暴走

 立ち膝をつき天を仰ぐプリーネの体を中心に風が巻き起こる。


「む……イカン!」


 ヘルマ校長はディルクの前に立ちはだかると、驚くべき早さで空中に魔法陣を描く。

 するとヘルマ校長とディルクを覆うように半透明のヴェールが現れた。


「ディルクよ……この結界から一ミリでも出るでないぞ!」

「え? あ、ああ……でも、あれっていったい……」


 ズンッと大地が、そして大気が震える。


「ああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ‼︎」


 叫びを上げ続けるプリーネの全身から黒い霧状の筋が立ち昇ると、それらは風に乗りプリーネの体を中心に回転を始める。

 そして大爆音が轟き、プリーネの周囲に衝撃波が起こり広がった。


「な、なんだ……?」


 ゲルリッツ少佐は飛ばされないよう体勢を低くし、拳銃を持つ手で顔を庇おうとする……が、彼の目に信じられない様な光景が飛び込んで来た。

 手にしていた拳銃の表面が……ボロボロとまるで垢でもこそぎ落とすかの様に剥がれ、そして崩れてゆく。

 その場にいた兵士たちの銃も同様だ。

 いや……銃だけではない。戦車までもが急激に劣化し、塗装が剥げ、そして腐食してボロボロと崩れてゆく。


「な、何だ……いったいこれは! ああっ⁉︎」


 ゲルリッツ少佐は崩れてゆく銃を持った自分の手を見て悲鳴をあげた。

 彼の手もまた細く皺だらけになってゆき、肌も色褪せて皮膚が角質化し、ボロボロと剥がれてゆくではないか!


「よく見ておくが良い。あれが……あれこそが再生の魔法の真の姿よ……」

「はぁ⁉︎」


 ディルクは恐るべき光景を目の当たりにしながらも、なおヘルマ校長の言う事に半信半疑であった。


「だ、だって……あれ……」


 再生の魔法とは死者を蘇らせる魔法だと聞いていた。

 もちろん、飽くまで噂ではあったものの、今、眼前で起こっている現象は死者を蘇らせるなどとはまるで正反対……物が、人がみるみるうちに朽ちて行こうとしている。

 通りに敷き詰められた石畳までもが砂の様に変化し、路上に仰向けに転がるブンゲルト中将の骸は半ば白骨化しかかっていた。


いにしえの大賢者は最愛の妻を失い、その妻を蘇らせようと再生の魔法を作り出そうとした。しかしな……おぬしも知っておろう? 魔法とは決して自然の摂理を曲げる事は出来ぬと……」


 そうだ……。

 何があろうと死者を蘇らせたり、老化を止め、逆行させたり、時間を遡るといった事は魔法では不可能。それが大原則なのだ。


「確かにあれは再生というものを促す魔法。しかし、『再生』とはな……その前提に『滅び』があって初めて成立するものなのじゃ。あの魔法は言わば『再生』を促す為の下地を作るだけのもの……万物に『滅び』を与え、全てを更地にしたうえで自然が本来持つ再生の力に委ねるというだけの魔法なのじゃよ」

「じゃあ……それって単なる失敗作……?」


 ヘルマ校長はコクリと頷いた。


「かつて起こった大洪水……あれは大賢者の親友であったノアによって食い止められたものじゃが……そもそもの原因は今のプリーネと同じよ。再生の魔法を暴走させた事によって引き起こされた大規模地殻変動が原因じゃ」


 再生の魔法によって大規模な地殻変動が引き起こされる……つまりは今もその危機が訪れようとしているという事だろうか?

 ディルクはゴクリと唾を飲み込んだ。


「万物を滅ぼし一からやり直させる。それは地球そのものにも影響を及ぼすものでな……約二億五千万年前……ペルム紀末期に起こった大量絶滅(※注4)は超大陸パンゲアの分裂に伴う地球規模の大地殻変動が原因とされるが、ノアの大洪水もまた、再生の魔法によってそれと同様の現象が急激な速度で起こったものなのじゃよ。もっとも……発動していた時間がごく短時間であった為に局地的な地殻変動で済んだわけじゃがな」


 ヘルマ校長は両手を広げ、何とか結界を維持しようと必死になっている。それでも冷静に説明だけは続けた。


「プリーネはな……その大賢者の末裔なのじゃよ。それも数百年に一人現れるかどうかという再生の魔法を扱える資質を持って生まれた……呪われた隔世遺伝とでも言うべきか……」


 それで何となく合点がいった。

 学力は優秀でありながらも実技面で平均以下であるどころか、かなり低いレベルのプリーネが特待生扱いにされている理由。

 ヘルマ校長が初めから、プリーネがそんな危険な爆弾を抱えて生まれた娘だと知っていたからなのだろう。


「プリーネは我々と異なり二つの魔力貯蔵庫を持っている様なものでな……一つは普通に我々も持っているもの……そしてそのうちのもう一つは血の中に封印された膨大な魔力貯蔵庫——それこそ、わしが持つ魔力量を遥かに凌駕する程のもので、その魔力は異質な力を持っておる」

「異質な……?」

「そう……怒りや憎しみ、絶望といった人の持つ負の感情……それによって引き出される負の魔力なのじゃ。普段は封印されている負の魔力貯蔵庫ではあるが、プリーネが抱いた大きな負の感情が負の魔力と結びついて封印そのものに綻びを生じさせておった。彼女が度々体調を崩していたのも、その漏れ出した負の魔力が心身を侵蝕しつつあった為じゃよ。ぐむむ……!」


 ——ドンッ!


 プリーネの放つ衝撃波がいよいよ威力を増してゆく。


「ドクタービエロフカの言う荒療治には反対したものの、奇しくも彼女の言った通りの展開になってしまうとはな……しかし、これは思った以上に……」


 魔力の放出が大き過ぎる。

 さすがにヘルマ校長もここまでのものであるとは想定外であった。


「このままではマズイな……。ノアが大賢者に使ったものと同じ方法でプリーネを止めるより他にあるまい。ディルクよ! すまぬが手を貸してくれぬか?」

「え? ど、どうやって?」


 戸惑うディルクにヘルマ校長は「心配するな」とでも言うような表情を浮かべた。


「なぁに……わしの結界を成している魔法陣に手を当てて魔力を放出し続けてくれれば良い。その間にわしがプリーネを別の魔法で止める」

「ええっ⁉︎ でもオレ、校長みたいな強い魔力持ってないよ⁉︎」


 するとヘルマ校長は「カカッ」と高らかに笑った。


「案ずるな。ほんの一瞬じゃよ。それにこのままでは世界が滅びてしまうじゃろうし、何よりプリーネに人殺しはさせたくあるまい?」

「へへ……そりゃあね……」


 意を決し、ディルクは魔法陣に手を当てた。そしてありったけの魔力を注ぎ込む。

 だが、その消耗は激しい。まるで全身の水分が吸い出されているかの様な感覚だ。

 これは長く保つまい。

 その間にヘルマ校長は魔法陣から右手を離し、結界魔法陣の僅か上に小さな魔法陣を描く。そして……。


 ——パスン!


 新しく描かれた魔法陣から光の玉が飛び出し、それは凄まじいスピードでプリーネに向かって飛んで行く。


 ——バチッ!


 光の玉はプリーネの頸椎部分に命中すると放電し、四散した。

 プリーネはその場に崩れる。


 膨大な魔力の放出は止まり、辺りに静けさが戻った。

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