Vampire and Exorcist 7

 

   *

 

 カーナビの道案内に従って、ヤナギダ司祭が車を走らせている――もっとも十数分前からカーナビもしゃべることが無いのか沈黙を保っており、ヤナギダ司祭とシスター・マイも緊張感のためか口数が少ない。フィオレンティーナ自身もさほど口数が多いほうではないので、結果車内はお世辞にも快適とは言えない沈黙を保っていた。

 窓の外の光景から人間の生活圏に満ちた光が失われ、代わりに物寂しげな夜の山間道路に変わっていく。

 白色度の高い高輝度放電式ディスチャージヘッドライトの閃光が暗闇を照らし出し、反射塗料の中央線を妖しく光らせていた。

 ぱーっというクラクションの音に、意識をそちらに向ける――特に対向車がいたわけでもないのだが、ヤナギダ司祭が唐突にクラクションを鳴らしたらしい。直後に標識が窓の外を横切っていったところから推すに、そういった指示をする標識でもあったのかもしれない。

 暗調応を失わないためになるべく光を目に入れない様に注意しながら、フィオレンティーナはここまで来る途中の会話を脳裏で反芻した。

 警察から入った情報によると、秋葉原で行方不明になった不良グループの数名ぶんの携帯電話が山間部にあるのが確認されたという――フィオレンティーナは詳しくは知らないが、携帯電話というのは一定の間隔を置いて自分の位置を基地局に知らせるために電波を発するのだそうだ。

 この電波は携帯電話各社のほうで位置を把握出来るため、捜索対象の携帯電話の番号がわかっておりかつ携帯電話の電源が入っていて、キャリアの基地局の範囲内にありさえすれば、携帯電話会社の協力を得れば携帯電話の位置を正確に知ることが出来るのだという――言ってみれば、一種のミニチュア発信機だ。

 日本の警察経由で関東圏をカバーする携帯電話キャリアに問い合わせを行った結果、NTT docomoとauという携帯電話キャリアの取り扱い端末に該当する番号の携帯電話があり、それらがこの山中にあることが確認されたらしい。

 座標は正確にわかっているから、あとは提示されたルートを辿るだけでいい。

 それに彼女が感知出来る範囲にまで接近してしまえば、あとは機械による案内など必要とせずに正確にたどっていける。

 そんなことを胸中でつぶやいて、フィオレンティーナは助手席で周囲に視線を配っているシスター・マイを見遣った。送迎役のひとりだけいればよかったので同行を断ったのだが、心配だからという理由でついてきたのだ――子供たちに関しては一番大きな子が中学生なので心配無いらしい。

「司祭様、あとどのくらいですか?」

 シスター・マイの問いに、ヤナギダ司祭がそちらにちらりと視線を向けた。

「ああ、あと十キロくらい行ったら、林業会社の製材所に通じる細い道があるはずだ。その奥に――」

 どくん

 心臓が跳ねるのを感じて、フィオレンティーナは小さくうめいた。

 この――感覚!

「シスター・フィオレンティーナ?」 いぶかしげな口調で、シスター・マイが声をかけてくる。

「どうかなさいまして?」

 フィオレンティーナは答えなかった――答える余裕が無かったと言ったほうが正しい。

 背筋の奥に氷柱を突っ込まれたかの様なこの悪寒、これは先日ヤナギダ司祭の教会に着いたときに感じたのと同じものだ。

 強烈な堕性。吸血鬼に限らず、闇の眷族の魔力はたいてい堕性と呼ばれる気配を帯びている――それは彼女たちが身に帯びた聖性と呼ばれるものの対を成すもので、神威を以て力を行使する彼女たちとは正反対のものだ。

 負と邪悪、魔と闇、憎悪と悪意――そういったものを力の源とする悪霊や悪魔の持つ気配である。だが――

 この強さは尋常ではない――現場まではまだ直線距離でも一キロ以上あるのだ。それだけ離れてこれだけはっきりと魔力を感じ取れるというのは、並大抵の化け物ではない。

 彼女の知る限り、どんなに強力な闇の眷属でもこれだけ離れてはっきりわかるほどの力を持ったものはいなかった――それこそロイヤルクラシックか、あるいは『剣』などのそれに近い高位の吸血鬼くらいだろう。

 この先にいるのは出来損ないの噛まれ者ダンパイアなどではない――ロイヤルクラシック、もしくはそれに匹敵するほどの圧倒的な力を持つ高位の闇の眷属がここにいる。

「ここで止めてください、司祭様」

 フィオレンティーナが声をかけると、ヤナギダ司祭とシスター・マイはそろっていぶかしげに眉をひそめて振り返った。

「え? ですけれど――」

「お願いです、今すぐ止めてください。この先に戦闘能力の無いおふたりを連れていくわけにはいきません」

「騎士フィオレンティーナがいれば、噛まれ者ダンパイアひとりごとき十分なのでは?」

 ヤナギダ司祭のその言葉に、フィオレンティーナは首を振った。

「この先にいるのは噛まれ者ダンパイアなんかじゃありません――相当高位の闇の眷属です。もしかしたら、ロイヤルクラシックか、『剣』か――そこまでいかなくても、かなり強力な個体がここにいるのかも」

 その言葉に、シスター・マイが息を呑むのが聞こえた。ヤナギダ司祭がハザードランプを焚きながらブレーキをかけ、ゆっくりとゲレンデヴァーゲンが停止する。

 ゲレンデヴァーゲンが完全に停止すると、フィオレンティーナはシートベルトをはずして車から降りた。

「ここからはわたしひとりで行きます――終わったら電話しますから、迎えに来てください」

 むなしい言葉だと思いながら、フィオレンティーナは周囲に視線を向けた。幸い夜目は利くほうだし、月も出ている。しばらく待って目が暗闇に馴染めば、問題無く行動出来る様になるだろう。

 問題は無事に終われる・・・・かどうかだが――なにしろ、本来は彼の指揮下で行動する予定だったライル・エルウッドがいないのだ。

 ただの噛まれ者ダンパイア一匹の始末だと思ってひとりで来たが、失敗だったかもしれない――胸中でつぶやいて、フィオレンティーナは車に背を向けて目を閉じた。目が光に慣れてしまわない様に極力ヘッドライトの光を視界に入れない様にしていたのだが、やはりそれだけでは十全とは言えない様だ。

「待ってください、騎士フィオレンティーナ。もし現場にそんな高位の吸血鬼がいるのなら、単独で行くのは――」 シスター・マイの制止に、フィオレンティーナは振り返ってうなずいた。

「大丈夫、もし勝てない様な相手だったら退きます――状況を確認するだけです」

 そう返事をしてから法衣のポケットに落とし込んでいた携帯電話を取り出して、電波が届いていることを確認する。現場は携帯電話の存在がキャリアによって確認された以上、感度はともかく電波は届くのだろう。連絡するのに問題は無い――それだけ確認して、フィオレンティーナはアスファルトを蹴った。

 

   †

 

「大丈夫、もし勝てない様な相手だったら退きます――状況を確認するだけです」

 そう告げてから電波状態を確認したのだろう、取り出した携帯電話の背面ディスプレイを確認するなり、フィオレンティーナはアスファルトを蹴った――彼女はこの先の正確なルートを知らないというのに、こちらが声をかけるよりも早く、そんなこと気にした様子も無く迷い無く走っていく。

 というか――フィオレンティーナは異常に足が速い。足取りに迷いが無いせいもあるのだろうが、彼女は驚くほどの足の速さでコーナーのガードレールめがけてまっすぐに突き進み――そのままひとっ跳びでガードレールを跳び越えて、雑木林の中へと分け入っていった。

 繁みが揺れるがさがさという音が風に乗って聞こえてくる。

 黒髪に黒い法衣といった彼女の後ろ姿は、それこそあっという間に闇の中へと溶けて見えなくなった。繁みを掻き分ける音も、じきに聞こえなくなる。

 ふたりはぽかんと彼女の背中を見送っていたが、やがて舞が思い出したかの様に後部座席のドアを閉めた。

「どう思いますか、司祭様。現場に真祖がいるっておっしゃってましたけど」

 半信半疑といった口調の舞の言葉に、柳田は軽くかぶりを振った。

「なんとも言えない。結局のところ私には、なにもわからなかったからね」

 ルームミラー越しにこちらを見つめている舞の視線に気づいて、柳田はかぶりを振った。

「だが、彼女は聖堂騎士だ――我々ではわからないなにかを感じたのかもしれない」

 その科白を最後まで言い終えるよりも早く、柳田の携帯電話が鳴った。スター・ウォーズのダース・ヴェーダーのテーマ曲は、聖堂騎士団もしくは彼の預かる教会の関係者からの着信であることを示している。

「はい、柳田です。いえ、伝言だけはお願いしていたのですが、それが騎士フィオレンティーナは警察から提供された携帯電話の位置情報をもとに――え?」

 相手からなにを言われたのか、柳田の声が少し上擦った。

「わかりました。そうですね、目的地まで直線距離で一キロちょっとというところですが――はい、はい。否、待ってください。騎士フィオレンティーナは、現場に高位の吸血鬼がいると――は? ええ――わかりました。ではこのまま待機して、騎士フィオレンティーナを回収し戻ります」

 それで通話を打ち切ってから、柳田は黙り込んだ。

「どなたでした?」 舞の質問に、

「大使館渉外局のセバスティアン神田氏だ――騎士フィオレンティーナの状態について問い合わせてきたんだが」

「が?」

「彼女がここに来ていると言ったら、ここにはすでに大使館が直接派遣したエージェントが来ていると」 セバスティアン神田は在東京ローマ法王庁大使館で日本国内に滞在し活動する聖堂騎士を統括する、言ってみれば柳田の上司である。

 ライル・エルウッドの負傷を受けて、フィオレンティーナ・ピッコロの増派を総本山に要請したのも彼だ。

「でも、それなら騎士フィオレンティーナが現場に到着しても、ただ彼女がそのエージェントの増援になるだけでは?」 聖堂騎士団のエージェントと、聖堂騎士フィオレンティーナ。どちらもヴァチカンに所属する魔殺しなのだ。それが現場で鉢合わせたからといって、不都合があるとも思えない――舞の意見は至極もっともだった。

「否、大使館としてはそのエージェントは聖堂騎士団側と表だって接触させたくないらしくてね。理由までは聞かせてもらえなかったが」

「じゃあ、騎士フィオレンティーナを呼び戻すのですか?」 舞に聞き返されて、柳田はかぶりを振った。

「否、向こうのエージェントはすでに接敵コンタクトしているそうだ――もうそろそろ片がつく頃合いだろうから、そちらを退かせると」 つまり、フィオレンティーナは大使館側が派遣したエージェント、彼なのか彼女なのかは知らないが、その人物がすでに殲滅したあとの現場に到着することになる。

「どうして話したくないんでしょう?」

「わからない。それに関しては教えてもらっていないし、聞くことでもないだろう」 柳田はそう返事をしてから、

「なにか不都合なことでもあるのかもしれない――すまないが、エージェント云々の話は彼女には黙っておいてもらえるか」

「わかりました」 舞がうなずいて、前方に視線を戻す。

「ところで、この先に避難場所があります。そこまでは移動しておいたほうがいいと思いますわ」

「そうだな」 柳田は同意して、ハザードランプのスイッチを押して作動を解除した。

 シフトレバーを操作して、アクセルを踏み込む――大排気量エンジンの滑らかな吹け上がりとともに車体が動き出した。

 それを最後に、再び黙り込む――不愉快な沈黙を打ち破るかの様に、高輝度放電式ディスチャージヘッドライトの閃光が視界を焼いた。夜間ツーリングなのか低く唸る様な排気音とともに、前方のコーナーを駆け抜けてきたオートバイが視界を横切ってゆく。

 それを見送って、柳田は前方に避難場所を見つけてそこに車を入れてハザードランプを焚いた。

 だが――

 フィオレンティーナが察知した気配が小泉純一以外の吸血鬼のもので、かつそれが真祖か、それに近い高位の吸血鬼だとした場合――もしそうなら、ドラキュラ公爵の様なロイヤルクラシックかそれに近いほどの強大な吸血鬼が、わざわざ小泉純一のところにやってきたということになる。なんのために?

 小泉純一がほかの吸血鬼の獲物を横取りでもしたのだろうか――死の刻印に気づかずに獲物を連れ去ったとしたら、そういった状況もまあ考えられなくはない。

 そして、その場所に教会のエージェントがいると。

 神田は高位の吸血鬼が現場にいるのだと柳田が言っても、特に動揺しなかった――その生還を疑う様子も見せていなかった。あまつさえ、問題無いとさえ言ったのだ。

 だとしたらそのエージェントは、『剣』級の吸血鬼を相手にして十分通用するほどの実力者なのか?

 それとも――

 思考に結論が出るより早く携帯電話が再びダース・ヴェーダーのテーマを奏でた。

 思考をいったん中断して、発信者を確認する――発信者はフィオレンティーナ・ピッコロだった。

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