普通じゃないです

「だ〜か〜ら〜! どうして、この程度の初歩的な魔法もできないんですの⁉︎」


 金切り声が響き渡る。

 廊下や隣りの教室まで聞こえているのではないかど思う。いや、事実丸聞こえであった。

 魔法の実技訓練に使用される屋内練習場。板張りの床に加え、壁際に様々な鍛錬用の魔導器が置かれ、壁の一部は鏡になっている。要するに言い方を変えればジムというやつだ。

 そんなジムでヒステリックに声を荒らげるのはデニーゼ・ハネル。生粋のお嬢様にしてディルクの元彼女。そして何故か「ディルクを奪った泥棒ネコ」と思い込んでプリーネを目の敵にしている大変嫉妬深い女の子でもある。

 そしてもう一人……デニーゼとここに残っているのは、寄りにも寄ってデニーゼが一方的に天敵と見なしているプリーネであった。


「そ、そんな事言われてもぉ〜」

「つべこべ言わず、もう一度!」

「うう……」


 すっかりデニーゼにプリーネがやり込められている。

 で、二人だけで何をしているのかと言うと、プリーネがこの日、最後の実技授業で全くと言って良いほど、教わった通りに魔法が発動しなかった為に居残り訓練を言い渡されたのだ。

 しかし、居残りを命じた教師は急な職員会議があり、プリーネを指導する役目を生徒の中から一人選んで依頼する事になった。そこで最も成績の良いデニーゼにお鉢が回って来たという訳である。

 プリーネは水の入った金魚鉢に手を当て、目を閉じて何か強く念じている。

 手のひらにはボゥッと淡い光を放つ小さな図形が描かれていた。


「ううぬぬぬ……」


 ——ポチャン……


 水以外に何も入っていない金魚鉢だが、まるで小さな魚が跳ねたかの様に、僅かに水面が爆ぜて波紋が広がった。

 しかし、ただそれだけである。


「何でそれしか起こらないんですの⁉︎ 金魚鉢の中にある水を球体にするだけじゃありませんこと⁉︎」


 つまりはそういう事。

 自分で手のひらに魔法発動の為の図形を描き、それを金魚鉢に当てて念じる事で中の水を球体にするという基礎訓練の様な魔法なのだが、この程度であれば一つ下の学年の生徒だって誰でも出来る。

 言わば初歩的な魔法なのだが、これがプリーネには全くと言って良いほど出来ないのだ。


「何かコツとか無いのかなぁ……」

「コツ⁉︎ コツも何も水が球体になる様子をイメージするだけじゃありませんこと⁉︎」


 プリーネだって頭では理解している。頭の中で水が球体になる姿をイメージだってしている。それなのに今日は一度も成功していない。


「あれ? まだやってんの?」


 そこへやって来たのは、またしてもディルク。


(また面倒臭いのが……)


 これはもうストーカーの類いなんじゃないかとすら思える。

 しかも、プリーネ、デニーゼ、ディルクという最悪の組み合わせと来たものだ。修羅場とまでは行かずとも、この三人の取り合わせは校内最悪と言っても過言ではなかろう。


(あたしは一方的な被害者でしかないんだけど……)


 苦手な奴と嫉妬心だけで目の敵にしてくる女。プリーネにしてみれば巻き込まれただけでしかなく、良い迷惑である。


「何でこんなに出来ないのか不思議でなりませんわ」

「デニーゼの教え方が悪いんじゃねぇのか?」


 ディルクが余計な事を言い始めた。もう面倒な展開になるとしか思えないし、これじゃあ練習にも集中できそうもない。


「そんな事はありませんわ! 何でしたらディルクが代わりに教えてやってくださいます? あ……代わりにと言っても私もここを動くつもりはありませんけど」


 やっぱり二人きりにはさせたくないらしい。


「喜んで……と言いたいところだけど、人に教えるなんてオレの性に合わないよ」

「あたしもこんなのに教わる気はないから! デニーゼに教えてもらった方が確実だもん!」


 ムキになってディルクを拒むプリーネだったが、何故かそれでもデニーゼは喰らいつかんばかりの剣幕で、


「あ〜な〜た〜ね〜! ディルクの事を『こんなの』扱いとは何様のつもり⁉︎ コソ泥の分際で!」


 などと理不尽極まりない罵声を浴びせる。


「だから何であたしがコソ泥呼ばわりされなきゃいけないのよぉぉぉ!」


 顔は笑っているプリーネだが、もう泣きたくなってくる。

 自分がもっと基礎を学んでいれば、こんな思いもせずに済んだ筈なのに……。

 こういう目に遭うと、全く基礎訓練をさせて来なかった祖母や母を恨めしく思う。いや……正しくは基礎でない事を基礎と思い込まされて、そればかり積み重ねて来たと言うべきか……。


「プリーネって、こういう基礎的な技術はダメダメなのに、時々変な魔法が得意だったりするよな」

「ホント……へっぽこ泥棒が……。どんな魔法が得意なのか言ってみなさいな」


 ディルクは面白がっているが、デニーゼはいかにも尊大に腕を組み、完全に蔑みの目だ。


「うう……何だか酷い言われような気がするけど……。えっと……例えば幻術とか両手足で天井に張り付いたり、施錠魔法を解除する為の図形解読術(※注2)だったり……あとは金縛パラライズり魔法なんかかなぁ……」


 それを聞いたデニーゼはますます激昂する。


「殆ど基礎から程遠い魔法じゃありませんか!」

「だ、だってぇ……」


 プリーネは気の毒なくらい、ますます小さくなってしまう。若干涙目にもなっていた。


「でもホント……モップに乗るのもそうだし、今言ったやつだって普通の魔導士が習得するのに苦労するような魔法ばっかりだな」

「あたしも何でか知らないけど、今までそういう魔法の訓練ばかりやらされて来たから……。あたし自身もこれが基礎なんだとばかり信じきってたし……」


 プリーネもこの学校に来て学ぶようになってから初めて知った事なのだが、ディルクの言うように、プリーネが得意としている魔法は習得が困難とされる特殊な魔法ばかりで、通常、こういった技術を習得するのは魔導士の中でも専門職に就くような者であるらしい。

 つまりプリーネは、これまで一般的に基礎と呼ばれる訓練を飛ばして、いきなり難易度の高い特殊技術ばかり学んで来ていたのである。

 それも普通なら基礎をしっかりと身につけて、さらに高度な技術を習得し、このような特殊魔法を習得するのは、その後で……というのが常識なのだ。


「やっぱり、あたしのやってた事って普通じゃないのかぁ……」


 聞こえない様に呟いたつもりだったが、


「普通じゃありません!」

「普通じゃないな……」


 二人同時に突っ込まれてしまった。


「うう……」


 泣きそうになりながらプリーネの居残り訓練はこのあとも三時間ほど続けられた。

 結局、水球を作るのに成功したのは終わる直前に一度きりだったが……。

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