子供たちが鳴いている(10/10)
「三沢さん、ちょっと待ってください。お話を整理させてください」
結論に走る三沢を止めた私は、深呼吸して間を置き、手帳に記した語句を追いかけた。
テーブルに置かれた桜色が陽射しを帯び、過去と現在を繋ごうとしている。
「……つまり、明け方に……最初に鳴き出す子が、被害者・江坂恵子のお嬢さんだったんですね?」
三沢は否定することなく、ライターを弄んだ。カチカチっという金属音が張り詰めた空気の膜を破っていく。
「記者さん、別に録音しても構わんよ。オレの言葉より、あんたの声を残しておいた方がいい」
「ありがとうございます。大丈夫です。メモを取っています」
ライターをポケットにしまって、三沢は柔軟体操のように首を回した。
頭に浮かぶ映像を言葉に置き換え、私は推測を確信に近づけていく。
「田中さつきさんが、あの日、江坂さんを訪れたのは、強盗目的ではなく……おそらく……母親に、施設でのお嬢さんの様子を話すため。そうして、予期せぬ言い争いになった」
考えをそこまで告げて、グラスの水を含む。氷の冷たさを残した液体が喉に染み入り、私はもう一度深呼吸して、展開の続きを口にする。
「三沢さん、事件は多分、偶発的なものだったんですね? 殺人事件というより、過剰防衛だったかもしれない……」
「過剰防衛?」
「はい。やむを得ず起きた行為です。たとえば、江坂さんの方が、先に田中さつきさんに殺意を見せた。それで、思わぬ事態に進展した」
「……記者さん、さつきを買い被り過ぎだよ。考え過ぎだろ。それは、あんたのご都合主義な推理でしかない。オレたちには、田中さつきと殺された母親の間にどんな会話があったか分からないからな。当事者のさつきは、真実を語ることもできるし、嘘をつくことだってできる。殺された二人とさつき以外に誰も真相なんて分かりゃしない……」
「田中さんは、あなたには話してないんですね」
「言ったろう。事件の後で、オレは田中さつきとは一度も会ってないし、手紙ももらってないって」
声を低めて、三沢が私を諌めた。
「そうでしたね。失礼しました」
「どんな事情があったにせよ、田中さつきが母親とその子供を殺した事実は変わらないんだよ。それが裁かれてるだけだ」
「……でも、犯行の動機がきちんと解明されれば、田中さんの量刑が変わる可能性もあります」
「意味ないよ。たとえ、さつきが新たに証言しても、それを証明できるか? オレを取材し、あんたが書いた記事で、判決が変わるとは思えないな」
たしかに、検察側の起訴事実は揺らぐことなく、たとえ、子供に手をかけた行動にためらいや別の理由があったにせよ、控訴人の真の動機を弁護側が立証することは難しいだろう。
手帳に「自白の信憑性」と書く。
指に力が入らず、書いた文字は覚束ない。
三沢は胸を前に突き出して伸びをした。ウェーブのかかった前髪が左目をわずかに隠す。
「……田中さつきさんは、幼い子まで手をかける必要はなかったですよね?」
ペンを握りしめて、相手の肯定を願う。
「残念ながら、それも違うよ。殺人事件で母親を失くした子供が幸せな人生を送れるはずがない。さつきは母親の首を絞めたときは衝動的だったかもしれないけど、子供には冷静だったはず。だから、自分も死ぬべきだと思ってる。いや、自分も罰を受けて死ぬために、子供まで殺したのかもしれないな。人一人殺しただけじゃ、この国じゃ、死刑にならないからな」
あふれ出る言葉を自ら制御するポーズで、三沢は頬杖をついた。こめかみに血管が浮いている。
「罰を待たず、自ら命を裁つべきだったな。そうすりゃ、誰にも迷惑をかけなかった。それがさつきの甘いとこさ。いまさら自分で本当の動機なんか告白しない。あいつは自白を変えないよ」
子供の将来を憂いて、幼い命を奪った田中さつき。自分の死を受け入れたい田中さつき。三沢の推測が正しければ、それはどちらもあってはならないことだ。
「……極刑でいいんだよ。判決に逆らう必要はない。死んで罪を償えばいいのさ」
ため息の後で、三沢はそうつぶやいた。
体全体が締め付けられる苦しさで、私は外の景色に救いを乞う。
黒い鳥の群れが、空をはためいている。風に乗った紙吹雪みたいに、同じ方向に、同じ速度で。
「記者さん、オレの取材は役に立たなかったな。ま、事件について知ってるのは、そんなとこだよ」
視線を戻すと、目の前の瞳が穏やかな色に変わっていた。
「そこに書いておいてくれよ。子供たちが鳴いているって。田中さつきが死んでも、結局、世の中は何も変わらない。今晩も明日の夜も、どこかで子供たちが鳴いてるんだ」
「でも……三沢さん、あなたは、さつきさんと海を見た夜から、鳴かなくなったんですよね……」
ひとすじの光に、私はしがみつく。
「ぎゅうっと抱きしめられたんだよ。あの海の帰り、施設の門をくぐる前に、さつきがオレをぎゅうっと抱きしめた。体が潰れるくらい苦しかったけど、オレは初めて生き物の体温ってやつを感じた」
飛び去ったはずの一羽が、私の視界に戻ってくる。
群れからはぐれたのだろうか、それとも、自分の気持ちに任せて自由に翔んでいるのだろうか。
翼を上下させた別の鳥がその一羽に追いつくと、羽の動きを止めて速度を弛めた。
陽光の中でふたつのシルエットがひとつになり、緩やかに青空に融けていく。
ぎゅうっと抱きしめる。
手帳の白いページに、私はそう記した。
おわり
■単作短篇「子供たちが鳴いている」by T.KOTAK
短篇小説「子供たちが鳴いている」 トオルKOTAK @KOTAK
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