それは禁句です
「引っかかる点?」
「そう。違和感って言った方が正確かな……」
プリーネは聖書のとあるページを開く。
それは先程話していた『ノアの方舟』に関するエピソードだった。
「このお話って、ノアが方舟に様々な動物をツガイで乗せて難を逃れたって言うでしょ? その話って、何だか前からおかしいなぁって思ってたんだよね」
「おかしい……ねぇ……」
ディルクはプリーネの開いたページを覗き込む。
この本は旧約聖書の内容を解りやすくする為に、そのエピソードに纏わる挿し絵も載っているものだった。
どちらかと言えば、教会などで使う本格的な聖書というよりは、聖書の内容を詳しく解説した本といったところだろう。
ノアの方舟のエピソードにも、動物達が次々に方舟に乗り込んでいる絵が載せてある。
「つまりね……それぞれの種でワンセットのツガイを存続させたところで、交配を繰り返しても、それはインブリードにインブリードを重ねるだけ。血が濃くなって、遠からず種は滅ぶんじゃないかと思うの」
「はあはあ……なるほどねぇ。近親相姦って事か……」
ディルクは何かを思い浮かべるかの様に、中空を見上げて何度も頷いている。
「近親交配って言って欲しいわね……。って……なんか変なこと想像してない?」
プリーネはジトっとした視線を向ける。
「す・る・か! オレは変態か!」
ディルクは苦笑いして、キッパリと否定する。
寧ろ、即座にそんな事に結びつけるプリーネの方がよっぽど根がエロいんじゃないかとツッコミたくなった程だ。
「まあ、いいわ……。でね、あたしの推測では、ノアが再生の魔法を生み出した大賢者なんじゃないかってこと。大洪水によって、人類はもちろん、生物の多くが滅亡の危機に瀕していたから、再生の魔法を使って滅亡の危機から世界を救ったんじゃないかって。でも、やっぱり自然の摂理に反した魔法だから、その一度きりしか使わずに封印して、聖書にも真実が捻じ曲げられて記されたんじゃないかと思う」
「まあ、分からんでもないけどな……」
プリーネはこの仮説に多少なりとも自信があった。
この逸話に関しては、ずっと前から違和感を抱いていたし、再生の魔法がノアの大洪水の時期に生み出された魔法とするならば、こう関連付けると全ての辻褄が合うと思えるのだ。
「でもまあ、この説が正しかったとしても、結局は使い方が判明しない事には、何の意味も無いのよねぇ」
プリーネは深々とため息をつく。
(やっぱり無理なのかなぁ……)
諦めたくはないけど、心が挫けそうになる。
胸の中に、何かヘドロの様な物が湧き上がって、それは次第に全身に広がって行きそうな気さえした。
その時である。
「お! ディルクじゃねぇか! こんな心霊スポットで何やってんだ?」
テラスに出るガラス戸の向こうで二人の男子学生が、ディルクの姿をテラス上に認めるなり声をかけて来たのだ。
どちらの男子学生もプリーネは見た事が無い。
不思議そうにしているプリーネにディルクは、
「ああ、一学年上の友達さ」
と、面倒臭そうに言った。
「見ない女の子も居るじゃねぇか。誰だ?」
「ああ、この子は——」
紹介しようとした矢先、もう一人の男子学生が……プリーネにとって聞き捨てならない一言を発した。
「来年、入学予定の小学生が見学に来てるんだろ」
——ピキッ……
プリーネの中で何か良からぬ音がした。
もちろん、これはそんな気がした……というだけなのだが。
それでもプリーネが俯いて、眉の端をヒクヒクさせている事に傍らにいるディルクが気づかぬ筈もなかった。
「ああ、そっか。けどよぉ……いくらディルクでも小学生相手にナンパは感心しねぇぞ?」
——ピキキッ!
「相手の年くらいは考えた方が良いぜ?」
そう言って笑いながら、廊下向こうに去って行く。
——ブチッ!
「あ〜あ……オレ知らね……」
プリーネはこめかみに青筋を浮かべ、テラスのガラス戸を開けると廊下に出る。そして……。
「バッキャロォォォォ! 地獄に堕ちろぉぉ!」
あらん限りの怒鳴り声をあげた。
今の二人もさすがに聞こえているだろう。恐らく肝を潰したに違いない。
「やれやれ……プリーネにアレはタブーなのに……」
そう……。プリーネは自分が同年代の女の子達に比べて小さく、おまけに童顔である事にかなりのコンプレックスを抱いている。
だから、他人からその事を指摘されると烈火の如く怒り出すのだ。
実のところ、ディルクも彼女に出会った、その日に「同い年に見えない」などと、口を滑らせたが為に、危うく椅子で殴られそうになるという目に遭っていたのだ。
その日以来、同級生の間では、プリーネの身長や童顔といったキーワードはタブーとされ、誰も口にする者は居なくなった。
「大体、出るとこは出てるんだし、良く見りゃ分かるだろうに……」
とは言っても、ディルクは既に知っているから言えるのであって、相手は単に「発育の良い小学生」と思ったのかもしれない。
プリーネはというと、まだ怒りが収まらないようで、「フー! フー!」と、暴れ牛よろしく唸っている。
「こりゃ、熱りが冷めるまで、声かけない方が身の為だな……」
こうなってしまった時のプリーネの危険性を身を以て体験しているだけに、ディルクは少し距離を置いて呟いた。
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