大塚英志「物語消費論」「物語消費論改」

大塚英志「物語消費論」「物語消費論改」を読む。大塚はサブカルチャーに詳しい評論家・編集者・漫画原作者である。


物語消費とは、単に物語を消費するということではなく、物語の背後に隠れた<大きな物語>つまり世界観を楽しむということである。<大きな物語>世界観そのものは商品として成立しないので、消費者はその断片を消費して楽しむといったもの。


<大きな物語>という用語はポストモダンの言説らしいが出典は明らかにされていない。


端的な例として1980年代に流行ったロッテの「ビックリマンチョコ」が挙げられる。一個30円の安価なチョコレートであるが、これにシール一枚が添付されている。そのシールにはビックリマンの神話体系とでも呼べるような壮大な物語の断片が記されている。シールはランダムで770枚以上に及ぶ。子供たちがシールを集めていくことで徐々に世界観の全貌が明らかになっていくもの。


このように実際の売り物は神話の断片を記したシールだったため、本来の売り物であるチョコレートが捨てられて社会問題となったりした。


アニメやゲームなどのサブカルチャーでは作品世界を構築していく上で、作品世界の歴史や約束事を設定として予め定めていく。その設定の集合体が世界観と呼ばれる。世界観という用語自体は世界をどのように見るかといったニュアンスが含まれており、元々は人類学等の用語であるかもしれない。


70年代から80年代を経過していく中で、背景に壮大な世界観つまり<大きな物語>を持った作品群が登場してくる。「機動戦士ガンダム」シリーズが典型であろう。


一方で、ジブリ作品は「ナウシカ」以降、作品の背景に<大きな物語>壮大な世界観を設定するのを止めた作品づくりへとシフトしていくとこのことである。


ビックリマンの場合、開発者の反後四郎は元々ロッテの法務部門に勤めており、開発部門に異動してビックリマンを立ち上げたとのこと。子供の頃から仏教説話に親しんでいたらしい。ビックリマンチョコは僕自身は存在は知っているものの、当時大学生だったこともあって、購入したことはない。


こういう風に壮大な設定<大きな物語>そのものを売り物とすることはできないので、その断片を売るというマーケティングの手法もありうるということである。


WEBが発達した現在、我々は電話会社とプロバイダに料金を払えば、情報の発信は容易になっている。一方、それは物語の二次創作とも結びついて、新たな物語消費の形態を生んでいる……というのが大塚の言説である。


<追記>

大塚は二次創作が盛んになり、著作権者との境界が曖昧になっていく未来を無想していたと思われる。が、実際には二次創作は著作権者の掌の上で踊らされているのだ。宣伝になるから見逃されているだけである。著作権が厳然としてある現在、その既得権益を手放すはずがないのである。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る