Vampire and Exorcist 6

 再び立ち上がって、窓に歩み寄る――折から吹き込んできた風がカーテンを揺らし、優しく頬を撫でていった。

 住宅街の真ん中にあるこの教会の宿舎では視界に入ってくるのは裏手の民家の屋根と、その向こうのアパートに遮られて半分しか見えない空だけだ。アパートの向こうには山があって、峠道を越えると大きなショッピングモールのある市街地に出る――空港から高速道路でここまでやってくる経路はそのショッピングモール近くの出口が限界らしく、そこからは一般道路でここまで走ってきた。

 切り取られた空、か――

 そんなことを胸中でつぶやいたとき――こんこんというノックの音に、フィオレンティーナは扉のほうを振り返った。

「はい」

「ヤナギダ司祭です、少々よろしいですか?」

 その言葉に、フィオレンティーナが扉を開けると、ヤナギダ司祭がクリップボードを片手に立っていた。

「警察から新しい情報が入りました。こちらに来る途中にお話した事件のことですが」

 その言葉に、フィオレンティーナは部屋の中へと取って返し、ヤナギダ司祭に椅子を勧め、自分はベッドに腰を下ろした。

「吸血被害者のうちで血痕が残っていながら現場に亡骸の無かった、最後のひとりの身元がわかりました」 椅子に腰掛けたヤナギダ司祭が、クリップボードに視線を落としながら続けてくる。彼はそこで、彼女に見えやすい様にクリップボードを差し出してきた。

「最後のひとりの名前は小泉純一。都内の蕎麦屋の息子です」

 ソバ――ああ、とフィオレンティーナは思い出した。確か日本独自のヌードルのひとつだ。ウドンとソバ、確か観光ガイドブックにおいしい店がいくつか紹介されていた。

「今年で二十九歳、オンラインゲーム廃人の引きこもりだった様です。当日は秋葉原に、新しいオンラインゲームのソフトを買いに出ていたそうですが――秋葉原の電化製品専門店の店員が、彼の顔を覚えていました。オンラインゲームのソフトを購入していったそうです」

「オンラインゲーム……ですか?」

 ビデオゲームの方面にはとんと明るくないフィオレンティーナが尋ね返すと、ヤナギダ司祭はうなずいた。

「詳しくはないのですが、アメリカ製のゲームです。ゲーム中に自分の店を持ち、そこでの稼ぎを現金に換金することが出来るとかいう話ですが、私もよくわかりません。例の大量殺人現場の遺留品の中に、そのゲームがありました。袋に入っていたレシートの会員番号から、小泉純一の購入したものであることが確認されています」

 クリップボードに留められた写真には、青白い肌をした男の顔が写っている。髪と髭は伸び放題、背景はよくわからない。

 家族は両親と妹――全員死亡。彼女でもわかる様に配慮したのだろう、英語に書き直されたその身上書によると、彼の両親と妹は死亡したとなっている。フィオレンティーナは顔を上げて、ヤナギダ司祭に視線を向けた。

「司祭様、この男の家族は――」

「全員、最近殺害されています」 意図を察して、ヤナギダ司祭が即座に答えてくる。

「蕎麦屋『承安』――小泉純一の実家の蕎麦屋の名前ですが、開店直前にやってきた常連客のひとりの通報で発見されました。両親は調理場で、ばらばらにされて殺害されています。警察官が現場に踏み込んだとき、両親の体は寸胴鍋に詰め込まれて火にかけられていたそうです。妹のほうは、自室で解体されていました――調べた結果、殺害直前に性的暴行を受けた形跡があるそうです。DNA鑑定から、小泉純一によるものであることが確認されました――その体液と秋葉原の現場から採取した血液サンプルのDNAが一致し、そのDNAサンプルと両親のDNAを鑑定した結果、親子関係が確認されたそうです」

 嫌悪感に顔を顰めながらも、ヤナギダ司祭は苦々しげにそう説明した――吸血鬼化した人間は、まっとうな倫理観を失う場合が多い。最初の吸血を終えるまでは極限の飢餓感で、吸血を終えたあとは罪悪感の喪失で。

 そうなると、もう歯止めが利かなくなる――人を襲うことに躊躇が無くなり、性的被害も多くなる。特に男性の吸血鬼個体の場合は、肉声で命令すると逆らえないという下位個体の性質を利用して女性ばかりを攫うことも多い――逆に女性の場合は被害者は男性が多いが、これはただ単に易いからだと考えてられている。無論、相手の好みはあるかもしれないが。

「家族は全員、解体される直前に吸血を受けた様です――全員吸血痕が認められました。警察官が踏み込んだときには本人は既に姿をくらましており、それから数日間発見されていません――重要臓器の損傷はありませんでしたが、死体の損壊がひどかったためにいずれの遺体も復活はしませんでした」

 という司祭の言葉に、フィオレンティーナはうなずいた。吸血鬼が血を吸った遺体は、生きた人間が生命維持に必要とする器官のうち特に重要なものを破壊されると蘇生しなくなる。ほかにもあるのかもしれないが、教会が死体の蘇生を阻止するための手段として確実であるとしているのはそのうちよっつ。

 脳、心臓、肺、そして脊椎。脊椎の場合は内部の脊髄を完全に切断することが必要になるのだが、これらのうちのひとつでも破壊されると吸血鬼適性を持つ遺体は蘇生しなくなる。

 だが、それ以外でも重篤な損傷を受けていれば、やはり蘇生しなくなることはありうる。両手足を切断され寸胴鍋で煮込まれるというのがそれに該当するかはわからないが、それで蘇生しなくなったのか、あるいはもとから噛まれ者ダンパイア適性も喰屍鬼グール適性も無かったのか。

 いずれにせよ、吸血被害者小泉純一は間違い無く噛まれ者ダンパイアになったのだ。最初の吸血が家族だったのか、それともほかの誰かだったのか、それはわからないが、彼は最初の吸血を終えて完全な吸血鬼として安定し、家族を惨殺して姿を消した。

 日付から考えると、その後数日経った今もどこかに潜伏して夜毎犠牲者を増やしているのだろう。

「それで、その家族の遺体は」

「遺体の損壊状態と日数の経過を考えればおそらく蘇生の可能性は無いと思われますが、大使館の派遣したエージェント立ち会いの許、警察病院で司法解剖されその後火葬されています」

 ヤナギダがそう答えてくる。聖堂騎士団は直接聖堂騎士のサポートに当たるヤナギダ司祭のほかに東京にある、法王庁大使館に渉外局と呼ばれる部署の職員を常駐させている。おそらく念のためということなのだろうが、戦闘訓練を受けた渉外局の職員が遺体の司法解剖に立ち会ったのだろう――そしてその司法解剖による遺体の損傷ダメージで、蘇生の可能性は完全に無くなるはずだ。

 そのあとで火葬されるのも大きい。吸血鬼に血を吸われて死んだ遺体が発見された場合、蘇生を阻止するためにもっとも確実な処理方法は遺体の生命維持にかかわる重要器官を破壊することと、遺体を完全に破壊すること――遺体を骨だけ残して完全に破壊するという一点において、焼却はもっとも理想的な方法だった。

「この被害者の噛まれ者ダンパイアですけど――今の潜伏先はまだ判明していないんですか?」

 フィオレンティーナのその質問に、彼は申し訳無さそうにうなずいてみせた。

「残念ですが、まだ――」 まあそれは仕方が無い――探るのがヴァチカンの諜報員であれ現地の警察であれ、実際にことに当たるのは対吸血鬼戦の訓練も受けていなければ有効な装備も持たない普通の人間なのだ。彼らがちょっと建物から建物に飛び移るだけで追跡など不可能になるし、そもそも向こうに気づかれれば確実に殺されてしまう――それだけでなく血を吸われて、こちらの内部情報が向こうに漏れる結果を招くだろう。

 と――

 どくん

 心臓が跳ねるのを感じて、フィオレンティーナはベッドから立ち上がった。

 いぶかしげに見上げてくるヤナギダ神父を無視して、窓際に駆け寄る。

 なに!? 今のは――

 外を見回しても、見えるのは風にはためく隣の民家のシーツだけだった。

「騎士フィオレンティーナ? どうかされましたか?」

 背後からかかったヤナギダ神父の声に、フィオレンティーナは振り向いて首を振った。

「いいえ、なんでもありません――ごめんなさい、続けてください」

 答えながら、ベッドの縁に戻って腰を下ろす――ヤナギダ神父がなおも何事か話しているのが聞こえたが、耳には入っていなかった。

 法衣の袖を軽く捲り返してみると、二の腕に鳥肌が立っているのがわかった。

 今の気配――すさまじい堕性だった。

 間違い無い、こちらに気づいて接近してきたのか、たまたま近くを通過しただけなのかは定かではないが、今、すぐ近くを強烈な負の魔力を持った吸血鬼が通過した。

 こんな昼間から――

 吸血鬼と称される生物の大半は昼間に行動出来ない――太陽に背を向けた生物である吸血鬼はたとえ日光の届かない暗闇や暗がりにいても昼間は酷い倦怠感に襲われるし、日光にその身を晒そうものならば即座に塵になってしまう。

 だが何事にも例外は存在する――真祖は日中でも出歩くことが出来るし、真祖に自ら血を献上して吸血鬼化した最上級の噛まれ者ダンパイア個体である『剣』も、多少の弱体化は伴うものの日中に太陽光下で行動することが出来る。

 それが『剣』であれ真祖であれ、昼間でも行動出来る高位の吸血鬼がこの近辺にいるのは確かな様だ――真祖かその『剣』か、もしくは魔術によって転生した『クトゥルク』のいずれかが。

 背筋に冷たい汗が伝うのを感じながら、フィオレンティーナは拳を握り締めた。

 

   *

 

 玄関の扉を閉めて、二個の錠前をひとつずつ施錠する――表裏の区別の無いディンプルキーを鍵穴から引き抜いて、キーケースごと左手に握り込み、アルカードはアパートの門扉から道路に出て左手に視線を向けた。

 ついでに右手にも視線を向け、車がこないのを確認して歩き出す――店の閉店作業のあとなので、けっこう遅い時間になっている。よその家を訪問するには少々遅い時間ではあるが、先方の承諾は取れているので問題は無いだろう。

 そんなことを考えながら、歩いてすぐの交差点で足を止める。

 右手に視線を向けると、一ブロック離れたところでコンビニの看板が光っていた。

 歩道は整備されているのだが信号の無い、ただコーナーミラーだけはきっちり設置された交差点で再び左右に視線を向け、アルカードは交差点を突っ切る様にして再度歩き出した。

 初夏の夜空は雲ひとつ無く晴れており、月や星が綺麗に見えている――ところどころの街燈や家々の照明が無ければもっと綺麗に見えるのだろうが、まあそれを愚痴っても仕方が無い。

 帰ったらアパートの屋上で星を眺めながら酒でも飲もうかと考えながら、民家の塀の上からこちらを見下ろしている三毛の仔猫に手を伸ばす――塀の向こう側に姿を消した猫を見送って肩をすくめ、アルカードは再び前方に視線を戻した。

 まあそれはともかく――胸中でつぶやいて、アルカードは嘆息した。

 問題はあっちだよなぁ……

 まるでつきまといかなにかの様に背後の電柱の陰から顔だけ出してこちらの様子を観察しているフィオレンティーナの姿が、路上駐車した軽自動車のリアウインドウに映り込んでいる。

 まさかこちらが気づいていないと思っているわけではあるまいに――こめかみを親指で揉みながら、深々と息を吐き出す。

 そのままじゃ

 捕まっちまうよ

 お嬢さん

 アルぞう心の俳句。

 思わず意味不明なことを考えながら、アルカードは親指でこめかみを揉んだ。

 あんなんだったら、堂々と横を歩いてついてくればいいだろうに――頭痛を感じつつ、アルカードはいつの間にか止まっていた歩みを再開した。

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