ここに至る経緯

 世界情勢に関しては、ひとまずここまでにして、そろそろプリーネがどういう経緯で王立魔導学院に入学する事になったかを語らねばなるまい。

 プリーネが生まれ育ったのは、このザーリアー帝国とエステルライヒの国境近くにあるザルツブルクという古い街である。もっとも、彼女の家はザルツブルク郊外にある小高い丘の上にあった。そこで父と母の三人で暮らしていた。

 プリーネの母は既に述べたように、先祖代々魔導士の家系で、これといって優れた技量を持っていた訳ではないが、プリーネも母や五年前に他界した祖母から魔法をある程度教わっていた。

 父親はごく一般的な人間で、普通校の教師をしていたが、プリーネの祖母が亡くなってからは、どういう訳か仕事を辞め、何かの研究に没頭していたようである。

 プリーネが「何を調べてるの?」と尋ねても、彼は、


「まだ、プリーネに説明しても難しい事さ」

 

 と、決まってはぐらかすだけであったし、その事を母親に尋ねても同様の答えが返ってくるだけで、結局のところ、今日こんにちに至るまでプリーネは父が何を研究していたのか知らずに居る。

 ところが、プリーネが今いる王立魔導学院に来る一ヶ月ほど前の事である。

 ザルツブルク郊外の丘……周囲の民家など疎らである場所であるにも拘わらず、突如としてプリーネの自宅が爆撃された。

 不可解な事に市街地は全く無視し、辺鄙な場所にぽつんと建っているプリーネの家だけがピンポイントで狙われ、爆撃されたのである。

 丁度そのとき、プリーネは母からお使いを頼まれて旧市街まで行こうと家を出た瞬間であった。

 プリーネは爆風に吹き飛ばされ、同様に飛ばされてきた瓦礫に囲まれるようにして倒れていたところを、たまたま付近を歩いていた知人に助けられた。

 が、この爆撃により両親は帰らぬ人となった事をあとになって聞かされた。

 プリーネが意識を取り戻したのは、それから四日後 その日、タイミングを見計らったかのように一人の女性がプリーネの病室を訪ねて来た。いや、女性……というか、見た目はどう見ても自分よりも年下で、恐らく十歳程度にしか見えた無かったと言って良い。


「おぬしがプリーネ・アインホルンじゃな?」

 

 目が覚めて少し思考がハッキリしてきた頃になって、その少女は声をかけて来た。


(やけに年寄り臭い話し方するなぁ)

 

 それが最初の印象である。

 黒いおさげ髪で、見るからにサイズの合っていないダボダボの黒いローブ姿。衣装はどうやら魔導士のようだが、今時にしては珍しいくらいクラシックな服装だ。

 黒は確かに魔導士を象徴する色とされているが、黒一色のローブ姿など二百年ほど前までの魔導士が着用していたもので、現代の魔導士の殆どは一般人と同じような服装でいる事が多い。ローブ姿の魔導士など、せいぜいバチカン府にある魔導士会と呼ばれる、いわば世界中の魔導士たちの総元締めといった機関に属するお偉方くらいのものだ。


「わしの外見に戸惑っておるのも理解できる

 が、わしは少なくとも、この街で頂点に立つ司教よりも年上じゃよ」

 

 にわかには信じられない事であった。

 この街の司教に関してはプリーネもよく知っているし、何度も会って話したことさえある。司教はどう考えたって八十前後の高齢だ。

 しかし、今、目の前にいる少女は見るからにプリーネよりも若い。


「決して若返りの魔法ではないのじゃよ。おぬしも魔導士の一族ならば聞いた事もあるじゃろう? 魔法とは決して自然の摂理を曲げる事はできないものだと」

 

 その事ならプリーネも、よく祖母から聞かされていた。


『魔法は様々な力を与える神秘の術であるが、自然の摂理に反する術は持たない』

 

 つまり、若返りという魔法は自然の摂理に反しているため、事実上存在しないのだ。


「これは言ってみれば集団幻術のようなものでな……わしの姿は誰が見ても幼い娘に見えるといった永続的に効果のある魔法を使用しているだけじゃよ。だから本当の姿はヨボヨボの婆さまじゃ」

 

 そう言って少女……いや、少女のような老婆は「くく……」と喉の奥で笑った。


「それであのぉ……どちら様でしょう?」

 

 根本的な疑問を投げかける。

 目覚めてから、突然目の前に現れた見ず知らずの少女。この場に至って、まだ名前も素性も聞かされていないのだから当然の質問だ。


「名乗るのが遅れたのう。わしはヘルマ・クルークハルト。王立魔導学院の理事長兼校長を務めさせてもらっておる」

「え……?」

 

 プリーネは一瞬、我が耳を疑った。

 王立魔導学院の校長ヘルマ・クルークハルトと言えば、一人前の魔導士を目指す者でその名を知らぬ者はない。なにせ欧州随一の魔導士……大魔導と呼ばれる存在だからだ。

 そんな大人物が魔導士見習いとしても半人前どころか、魔法の基礎技術でさえおぼつかない自分を訪ねて来るなど、俄には信じられない事である。

 しかし、外見を幼く見せる幻術……それも半永続的に全ての者にそう見せる魔法など、プリーネが知り得る限り、かなり高度の魔法であるし、何よりヘルマと名乗るその少女からは常人とは懸け離れた空気を感じる。

 それはまるで荘厳な大聖堂のフレスコ画を仰ぎ見ているかのような……冒しがたく圧倒されるようなオーラとで表現すれば適当だろうか?


「あ、あの……そんな偉い方が、どうしてあたしのところに?」

 

 おのずとプリーネの声はか細く震え気味になってしまう。

 するとヘルマ校長は少しばかり困ったような笑みを浮かべ、


「そう身構えんでくれんか? 世間ではやれ当代随一の大魔導だ、やれ歴史に名を残す大人物だ、などともてはやすが……わしはそんなご大層なものではないよ。何かと口うるさいが為に宮仕えには向かないとして、魔導士の教育現場に追いやられたというだけのものじゃ。王室や宮廷官僚からは煙たがられているから、役人どもがその実態をカモフラージュするために、敢えてわしを大物呼ばわりして祭り上げておるのじゃろ」

 

 などと謙遜し、「カカッ」と笑うが、プリーネにしてみればとてもそうとは思えない。

 技術的なことはともかく、知識に関しては多少なりとも自信があるプリーネだが、ヘルマ・クルークハルトという大魔導はこれまで数々の偉業を成し遂げてきた人物であるという事実をよく知っている。到底、『厄介払い』というだけで王立魔導学院の理事長兼校長に任命されたとは思えない。


「まあ、わしの肩書きや異名などといった事など、今はどうでも良い。おぬしの両親とは旧知の仲でな……見舞いがてら、此度は唐突ではあるが、おぬしに相談があって来たのじゃ」

「あ、あたしに……相談です……か?」

 

 本当に唐突だ。

 面食らってばかりいるプリーネをよそに、ヘルマ校長は淡々と続ける。


「おぬしのその傷が癒え次第、わしとウィーンへ来ぬかな? おぬしを我が校の生徒として迎えたい」

「え……? ええっ?」

 

 思わず素っ頓狂な声をあげた。

 言わずと知れた一流校。魔導士を目指す者なら皆が憧れる王立魔導学院への留学。

 プリーネとて昔から憧れていた学校であるから、それは願っても無い事ではあるし、二つ返事で了解したいところではあるが……。


「で、でも、入学試験や学費は……?」

 

 王立魔導学院の入学試験は当然のことながら学科、実技においても難関と言われる。学費にしたってプリーネの両親の稼ぎでは家でも売らないことには間に合いそうにないほどじゃなかろうか?


「試験か……? そうさなぁ……」


 するとヘルマ校長は何やら天眼鏡の様な物を持ち出し、プリーネの顔を覗き込んだ。


「あ、あの……何を……?」

「ふむ……面白い瞳をしておるのう」


 面白いとはどういう意味なのか……。

 別段、ふざけたり、揶揄ったりしている訳でも無さそうだが、言葉の意味がよく理解できない。


「よし。これで入学試験は合格じゃ。特待生扱いだから学費などの心配はせずとも良いぞ。生活費の方も……まあ、多くは無いが、不自由無い程度には支給される」

「……はい⁉︎」


 全くもって訳が分からない。

 何がどうなって、こういう結論に至ったのか。

 しかし、その後……何を質問しても納得の行く回答は得られなかった。


 斯くして、半ば狐につままれる様な思いのまま、プリーネは王立魔導学院への入学を果たす事となったのである。

 なお、プリーネが両親の死を知らされたのは、ヘルマ校長に会った翌日の事であった。

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