四方田犬彦「七人の侍と現代」

四方田犬彦「七人の侍と現代」(岩波新書)を読む。映画「七人の侍」は1954年に公開されて後、無数のフォロワーを生み出した。そういったジャンルの嚆矢となった記念碑的作品は幾つかあるが、その中でこの本は複数のプロフェッショナルが協力して活躍する映画という観点で映画史を追っていく。


例えば最近の作品だと(プロフェッショナルではないが)競技かるたを題材にした少女漫画「ちはやふる」は典型的な「七人の侍」フォロワーだ。部活ストーリーは「七人の侍」を下敷きにしているのだ。


指摘されていないが「七人の侍」はおとぎ話の桃太郎をベースとしている。弱者が優れた指導者を得て、強大な敵に立ち向かい、見事勝利するという図式は世界中で受けた。


一方で四方田は「荒野の七人」等の作品と比較して「七人の侍」では野伏せりを略奪者としてのみしか描いていない(敵側からの視点がない)、西部劇と似た図式と指摘している。価値観の相対化である。


フォロワーの作品は逆に「七人の侍」がそうだったから、敵側の視点に思い至ったのかもしれない。というか、主人公たちは敵の内部事情を知る由もない。分からない、理解しえないから恐ろしい存在として成り立っている。侍を雇って抵抗すると決めた以上、引き返せないはずなのだ。


ジョーズやエイリアンは姿を隠しているから怖い、それも一つの真理だ。いや、相手は人間だけど、百姓側の視点で描くと、敵の視点・事情は余計な夾雑物でしかないだろう。


黒澤監督は徹頭徹尾、勧善懲悪的な構想で描いたようだ。敵側の視点の欠如。むしろ欠けているから現在でも戦火に苦しむ国/地域の人たちに現役の作品として受け入れられているのではないか。


他、終戦後まもない時期の映画史も解説してあるが、映画業界の撮影所システムが無くなったのは、映画産業の斜陽化だけでなく、労働争議にも原因があったことがうかがえた。待遇の改善とかはともかく、作品の内容にまで口を出されたら堪らない。


「七人の侍」は映画の教科書的な作品でもある。「五代ゆう&榊一郎の小説指南」によると、ライトノベル小説家養成講座でも「七人の侍」を先ず鑑賞するようだ。物語を紡ぐ上で基礎教養なのだろう。

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