第45話 夜明けの憧憬 再会の約束

 グラン王国の首都。王城に隣接する広大な中庭は、夜明けの冷たく澄んだ空気と静謐な光に満たされていた。昨夜の華やかな歓迎晩餐会で、グナイティキ公爵シグムンドと国王クレメンスとの間で軍事同盟が正式に締結されたことを受け、一行は公爵領アルベルクへの帰還を控えていた。


 中庭には、グナイティキ公爵、聖剣ユグドラシルを携えたユリア、そしてレリュートの義妹カレン・サイトウが、帰路につくための馬車の傍らに整然と立っている。


 彼らが帰還するアルベルクでは、長男ジークフリードと近侍のティーユが、四大貴族セラウス侯爵との極秘の会談に向けた準備をすでに進めていた。


 彼らを見送るために、グラン王国の王族たちが揃っていた。国王クレメンス・ディス・グラン、王弟イクティス・ディス・グラン王子、そして第一王女セフィール・レス・グランである。


 クレメンス王は、シグムンドに対し、穏やかながらも威厳ある笑顔を向けた。


「グナイティキ公爵。短い滞在ではあったが、貴公らの勇気と信念が、我らグラン王国に新たな希望をもたらしてくれた。レオンハルト王の不当な野望を挫くため、我々は貴公らと最後まで共にあろう」


 イクティス王子もまた、晴れやかな表情でレリュートに一歩近づいた。彼は昼間の手合わせで、レリュートの圧倒的な剣技と魔技に敗北を喫したが、武人として潔くその実力を心から認めていた。


「レリュート殿。貴殿の武勇は、我らグラン王国とグナイティキ家との同盟を、揺るぎないものにしてくれた。いずれ貴殿と再び手合わせできる日を、武人として楽しみにしている」


 レリュートは、深々と恭しく一礼し、殿下への敬意を示した。


「光栄に存じます、殿下。お約束いたしましょう」


 その様子を遠くで見守っていたセフィール王女は、静かに呼吸を整え、緊張した面持ちで、レリュートの元へと歩み寄った。昨夜、勢いで思わず「好きになってしまった」と告白したことを、彼女は身を焦がすほど羞恥し、後悔していた。自身の恋慕が、尊敬する英雄と、そしてその隣に立つユリアとの関係を壊してしまうのではないかという不安が、彼女の胸を締め付けていた。


 彼女はレリュートの前に立ち止まると、深く、しかしどこか気丈な表情で頭を垂れた。昨夜の羞恥に耐えるように、白い手袋をはめた手をきゅっと固く握りしめている。


「あの……レリュートさん。昨夜のわたしの言葉は、どうぞ、どうか、お忘れになってください」


 セフィールは声を震わせながらも続けた。


「わたしはただ、あなたに助けられ、感激しすぎたあまり、つい軽率な言葉を口走ってしまっただけなのです。幼い小娘の戯言と、どうかお忘れくださいませ」


 彼女は王女としての体面を保ち、あくまで「幼さゆえの過ち」として、この熱い想いを葬ろうとしていた。


 レリュートはセフィールの切実な様子を見て、わずかに目を見開き、静かに、しかし深い優しさを込めて目を細めた。彼は、セフィールの告白が単なる「戯言」ではなく、報われないと知りながらも自分に心を寄せてくれた、純粋な恋慕と憧憬であることを理解していた。


 同時に、彼はユリアへの個人的な想いと、貴族と平民という身分の壁、そしてエントラルトの調停者という秘密も抱えており、この幼い王女の想いに応えることはできないと考えていた。個人の感情は置いておくとしても、彼の立場でセフィール王女の想いを応えるということは、様々な問題が発生するからだ。


 角の立たないように「俺は君の想いを受け入れることはできない」と優しく、そのつぼみを摘み取ることや、彼女の望み通り、告白を幼い過ちとして風化させることは、この純真な少女の心に陰りを刻むことになる。純粋で、真剣な告白を「戯言」という言葉で弄び、傷つけることは、彼の矜持が許さなかった。


 レリュートは答えに窮し、一瞬、王女の澄んだ瞳から視線を外し、朝焼けに照らされた馬車の屋根を見た。その視線は、遠い決意を映しているようだった。そして、静かに首を横に振った。


「……それはできないな」


「……え?」


 セフィールは、息を詰めたまま、彼の次の言葉を待った。その瞳には、一瞬の戸惑いが浮かんでいた。


「セフィール。君は、自身の身の危険を顧みず、民のために人質になられた勇気ある娘だ。君が俺に寄せてくれたその想いを、俺は決して軽んじたりはしない」


 レリュートはあえてユリアと話すときのような、砕けた口調で話すことにした。


 セフィールは、わずかに唇を震わせた。


「ですが、わたしの想いが、貴方の進む道の足枷となってしまうのは、耐えられないのです!」


 レリュートは、穏やかながらも揺るぎない声で応じた。


「君の想いは、決して俺の足枷ではない。俺はこういったことに疎い人間だが、君のあの告白が冗談や、一時の気の迷いでないことぐらいはわかるつもりだ。君の真剣な想いを『戯言』と切り捨てることは俺にはできない」


「……」


「だが、俺は、ユリアと公爵を護衛し、アルベルクへ戻らねばならない。グナイティキ家の護衛として彼らの身を守ることこそが俺のやるべきことであり、それがグラン王国とアルメキア王国の平和に繋がると信じているからだ」


 そして、彼は彼女の勇気を称え、未来に向けた希望の言葉を贈った。


「君のような心優しき王女は、きっと、この大陸にとってなくてはならない存在となるだろう。いつか、全ての戦いが終わり、君が心から笑えるようになった時、また会える日が来ることを楽しみにしている。……簡単に君に俺の心を奪われるつもりはないが、君からの挑戦状として、大切に受け取っておく。――その日、君が王女として、一人の女性として立派に大人になったとき、もう一度、真剣に君の勇気と向き合おう」


 セフィールは、レリュートの言葉に、拒絶ではない誠実さと同時に、彼の揺るぎない信頼と優しさを受け取った。その言葉は、例え彼女の恋心が報われなくても、前に進むための力となることを彼女に確信させた。


 セフィールは、涙をこらえながら、震える声で尋ねた。


「レリュートさん……わたしは、あなたを想い続けても、いいの?」


 レリュートは、朝焼けの中で、まっすぐに彼女の瞳を見つめ返した。


「構わないさ、俺の心をいただきに来るんだろう?」


 セフィールは、唇をきゅっと噛みしめ、涙を堪えた。王女としての最後の気高さを保ちながら、深々と一礼した。


「はい、レリュートさん。わたし、必ずや立派な大人になってみせます。貴方も、再びお目にかかれるその日を、楽しみにしていらしてください。 わたし、必ず会いに行きますから覚悟してくださいね!」


 レリュートは優しく微笑み、応じた。


「ああ、楽しみにしているよ」


 セフィールは勝ち気な笑みを浮かべて身を翻し、去っていく。レリュートは御者台へと向かうシグムンド公爵に続き、ちらりとユリアに視線を送って小さく頷く。ユリアは、セフィールの去り際に、その背中に一瞬だけ、優しくも複雑な視線を向けた。


 カレンは、面白そうに目を輝かせながらユリアの傍らに歩み寄り、小声で話しかける。


「ふふ。ユリアさん、公然と将来有望なライバルから、宣戦布告されちゃったみたいですね」


 ユリアは、カレンの言葉に驚き、少し慌てて尋ねた。


「え……ええ、そうですね……ってセフィール様が昨晩レリュートさんに何を告げたかまでご存じだったのですか?」


 カレンは悪戯っぽく微笑み、ユリアにだけ聞こえる声で答えた。


「はい、私、耳がいいので!(魔法で聴力強化してただけだけど)……でもあの様子を見たらご察しだと思いますけど、お聞きしたいですか?」


 ユリアは頬を微かに赤らめ、小さくため息をついた。


「……レリュートさんに好意を告げていた、というところまでは想像できましたが、詳しく知ると胸が痛むので……ちょっと聞きたい気もしますが、やめておきます」


 カレンは、レリュートとセフィールが繰り広げた感情の機微を面白がるように、さらに言葉を続けた。


「セフィール王女様も、なかなか勇敢ですね。ねぇ、ユリア様。兄さんはああ見えて女性との付き合いに奥手なんだって、私、この間お話しましたよね。あんな風に真正面から想いを告げられるなんてよほど困惑したと思うのですよ。でもセフィール様に対するあの応え方は、なかなか悪くなかったんじゃないかな? セフィール様の真剣な気持ちを、誠実に受け止めていたもの……」


 カレンの言葉に、ユリアはわずかに頬を赤らめたが、すぐに強い決意の光を瞳に宿らせた。


「――ええ、カレンさん、おっしゃる通りです。セフィール様の想いを尊重し、傷つけない、レリュートさんらしい誠実な回答でした。私もいつか……」


 ユリアはそこで一度言葉を切り、胸の奥でひそかに熱い思いを反芻した。


(――いつか私だって、セフィール様の勇気に負けないぐらい、お慕いしていることをレリュートさんに伝えたい。――大好きですって)


 彼女は、セフィールがレリュートの言葉を力に変えて去っていった姿を思い出し、その勇気に感謝し、そして自身のレリュートへの想いを、改めて強く胸に刻み込んだ。


 *


 レリュートが馬車へと向かうと、御者台にはカレンが乗り込み、ユリアがレリュートの隣に歩み寄った。ユリアは、彼の選んだ帰路が、自分と共に始まる道であることに、深い安堵の息を漏らした。


 レリュートはユリアをちらりと見やり、小さく頷いて、その隣で御者台に飛び乗った。その顔には、決意と、わずかな疲れが滲んでいた。


「さあ、アルベルクへ戻るぞ。和平への道は、ここからが本番だ」


 ユリアは力強く頷いた。その瞳には、レリュートへの揺るぎない信頼が宿っている。


「はい、レリュートさん。私たちなら、必ず成功させます」


 馬車は、グラン王国の王族たちと、平和への願いを背負い、アルベルクへと続く道を走り出した。彼らの帰還後、アルメキア国内では、ジークフリードが手配した四大貴族セラウス侯爵との密談が待っており、物語は国内の政治的陰謀を打ち破る新たな段階へと移行するのだった。



以下、執筆メモ

https://kakuyomu.jp/users/imohagi/news/822139840525590013

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