エピローグ

前を向いて

 プリーネが再生の魔法を暴走させてから一週間ほどが過ぎた。

 大きな病院に入院させる程ではなかったが、まだ傷が癒えてはいなかった為、プリーネは学校の医務室に入院という形になっている。

 ディルクも撃たれた肩の傷が癒えていない為、医務室通いの毎日だった。


「何も一緒について来る必要もあるまい。まだ授業中ではないか」

「いや、また傷口が痛くなって来たからッスよ」


 そんな見え透いた嘘をついて授業を抜け出して来たディルクはヘルマ校長について医務室に向かっている。

 ヘルマ校長は、あの日以来、多忙を極めていてなかなかプリーネを見舞ってやれずにいた。それ故、この日になってようやく様子を見に行こうと校長室を抜け出して来たわけだ。

 心配されたザーリアー軍の動向ではあったが、結局、その後は王立魔導学院に対して何の動きも見せていない。

 各地での戦況が思わしくないという噂も流れて来ているし、恐らく王立魔導学院に構っている余裕も無くなったのだろう。


 医務室のドアにはA4サイズの黒板が吊るされ、ベッド利用者の名前が書かれている。

 今は『Pline・Einhorn』とプリーネのフルネームだけが記されていた。


「失礼するぞ」


 ヘルマ校長とディルクが入室すると、丁度、愛用のカップで紅茶を啜っていたドクタービエロフカが、


「あら〜? また珍しい組み合わせですねぇ」


 と、いつものゆったりした口調で出迎えてくれた。


「プリーネの様子はどうじゃな?」

「あ〜。今はわたしと一緒にティータイムですよ〜」


 見ればベッドの上で上体を起こし、ドクタービエロフカが買って来てくれたであろうザッハトルテを頬張っていた。

 だが、ヘルマ校長の急な来訪に気づくなり、慌てて飲み込んだから「んぐっ!」と喉を詰まらせ、慌しくお茶で流し込んでいるといった具合。


「どうやら元気も戻ったようじゃな」


 落ち着きの無いプリーネの様子に思わず苦笑い。


「あ、あはは……。も、もうすぐ元の生活に戻れそうです」


 時々、お腹の中の方がチクリと痛む事もあるが、傷口の方は完全に塞がっていた。


「結局……あの一件は不本意な事にドクターの提案していた荒療治になってしまったのう」


 あの一件とは、プリーネと再生の魔法をどうするか……という事だ。

 プリーネもドクタービエロフカから、治療中に詳細は聞かされていた。

 プリーネの心身を侵蝕しつつあった負の魔力を思い切って再生の魔法を発動させてしまう事で、一度キレイに出し切り、リセットしてしまおうという、下手をすれば世界崩壊の危機を招く手段であったこと。あとはプリーネが現実をしっかりと受け入れさえしてしまえば、当分は暴発しないだろうという案だったそうな。

 もちろん、ヘルマ校長は猛反対したのだが、結果的にヘルマ校長の意に反してドクタービエロフカの案が実現する形になってしまったという訳だ。


「まあ、そんな訳で今後は基礎はもちろんじゃが、プリーネが実家でやっていた事と同様の訓練もしなければな」

「え? あれってまだ続ける必要あるんですか?」


 プリーネが実家でやっていた訓練はモップに乗ったり、図形の暗号解読術だったり、おおよそ基礎とは懸け離れたもので、あらゆる面で未熟な魔導士見習いがやる様な事では無いはずだ。

 しかし、ヘルマ校長は一瞬だけ「あれ?」という様な顔をする。


「ああ、そうか。おぬしは自分の積み重ねて来た訓練の真の意味を知らぬのじゃったな」

「まことの……?」


 プリーネは首を傾げる。

 言われてみれば自分のやらされている事に疑問を持った事なんて無かったし、モップに関しては箒と違って特殊だとは聞いていたが、改めて「何で?」という質問はした事が無かった。


「おぬしの中に眠る再生の魔法じゃが……再生の魔法には膨大な魔力放出が起こる為に、通常の魔法を制御する力では役に立たず、特殊な制御法を身に付ける必要があったのじゃ。それ故、例えば箒ではなく普通の魔導士がなかなか扱えない様なモップを乗りこなす訓練をさせたのも、それが理由なのじゃよ」

「え? じゃあ……あれって制御できるようになるものなんですか?」

「理論上はな……」


 ヘルマ校長は微笑してベッドの傍らに置いてあった丸椅子に腰掛けた。

 見た目、体が小さい幼女なので立ったままだとプリーネが見下ろしている形になる。ヘルマ校長本来の身体と異なるから、目線をほぼ同じ高さに合わせたかったのだろう。


「しかし……決して容易な事では無いぞ? 卒業までに制御できるようになるかどうか……わしにとっても初めての事で分からぬ」


 つまり課題は山積みという事だ。

 それでも再生の魔法が危険極まりない魔法である事はプリーネ自身、身を以て体験して分かっている。

 自分の為にも何とか制御できるようにならない。


「それはそうと……」


 治療も受けず、さりげなく勝手に一緒になって紅茶を飲み始めたディルクが口を挟んだ。


「どうしてプリーネが再生の魔法を使える事が分かったんだ? 確か再生の魔法を生み出した大賢者の末裔の中でも数百年に一人って割合でしか生まれないんだろ?」

「ああ、それはじゃな……」


 ヘルマ校長は「天眼鏡があれば貸してくれぬか?」と、ドクタービエロフカから大きな虫眼鏡を受け取り、それをディルクに手渡した。


「これでプリーネの右眼をよ〜く見てみるが良い」

「右眼?」


 ディルクはプリーネに顔を近づけ、そのコバルトブルーの瞳を覗き込む。


「え? な、なに?」


 何となく決まり悪そうにするプリーネであったが、真面目な話の最中に嫌がってディルクを突き飛ばす訳にはいかないと下唇を噛んで堪える。


「瞳の虹彩じゃ。ギリシャ文字のイプシロン(※注5)に似た形の模様が浮き出ておるじゃろ?」

「あ! ホントだ!」


『ε』


 小さくて分かりづらいが、確かにそこには妙な模様が浮かび上がっていた。


「コバルトブルーの瞳に加え、片目の虹彩にイプシロンの様な模様……。これは古代の大賢者と同じ特徴でな……その特徴を持って生まれた者だけが、再生の魔法を血の中に眠らせているのじゃ」


 なるほど、ヘルマ校長がプリーネと初めて会った際、入学試験と称して瞳を覗き込んでいたのは、この為だったのだ。


「わしはプリーネが生まれた際、親友からその事を聞かされてな……」


 ヘルマ校長はどこか懐かしむ様に目を細める。


「校長先生の親友というのは……?」

「うむ……学生時代からの大親友でな……マレーンと言う。わしよりも先に逝ってしまったがな……」

「そ、それって……あたしのおばあちゃん⁉︎」


 プリーネは素っ頓狂な声をあげる。

 確か、ヘルマ校長は自分の親の知人だと言っていたが、まさか祖母が親友だったとは思いも寄らなかった。

 もちろん、祖母からもヘルマ校長が親友である事どころか、知り合いであるという話すら聞いた事が無い。


「マレーンがな……初孫が生まれたと大喜びして、わしをザルツブルクに招いた事があったのじゃ。わしも抱かせて貰ったが、本当に可愛い娘でな。しかし、同時にそんな問題も抱えてると、その時に聞かされたのじゃよ」


 紛れもなく、その初孫とはプリーネの事だ。だが、赤ん坊の頃とはいえ、改めて「可愛い」と言われるとプリーネも些か照れ臭くなる。


「そしてマレーンが逝き……さらにはおぬしの両親も亡くなり……おぬしの父から頼まれたとは言え、わしは親友の孫娘を何とかしてやらねばと思ったのじゃ。親友マレーンの可愛い孫娘じゃからな……名目は危険を孕む娘の監視という事ではあるが、わしもおぬしの事を実の孫の様に思っておるのじゃよ……プリーネ」

「せん……せ……」


 不覚にもプリーネはウルウルとして、また涙が溢れそうになってしまった。

 でも、グッと堪えると、


「あたし……目標ができました」


 そう言って下半身にかけてある布団を握り締める。


「ほう……何じゃな?」

「あたし、校長先生の様な教師を目指します! たくさん勉強して、たくさん修行して、優しくて立派な先生になろうって思います!」


 穏やかな昼下がり……。

 医務室には穏やかな笑顔が溢れていた。



  完

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