子供たちが鳴いている(5/10)
三沢の言うとおり、控訴人に接見する資格が私にはあるかもしれない。田中さつきと向かい合い、会話を交わせたら、真実に一足飛びで近づけるかもしれない。
「本当の血のつながりなんて意味がないからな。いちばん会うべき人間が会えばいい」
思いがけない三沢の言葉に、鳩尾がちくりと痛んだ。美花の顔が浮かぶ。笑い顔ではなく、なぜか、泣きべその表情で。
「ま、厄介な手続きがあるんだろうな。だから、あんたはオレのところに来たわけだし」
腕の動きに併せて、火傷の痕が皮膚に貼り付いた生き物みたいにかたちを歪める。
「質問を続けてよろしいでしょうか? お時間は大丈夫ですか?」
「実は、申し訳ないが、ちょっと野暮用があってね。記者さん、東京に戻るのはどうせ明日だろ?」
三沢のセリフは想定外のものだった。
「……私は大丈夫です……でしたら、明日またお時間をいただけますか?」
事件の核心にまだ少しも触れていない。このまま東京に帰るわけにはいかない。幸い、復路のチケットは取っていないし、明日のアポもなかった。
「じゃ、明日の1時にここで。明日は何もないんで長くつき合えるよ……今日は、記者さんの勘違いもあるみたいしさ」
「勘違いですか?」
「もっとちゃんと調べて、聞きたいことを整理してくれよ。お互い、時間の無駄だからさ」
「……お時間をいただけるのは助かります。聞くことが見当違いで申し訳ありませんでした」
両手を腿の上に置き、私は丁重に頭を下げた。それから、レコーダーをオフにするタイミングで、どうしても訊いておきたいことを口にした。
「三沢さん……あなたは、田中さつきさんが幼い子を殺(あや)めるような人だと思いますか? 何らかの理由で、母親の江坂恵子さんを絞殺したまでは分かります。裁判のすべてを私は傍聴しています。でも、子供に手をかけた理由が分かりません」
爬虫類の目つきで、三沢は私を見つめたまま、口をつぐんだ。
テーブルが静寂に包まれ、レコーダーに触れた状態で言葉を待つ。
「……それはどうかな。人の行動や気分なんてのは、朝飯を食べなかったぐらいで変わるからな。何か特別な意図があって、娘まで殺したのかもしれないし。逆に、あんたに聞きたいんだけど」
「はい」と、はっきり返事をして、グラスに残った水を飲み干した。
「殺すつもりで殴ったけど、怪我をさせただけで終わった場合と、殺すつもりはなかったのに、殴った拍子に死なせてしまった場合……どっちが本当の意味で罪が重いんだろうな?」
●
拳銃を構えたヒロインが薄闇の空間を手探りしている。裸電球に吸い寄せられる蛾。
扉を開いた途端に明かりが消え、彼女の行く手が阻まれる。荒い呼吸音。
赤外線スコープをつけた犯人が、獲物をじっと狙っている。
そして、背後から忍び寄る男の手がヒロインの髪に触れようとした瞬間、乱射された弾が窓を突き抜け、床に散ったガラスの破片に陽射しが反射する。
後味の悪い映画だった。
私はビジネスホテルの部屋にひとりでいる。
埃をためた旧式のエアコン、締まりの悪い蛇口、弾力を失ったベッドのスプリング……ガイドブックの写真より年を重ねた宿泊施設は、フロント係以外は人の気配を感じさせない。
いまから6時間前、私と三沢は一緒にカフェを出て、駅に向かった。
コウモリ傘の私と、店から借りたビニール傘の三沢。天気予報を聞いていたのに手ぶらだった三沢は、雨に濡れて帰るつもりだったのだろうか。店主の親切心を断わったものの、結局、最後は彼が折れた。
雨風を受けながら、私たちは短い会話を交わした。
歌舞伎町のホストクラブを辞めた後、山陰地方をあてもなく旅したこと、大型免許の取得のために自動車教習所に通っていること――三沢は、そんな過去と現在を訥々と語ってくれた。
そうして、別れ間際、「今夜放送される映画をホテルのテレビで見ときなよ」と、私に薦めたのだった。
ラストシーンの余韻を残すことなく、番組がニュースに切り替わる。
春の嵐が東北地方と北海道の南側を襲い、高波で事故が起きたらしい。漁船の転覆。何人かの乗組員が行方不明になっている。私はリモコンのボリュームを上げた。
近くでの出来事だった。
カフェの窓に映っていた平らな海が姿を変え、漁師たちを呑み込んだという。
やがて、ニュース映像は、四国で起こった殺人事件の続報に替わり、遺族のインタビューを流していく。テロップを誤ったのか、画面下に表れた名前がすり変わり、すすり泣きの音声を拾う。
悪天候に操られたアンテナのせいか、画面にノイズが走り、映像が途切れがちになった。
私はテレビのスイッチを切る。
ワンルームの部屋は暖房が効いているものの、どこかから冷気が入り込んでいるようで、ときどき身震いする肌寒さを感じた。出張用のバッグからカーディガンを出し、大きく息をついてからノートパソコンを起動させた。
(6/10へ続く)
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