子供たちが鳴いている(8/10)
「で、記者さんは、保育園に預けたわけ? その子が何歳か知らないけど」
「はい。でも、私はフリーランスなので、職場のある母親より自由度が高かったと思います」
「自由度?」
「ええ……娘と一緒にいられた時間です。少しでも体の具合が悪ければ休ませたので」
過去を脚色なく伝えると、また鳩尾がきりっと痛んだ。
胸の高い位置で腕を組む三沢の前で、ガラスから射し込む陽が宙に漂う塵を映した。
「仕事は辞めなかったんだ?」
「経済的な事情というより、私のエゴです……いまもそうです」
相手の尋問に従って、私は率直に答えた。三沢との心の距離を縮めるためではなく、美花への想いが偽りのない言葉を紡いだ。
「まぁ、人それぞれの価値観ってやつだな。要は、他人に迷惑をかけなきゃいいだけの話さ」
「私のこの取材は、あなたに迷惑をかけていますか?」
「いや、別にあんたのことじゃない。人の生活をやたら詮索したり、プライベートに踏み込むと余計な事件を引き起こすってことだ」
視界に戻った二機のヘリコプターが、遠くの海上で旋回している。音は聞こえない。
沈黙を嫌い、私は相手の真意を探っていく。
「……それは、田中さつきさんのことですね?」
三沢は鼻から息を吸って両肩を上げ、力を込めた手でタバコを灰皿に押し付けた。
「……施設の話はな、さきゅう飲んだときは、さつきはいつも話してたよ」
腹の底から絞り出した声。聴きづらくても、私の耳は誤りなく受け入れた。
と同時に、脇の下に汗を感じ、頭が熱くなる。
「さきゅう」と言った。
たしかに、「さきゅう」と言った。
「……三沢さん、あなたも出雲あたりのご出身ですか?」
いまさら何を聞いているのだという顔で、三沢は顎を擦った。
「さけを」の発音が「さきゅう」になっていた。「E」と「O」の連続する母音が重なり、都会では耳にしない音節に変換されていた。
「田中さつきさんと同郷なんですね?」
前髪の生え際に脂汗がにじむ。
「……ああ、まぁ、そんなとこさ」
――記者さんの勘違いもあるみたいしさ。もっとちゃんと調べて、聞きたいことを整理してくれよ。――山陰地方をあてもなく旅した
音にならない声を私は胸の中で張り上げた。
三沢祐也の生まれ故郷は、ここではない。
「ち」と「つ」の混ざり方や「い」と「え」の音が混同していることで、東北地方の生まれだと勝手に決めつけていた。
しかし、その微妙なイントネーションは、中国地方の訛りにも共通するものだった。
「三沢さん……」
推理の結果を見つけられない状態で、行き先を委ねた。
「そうだよ、さつきとオレは、新宿の店で出会ったんじゃない。さつきが、大人になったオレの居場所を見つけて訪ねてきたのさ」
「……大人になった?」
「記者さんも知ってのとおり、さつきは島根の養護施設の娘だからな」
「光星園ですね。現在(いま)はもうありませんが」
田中さつきは高校を卒業して、故郷を離れた。そうして、東京で仕事を転々とし、28歳のときに保育施設・すたあらいとチャイルドを開設した。新宿の繁華街のそばで、二十四時間保育という営業が水商売や外国人の母親たちに喜ばれ、保育士と経営者の才覚を発揮した。
江坂親子も利用者だった。
「田中さんに再会したということですね……学校でのお知り合いですか?」
田中さつきと三沢の年齢差から、私は憶測で質問を重ねた。さつきがひとりっ子なことは新聞報道されていたし、異父か異母姉弟であれば、週刊誌の記者たちが三沢祐也の存在にたどりついていたはずだ。
腕を組んだまま、三沢はレコーダーを見つめている。
来客を知らせる鈴の音が鳴り、作業着姿の男が入ってきた。私たちを一瞥して、いちばん離れた席に腰を下ろす。
薄雲が太陽を遮り、私たちのテーブルは日向の明るさを失っていた。
三沢はまったく動かない。私の問いを待っているのではなく、自分の考えをまとめている感じだ。
「録音を止めますね……差し支えなければ、あなたと田中さつきさんの子供時代のことを話してくれませんか?」
「……オレはな、施設にいたんだよ。施設に捨てられたガキだった。二歳のときからずっと。親の記憶なんてまるでない」
向きを変えた三沢の瞳が、光の加減で色を薄くする。
「……そうでしたか。まったく存じ上げませんでした」
「そんなこと、誰も知らないさ。他人には関係ない話だ。あんたが、オレとさつきの関係を訊いたから教えただけだよ」
(9/10へ続く)
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