憎悪

「一つ……尋ねたい事がある」


 ヘルマ校長は彼らに背を向けたまま、静かに……しかし責めるような低い声で続ける。


「数週間前になるか……ザルツブルクのとある一軒家が爆撃を受けてのう……家人は。その際、爆撃したのはザーリアー軍のユンカース爆撃機だったと聞き及んでおるが……説明して頂けぬか?」


 ヘルマ校長の述べた「ザルツブルクの一軒家」とは、プリーネの実家であるアインホルン家の事だ。しかし、プリーネが生存しているという事実は敢えて伏せた。


「んん?」


 ヘルマ校長の質問を理解していないようで、ブンゲルト中将は首を傾げる。


「その様な話は——」


 言いかけて、これまで沈黙を守っていたゲルリッツ少佐が口を開いた。


「それについては私から……」


 どうやらブンゲルト中将は本当に知らなかった様だ。その証拠にゲルリッツ少佐の反応に意表を突かれたといった顔をしている。


「あれはパイロットの手違いに因る事故です。訓練飛行中に誤って800kg爆弾を投下し、その被害にあったのが、その一軒家という訳です」

「訓練飛行に800kg爆弾を積んでいたと?」

「はい。ですが、誤爆とはいえ民間人を巻き込んだのは事実。パイロットは既に銃殺刑に処しております」


 どうにも釈然としない。

 ヘルマ校長はその話に違和感を覚えた。


「あの家の者が魔導士の家系であった。わしとしては、おぬしらがそれを知ったうえで例の『魔導士狩り』として殺害に及んだものと推測していたのだがのう……」

「さて……? それは我々の預かり知らぬ事です。辺境の一軒一軒に何者が住んでいるかなど、我々の調査範囲ではありませぬ故」


 これ以上、問い質しても明確な回答は得られそうになかった。


「まあいい……。ともかく、わしらは条約に反する事もせぬし、同時に学生達を保護する立場にある。ザーリアー本国の命令か何か知らぬが、おいそれと従うつもりは無いでな」

「ふむ……。まあ、本日は初顔合わせですからな。また日を改めて出直すとしましょう」

「悪いが見送りはせんぞ」


 退室する二人の軍人に吐き捨て、ヘルマ校長は「ふぅ……」と軽くため息をついた。



「それで……何か分かったのか?」

「一応ね……」


 丁度、プリーネとディルクは校長室の隣りにある資料編纂室から出て来たところだった。

 学生の出入りも自由な、この資料編纂室には古文書解析用の魔導器具も有るのだが、眼鏡に魔力が込められたシロモノで、掛けて見るだけで、難解な古文であっても現代文に変換されて見えるという、実に便利な道具であった。

 それでもプリーネは浮かない顔をしている。


「再生の魔法について書いてあったんだろ?」

「それはそうなんだけど……ここに書かれている内容だけじゃ——」


 廊下を歩いて、校長室の手前まで来た時であった。


「やれやれ……。噂には聞いていたが、なかなかに食わせ者だな」


 校長室を出て来た二人の軍人と鉢合わせしたのだ。

 プリーネとディルクは立ち止まると、廊下の壁際に避ける。

 ハゲ頭の将校はプリーネを一瞥しただけで、そのままプリーネ達の向かおうとしている方角とは反対方向に歩いて行く。


「それにしても……ザルツブルク爆撃の件……ワシは聞いておらなんだぞ?」


(え……?)


 その発言に、まだ立ち止まっていたプリーネは凍りついた。


「申し訳ございません。何ぶん、民間人を巻き込んだ事件でもあり、これがマスコミにでも騒がれれば閣下にもご迷惑がかかると思い、事が大きくなる前に私の方で処理させて頂いたのです」

「そうか……。しかしなぁ……ゲルリッツ。ひと言欲しかったものだ。我が軍は先日のスターリングラード戦線において大敗を喫し、前線を大きく後退させた事になる。今は一人でも多くの兵士が必要だ。瑣末な事案でパイロットを処刑するなどと……勿体無い事をしたものだ」


 二人の会話を聞いていたプリーネは黙って俯いている。

 だが、ディルクは気づいていた。プリーネはギュッと拳を握り締め、ワナワナと肩を震わせている事に……。

 そんなプリーネの様子に気づきもせず、二人の軍人は廊下の向こうへと去って行く。

 突き当たりを左へ折れようとした時、ゲルリッツと呼ばれた男は信じられない様なことを口にした。


「その点はご安心を。処刑したというのは飽くまで表向きの話です。辺境に住む民間人の一人や二人が死んだという程度の事で、貴重な兵士を処罰などしておりません」

「なるほど……。上手く世間の批難を避けたという事か。さすがだな」


 そう言って笑いながら突き当たりの向こうに消えて行った。



 ——憎い



 プリーネはギリギリと歯噛みする。


「プ、プリーネ……?」


 ディルクが心配そうに彼女の顔を覗き込むが……その顔を見るなり、ディルクは背筋にゾクっと寒気を感じた。



 ——憎い憎い憎い憎い憎い



 普段のプリーネからは想像もつかない……まるで悪鬼の様な形相。


「お、おい……」


 ディルクの声など耳に届いていない。


「……ロシテヤル……」


 身体の奥から、ドス黒い何かがふつふつと湧き上がってくる。


「おいってば!」

「コロシテヤル!」


 怒声をあげるなり、プリーネは二人の軍人が消えた先に向かって走り出そうとした。


「待てって!」


 ディルクが咄嗟にプリーネの腹に手を回して止める。


「離せ! 離せぇ! 殺してやる! あいつら殺してやる!」


 プリーネはディルクの腕を振り解こうと必死に暴れる。

 拳を振り上げ、狂ったように振り回し、その拳は何度かディルクの顔にも当たった。


「プリーネ! 落ち着け! 頼むから落ち着いてくれって!」

「ううああぁぁぁぁぁぁぁぁ‼︎」


 さすがに必死に止めるディルクの力には勝てず、プリーネはその場にペタンと崩れ、天を仰いで叫んだ。


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