胸に残る違和感

「じゃあ、行って来ま〜す! えっと……セージとローズヒップ、それとマチンの実かぁ……。他の二つはゲトライデガッセのハーブ屋さんに行けば手に入りそうだけど……マチンなんて毒草、どこに売ってるんだろ?」


 プリーネは家を出ると、お遣いに頼まれたメモに目を通していた。

 お母さんが魔法薬の調合に使うものなのだが、在庫が無くなっている事に気づかなかったらしく、いつもなら本人が買いに行っているのに、この日は手が離せないとの事でプリーネが代わりに買い出しに行く事になったのだ。

 が、お母さん曰く「これも勉強だから」と、どこへ行けば手に入るかまでは教えてくれなかったのである。


「毒草売ってるお店なんて聞いた事ないけど……」


 一番の難題はそれだった。

 マチンと言えばアガサ・クリスティの推理小説などでお馴染みの毒薬ストリキニーネの原料となる猛毒植物である。

 そんな剣呑極まりない毒草が市内にある普通の店に置いてあるとも思えない。


「とりあえず先にセージとローズヒップだけ買いに行って……あとはお店の人に訊いて

 みるしか無いかなぁ……」


 ブツブツ言いながらプリーネはいつものモップに跨がる。

 その時だった——


 ゴオォォォンッ‼︎


 耳をつんざくような轟音。同時に身体が巻き上げられ何が起こったのかも分からぬまま、プリーネの意識はそこで途絶えた。


 気がつけばボ〜ッとする意識の中、辺りに茜色の光が揺らめいている場所に寝ていた。


 ——どこだろう?


 全身の感覚が無く、金縛りにでもあったかのように身動きも取れない。

 ふと、傍らに誰かが立っている事に気づいた。


 ——おとう……さん?


 割れた眼鏡をかけ、頭や身体のあちこちから夥しい量の血を流している。その無惨に変わり果てた姿の父親がプリーネの傍らに立って、こちらを見下ろしていたのだ。

 そして反対側にもう一人……。


 ——お母さ……ん……


 母親も同様に全身から血を流し、首が不自然に曲がっていた。

 二人はプリーネを見下ろしながら、頻りに何かを呟いている。


 ——どうしたの? 何があったの?


 そのうち……二人の呟きは徐々にプリーネの耳に届いて来た。


『ニクイ……ニクイ、ニクイ、ニクイニクイニクイニクイニクイニクイニクイニクイニクイニクイニクイ』


 地の底から湧き上がるような声。大気を震わせるその声が、あたかもプリーネを責めるかのように浴びせられる。


 ——やめて……


 血みどろの両親の姿が夜の闇よりも黒い影となってゆく。

 それでも憎悪に満ちたその声は止む事を知らない。


『憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い!』


 ——お願い! もうやめてぇぇっ‼︎


 ***



「いやぁぁぁっ‼︎」


 プリーネは悲鳴をあげ、ガバッと起き上がった。


「はぁ……はぁ……はぁ……」


 激しく心臓が脈打っている。全身に嫌な汗が吹き出していた。

 今、自分の居る場所が寮の自室である事に気づくまでに、そう時間はかからなかった。


「また……あの夢か……」


 額に手を当てるとビチャっとした感触。いつにも増してヒドい汗のかき方だ。


(どうしてあんな……)


 今まで見てきた夢は爆撃を受けたあの日の再現でしか無かった筈だ。なのに、今度ばかりは現実には無かった事まで夢に出て来たのだ。

 まるで両親が闇に飲まれてしまったかの様に恨み言を繰り返していた。


 ——憎い憎い憎い……


 その記憶を振り払うようにプリーネは首を振る。

 怖かった……。

 ただの再現だった夢が本当の悪夢になってしまった。


「今までこんな事なかったのに……」


 まだしばらく動悸が収まりそうにない。それどころか動悸や息切れとは違った、妙な違和感が残る。

 胸に手を当ててみた。


「何だろう?」


 見た目には全く変化は無いものの、胸の奥で何かが膨らんでゆく様な感覚があった。

 それは固体とも液体とも違う……煙のようでいて、しかし気体と呼ぶのも何か違う気がする。


「はぁ……」


 大きくため息をついてみるが、中でモヤモヤとした何かが消える様子は無い。


「喉が渇いたな……」


 時刻を見ると午前六時前であった。

 朝食には少し早いが、食堂のおばちゃんはこの時間には準備を始めている筈だ。


 食堂はまだ薄暗い。厨房の明かりが灯っているだけだ。

 戦争という情勢不安の為に生徒数も平和な時代と比べて半数以下にまで減少してしまった王立魔導学院ではあるが、それでも六百人ほどの学生がここに住んでいる。

 それだけの学生達一人一人に食事を用意しているのが僅か二、三人のおばちゃん達なのだから、考えてみれば凄まじいものがある。

 恐らくプリーネが目覚めるよりも前に来て、仕込みを始めているのだろう。


 厨房と食堂を仕切っているカウンターには、いつでも水が飲めるようにピッチャーとグラスが用意してある。

 プリーネはそのグラスに水をなみなみと注ぐと一気に飲み干した。

 汗をかいていたし、カラカラに渇いた喉に冷えた水が染み渡る感触はなんとも言えない。が、それでも胸に残る違和感が解消される事はなかった。


「あら? プリーネちゃん。今日はまた随分と早いのねぇ」


 食堂のおばちゃんが気さくに声をかけてくれた。

 ここのおばちゃん達は編入して来たばかりのプリーネの名前を直ぐに覚えてくれた。それどころか学生全員のフルネームもしっかり覚えているというのだから驚きだ。


「ちょっと嫌な夢を見ちゃいまして……ははは……」

「あらぁ〜。それはきっと疲れてるんだよ。ちゃんと食べて、ちゃんと休む。これが大事だよ?」

「そうなんですかねぇ……。体はそんなに疲れてないし、食事も睡眠もしっかり取ってるつもりなんですけどね……」


 しかし、おばちゃんはかぶりを振る。


「そりゃあんた、精神的に疲れてるのさ。今だって腐りかけのサーモンみたいな目をしてるよ?」

「そ、そんなに⁉︎」


 プリーネは目を丸くしたが、それが冗談なのだと直ぐに分かった。

 おばちゃんが豪快に笑い出したからだ。


「まったく……真に受けちゃってぇ! 冗談に決まってるじゃないの! あんたはいつも通りの可愛らしい顔だよぉ」

「か、かわ……⁉︎」


 そんな事を言われたのは初めてだ。

 プリーネは思わず頬をあけに染める。


「でもね……今の冗談を真に受けたって事は、何かしら身に覚えがあるってことさ。困り事が有るんなら、医務室のドクターでも良いし、それこそ校長先生だって相談に乗ってくれるよ? だから、あまり独りで抱え込むもんじゃないよ」

「そうですよね……うん……」


 やはり年の功というやつなのだろうか? こうも簡単に見透かされてしまっているのだから敵わない。

 それでも……このおばちゃんと話をしただけで、先程よりは何となく楽になれた気がした。


(時間がある時にでも相談した方が良いのかも……)


 今なら、そう思えた。

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