懸念される事

「よろしかったのですか? 不問にしてしまって……。オマケに、あの魔法について調べる事を許可するなどと……」


 校長室に残されたキルマイヤー副校長は、ヘルマ校長の下した決断に納得が行かない様であった。

 学院内でも特に規律を重んじる、この副校長は、司書を騙して禁書を持ち出したという不正を軽く見てはいない。

 悪用される危険性が高いが故に禁書となっている訳で、学生が無断で閲覧し、あまつさえ勝手に持ち出したとあれば、当然、退学に相当する罪だと考えている。

 それどころか、いくらプリーネの身の上が哀れであるとはいえ、そこに私情を交えるなど、ヘルマ校長らしくないとも思った。


「再生の魔法について調べたいというのなら捨て置けば良い。どうせ、ここではロクに調べようも無い。あの魔法に関する詳細な資料は、唯一、バチカンの公文書館に存在する物のみじゃ。わしですら容易に閲覧できぬシロモノじゃぞ」


 ヘルマ校長は立ち上がると、部屋の隅にあるチェストに置かれたポットから、彼女お気に入りであるマイセン磁器のカップにコーヒーを注ぐ。そして「そなたも要るか?」と勧めたが、キルマイヤー副校長はかぶりを振って、それを丁重に断った。


「それならば良いのですが……それにしても……」

「あやつを罰しなかったのが、そんなに不満か?」


 などと、惚けた顔をしている。


「私とて、何も好き好んで学生を罰するつもりはありませんが……全くの不問にしてしまっては他の学生に対して示しがつきません」

「そこはほれ……大事にはなっておらぬ訳だし、現状でわしとおぬししか知らぬのだから、揉み消してしまえば良い。ああ、性悪のディルク・クレッフェルも居たか。しかし、アレはアレで空気を察する事に長けたヤツじゃ。二度と繰り返す事も他言する事も無かろうて」


 その辺り、ヘルマ校長は柔軟というか……海千山千とでもいうか……長年の付き合いであるキルマイヤー副校長にも読めないところが多い。


「それにな……」


 急にヘルマ校長の表情がかげりを帯びる。


「おぬしも気づいておったのじゃろ? プリーネの様子を……」

「はい……薄々ではありますが……」


 キルマイヤー副校長の顔にも憂いの色が浮んでいた。



「プリーネが倒れたのも、あの場ではディルクが居たのでな……心労が祟ったのじゃと述べたが、あの娘に関しては注意を怠ってはならぬ。両親が無い今となっては、その役目を我々が代行する必要があるでな」

「……そうですね。かしこまりました」


 キルマイヤー副校長もようやく納得がいった様で、深く頷いた。


「さて……このまま何事も無ければ良いのじゃがな……」


 ヘルマ校長はコーヒーをひと啜りすると、窓から暗くなったウィーンの街を見下ろすのであった。



 医務室は校長室のある第一校舎の一階にある。

 ベッドは八床置かれていて、各ベッドに天井からカーテンが吊り下げられている。

 医務室とはドアを隔てて隣りの部屋が薬品庫兼医務室の先生が休む為の私室となっている訳だが、この医務室のドクターであるゾーニャ・ビエロフカ女史は大層な変わり者で、何故か医務室のデスクに突っ伏して寝ている事が多い。

 ディルクがプリーネをここに連れて来た時も、余程暇だったのか、デスクにヨダレを垂らして気持ち良さそうに寝息をかいていた。

 今はというと、プリーネに薬を投与して、デスクで優雅にダージリンティーを飲んでいる。


「あ〜、やっぱりダージリンのファーストフラッシュはサイコーね〜。ディルクくんも飲むぅ〜?」


 二十代そこそこの赤毛の似合う可愛らしいドクターだが、飄々としていて、いつもこんな酔っ払いのような喋り方が特徴のおかしな人である。


「オレはいいよ。それより、プリーネは大丈夫なのか?」


 当のプリーネはというと、ほんの十分ほど前までは苦しそうにうなされていたが、薬のお陰だろうか? 今は静かに寝息を立てている。


「だ〜いじょ〜ぶよぉ〜。さっき、効果バッチリのお薬をチク〜ッとお注射してあげたんだから、さっきより顔色も良くなって来たでしょう? お姉さんを信じなさ〜い。ぐふふ……」

「何なんだよ、その卑しい笑いは」


 別にマッドサイエンティストだとか、ヤブ医者という訳では無いのだが、ドクタービエロフカはいつもこんな調子で、患者の方が不安になるくらいだ。


「そんな事より、ディルクくんもそろそろ部屋へ戻ったら〜? ここはお姉さんが看てるんだから心配無いわよ〜」

「そうは言ってもさ……やっぱりプリーネが目を覚ますまでは安心できないんだよ」


 いつも明るく振る舞っていたので、プリーネにあんな事情があっただなんて全く知らなかった。

 あそこまで取り乱した彼女も初めて見たし、事情が事情だけに、心に深い傷を負った彼女が倒れた事が心配でならないのだ。


「んふふ〜。夜這いをかけるつもりなら無駄よぉ。お姉さん、プリーネちゃんが目を覚ますまで、ずっと付きっ切りで看病してるんだからぁ〜」

「誰がそんな事するか!」


 言う事も下品と来ている。

 典型的な「黙っていれば良い女」というタイプだ。

 そういえば、ドクタービエロフカもプリーネの事情を知っているのだろうか?

 事情を知らなかったのはディルクだけではない。ニコレやデニーゼといった他の学生も誰一人として知らない筈だ。

 知らされていない以上、知られたくないか、或いは知らせない方が良いという何かしらの意図があったのかもしれない。

 ディルクは直感でそう悟った。


「黙ってた方がいいかもな……」

「ん? どしたのぉ〜?」

「何でも無いよ」


 結局、ディルクはプリーネを看病するつもりで居たのに、一晩中、ドクタービエロフカの暇つぶしに付き合わされる羽目になった。


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