意外な一面

 ザッハトルテに目を奪われているプリーネ。これほど物欲しそうにしている彼女をディルクは初めて見た。


「食べたいの?」

「え? あ……う、うん……。いや、でも……あんまり無駄遣いしちゃいけないし……ちょっと高そうでもあるし……」


 高そうと言っても、所詮はお菓子。他のお店とさほど値段は変わらない。

 それでも生活苦なプリーネにとっては、ここのザッハトルテに手を出すなど、清水の舞台から飛び降りる様なものなのだろう。

 そんなプリーネが「食べたいけど我慢……でも、やっぱり諦め切れない」とばかりに、お店の窓に何度もへばり付いたり離れたりしている様子は、側から見ていて微笑ましい。


「そんなに食べたいんなら入ろうぜ」

「で、でも……」


 やはり、どうにも決心がつかない。


「これくらい奢ってやるって」


 ディルクはさっさと店の中へ入って手招きしている。


「え? あ……うう……」


 これじゃあ、まるでおねだりしていたみたいだ。

 戸惑いながら、なんだかんだでプリーネも後に続いた。


 窓際の席に座って、出されたザッハトルテと紅茶を前に、プリーネは「おお……」と感嘆の声を漏らす。目がキラキラしていた。

 ここのザッハトルテはスポンジと生クリーム、あんずジャムの層が交互になっているうえ、上にも生クリームが盛られ、ブランデーで漬けたマロングラッセが一つ乗っているというゴージャスなものだ。

 一方のディルクはケーキの類いは注文せず、コーヒーだけである。


「ディルクは何も食べないの?」


 そう言って遠慮がちにザッハトルテから目を離し、上目遣いにディルクを見やる。


「生憎と甘い物は苦手でね。そんな事より、それが食べたかったんだろ? なら、遠慮しないで食べなよ」

「あ、うん……。い、いただきます……」


 端をフォークで切って、一切れ口に運ぶ。


「ふむぅぅ〜!」


 とびきりの笑顔を見せる。

 一見、くどい見た目に反して、意外と甘さは控え目で上品な味だ。

 口へ運ぶ度に幸せそうな顔で咀嚼している。


「そんなに好きなの?」


 プリーネはモグモグしながらコクリと頷いた。


「ザッハトルテが一番好き。でも、ここのは今まで食べた事のあるものの中でもダントツかも! さすが王都のお店は違うなぁ……」

「そりゃあ、何よりだ」


 プリーネは半分以上食べたところで徐ろにフォークを置くと、急に心配そうな顔をする。


「でも、ディルクは大丈夫なの? 生活費の方……」


 大抵の学生は月初めに仕送りを受けている。

 月末も近いので、色々と大変なのではないかとプリーネは思ったのだ。


「う〜ん……それなりに使ってるけど……困った事は無いなぁ」

「ひょっとして、ディルクの実家ってお金持ち?」


 言ってから、我ながら俗っぽい質問をしたものだとプリーネは後悔した。

 だが、ディルクはそんな事など全く気にも留めていない様子で、しばし考えから、


「世間的に見れば、そういう部類なのかなぁ? 多分、クレッフェル・コンツェルンって名前、聞いた事くらいは有るかもしれないけど……」

「は……?」


 その名を聞いて、プリーネは目が点になる。


「そ、そ、それって……あの……ニースやハルシュタットなんかにある五つ星ホテルの?」

「あ〜、それもウチが手掛けてる事業の一つだわな」


 ディルクはまるで趣味でも語るかの様にあっけらかんとしている。

 しかし、ごくごく平凡な家庭に生まれたプリーネにとっては、完全に別世界の話だ。

 何せクレッフェル・コンツェルンと言えば、貿易業、都市開発事業、宿泊業、運輸業といった様々な事業を手掛けている財閥企業であり、実家がその総元締という事は億万長者も良いところである。

 聞けば、ディルクは現会長の一人息子であるらしい。

 つまり金持ちのドラ息子という事だ。


「でもさ……」


 ディルクは憂いを帯びた顔で窓の外を見詰める。


「出来ることならオレは……もう、あんな実家と関わりたくないんだ……学費出して、仕送りまでして貰ってて言えた義理じゃないけどな……」


 何やら複雑な事情があるらしい。


「戦争なんて早く終わればいいのにな……」


 誰に言うでもなく、ディルクはそう呟いた。

 何であるかは知らないが、プリーネは部外者である自分が、そこに立ち入ってはいけない気がして、これ以上は何も訊く事は出来なかった。

 それでも共通して思っている事はある。


「戦争なんて大嫌いよ……。武器も軍人も皆んな嫌い……」

「あ、ああ……そう……だろうな」


 ディルクは、自分がついマズイ事を口走ってしまったと、少々焦り気味に、プリーネの意見に同調した。

 考えてみれば、プリーネは爆撃によって家族を失い、天涯孤独の身になってしまったのだ。

 戦争が怒りや憎しみ、悲しみといったものしか生み出さない、全く生産性の無い愚行である事を身を以て知っている。

 だからこそ、死者を蘇らせる事が出来ると言われる『再生の魔法』が、もしも使える可能性があると言うのなら、どんな手を使ってでも手に入れたい。そして両親の死を無かった事にしたい。こう願うのは当然の事だった。


「あ……ゴメン。何か話が変な方向に行っちまったな。折角、気晴らしの為に連れて来たつもりだったのに……」

「え? あ……うん。別にそれは……平気……うん……」


 プリーネはぎこちなく「うんうん」の何度も頷いて見せた。

 気にしないよう努めて、最後のひと口に手をつけようとした時だった。


「ここで小休止してこうや!」

「おまえ、本当に甘い物に目がねぇなぁ!」


 騒がしく入店して来た四人の男達がいた。

 彼らは皆、ザーリアー軍の軍服姿であった。

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