複雑な事情 その2

 ペトラ婦人が魔導士である以上、プリーネはどうしても訊いておきたい事があった。


「あの……ペトラさんは『再生の魔法』について何か知りませんか?」


 可能性は低い。それでもヘルマ校長と年齢も近い事もあって、何か手掛かりになりそうな事を知っているのではないかと考えたのだ。


「その事ね……。ディルクからも話は聞いてるわ」

「はい。少しでも知っている事があれば教えて頂きたいんです」


 溺れるものは藁をも掴むだ。プリーネは必死である。

 もはや学校の図書館があてにならない以上、外部からの情報しか道は無い。


「そうね……。結論から言うと、私は何も知らないわ。そもそも、そんな魔法があったなんて、ディルクから話を聞いて初めて知ったのだもの」

「そう……ですか……。そうですよね……」


 プリーネはがっくりと項垂れる。

 期待はしていなかったが、改めて否定されると、やはり堪える。


「ごめんなさいね。力になれなくて……」


 ペトラ婦人は心苦しげに眉尻を下げた。

 彼女の場合は、ヘルマ校長の様に何か隠し立てしている訳ではなく、本当に知らないようである。


「い、いえ! そんな……気になさらないでください!」


 プリーネは慌てて、ヒラヒラと手を振る。

 いくら魔導士であるとは言っても——大半の魔導士はそうだが——彼女はヘルマ校長などとは違い、魔導士を専業として来た訳ではないのだ。

 魔導士の資格を待ちながらも、本業は別に持っている。今時、魔導士を本業として生活が成り立っている者など、魔導士専門の教育者なり、研究者なり、魔導教会の関係者くらいのものだ。

 当然、ペトラ婦人はそれらのどれにも当てはまらない。どちらかと言えば、プリーネの母親や祖母と同様、一般人に違いのである。

 そんな人が禁忌たる魔法について知っていよう筈も無い。


「プリーネちゃんはご両親を戦争で失ったと聞いたわ。それもザーリアー軍に……だったわね」

「はい……こんな戦争が無ければ……」


 プリーネはボルシチをスプーンで掬って口へ運ぶが……気落ちした状態では、とても味など脳に伝わっては来なかった。

 ただ、出された料理を機械的に口へ運んでいるだけだ。


「あなたもに戦争で心に大きな傷を負ってるのね。だからかしら? あの子があなたに対して、徹夜で看病するほど一生懸命なのって……」

「え……?」


 誰の事を言っているのか、しばらく理解出来ずにいたが、自分の事を徹夜で看病した人物など、医務室のドクターともう一人しかいない。


「プリーネちゃんが学校で倒れた時、ディルクが医務室の先生と徹夜で看病してたと聞いたわ。あの子ね……今まで、どれだけ気に入った相手に対しても、そんな事まで出来る子じゃなかったのよ。いつだって、どこか冷めると言うか……心から他人を助けようなんてする子じゃなかったの」

「そうなんですか?」


 意外だった。

 いつだって、しつこいくらい絡んで来るから、そんな一面があるなど気づきもしなかった。

 しかし、思えば最初はプリーネが再生の魔法について調べている時でも、面白半分に付き合っているだけだったが、プリーネが倒れたその日以降、色々と気遣っていてくれてたのは確かだ。

 今回のデートだって、最初は思いつきだったのかもしれないが、当日になってみると、根を詰めていたプリーネに対して、「少しは気晴らしをした方が良い」という様な事も言っていた。

 それまでのディルクは、こちらが何を言ってもヘラヘラと笑って流していたのに、思えば随分と接し方が変わったものだと気付かされる。


「でも……同様にって……ディルクにも何かあったんですか?」

「そうね……プリーネちゃんはディルクの肩から背中にかけての傷は見た事あるかしら?」


 そんなもの見た事がある筈も無い。興味も無かったし、ディルクも人前で服を脱いでいる事など、プリーネの記憶では、無かったように思える。


「その……傷というのは戦争で……?」

「ええ……ヨーロッパで戦争が始まった四年前の事ね——」



 ***


——北暦一九三九年の事

 宣戦布告は、まだされていない。

 小学生だったディルク・クレッフェルは学校の課外授業で、ウィーンとザルツブルクのほぼ中間に位置するリンツという街に行っていた。

 課外授業とはいっても、ディルクの地元であるグラーツの街からは、北西に一五〇キロもの距離が有るから、遠足の様なものである。

 児童は四十人ほどで、引率の先生が三人。

 汽車でここまで来て、団体で街を散策しながら、この土地の歴史や文化を学ぶといった内容であった。

 ザーリアー第三帝国と周辺諸国の情勢が不安続きであったから、児童の家族からは、この課外授業に不安の声もあがっていたが、リンツはザーリアーとの国境から近いとはいっても、隣接している訳では無いため、直ぐにどうこうなるものではなかろう……と、予定通りに行われた。

 最初に異変を捉えたのは、ザーリアー第三帝国とエステルライヒ王国の国境に面した都市、ザルツブルクの防空管制局だった。


——トトツートトトトツーツートトトツートトトトツートツートトトトトトツート トツーツートツーツートトツートトトトトツートトトツート


 国内の各基地に打電されたそれは、敵機来襲を知らせる信号であった。

 ザーリアー軍の航空大隊が領空を越え、リンツの街へと向かっていたのだ。

 そんな事など知る由も無く、ディルクをはじめとした児童、引率の教師たちも見学の為に、バロック建築に囲まれた、街の中心地であるハウプト広場に集まっていた。

 やがて、西の空から近付いてくるエンジン音に、一人、二人と気づき始める。

 大人たちは、妙に低空で飛行している編隊に「何かおかしい」と感じながらも、さほど警戒をしていなかった。

 宣戦布告がされていなかった為である。

 それらが、この街を襲撃するために飛来したのだと気づいた時には既に遅かった。

 あとはひたすら爆弾の投下、そして機銃掃射による虐殺。阿鼻叫喚の地獄絵図である。

 逃げ惑うディルク達は投下された爆弾による爆風を至近距離で受けた。

 気づいた時……ディルクの左肩から肩甲骨の辺りまで、吹き飛ばされて来た何かの鉄片がざっくりと突き刺さっていた。

 近くにいた友人達も、教師達も無惨な姿で転がっている。中には原形を留めていない者もあった程だ。

 その場に居た、ほぼ全ての者が死んだ……。

 ディルクの友人達は……誰一人として助かった者はいない。


 ***


「ディルクは重傷を負って、長い間、生死の境を彷徨ったのだけど、奇跡的に一命を取り留めてね……。でも、それ以来、一見他人と仲良く接していても、どこか冷めた目で見ているというか……本当の意味で他人を思う事が出来なくなってしまった様なのよ」

「そうなんですか……だから、あの時……」


 プリーネはディルクがカフェで語っていた事を思い出した。

 憂いを帯びた目で「戦争が早く終わればいい」と呟いていた。

 それは心の底から思っていた事なのだろう。友人を全て失い、自身も死にかけた過去があったからこそ、戦争を心から憎いと感じていたのだ。


「きっと……今でも失う事が怖いのかもしれないわね。だから表面上は親しそうに接していても、心が拒んで距離を置いてしまってるのでしょう」


 ペトラ婦人は遠い目をしている。

 その寂しげな瞳に、プリーネは何か胸の辺りがチクリと痛むのを感じた。

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