子供たちが鳴いている(7/10)

こちらの挨拶を避けるように三沢が店主を呼び、昨日と同じオーダーをした。

「早速、お尋ねしてよろしいですか?」

無言の返事で、タバコに火を点す。

「三沢さんが、あの事件で田中さつきさんの名前を知ったとき、どんな気持ちになりましたか?」

「別になんとも思わなかったよ」

「驚きませんでしたか?」

「そりゃあ、びっくりしたさ……でも、昨日言ったとおり、田中さつきはオレの恋人じゃないし、そんなに深い付き合いじゃない。あー、あの女が人を殺しちゃったのかってカンジだよ」

煙りを薄く吐き出して、三沢は灰皿を見つめた。瞳の奥にとまどいの色があり、頭に浮かんだ単語を適当に繋げた物言いだ。

レコーダーの作動を確認しつつ、私はメモを取って質問を整える。

「さつきさんは、お仕事のことを……保育施設のことを話しましたか? 彼女の発言のなんでも結構です。教えてください」

掌で右の頬を二、三度こすると、三沢は上目づかいに私を見た。

店主が注文されたドリンクを給士し、「お待たせしました」と添える。

「養護施設ねぇ」

「……いえ、養護施設ではありません。二十四時間の保育施設です。無認可ですが、ご存じのように、田中さんはそこの経営者兼保育士でした」

私の返答に、クリームを混ぜていた三沢の手がぴたりと止まる。

「どっちも同じだろ。養護施設も保育施設も、無責任な親が仕事を口実に子供を置き去りにする場所だよ!」

いままでになく強い口調に息を飲んだ。どう猛な目が、私をまっすぐ捕える。

「……養護施設は別の問題として、保育施設は各家庭の経済的な理由もあって、世の中に必要なものです。二十四時間営業と言っても、子供を預けてるのは二十四時間ではありませんし、認可の有る無しはさておき、必要な場所だと思います」

相手の勢いに呑み込まれないよう、私は冷静に主張した。

「経済的な理由? さつきに殺されたあの親がそうとは思えないけどな」

三沢は言い争いを放棄するそぶりで、自分の見解を抑揚のない調子で伝えた。

それは、私も同じ見立てだった。当時、取材活動に忠実な記者の何人かも、柔らかな書き方で被害者の贅沢な生活を指摘していた。

言葉以上の思惑が態度のどこかに潜んでいないか、私は相手をじっと観察する。

と、突然、重く鈍い音がガラス窓から侵入してきた。

窓の外に視線を移すと、海上に一槽のねずみ色の船があり、その上を二機の軍用ヘリコプターが旋回している。

「行方不明の若者ば、今朝からずっど、この辺りで捜してらんだよ」

スポーツ新聞を小脇に抱えた店主が、私たちの目線にかぶせて言った。

「嵐で船んが転覆してさ……まぁんず、見つからねだびょんなぁ」

軽口な自分を苦笑いでごまかす調子で、店主は続けた。

やがて、ふたつのプロペラが窓枠の外に消えていく。

「昨夜はすごい雨でしたからね」

話題を継ぐと、三沢は口をへの字にして、タバコをもみ消した。

「自然災害で死ぬのはしかたねぇけど、恨まれて人に殺されるのはたまんねぇな」

「恨まれて?」

とっさに言葉を戻した。

「……知り合いの人間に殺されるってことは、何か恨まれる理由があったんだろうよ」

「三沢さん、それは殺された江坂恵子さんのことですか? 彼女に、田中さつきさんから恨まれるような何かがあったと?」

「……いや、別に……さつきの事件に限らず、知り合いの人間に首を絞められるには、それなりの理由があるって思っただけさ」

窮鼠は猫を噛まずに逃げ場所を探した。私はけして空腹の猫になることなく、神経を集中させて、彼を導いていく。

「江坂恵子さんには殺される理由がなかったと思います。田中さつきによる金銭目当ての計画殺人でしょう」

加害者の名前をあえて呼び捨てにして、推測とは裏腹な発言で相手を試した。

使い捨てライターを点けては消し、三沢は下唇を噛んでいる。

「記者さん、あんたはきちんと取材してないな。週刊誌を読んだオレの方が、よっぽど事件を知ってるよ。なんで、強盗目的の奴が昼間に行くんだよ? おかしいだろ」

「……そうですね。目撃者も多かったですから」

「まぁ、オレが知ってるのは、加害者も被害者も金に困った女じゃなかったってこと。それと……さつきは、殺した子供のことは大事にしてたな。泣き虫だけど優しい子供だって言ってたよ。それを殺したんだから、死刑になって当たり前だ」

言い終えて、三沢は次のタバコを斜めにくわえた。

殺した子供のことは大事にしてた――事件前の容疑者を知る重要な証言だった。たとえ、田中さつきの策略めいたセリフだったとしても、あるいは、いまこの場での三沢の虚言としても、レコーダーに記録されるべきものだ。

逸る気持ちを抑え、私は相手に時間を与える。

「……記者さん、あんたには子供がいるの? こんな仕事してるくらいだから、いるワケないか」

「います! 娘がひとりいます!」

反射的に口をついた言葉が自分の耳を襲い、頬が熱くなった。

それは嘘でもないし、真実でもない。「いない」と言えば嘘になるし、「いる」という断言も正しくない。

不敵な笑みを浮かべて、三沢は椅子の背もたれに体を預けた。

「正直言いますと……いまは事情があって、夫と娘とは暮らしていません。でも、娘は私の宝ですから、こんな仕事をしていても忘れることはありません」



(8/10へ続く)

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