クリスマス番外編1 酔っぱニコルとくりすのます

「……く、くりすのます? 何ですかそれ」

 ニコルは両頬をぽかぽかと上気させ、どこかうっすらと汗までかきながら、雪かきのスコップをさくりと雪に突き刺して振り返った。

 真っ赤なダッフルコートにふわふわな白い毛皮の縁取り、同じく赤いぬくぬくの帽子には綿毛のようなぽんぽんがくっついている。立ちのぼる息は雪のように白く、そのまま底抜けに青い空までのぼってゆきそうだ。

「ゾディアックの祝祭で、ヨウルとも言う」

 一方のチェシーは完璧なシルエットのロングコートだ。上から下まで銀ぎつねのような純白。一点のくすみもない。

 ……とはいえ、その格好にスコップをかついでいるのは少々、いやかなり似合わないものがあるのだが。

「君の名前によく似た守護聖人を祭る日さ」

 チェシーは皮肉な口の端をつりあげ、北の空をみやる。


 彼らがいるのはノーラス城砦の屋根の上。

 見渡す限りの銀世界だ。森も、銀嶺を頂く山も、凍てついて真っ白になった湖、輝く川、そしてきらきらとまばゆい風花の舞う冬の空もまた、突き抜けるような青さでどこまでも続いていて――


「花誕祭みたいなもの?」

「少し違うな。子どものころはいろいろ楽しんだものだが」

「え、どんな」

「蝋燭で飾り付けをしたり、うまいものを食ったり、プレゼントをもらったりだ」

「それって祝祭じゃなくて単なるパーティじゃ」

 小首を傾げ、くちびるを少しとがらせてニコルは考え込む。

「うーん……よく分かんないや」

 チェシーはそれを無視し、唐突にニコルを睨んだ。

「ところで先程からやや疑問に感じていることがあるんだが」

「はい?」

 ニコルは雪のまぶしさに眼をほそめてチェシーを見つめた。

「何でしょう」

「なぜ私が雪かきをしなくてはならないんだ」

「まったくですな」

 不満そうなザフエルの声が、雪をたっぷり被ったとんがり屋根の向こうから聞こえてくる。

「雪ごとき私の《天国の門ガルテ・カエリス》で一発……」

「え」

 なにやらぶつぶつと呪文の詠唱が聞こえた。

 かと思うといきなりどかーん! と物凄い爆発音がして、見事に屋根ごと雪がすべて吹っ飛んだ。もうもうと白い蒸気があがる。

 その煙を破って、ザフエルらしき人影がくるくる回転しながらぴゅーんと空を飛んでいく。

「後でちゃんと修理しといてくださいねーー」

 自由落下中のザフエルに向かって、ニコルはまるくした両手を口に添え、大きな声で笑いながら呼びかけた。

 それを見送ってチェシーがげんなりとしたかぶりを振る。

「……こんな連中に、我がゾディアック精鋭十二師団が束になってかかっても敵わなかったとは」

 ニコルはぴく、と耳をそばだてた。ぷぅっと赤い頬をふくらませてチェシーを睨み付ける。

「昔のチェシーさんがもしノーラス攻めに加わってたら、僕らだってどうなってたか分からないでしょ」

「実を言うと、何度もつつしんでご辞退申し上げたんだ」

 チェシーはニヤリと笑った。

「こう見えて私はけっこう打算的なんでね」

「……打算ずくめにしか見えないです」

 しゃべっているうち、ニコルはだんだん雪かきに飽きてきた。そのへんの雪をぎゅっぎゅっと握っては雪つぶてをせっせと作り、思い切り青空めがけて遠く放り投げる。

「うわーすごい飛んだ!」

「……」

 チェシーの冷たい目が背中に突き刺さる。

「貴様……歳を考えろ……」

「うわっつめたっっっっ! な、何だあっ?」

 ずっと下のほうで、誰かに直撃したらしい声が聞こえた。ニコルは思わず腹をかかえて大笑いしながらさらに巨大な雪玉を作りにかかった。

「だって雪なんてノーラスに来るまで一度も見たことなかったし」

 雪玉はいつのまにかニコルの手に余るほどの巨大さになっている。チェシーはわずかに頬をひきつらせた。

「お前、それをどうする気だ」

「え」

 ニコルはにこにこしながら雪玉をよっこらせと抱え上げた。

「もちろん」

「お、おい」

 そんなもの投げてもし下にいる誰かに当たりでもしたら――と青い顔で止めようと駆け寄ってきたチェシーの顔に。

「えいっ」


 ……ぐしゃ。


 頭から真っ白な雪をかぶってチェシーは硬直し立ちつくした。

「……」

 髪についた氷、肩に乗った雪を無言のまま手でぱらぱらと払い落とすと、奇妙に優しい眼でニコルを見やる。

「ほう。そんなに雪が珍しいか」

「う」

 ニコルは目元をひくひくさせながらあおざめて後ずさった。

「え、ええまあ……イル・ハイラームじゃ雪なんて降りませんから……」

「そうか」

 チェシーはこのうえもなく悪辣な笑みで口の端を危険に染めた――かと思うと、一瞬のうちに姿をかき消し、雪煙をけたてニコルの背後に回り込んだ。

「うわっ!?」

「そんなに珍しいなら」

 姿勢を立て直しつつ地擦りにすくい上げた左手が、まるでかき氷みたいな雪のかたまりをどか盛りしている。

「ま、待って……」

「これでも食らえ」

 チェシーはぐいとばかりにニコルのコートの襟首をひっつかんで背中を大きく引っ張り開け、その中へ思い切り雪のかたまりを叩き込んだ。

「うひゃあああ冷たああああああっ!」

 ニコルは転がるように逃げ出し、あわててコートを脱ぎ軍装を脱いで背中についた雪をぱたぱたと払いのけた。

「さむ、寒い、寒いーーーーっ!」

「自業自得だ」

「こ、こんちくしょうっ」

 ニコルはぶるぶる震えながら両手にいっぱい雪をつかんでチェシーめがけてばしばしばしっと投げつけた。

「甘いな」

 チェシーは次々にそれらを軽く手で払い落としながら、にやりと笑った。

「そんなもので――」

「まだまだ!」

 第一波は目くらましだ。ニコルはチェシーの胸元に飛び込むなり、両手いっぱいに掴んだ雪を力任せにチェシーの鼻めがけて叩きつけ……たつもりが、つるっと足を滑らせ、バランスを崩して、大きく倒れかかった。

「う、わっ……?」

 そのまま、斜めになった屋根の上を、つつつつーーー……っと滑っていく。

「おい!」

 チェシーが手を伸ばす。

「わ、わ、落ちる……っ!?」

 ニコルは悲鳴を上げた。


 目も眩むような尖塔の天辺。

 一回、二回、まるで宙に身体が跳ねたような気がして、めまぐるしく視界が入れ替わって、真っ白な雪、真っ青な空、そして。


「……っ!」

 最後に飛び込んできたチェシーの顔は、まるで――



「……いつも思うんだが」

 ニコルはぐしゅん、とくしゃみをしつつ、おどおどとチェシーを見上げた。ぱちぱちと燃える暖炉の前で毛布を被り、背中を丸めて、ジャムを添えた熱いお茶をずずず、とすする。

 チェシーも同じく、すっかり濡れてしまった髪をタオルで拭いていた。

「すいません」

 蚊の泣くような声で、謝る。

「どうして君はそんなに人騒がせなんだ」

「そ、そんなこと言われても」

 ニコルはぐすっと鼻を鳴らし、ため息をついた。眼が潤む。お茶を飲むたび、胸の奥が泣きそうなほど熱くなっていくような気がした。

「まったく」

 チェシーはいらいらと続けた。

「もしホーラダインに知られたら、暗殺をたくらんだかどでそのまま粛清されるところだぞ」

「……ごめんなさい」

 ニコルはうつろに答えた。なぜか本当に涙が出てきそうだった。

「その、僕、本当に雪が好きで、雪が降るのがほんと待ち遠しくって」

 雪の季節は戦争がないから――そう、続けようとしてニコルは口ごもり、チェシーを見上げた。

「その、ええと……」

 訳もなく、言葉が続かない。

「あの……」

「だいたいだな」

 チェシーはじろりとニコルを睨んだ。

「もし君が怪我でもしたら、アーテュラス卿ご夫妻や、その、何だ、レイディが心配するだろう」

「レイディ」

 何だか本当に少し、変な気分だ。急に悲しくなったかと思えば、やたら頭がぽぅっとしてきて……。

 ニコルは不思議な気持ちになって聞き返した。

「誰でしたっけ……?」

 チェシーは驚いた顔をニコルに向ける。

「何言ってるんだ君は」

「えっと」

 ニコルはまた、ずずー、とお茶を飲んだ。それからちいさなスプーンに木いちごのジャムを取って、ちょっぴり酸味の混じった甘さをうっとりと味わう。お腹の底がぽかぽかして……ちょっと、気持ちいい……


 ……。

 ……えーと……。


「あのう……」

 ニコルは、ぼんやりと自分が飲んでいるお茶を見つめ、それからジャムに視線を移し、次いでチェシーを見上げた。

「僕、何飲んでるんでしょう……?」

「ただの茶だ」

 チェシーは悪びれずに言う。

「たっぷりウォッカを垂らしてやったからな。すぐに暖まるだろ」


 ……ふぅん……ウォッカね……。


 ニコルはくすくすと笑った。

「で、レイディって……どちらのお嬢さんでしたっけ……」

 何だか、本当に気持ちがいい。頬がりんごのように赤く、熱くなってくる。ニコルは甘いジャムをまたぺろっと舐めた。

「おいしー」

「おいおい、あんまり食うと……」

 苦笑いしかけたチェシーはふと眼をしばたたかせてニコルを見つめた。

「まさか、もう酔ったのか」

「……え? 僕が?」

 ニコルは嬉しそうに自分を指さすと、やたら自慢そうにあごをしゃくりあげた。

「まさかあ。全然酔ってなんかないですよぅあははははは……あ、思い出しました!」

 でれでれと相好を崩し、小鳩のように含み笑う。

「レイディって、あの、サロンのときの」

「そうだ。お前、自分の妹を忘れてどうする……」

「やだなあ、チェシーさんったらまだ覚えてたんですか。あれ、チェシーさんがノーラスに来てすぐのときでしょ」

 ニコルは可笑しくてたまらなくなって、お腹を抱えてケラケラ笑いだした。

「”ニコラ”でしょ。はいはい、あのときは――」

「酔いすぎだ」

 チェシーはあきれたふうに言ったが、ふと思いついたことがあったらしく口を閉ざし、しばしためらう。

「……酔ってるんなら、いいか」

 ニコルに聞こえないよう一人ごちてから、少し、どもりつつ訊ねる。

「その、つまり、なんだ、彼女……元気にしてるか」

「んー?」

 ニコルは能天気に微笑んで小首を傾げた。

「元気ってあはははははそりゃモチロン、だって”ニコラ”は」

「一度、手紙を出したんだ。返事はなかったが。息災でいるのか」

 ニコルは、すこしどきりとして胸を押さえた。

「へっ……て、手紙?」

「ああ。今、何をしてる。忙しいのか……?」

 なぜか、いつもより堅いような気のする、チェシーの声。


 あの日。あの夜。

 南国の夜の夢のように、まるでその瞬間だけをけざやかに切り取ったかのように。今もなおまざまざとよみがえってくる、遠い思い出。


 ――”ニコラ”なら、貴方の目の前に、ずっと――

 

 ニコルは、ふと夢からさめたような顔をしてチェシーを見上げた。

 でも顔を上げたときにはもう、からりと朗らかな声を取り戻している。

「もちろん、元気ですよ。きっと毎日、忙しくしてるんだと思います。僕もなかなか逢えないですから」

「……そうか。ならばいい」

 チェシーはゆっくりと答え、そのまま多くを問わず背を向けてしまう。

「チェシーさん」

 ニコルは雪解けのような微笑の残る顔で、その背に声をかけた。

「あとで、その、くのりますのすを祝いましょうよ」

 何だか、自分の言ったことが妙に気恥ずかしく思えて、ニコルはつい頬をあからめた。

「おいしいもの、いっぱい食べたり飲んだりするんですよね? この際、ぱぁっと飲めや歌えの大宴会を!」

 チェシーはいつもどおりの皮肉な顔で笑う。

「そんな変な祝祭、私なら間違っても祝いたくないな」

「ええっ!」

 ニコルはむっとし、不満の声を上げた。

「チェシーさんがそう言ったんじゃないですか」

「そんなことは言ってない」

「いいえ、言いました!」

「誰が言うか」

「いいですじゃあ僕一人ででもくまのりすすを祝いますから」

「勝手にやってろ」

「ふん!」

「フン」


 がたん、と椅子を蹴立て、立ち上がって、互いにぷいと背中を向けて。

 ニコルはぶうっと頬をふくらませた。が、暖炉からすこし離れただけで、濡れた髪が無性にぶるぶるとすくみ上がるほど冷たくなって、思わずくしゃん、と子犬みたいなくしゃみをする。

「や、やっぱ寒い」

「ちゃんと火にあたってないからだ、この馬鹿」

 チェシーは不機嫌きわまりない顔のまま振り返った。

「馬鹿じゃないですもん」

「馬鹿じゃなかったら馬鹿正直だ」

「だから馬鹿じゃないって」

「……もういい。馬鹿の相手をするのは疲れる」

 チェシーはあきらめたように言って、自分が使っていたタオルをニコルに放り投げた。

「ちゃんと頭を拭け。馬鹿」

「……」

「……」

 ニコルはずるずる鼻をすすりながら、だまってタオルを受け取った。

「……」

 くしゃくしゃと髪を拭く。

「……」


 からりと音をたてて薪がくずれ、火の粉が舞う。暖炉の火があたたかく、優しく、はぜて。


「……そ、そうだ、そういえば戸棚にちょっと、取っておいた焼き菓子があったんだっけ」

 ニコルは火に照り映えて赤くなった頬を、すこしばかりよけいに赤くしながらあたふたとつぶやいた。

「ザフエルさんが戻ってきたらこっそり三人で食べませんか。共犯にしちゃえばきっとくまりすのるすだってバレても大丈夫ですよ」

「いい加減に気付け、この馬鹿者」

 ひょいとタオルをニコルの頭から取り上げる。その端にメガネがひっかかって、ぽろりとはずれた。

 床に転がり落ちる。

「わっ」

 あわててニコルは屈み込み、床に落ちたメガネをおろおろとまさぐって探し始めた。

「メガネどこだ、あれっ、僕のメガネ!」

「実はな」

 チェシーは、すっと手を伸ばしてニコルのメガネを拾い上げた。真正面からニコルの顔をのぞき込んで、ぽつりと言う。


「私もクリスマスの時期がいちばん好きだったんだ。――戦争せずにすむからな」

 チェシーは遠い眼で窓の外を見つめる。

「たぶん、みんな、同じ気持ちだろうさ」

「そうですね」

 微笑みがこみ上げてくる。

「静かなクリスマスだといいな」

「……はい」

 ニコルはちいさく、こくんとうなずいた。

「……僕も、今の時期がいちばん好き……かも」


 それはとても不思議で、ふわふわした、幸せの一瞬だった。


【おしまい】

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