変えようのないもの
「うわぁ! 何てことすんだ!」
ディルクは調子はずれな声をあげた。
止めるなどと言って、かなり勢いのある魔法をプリーネにぶつけたのだから見てる方は泡を食うというものだ。
「心配要らぬよ。ちとショックを与えただけじゃ。あとはプリーネが、わしが言う事を理解してさえくれれば当分は再生の魔法も発動せんじゃろ」
ヘルマ校長はそう言うと路上に横たわっているプリーネのもとへ、のそのそと歩み寄る。
プリーネは肩で息をしていた。そして眠りから覚めたかの様にゆっくりと目蓋を開くと、自分の顔を覗き込むヘルマ校長を見上げる。
「せん……せ……? あたし……」
「うむ……もう大丈夫じゃよ」
プリーネの体を優しく抱き上げて頭を撫でてやった。
白いブラウスは血で真っ赤に染まっていたが、致命傷と思われた腹部の傷は不思議な事に殆ど塞がっていた。
「どうやら再生の魔法は全てに滅びをもたらすと同時に『生』の力を吸い上げてしまう様じゃな。それ故、ある程度の治癒効果を術者にもたらすのじゃろう……」
プリーネは体を起こそうとするが、やはりまだ撃たれた腹部に激痛が走り「うっ……!」と呻き声をあげる。
ヘルマ校長の言うように、飽くまで『ある程度』の治癒効果であって、傷は内臓まで達していたのだから、ちゃんとした治療は必要なのだろう。
「プリーネ……黙っていてすまなかったのう……。しかし、あれがおぬしの求めていた再生の魔法なのじゃ」
見ればゲルリッツ少佐をはじめとした多くのザーリアー兵たちは自力で立ち上がる事も出来ない程に骨と皮だけの姿となっている。辛うじて呼吸をしているだけで、もはや虫の息であった。
「再生の魔法は負の感情が増大する事で発動してしまう破滅の魔法なのじゃ。わしはおぬしが生まれて間も無い頃にその事実をおぬしの祖母から聞かされてな……。おぬしの両親が亡くなる少し前にも、おぬしの父から『自分の身に何かあったら、娘を頼みます』という手紙を貰っておった」
「それじゃあ……校長先生はずっと……」
ヘルマ校長の顔が曇る。本当に申し訳ないという思いが、その瞳から伝わって来た。
「亡きおぬしの両親の代わりにわしが見守ってやらねばならなかったのじゃよ。いや……おぬしが暴走せぬよう監視していた……と言った方が正しいかの」
つまり王立魔導学院に試験も無しに入学させたのも、特待生扱いにして学費や生活費を免除したのも、全ては再生の魔法を暴走させてしまいかねないプリーネを監視する為であった訳だ。
「いずれはおぬしの身に再生の魔法という特殊な、しかし危険な魔法が備わっているという事実を話すつもりでいた。しかし、それよりも先に死者を蘇らせるという、一人歩きしてしまった噂を聞きつけてしまった為におぬしは有らぬ期待を抱いてしまった。その為、真実を伝えれば却って絶望を与え、それが鍵となって再生の魔法が発動してしまうのでは無いかと恐れたのじゃ」
だから訳知り顔で本当の事を一切話してくれなかったという訳だ。
「結局はおぬしを苦しめる形になってしまったし、わしの判断ミスだったのかも知れぬ。すまん事をした……」
「そんな……」
プリーネはかぶりを振った。
でも、ヘルマ校長がどういう選択をしていたとしても、遅かれ早かれ再生の魔法は発動し、そして暴走していたかもしれない……そう思えた。
「プリーネよ……おぬしには酷な事じゃろうと思う。しかしな……既に起きてしまった事を変える事は如何な魔法を用いても不可能なのじゃ。進める事は出来ても巻き戻す事は出来ぬ。それが魔法……いや、生きとし生けるもの全てに与えられた宿命じゃ」
ヘルマ校長はプリーネの頬を撫でる。
プリーネは自分でも気づかぬうちに涙を零していた。頬を伝うひと筋の涙をヘルマ校長が拭ってくれたのだ。
「死というものは誰にでも訪れる。それがどれだけ早かろうと、どれだけ理不尽であろうと変えられぬし、受け入れなければならない。生きておる限り、大切な人との別れは乗り越えなければならないのじゃよ。辛かろうと……それが死者への手向けなのじゃ」
「う……うう……」
涙が止め処なく溢れて来る。
頭では理解していた。本当はもっとずっと前から理解していた筈なのだ。
ただ、現実を受け入れる事から逃げていただけ。そうする事で苦痛から逃れようとしていた。
それでも改めて現実を突き付けられると、悲しみという感情は抑えようが無い。それどころか、抑え込んでいた分だけ悲しみが増してしまったかの様にも思える。
自分がただ悲しみを先延ばししてしまったが為に……。
「今は我慢する事はない。思い切り泣くが良いよ。そしておぬしが再び前進する事をわしは願っているし、信じてもいる。それまでいつまででも待っていてやるでな……」
「うう……うあぁぁぁぁぁ! ああぁぁぁ!」
プリーネは泣いた。声をあげ嗚咽を漏らし、ヘルマ校長のローブをビショビショに濡らす程に泣きじゃくった。
「あ……が……ば、ばけ……もの……」
変わり果てた姿のゲルリッツ少佐は震える手でプリーネを指差し、掠れ切った声で言った。
その目は白く濁り、もはや光を失っているであろう。
だが、そんな死にかけの軍人に対して、ヘルマ校長は容赦なく吐き捨てた。
「ふん……何がバケモノじゃ。わしに言わせれば、おぬしの様な人の命を軽んじる輩の方が余程バケモノじみておるわ!」
まだ再生の魔法の効果をあまり受けていなかったであろう兵達は、自力で立ち上がる事も出来ないゲルリッツ少佐や老衰し切った兵士達を引きずり、一目散に退却して行った。
「校長先生〜。あいつら逃しちゃって良かったのか?」
ザーリアー軍の消えた先を見詰めながらディルクが口を尖らせるが、ヘルマ校長は、
「なぁに……。捨て置いても無事に本国まで戻れる者は少なかろうて。仮に戻れたところで、彼奴らにはどうする事も出来ぬよ」
そう言って、さも楽しげに笑った。
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