子供たちが鳴いている(9/10)

私は手帳にキーワードだけを書きとめ、両の目と耳を三沢に集中した。

「施設で、オレは毎晩泣いてたらしい。いつも明け方に、な。夢を見たり、哀しかったわけじゃない……まぁ、そういう癖がついてたんだろう。小学生だったさつきが、なぜかオレの寝かしつけ役で、ませたガキが親の仕事を手伝うってカンジだった。弟の面倒でもみるつもりだったんだろう」

そこまで一気に言って、三沢は窓の外を眺めた。

心の奥底に眠っている化石を少しずつ掘り出しているような横顔だ。

新しい客が店主を呼び止め、何かをオーダーする。

まだ話す必要があるのか?という面持ちの三沢と目が合い、私はゆっくり頷く。

「……あんたが昨日見た、あの映画と同じだよ」

事件の始まり、ヒロインの行動、衝撃的なラスト――映画のさまざまなシークエンスを呼び起こしても答えは分からない。むしろ、いっそう深い霧に包まれてしまう。

「ある真冬の明け方にな、さつきはいつものように泣き始めたオレを起こして、ジャンパーを着せた。もともと予定してたんだろう……あいつはパジャマじゃなくて、服を着てたから」

私は言葉を挟まず、相づちも打たず、ただシーンを思い浮かべる。

「そうして、他の子供たちを起こさないよう……誰にも気づかれないように、オレたちは手をつないで施設を抜け出た」

「二人だけでですか?」

「そうだよ。オレは四歳だったから、映画のヒロインが子羊を抱きかかえるようなマネはできなかったんだろうよ。オレがいくらやせっぽちだったからって、八歳のさつきには無理だ」

小さく笑う三沢を、私はじっと見つめた。思い出を懐かしむというより、憐れむ表情だ。

「門を出れば、道の両側にくぬぎの雑木林があってな、そこをまっすぐ行けば海に着く。子供たちの昼間の散歩コースだよ。ただ、昼間と違って、オレたちの周りには誰もいなくて、強い風が木々の葉をビュンビュン叩いてた」

「夜の道ですね……」

独り言みたいに、私は発した。

幼い男の子の手を握りしめて歩くさつきの姿は、法廷での背中からは想像もつかない。

「記者さん、言っとくけど、オレは泣きながら歩いたんじゃないぜ。ちゃんと覚えてる。オレは海が好きだったから、さつきがそこに連れてってくれるんだろうって分かってた。胸が高鳴ったな。嫌だったのは足下のぬかるみだ。もらったばかりの運動靴が泥だらけになっていった」

薄い陽射しを受けた鼻梁を薬指でなぞった後で、三沢はタバコにライターを寄せた。オレンジ色の火が、ネックレスの継ぎ目を魚の鱗みたいに光らせる。

「夜の海は思ったより暗くなかった。月が出てたから、風に揺られる波の動きも見えたよ。雑木林の方がよっぽど無気味だった」

「……しばらく海にいたんですか?」

「いや、あいつもオレも急にくしゃみが出てさ。オレの方から『帰りたい』って言ったんだ。別に恋人同士じゃないから、海岸でナニするわけじゃねぇしよ。行ったり来たりする黒い波を見てたら眠くなったんだ」

言い終えると、三沢はタバコを灰皿に置いて、胸ポケットをまさぐった。

「あんたにやるよ」

手のひらにあるのは、一円玉ほどの大きさの貝殻だった。桜色で、真ん中にほくろに似た焦茶色の点がある。

「それは……田中さんと三沢さんが拾った、その夜の宝物ですよね……おそらく、施設に帰る途中で、あなたはもう泣かない約束をした」

映画を思い出し、私は拙い想像を加える。

自分の話を証明するために、三沢は貝殻を持ってきたのだろう。今日の取材がどんなものになるにせよ、その夜の出来事を私に話すつもりだったのか。

ラジオのチューニング音が、会話を邪魔しない程度に聴こえてくる。店主がアンテナの向きを小刻みに変えていく。

………昨夜、転覆………行方不…に……ていた…海洋丸の乗組員…無事救…されました。

短いニュースが命の無事を伝えると、店主は誇らし気な顔でスイッチを切った。

「……子供たちがないているって、さつきは言ってたよ」

三沢がポツリと言った。

「明け方にひとりの子供がなき出すと、施設の他の子供たちがそれにつられてなき出すんだ。ほとんどのガキが寝惚けてるだけなんだけどさ」

「それは、三沢さんの光星園だけではなく、さつきさんが経営していた保育施設でもそうだったんですね? 再会して、さつきさんがあなたにそう話した」

芯の強い眼差しが私に刺さる。

「『なく』っていう字は、さんずいの泣くじゃない。口へんの鳴くだ。鳥とか獣が鳴くの鳴く、さ。人間の理性ではなく、子供という生き物が、夜中に本能で鳴くんだよ」

「施設で一夜を過ごす子供たちが鳴く、と……」

「寂しかったり、哀しいから鳴くわけじゃない。動物が何かを求める鳴き声らしい。大人になったオレにはそれが分かるだろ?って、あいつは言ったよ」

落ち着きはらった口調で、三沢は続けた。

「まぁ、ひとりの子供が鳴いて、他の子供がそれに共鳴するってのは普通の家じゃあり得ないだろう。さつきはそれが耐えられなかった……つまり、仕事が向いてなかったってことさ」



(10/10へ続く)

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