欧州東部方面軍司令官の来訪

「失礼します」


 曇った表情で校長室に現れたのは、副校長テレサ・キルマイヤーであった。

 年齢は四十半ば程の女性だが、苦労性な性格が祟ってか、顔の皺も深く、クラシックな片眼鏡モノクルを掛けている事もあって、実年齢よりも十歳近く老けて見える。


「テレサ……どうかしたかの? 浮かない顔をしておるが……」

「校長にお客様がお見えなのですが……」


 誰なのか尋ねるまでもなく、見るからに都合の悪い客である事が窺える。


「まあ良い……。どんな客であろうと、待たせては礼を欠くからの。通すがよい」

「か、畏まりました」


 キルマイヤー副校長は、校長室の有り様に不安げな様子であったが、言われるままに出て行った。


「まあ……テレサの言いたい事もわかるがの……」


 校長室の中はとにかく乱雑であった。

 装飾が施されたロココ調の執務机の周囲に、多種多様な書物が山のように積まれ、水晶やら天体望遠鏡、ひと抱えほどもある天球儀などが雑然と置かれ……いや、無造作にほっぽられているという有り様。

 とても来客を持て成す様な環境ではない。

 とはいえ、整理したところで、一日と経たずに散らかるのがオチだし、今さら片付ける気にもならない。だから、ヘルマ校長が部屋を整理するのも、二、三ヶ月に一度が良いところである。


「どうせ綺麗な部屋で持て成す様な相手でも無いじゃろうがのう」


 彼女は薄々気づいてはいた。

 今朝の占いに「好ましからざる来訪者あり」という結果が出ていたのだ。


「会ってみぬ事には分からぬか……」


 ヘルマ校長はため息混じりに独り言ちた。



「お連れしました」


 再び、キルマイヤー副校長が戻ったのは、それから十分程経ってからの事だった。


「失礼する」


 キルマイヤー副校長に連れられて入室して来たのは、二人の軍人であった。


「お初にお目にかかる。私はザーリアー軍、欧州東部方面軍司令官のオットー・ブンゲルト中将であります」


 ブンゲルト中将と名乗る男——整えられた口髭を蓄えているが、肥満体で丸ハゲの頭に潰れた様な顔は一見するとブルドッグを思わせる風貌である。


「同じくザーリアー軍、欧州東部方面軍参謀長のヴェルナー・ゲルリッツ少佐であります」


 こちらは細身の長身で、ダークブラウンの髪をオールバックにしている。淡いブラウンのサングラスをかけているが、目つきなどから、いかにもインテリの堅物といった雰囲気を漂わせていた。年齢は恐らく三十代半ばといったところだろう。

 二人が入室した後に、キルマイヤー副校長が入り口脇に控える形となった。


「わしがこの学院の理事長兼校長、ヘルマ・クルークハルトじゃ。座るところは用意できんが、好きにされよ」


 そう言われても立っている以外に無いのだが、二人の将校は顔色ひとつ変える事はなかった。


(これは冗談も通じぬ相手の様じゃのう)


 ヘルマ校長はつまらなさそうに鼻を鳴らす。


「して……このような夕刻に軍の司令官殿が何用かな? 東部方面軍の司令部はここから数キロ離れたウィーン郊外に置かれておる筈じゃ。何もこんな遅い刻限でなくとも来られように」

「なぁに……昼間では学生も多いでしょう? それでは落ち着いて話もできませんからなぁ」


 ブンゲルト中将はそう言って鼻で笑う。


(いけ好かない男じゃな……)


 もともと軍人というものが好かないヘルマ校長は、この男から高級官僚特有の傲慢さの様なものを感じ取っていた。


「わしも暇では無いのでのう。アポイント無しに来られたのじゃ。用件は手短かに願おう」

「ふむ……では、単刀直入に申し上げよう。こちらに居る学生、及び教員を我が軍に迎え入れたい」


 予想外の申し出だ。

 この言葉にヘルマ校長は眉をひそめる。


「それは……本国の意向かの? 確か……ヒンケル総統閣下は魔導士の力を恐れ、『魔導士狩り』と称して、各地の魔導士やその家族を強制収容所送りにしているという話じゃが?」


 クロイツ党の党首にして、ザーリアー第三帝国の最高権力者であるヒンケル総統は、大の魔法嫌いとして知られていた。

 魔法を「得体の知れない悪魔の力」と呼び、魔導士を「悪魔の力に傾倒する異端者」とまで呼んでおり、隣国のアウシュヴィッツという地に収容所を作らせ、ヨーロッパ各地の魔導士を次々に逮捕、強制連行しているという。


「確かに……総統閣下は魔法を恐れておいでだ。しかし同時に、戦時下において、その有用性にも注目しておられる。魔導士部隊を設置し、戦争の早期終結に役立てようとお考えでしてなぁ」

「つまり……魔法を兵器利用しようと?」

「いかにも」


 平然とそんな事を言ってのけるこの軍人をヘルマ校長は心底「イカレてる」としか思えなかった。


「『魔導士を戦争に参加させない』、『魔法を戦争に利用しない』。一七五八年に締結されたモンペリエ条約のこの条文を、まさか知らぬという訳ではあるまい?」

「ふふん……。ええ、承知してますとも」


 ブンゲルト中将は不敵に笑う。


「しかし、所詮は二百年近く前に締結された使い古しの条約。その様なものが各国で未来永劫守り続けられるとお思いか? 今の世界は二百年前とは情勢も技術レベルも異なるのですぞ?」

「生憎と……それを恒久的に維持し続けて行くのが、わしらの役目でな……賛同はできぬよ」


 吐き捨てる様に述べると、ヘルマ校長は彼らに背を向けた。

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