくなり、今となっては危険も無くなったが御利益もなにも無い。

 丁字路を抜けてしばらく直進すると、左手に見慣れた光景が見えてくる――雇い主の老夫婦の自宅、そしてそのむこうにこの九年半ほど勤めている店。そして老夫婦宅の手前に、五台分の青空駐車場。一番奥には『シェロー』のオートバイシェルター、一番手前にはカバーをかけた二台のオートバイ、その向こうにジープ・ラングラー。

 二台ぶんの空きスペースの一方にバックでマスタングを入れてから、アルカードはエンジンを切った。一度降りてから助手席側に廻り込んでエコバッグを手に取り、ちょうど老夫婦宅や駐車場と背中合わせになったアパートへと足を向ける。

 二階建てのアパートの一階の一番手前、もともとの設計者がそこだけを二階建て構造にしたいささか特異な造りの部屋が、アルカードの居室だった。

 神田はもう話が終わったろうか。そんなことを考えながら、部屋の錠前を解錠して扉を開ける――全室に毛足の短い固い絨毯をフローリングの上に敷き詰めてあるのは、室内でも靴を履く習慣があるからだ。といっても土足でそのまま上がるのではなく、いちいち履き替えているのだが。

 とりあえずは時間が惜しい。アルカードは外履きの靴を脱いで靴箱に入れ、そのまま履き替えることはせずにキッチンに足を向けた。

 細かな分別はあとで落ち着いてからすることにして、買ってきたものを玉葱を除いて冷蔵庫に放り込む。冷凍のものは無いのでこれで十分だ。

 エコバッグをたたむのも後回しにしてダイニングテーブルの上に放り出し、寝室に戻る――といっても、アルカードの場合は寝室だけで生活がほぼ成り立っているので、別段寝るだけの場所というわけでもない。ドアを開けて中に入ると、ちょうどスチールラックの上に置かれた秘話ファクスの機械が用紙を吐き出しているところだった。

 いいタイミングだ――胸中でつぶやいて、アルカードはプリントアウトされた用紙を取り上げた。デジタルリマスターされたプリントアウトは多少粗くなってはいるものの、それでも十分に状況を読み取れた。自分の血の海にうつぶせに倒されたリッチー・ブラックモア、そしてその背中を踏みつけにして哄笑をあげる男。

 ……なんだと?

 眉をひそめながら、アルカードはもう一枚のプリントアウトを吐き出している秘話ファクスに視線を向けた。

 手に取ってみると、そちらは増派された聖堂騎士の顔写真の様だった――が。

 なん――だと?

 見覚えのある顔だ――フィオレンティーナのものと同じ修道衣を身につけた、波打つ金髪の女だった。襟元には徽章が無い――どこかの教室の出身者ではない。おそらくフリーランスの魔殺しを迎え入れたのだろうが、問題はその女の顔だった。

 見覚えのある顔だ――もう何百年も前に。

 馬鹿な――この女が聖堂騎士だと?

 携帯電話の着信履歴を開いて、エルウッドの番号を呼び出す。回線がつながるなり、アルカードは余計な言葉は省いて質問を口にした。

「ライル――フィオレンティーナといったか、あの娘の連絡先を教えろ。おまえの教会の誰かでもいい――カトリオーヌとかいう女以外の奴だ。もし俺の予想通りなら、あの子は間違い無く殺されるぞ」

「どういうことだ?」 こちらの焦燥の理由がわからないからだろう、エルウッドが尋ね返してくる。

「大丈夫だ、心配無い。今はあの子はもうひとり、増派されてきた三人目の聖堂騎士と一緒だから――」 エルウッドの言葉に、アルカードは首を振った。その認識が根本的な間違いだ。

「この女、カトリオーヌとかいったか? こいつは魔殺しなんかじゃない――この女は吸血鬼だよ」

「なんだって?」 唐突なその言葉に、エルウッドが訝しげな声を出す。

「俺が十六世紀初頭に殺した真祖の『剣』のひとりだ」

 アルカードの返答に、エルウッドが息を飲むのがわかった。冗談を口にする様な状況でないことはわかっているからだろう、彼は余計な質問をはさむ様なことはしなかった。

「ちょっと待ってくれ、そのロイヤルクラシックというのは――」

「ああ、あのあばずれだ――カーミラだよ。主と一緒に始末したと思ったが、殺り損ねてたらしいな」

 そう言ってから、アルカードは顔を顰めて先を続けた。

「もう片方の写真――こいつもそうだ。こいつもカーミラの『剣』だよ」

「間違い無いのか?」 念を押す様なエルウッドの質問に、

「間違い無い――意図はわからんが、とにかくあの娘に注意喚起しないと」

「待ってくれ、さっき柳田――教会の司祭が見舞いに来たんだが、警察から情報提供があってな――フィオレンティーナはカトリオーヌとふたりで吸血鬼の潜伏先と目される東京湾の港の倉庫へ向かったそうだ」

「罠だ」 アルカードはぴしゃりと言った。

「その情報を彼女のところへ持ち込んだ奴の身元を、洗い直す必要がある」 アルカードはそう言ってから、いったん言葉を切って、

「その情報を持ち込んだのは?」

「特殊現象対策課だ」エルウッドの返答に、ちょっと考え込む。

 特殊現象対策課は警視庁の組織で、全国から上がってきた不審な事件の報告の中からそれらしいものを選び出して、聖堂騎士団に伝達する役目を負っている。人数は少ない――直接会ったことは無いが、五人もいないはずだ。報告の件数自体が圧倒的に少ないし、誰にでも任せられる仕事でもない。さらに言えば、閑職なのだろう。

「まずいな――おまえのところの司祭は、行き先の話はしてたか?」

「否、東京湾の港としか」

「そうか」 というアルカードの言葉に、エルウッドは沈黙した。

「……すまない、アルカード。彼女の救援に行けるか?」 エルウッドの言葉に、アルカードはうなずいた。

「救援は大丈夫だが、場所の情報がいる――おまえはおまえの教会に連絡して、特殊現象対策課の奴と、持っているならフィオレンティーナの携帯電話の番号を大使館に報告させろ。それと、おまえの教会の人間が特殊現象対策課の人員の説明に立ち会ってないか確認するんだ。正確な場所の名前を聞いてるかもしれん――虚偽情報かもしれないから、鵜呑みには出来んがな。それから司祭に頼んで、適当な理由をつけて呼び戻せないか試してみてくれ――神田セバに連絡するから切るぞ」

「ああ」

 それで通話を切り、アルカードは歩きながら携帯電話の発信履歴から必要な番号を呼び出した。発信ボタンを押すと、一度目の発信音が鳴り終わるより早く相手が電話に出た。

「――はい、こちらは在東京ローマ法王庁大使館です」

「ヴィルトール・ドラゴス『教師』だ――セバスティアン神田を頼む。大至急だ」

「お待ちください」

 電話が取り次がれて相手が出るまでは、五秒ほどかかった――聞き慣れた涼やかな声が、スピーカーから耳朶を打つ。

「はい、私です」

「俺だ――すまん、神田セバ。急いでやってほしいことがある」

「どうぞ」

「こないだ日本にやってきた新任の騎士――彼女が罠にかかった可能性がある。じきにライルの教会から彼女の電話番号が報告されるはずだから、それをもとに彼女の現在地を割り出して俺に報告してほしい。頼めるか?」

 相手の返答には一瞬の逡巡も無かった。

「もちろんです――ほかにご用件は?」

「急ぐ必要は無いが――フィオレンティーナのあとで日本に入国した聖堂騎士の派遣人員と、特殊現象対策課の人員全員の身元を洗い直してくれ。だが、あとでいい――フィオレンティーナの現在地について、わかり次第連絡をくれ」

「承知いたしました。それでは、すぐにかかります」

 神田が電話を切り、アルカードは携帯電話をパソコン用のデスクの上に置いた。

 部屋の照明のスイッチに今さらながら手を伸ばし、部屋の中を見回す――キングサイズのベッドにフルタワーPC、スティールラックがいくつかとロッカー。それに衣装ケースその他もろもろ。

 とにかく、状況はわかった。装備を整えて、移動を開始しよう――とにかく東京湾だ。そちら方面に移動して、細かい場所の指示はあとで受ければいい。

 そう判断して、アルカードはロッカーに歩み寄った。ロッカーとは名ばかりの、防火仕様に電子ロックつきの代物だ。アルカードは手を伸ばして十桁の暗証番号を打ち込み、扉の取っ手に手をかけた。

 真祖カーミラの『剣』のひとりであるあの女がなぜ日本にいるかは知らないが――わざわざ聖堂騎士に成り済ましているということは、なにかしらの謀があるのは疑い無い。そしてその来日理由は、おそらくドラキュラの存在と無関係ではあるまい。

 あのあばずれが生きているということは――まさか、カーミラ本人も生き延びているのか?

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